あなたはタヌキと話したことがあるだろうか。私はある。一度だけ。
 あれは蓼科に来たばかりの頃。夕焼けのあまりの美しさに、外で立ち尽くしていた日のことだ。遠くに山のシルエットを映す、夕と夜のあわいの空は、画家でも描き切れないだろう色。芸術家って永遠に自然に片思いする人のことかしら、なんて考えていた時、ウウーンと高い声で呼びかけられたのだ。
 鳴き声がした、のではない。呼びかけられた。
 とっさには何だかわからず、音の出所をさがしてキョロキョロすると、別荘の前にちょこなんと座る、枯葉色した小型犬くらいの動物を見つけたのだ。その姿は、まごうかたなきタヌキ。顔が真っ黒なのでわかりにくいが、しっかりと私を見ている。たいていの野生動物は人間を怖がるのに、タヌキは微動だにしなかった。間違いない。あの子が私を呼んだのだ。こんな出会いってあるだろうか。なんだか今の私、ムツゴロウさんみたいじゃない? 驚きと感動に震えていると、タヌキは今度はハッキリと「なんか食べ物ちょうだい」と言った。
 大丈夫、大丈夫。ご心配には及ばない。これは妄想ではない。
 私は犬が好きすぎて、小2の時に犬図鑑に載っている犬種を全部覚え「犬〇〇〇〇」と、伏せ字を使わなきゃ書けないあだ名をつけらえた過去を持つ。それから何匹かの犬と暮らし、特に最近まで一緒にいた柴犬には、犬語をスパルタで叩き込まれた。故にイヌ科の言葉は、だいたいわかるのである。
「食べさせるものはないよ」
 声に出して告げた。いくら可愛くても、野生動物の餌付けには反対だ。「あげないよ」
 タヌキは少しだけ粘ろうとしたが、私が態度を変えずにいると諦めて背を向け、のっそりのっそりクマザサの奥へと消えていった。私もタヌキ語がわかったが、タヌキも人語を解していた。
 以来、二度と現れない。山の精かなんかだったんだろうか、あのタヌキ。

 そんなタヌキの正体が、今になって判明した。
 天気のよかったその日、私は小さなリュックを背負って別荘地内を歩いていた。敷地の最奥部にオーナーだけが歩けるプライベートトレッキングコースがあり、これがなかなかおもしろい道なのだ。一周一時間ほどの起伏に富んだコースで、見晴台からは北、中央、南の日本アルプスがそろい踏み。茅野市街地を一望することもできる。私はここが気に入って、時折おにぎりと本を持っては、時間を過ごしているのだ。これからの季節は、岩場に群生するヒカリゴケも見頃だと聞く。ヒカリゴケって、準絶滅危惧種だ。見ないわけにはいかない。
 コースの入口までは、歩いて15分ほど。なんせ山の中なので、舗装された道も坂ばかりだ。コースの手前でいったん息を整えていると、ふいに声をかけられた。
「岩の隙間、見てごらん」
 見上げると、大きな石垣の上に年配の男性が立っていた。石垣の奥には立派な別荘。男性はそのオーナーのようだ。
「ヒカリゴケ生えてるよ」
「えっ、ほんとですか!」
 コケが逃げるわけでもないのに、急いで顔を近づける。なるべく暗くて深い隙間を覗くと、あっ、ほんとだ! 黄緑色の蛍光塗料を散らしたように、苔が光っている。微かな光ながらも、まるで宇宙の星々のように神秘的だ。
「トレッキングコースまで行かなくても見られちゃった」
「偶然、ここに自生してるのを見つけたんだよ。少しずつ移植して、増やしてるんだ」
 準絶滅危惧種ってことは、栽培も移植も難しいってことだろう。男性はあっさり話すが、種の保存という大事業を成しえているんじゃないの、もしかして。
「最近来たの? どこの別荘?」
 新顔はやはりすぐに気づかれる。私は先月来たばかりで、賃貸別荘に住んでいると答えた。それから、蓼科はとてもおもしろいです、景色が美しくて最高ですね、なんて聞かれてもいないことまで話す。水もおいしいですね、野生動物もたくさんいますね、来たばかりの頃には、不思議なタヌキにあってビックリしましたよ。
「ああ、それは小百合だ」
「サユリ?」
「美人だったでしょ、そのタヌキ」
 そりゃ可愛かったが、ほかのタヌキと比べて美しかったかどうかはわからない。わかるのは、この男性が吉永小百合ファンのサユリストだということだ。
「小百合はソーセージが好きなんだよ。大きいままあげると遠くに持ってっちゃうから、小さく切ったのを皿に入れておくと、その場で食べてくれる」
「小百合もいろんな菌を持ってると思うんだけどね、あそこの別荘の人なんか、小百合にだったら殺されたっていいって言って、手から餌あげてる」
「小百合が子ども連れてきたときは感動したね」
 あのタヌキ、このあたりの人々のアイドルだったのか。そりゃ人間の言葉も学んでるわけだ。
 しかし微笑ましいような、ダメ出ししたいような複雑な気持ちもする。だっていいのか、ソーセージ。人間から食べ物をもらうことを覚えたら、自分で餌をとる能力を失うって、よく聞くじゃない。管理事務所も、野生動物への餌やりは禁じているはすだ。とはいえリスや小鳥の餌台はよく見かけるし、あまり目くじら立てるようなものでもないのかしら……。
 それにしたって、小百合の頭の良さには舌を巻く。あの日の小百合は、今まで誰もいなかった別荘に人が入ったことに気づき、懐柔できそうか確認しに来たのだろう。ところが私にNOと言われて、このドケチ、ボンクラ、それなら用ナシよと、以降顔も見せてくれないのだ。
 小百合以外に、苗字は高倉だろうと思わせる、健というタヌキもいるのだと、男性は言った。
「小百合ほど懐いてないけど、タヌキは何匹か来るんだよ。でも絶対にどうやったって、キツネは懐かない」
 男性と別れた後、小百合とキツネのことを考えながらコースを歩く。一度だけ見た、子連れのキツネ。イヌ語で話しかけたが、冷たい無言で返された。イヌ科の気持ちはわかるなんて驕った私の鼻を折ったキツネ。小百合のしたたかさと、キツネの拒絶。人間とはまるで違う軸で生きている動物がいることが、なぜこんなに深く、私を癒すのだろう。

 けれどこの後私を待っているのは、気持ちの通じ合う犬だ。最近犬と暮らし始めた大桐さんに、数日預かってくれと頼まれたのだ。
 トレッキングからの帰り道は下り坂。足が早まるのは、そのせいだけではない。久しぶりの犬との生活が待っている。

 

(第8回へつづく)