2022年7月8日。
その日、私は霧ヶ峰にいた。この年はニッコウキスゲの当たり年で、百合に似た黄色い花が高山の一角を埋め尽くしていると聞き、ふらりとやってきたのである。さすがに駐車場は満車で、路肩にも車があふれていたが、運よく出ていく一台を見つけ、止めることができた。
人のあふれる観光地は苦手だけれど、それも広い空の下では気にならない。ニッコウキスゲの群生はそれは見事で、小学生に「夏の高原」とお題を出したら、こんな絵を描くんじゃないかと思わせた。
ほとんどの人は花を楽しんだら車に戻るが、ハイキングの格好をした人は、霧ヶ峰の最高峰、車山まで歩く。私もそれについていく。霧ヶ峰は百名山の一つだが、山と呼ぶほどの高低差はなく、花畑から車山の山頂まで30分ほどしかかからない。気象レーダー観測所のある山頂は、360度の大パノラマ。5月に来た時はその名の通り霧に閉ざされ、展望はなかったが、今日は日本アルプスも八ヶ岳も見渡せる。うちの別荘はあのへんかなとあたりをつけて、ひとりでニヤつく。
さらに先の外輪山にも足をのばした。蝶々深山、ゼブラ山。もう人はほとんどいない。奥霧小屋の先は八島湿原。扉や柵で仕切られているので、貴重な高山植物が鹿に食べられることなく花盛りを迎えていた。ニッコウキスゲの群生も美しいが、多種多様な花の咲く湿原も素晴らしい。7月に霧ヶ峰に行く方には、ぜひこちらもオススメしたい。
駐車場に戻ったのは15時過ぎ。山の中ではチェックしないスマホを開いたら、こんなのどかな散策の最後に似つかわしくないラインが、パートナーから届いていた。
『安倍さんが銃撃されたね』
えっ? ええっ!?
安倍元首相のことはみなさんご存知だから、今さら驚きはしないだろう。ここまで読んでくださった方は、私がパートナーと連絡をとっていることの方に驚いているかもしれない。別れたんじゃないんかい、と。
そう、そうなんです。関係は保留ということになっていて、まだ連絡はあるんです。私は一度こじれたら二度と懐かない勢なので、こちらから連絡をすることはないけれど、彼からはしょっちゅう連絡がくる。フラれたのは私の方なのに、不思議よね。
まあそれはいったん置いといて。衝撃のニュースを私はこんな状況で聞いた。もちろんこの段階では何の情報もなく、政治思想を異にする者による犯行なのかと想像し、なんとか助かるといいのだけれどと考えながら帰路についた。
犯人が宗教2世ではないかと報道されたのは、その翌日。私は預かっていたヤマトを引き寄せ、あううと呻いた。癒しの森にも目をむけず、パソコン画面に張りついてニュースを追う。
教団こそ違うが、私も宗教2世だ。親が信じる教団に勝手に所属させられ、教義に則った生活を強いられて、苦悩している2世は少なくない。「信教の自由があるから、何を信じるのもその人の勝手」という言説以外では、宗教を語れない今の日本。だが宗教によって苦しめられている人もいると知ってほしくて、複数の2世に取材した漫画を某社でスタートさせたのが、2021年の9月だった。しかし連載途中である宗教団体からクレームがつき、戦ってくれると思った編集部はあっさり白旗を挙げて、全話が削除されてしまった。私が別荘を見つけたのはその直後で、人間不信でやってらんねえわという気分で、山に逃げ込んだ面もある。
一方で、その原稿を引き取って本にしてくれるという出版社が1社だけ現われた。まさに捨てる神ありゃ拾う神ありだ。慎重に準備を進める必要があったため、情報は公開できないながらも、私は山の中で原稿を描き進めた。銃撃事件が起きたのは、こんな最中だったのだ。
突然、電話が鳴った。知らない番号だが、出てみる。
「〇〇週刊誌の〇〇と申します。今回の事件について、ご存知のことはありませんか?」
うへえ、こんなことって本当にあるんだ! 電話番号、どこで漏れてるの?
もちろん私が知っていることなんて、何もない。“前のオーナー”を追いかけるヤマトを片手でなだめながら、鈴木エイトさんに聞いてくれといって電話を切った。当時はまだ有名ではなかったエイトさんだけど、説明できるのは彼しかいないと思っていた。エイトさんの記事は読んでいたし、私も何人かの2世を紹介していただいている。事件のことも、2世のことも、憶測抜きで語れるのはエイトさんだけだ。ともかく記者さん、私に聞くのは超見当違いですよ。
この日、マスコミからの電話は3、4件あったと思う。
電話の後、自然と犯人と自分を重ねていた。言葉選びに迷うけど、私は犯人の気持ちが、まったくわからないわけではなかった。当然、逆恨みの挙句、暴力的に人命を奪うことは理解ができない。だけど最初からハズレクジを引かされたような人生が、袋小路に見えることはわかる。生まれる前に選べるのなら、こんな家には生まれなかったという気持ちも、きっと同じだ。
ヤマトを引き寄せ、リードをつけて散歩に出た。庭にはホタルブクロが咲き始めている。植え替えなんかしなくても、1週間ごとに違う山野草が花開く、7月の山。小鳥が2羽、木の下を通ったらやっと聞こえるほどの小さな声で囁き合っている。どこまでも続く緑の中を、筋肉を波打たせながら力強く歩くヤマト。肺に涼しい空気が満ちるほどに、うなだれていた私の首は、しゃんと伸びていく。
だけどこんな瞬間、チクっと罪悪感を覚えるのだ。「宗教2世のために」なんて言いながら、全力を注がず、逃げている気がして。ひとりだけ憧れの暮らしに癒される自分は薄情だと、内なる声が聞こえてきて。
それでもやっぱり、私はこの時間を捨てられない。緑や土や動物から、時々おこぼれをもらわないと、うなだれた首はきっと、そのままポッキリ折れてしまうから。