28(承前)
竜ヶ崎はスポーツセダンに乗り込み、美波のアパートへ向かった。頭の中は整理できておらず、様々な可能性が浮かんでは消えた。
先ほどの話は真渕検察官の揺さぶりではないだろう。
弁護人としてすべきことは――。
付近の有料駐車場にスポーツセダンをとめると、美波のアパートへ向かった。
チャイムを鳴らすと、真帆が玄関ドアを開けた。
「ボス、美波さんは中に」
「……ああ」
竜ヶ崎はアパートに上がった。美波はダイニングテーブルを前にしてチェアに座っている。彼女は、足音に反応して竜ヶ崎に顔を向けた。
「お待たせしました」
美波は「いえ」と軽く首を横に振った。
竜ヶ崎は真帆と隣り合って椅子に座った。美波と向き合い、小さく息を吐く。
「明日はいよいよ被告人質問です。美波さん自身に法廷で語ってもらいます」
彼女の首がわずかに竜ヶ崎のほうへ動いた。だが、顔は相変わらず二人のあいだに据えられている。
「はい……」
今思えば、不自然だった。
喋りかけるたびに美波は首を動かすものの、決して発言者にぴったり顔が向くことはなかった。
まるで、サングラス越しにでも視線を合わせることを恐れているかのように。
「流れは何度か打ち合わせをしたとおりですが、もしかすると、少し変更する必要があるかもしれません」
「それはどういう……」
竜ヶ崎は覚悟を決めると、テーブルの上で拳を握った。単刀直入に切り出すことにした。
「美波さん、あなたは本当は目が見えるんじゃないんですか?」
口にしたとたん、室内の空気が凍りついた。美波の体がピクッと反応した。
降りてきた沈黙を破ったのは真帆だった。
「急に何を言い出すんですか、ボス」
「言葉どおりの意味だよ」
「でも、ボス、美波さんは診断書もありますし、一級の障害者手帳だって――」
「たしかに診断は誤魔化せないだろうね。さすがに障害を偽るのは不可能だと思う。美波優月さんはたぶん、全盲だ」
「だったら――」
竜ヶ崎は美波の顔を真っすぐ見据えたまま言った。
「あなたは妹の美波葉月さんではないですか?」
29
竜ヶ崎は美波の返事を待った。
真帆は竜ヶ崎と美波の顔を交互に見やった。
美波の手は、テーブルの上で拳を形作っていた。ぐっと握り締められているのが分かる。
「いつ――気づいたんですか」
悪事を見抜かれたかのような、緊張を帯びた声だった。
「やっぱり……そうだったんですね」竜ヶ崎は大きく息を吐いた。「その可能性に気づいたのは、ほんのさっきです」
竜ヶ崎は、真渕検察官から聞かされた話を説明した。美波も真帆も黙って聞いていた。
「診断書もあって、障害者手帳も交付されている以上、全盲が嘘だとは思えませんでした。しかし、不審なことがあるのも事実です。どちらも正しいとしたら――。そう考えたとき、あなたの正体に思い当たりました。優月さんと葉月さんは一卵性双生児なんですよね?」
優月と葉月――。名前の語感が似ている。改めて考えると、年齢差がある姉妹というより、同時に生まれた双子の名前の付け方ではないか。
「でも、ボス――」真帆が困惑した声で口を挟んだ。「いつから――。いつから入れ替わっていたんですか。裁判の直前ですか」
竜ヶ崎は緩やかに首を横に振った。
「入れ替わっていたなら、一卵性双生児とはいえ、さすがに僕らも気づいたと思う。たぶん、彼女は最初から葉月さんだったんだよ。ですよね?」
美波は諦念の嘆息を漏らし、弱々しく「はい……」とうなずいた。そして――サングラスを外した。しっかりと焦点が合った瞳は真っすぐ竜ヶ崎の顔を捉えていた。
「私は葉月で、目が見えます。全盲なのは姉の優月です」
全ては逆だった。
「うちの事務所に弁護依頼の電話をしてきたのが、全盲の優月さんだったんですね?」
「そうです。姉は新聞が読めませんし、私も逮捕されて連絡できなかったので、事件のことは知らなかったようです。ただ、LINEを送っても私が何の返信もしなかったことで、何かあったと思って、施設に電話して状況を知ったと言っていました。それで、音声検索機能を使って弁護士事務所を探して電話した――と。保釈後にやり取りしてそのような事情を聞きました」
弁護の依頼者は健常者の妹ではなく、全盲の女性本人――美波優月だった。
「ちょ、ちょっと待ってください」真帆は現実を否定するようにかぶりを振った。「混乱してきました。最初から入れ替わっていた――ということは、全盲の障害者として『天使の箱庭』に入所したのも葉月さんなんですか?」
「いえ、『天使の箱庭』に入所したのは姉です。入れ替わったのは、事件が起こる数日前です」
「……視聴覚室で襲われて反撃したのは、葉月さんということでいいんですか?」
美波が間を置いてから答えた。
「はい、そうです」
「じゃあ、視聴覚室で起きた全ては見ていたんですよね?」
美波の表情が曇った。
「それが――見ていないんです」
真帆が小首を傾げた。
「でも、葉月さんは目が見えるんですよね?」
「……実は施設は完全に消灯されていて、何も見えなかったんです。私は全盲の姉を装って常にサングラスをつけていましたし、電気を点けるわけにはいかず、真っ暗闇の中を歩いて視聴覚室へ向かいました。視聴覚室の中も電気が点いていなくて……。闇の中で人の気配がしました。そこで男の人に襲いかかられて、押し倒されて……」
『天使の箱庭』の廊下の窓には、シャッターが取りつけられていた。カーテンもあり、夜は外光が完全にシャットアウトされる。視聴覚室もその用途の関係上、分厚い遮光カーテンが引かれていた。電気が消えていたらたしかに真っ暗闇だろう。
竜ヶ崎はふうと息を吐いた。
「聞かせていただかなければいけないことがいくつもあります。なぜお姉さんと入れ替わっていたのか。なぜ全盲を装っていたのか。施設関係者たちが駆けつけた後、何があったのか」
美波は覚悟を決めたようにうなずいた。
「……はい。こうなったら全てお話しします」
「法廷では真実を語ってもらうことになります。事情を伺った後、打ち合わせしましょう」
明日の被告人質問は法廷が紛糾しそうだ。
(つづく)