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 検察側の二人目の証人は、『天使の箱庭』の副施設長である太崎和子だ。
 彼女は名前を名乗り、宣誓を行った後、証言席に腰かけた。緊張の面持ちで法壇を見据えている。
 竜ヶ崎は太崎和子の横顔を観察した。彼女がするであろう証言内容の要旨は、『公判前整理手続』で明らかにされている。
 真渕検察官が主尋問をはじめた。
「改めて伺います。あなたの職業は何ですか」
 太崎和子は検察官席を一瞥した後、法壇に目を戻した。
「『天使の箱庭』の副施設長を務めています」
「『天使の箱庭』とは何ですか」
 周知の事実だとしても、主尋問する側が『「天使の箱庭」とは中途障害者訓練施設ですね』と尋ねたら、誘導尋問になってしまう。しっかり証人の口から語らせることが大事だ。
「私が荒瀬と協力して立ち上げたNPO法人で、中途障害者が入所して生活訓練などを行う施設です。障害を抱えてしまっても、社会復帰して当たり前の生活が送れるよう、サポートします」
「被害者の荒瀬氏はどのような立場ですか」
「『天使の箱庭』の施設長です。当NPOを立ち上げたとき、彼が施設長の立場に固執したため、そのような肩書になっています」
「では、八月十二日のことを伺います。その日の深夜十二時ごろ、あなたはどこで何をしていましたか」
「『天使の箱庭』の事務室で仕事をしていました」
「事務室の場所はどこにありますか」
「三階の北側にあります」
 真渕検察官は鮫島裁判長を見やった。
「裁判長、関係者の位置関係を明らかにするため、現場の見取り図を提示することを許可してください。見取り図は事前に弁護側に閲覧していただいています」
 鮫島裁判長が弁護人席を見た。
「弁護人、意見は?」
 竜ヶ崎は「異議ありません」と発言した。
 真渕検察官が書画カメラの下に図面をセットすると、モニターに『天使の箱庭』の見取り図が映し出された。
「タッチペンで事務室の場所に丸をつけてください」
 太崎和子は「はい」とうなずき、タッチペンを手に取った。三階の北側にある一室に丸が書き込まれる。
「ありがとうございます。では、あなたが本法廷に証人として呼ばれた理由を教えていただけますか」
「私が事件の第一発見者だからです」
 裁判員たちがはっとした顔を見せた。事件と密接に関係している証人が早くも登場し、興味を惹かれたことが分かる。
「それは何時ごろでしょうか」
「深夜十二時を少し過ぎたころだったと思います」
「何がありましたか」
「トイレに行くために廊下を歩いていたときでした。女性の悲鳴のような声が聞こえたんです」
「トイレの位置を示していただけますか」
 太崎和子がタッチペンを使った。三階の階段付近の小部屋に丸印がつけられる。
「ここです」
「悲鳴が耳に入った後、あなたは何をしましたか」
「入所者に何かが起きたのだと思い、慌てて階段を下りました。『天使の箱庭』には視覚障害者や聴覚障害者、車椅子の利用者など、様々な入所者がおり、日常生活の訓練を行っています。一人で無理して出歩いて転倒することも、決して珍しくありません。私は声がした方角へ駆けました」
「悲鳴が聞こえた場所はどこでしたか」
「二階の視聴覚室でした」
 真渕検察官が指示し、太崎和子が視聴覚室に丸印をつけた。
「そこで何がありましたか」
 太崎和子は両腕で体を抱え込み、身震いするようにした。怯えを孕んだ顔で答える。
「ドアを開けて視聴覚室へ飛び込むと、教卓の前に荒瀬が血まみれで倒れていて、そばに入所者の女性がへたり込んでいました」
「その女性はこの法廷にいますか」
 太崎和子は「はい……」とうなずき、竜ヶ崎の隣に座っている美波を指差した。「彼女です」
「被告人が遺体のそばにへたり込んでいたんですね」
「はい」
「そこであなたは何をしましたか」
「美波さんに何があったのか尋ねました」
「被告人は何と?」
「『荒瀬さんにいきなり襲われた』と言いました。私は改めて荒瀬に目を向けました」
「荒瀬氏はどんな様子でしたか」
「仰向けで、大の字になって、死んでいました」
「死んでいることは一目で分かったんですか」
「はい。服のおなかの部分が血で真っ赤で、目を剥いて、口はあんぐりと開いていました。そばに血まみれのナイフも落ちていて、刺し殺されていると思いました」
「その場に被告人以外の第三者はいましたか」
「誰もいません」
 真渕検察官が許可を取って、視聴覚室の写真をディスプレイに映した。
「カーテンの陰や教卓の裏側など、人間が隠れられる場所はあります。第三者がそこに潜んでいて、あなたの目を盗んで逃げだした可能性はないでしょうか」
 太崎和子は緩やかにかぶりを振った。
「ありえません」
「なぜ断言できるのですか」
「視聴覚室に飛び込んで状況を目の当たりにして、私は廊下に戻って大声で職員を呼びました。当直の職員が二人、すぐに駆けつけてきました。それまでに誰かが逃げ出したりはしていません。廊下へ出てきた人間がいたら、嫌でも気づきます」
「必ず?」
「私は唯一の出入り口のそばに立っていましたから、出てきたのが子猫でも一目で気づいたと思います」
「通報して警察が到着するまではどうでしょう?」
「通報したのは二人の職員がやって来てからです。私はスマートフォンから一一〇番し、十分ほどでサイレンが聞こえてきてから、警察の方を出迎えに行きました。しかし、視聴覚室には職員二人が残っていましたし、第三者がいたら見つかっていたと思います」
「第三者が窓から逃げた可能性はありませんか」
「窓は全て閉められていましたし、内側から鍵がかけられていました」
「なぜ分かるのですか」
「サイレンが聞こえてきたとき、外を確認しようとして、一つしかない窓を開けたからです。鍵を外しました」
「なるほど。ありがとうございます。では、視聴覚室に被告人以外は誰もいなかったんですね?」
「はい」
 太崎和子が断言すると、真渕検察官はその返事を噛み締めるように二度うなずき、間を取った。
「……では、改めてお聞きします。警察が到着するまで、あなたは被告人にどのような言葉をかけましたか」
 太崎和子は目を伏せぎみにし、悲しそうな表情を浮かべた、
「彼女の肩を撫でながら、あなたは悪くない、悪いのは荒瀬だ、というようなことを言いました」
 真渕検察官は眉を寄せ、困惑したような顔を作った。
「悪くない?」
「はい」
「あなたが立ち上げた施設の代表が殺されたんですよ? ナイフでめった刺し、、、、、にされて。それなのに、殺人容疑者に『あなたは悪くない』と伝えたんですか?」
「そうです」
「殺人容疑者が全盲の女性だから同情したんですか?」
「違います。障害の有無は関係ありません。なぜこのような事件が起きたのか、理解したからです」
 竜ヶ崎は質問や証言が行われる前に、「異議あり」と手を上げた。真渕検察官が何を言わせようとしているか察したからだ。
 打ち合わせ済みのやり取りだったのだろう。なぜ容疑者の美波が悪くないのか、という質問から、荒瀬の性加害の話を持ち出そうとしている。
「弁護側は、美波さんに荒瀬さんを殺害する動機がないことを主張し、争っています。事件が起きた理由は確定していません。憶測は偏見を与えます」
 鮫島裁判長が「検察官、意見は?」と尋ねた。
 真渕検察官が答えた。
「質問の仕方を変えます。現場へ駆けつけ、荒瀬さんに襲われたと聞かされたとき、あなたは何を思いましたか」
 太崎和子はため息にも似た深呼吸をした。
「間に合わなかった――と思いました」
「間に合わなかった?」
「はい。嘆かわしいことですが、荒瀬は入所者や職員の女性にセクハラや性加害を行っていたのです。もっと早くに荒瀬を辞職させるなど、問題を解決していれば――と」

 

(つづく)