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 駐車場には、天堂が先に到着していた。

「現地に向かった秩父署からはまだ、水嶋の車を見つけたという報告は入ってきていません」

「我々も急ぎましょう」

 水嶋がどんな手段を取るにせよ、残された時間はほとんどないはずだ。

 ところが、上野と天堂が車に乗り込んでも、真砂は車を発進させようとはしなかった。

「真砂、どうした?」

 天堂が声をかけると、真砂が振り返った。

「違うと思います。水嶋さんが犯人なわけありません」

「そう思いたい気持ちはわかる。でも数々の証拠が犯人は水嶋ほづみだと告げている」

 上野が答えた。

「でもおかしいじゃないですか。彼女が犯人なら、どうして重要な手がかりである電動車いすのことを我々に伝えたんですか」

「彼女は捕まりたかったの」

 上野はこれまでに集められたほづみに関する情報を整理して、その結論に行きついた。

「警察に捕まれば、それでようやく自分は正当な罰を受けることができるから」

「でも、でもそれだったら、あんなに何人も殺さなくたって……」

 真砂は今にも泣き出しそうだった。

「もう水嶋自身、自分で止められなくなっていたんでしょう」

 真砂は俯いたまま、静かに涙を溢れさせた。

「水嶋は既に死を覚悟している。急がないと間に合わない」

「だったら、だったら……死なせてあげてください。どうせ逮捕されれば、死刑でしょう。ここで彼女が死んでも一緒じゃないですか」

「いい加減にしないか。お前は警察官だろう!」

 天堂が珍しく声を張り上げた。真砂が大きく肩を震わせた。

「天堂さん、私が話します」

 上野は天堂に頷いてから、身を乗り出し、真砂の肩に手をかけた。

「私が『死神調査官』と呼ばれているのは知っているでしょう。きっかけとなったのは今から十年近く前、まだ警部補だった時のこと。ある殺人事件の帳場が立って、私は捜査班長を任された。被害者は二人の女性。当初は通り魔的な犯行だと見られていたものの、やがて一人の被疑者の男が浮かんできた。彼は二人の女性の遠縁にあたる人物だった。被害者と彼の関係を探っていくうち、被疑者は、二人の女性に深い恨みを抱えていたこともわかった。でも、それだけならよくある話。恨みがあるからといって、殺人という行為を正当化することはできない。ところが事件を調べれば調べるほど、被疑者はいったい何のためにこの世に生を享けたのだろうか、と、そんな同情を覚えずにはいられないほど悲惨な過去が浮かび上がってきた。そして被疑者は、二人の女性への復讐を果たした後は、自ら命を絶つことも周囲に仄めかしていた。私たちは被疑者の行方を追い、とうとうその場所を突き止めた。だけど私は一瞬、躊躇ってしまった。彼を逮捕して、罪の償いをさせることが本当に正義なんだろうか、と」

 ずっと俯いていた真砂が、涙でくしゃくしゃになった顔を上げた。

「結局、部下を逮捕に向かわせたけれど、被疑者は既に自ら命を絶った後だった。検視の結果によれば、彼が亡くなったのは警察が到着する半日以上前のことで、私の判断の遅れが、彼の死に繋がったわけじゃない。でも、あれからずっと考えている。誰かの罪を断罪することも許すことも、それは私たち警察官の仕事じゃない。私たちの仕事は、犯罪者に自分たちの罪を認めさせ、犯した罪と向き合わせること。そして司法によって、罪に応じた罰がしっかりと受けられるようにすること。だから今回も、私たちは水嶋ほづみを逮捕する。それが仕事なの」

 

 

 ほづみは車の荷台を開け、スロープを下ろした。荷台に上がり、電動車いすの電源を入れる。

 リモコンを使い、電動車いすを地面に下ろした。この地域は、数日前に雨が降った。だが車いすのオフロード用タイヤは、そんなぬかるんだ地面でも車輪が空回りすることなく、進み始めた。

 電動車いすに先導されながら、ほづみはゆっくりと斜面を下り、森の中に分け入った。

 目的地へ到着して、以前から用意していた場所を点検する。

 仕掛けは壊れていない。誰かが触れた痕跡も見つからなかった。

 その周囲の土を少しだけ掘り返すと、木の板が顔を覗かせた。そこには小さな金属製のフックが取り付けられている。ほづみは用意してきたロープをそのフックに結び付け、もう片方は電動車いすのアーム部分にしっかりと繋いだ。

 リモコンで電動車いすを後退させると、木の板が引きずられ、地面にぽっかりと空いた穴が姿を現した。穴の周囲には木の板がぴったりと収められている。

 ほづみは再び電動車いすを操作し、今とは反対側に移動させた。

 それから目を瞑り、空に向かって両手を広げる。

 お父さん、お母さん。

 もうすぐそっちへ行くからね。ほづみを許してくれるかな?

 森の中の静寂に、自分自身も溶けていきそうだった。

 目を開けて、穴の中に入ろうとしゃがみこんで、ポケットの中のスマートフォンに気が付いた。

 警察に居所を突き止められないよう、電源を切ったままそこにしまい込んでいたものだ。

 森の奥へ放り投げようとして、一瞬、躊躇いが生まれた。

 電源を入れると、何件もの着信やメール、そしてLINEのメッセージが届いていた。

 着信のほとんどは天利からだった。

 彼の必死な姿が目に浮かぶようだ。

 結婚しようと言ってくれたのに、ほづみは答えを保留にした。自分の罪を償わない限り、彼と結婚して幸せになることなど考えられなかったからだ。

 他に、鈴置からの着信も確認できた。都築と比較して、冷たい人だと責めてばかりいたけれど、本当はわかっていた。都築が亡くなったことを隠しつつ、ほづみのわがままをいつも困ったような顔をしながら、受け止めてくれていたのだということを。

 天利と鈴置。どちらもほづみを助けようと手を差し伸べてくれていたのに、それを拒んだのはほづみ自身だ。

 ほづみは最後にLINEを確認した。真砂からだった。

 出頭してほしいと何度も訴えていた。

 警察官のくせになんてお人よしな子なんだろう。

 ほづみは笑いだしそうになった。

〈いまの事件が解決したら、ご飯も行きましょうよ〉

 両親が亡くなり、その原因が自分にあるのだと知った時から、ほづみは心を閉ざし続けた。両親の代わりとなって面倒を見てくれた祖父母に対しても、それは変わらなかった。小、中、高、大と友達と呼べる人も作らなかった。

 でも真砂だったら、ひょっとして初めてそういう関係を築けるのではないだろうか。

 彼女の屈託のない、良い意味で無神経なところが、ほづみには心地よかった。

「ごめんね……」

 ほづみは震える手でスマホの電源を落とすと、それを森の奥に向かって放り投げた。

 

 

 目的地である秩父さくら湖周辺は、警察によって規制線が張られ、道路脇にはずらりと、パトカーや捜査車両が停車していた。

 警備の警察官が、上野の乗った車両に気が付き、先へと誘導する。

 水嶋親子の車が飛び込んだ現場の側に、峰岸が立っていた。

「付近で水嶋の車は発見されていません。いま、現場周辺を警察官たちに捜索させています」

 上野も崖の下を見下ろした。多くの警察官たちの姿が見える。手に長い棒を持ち、地面に刺しているのは、地中に誰かが埋まっている可能性を考えてのことだ。ほづみか深瀬か。あるいは両方か。

「もし、事故のあった場所の周辺から何も見つからなければ、今後、捜索範囲を広げることになりますが、手がかりが少なすぎますね」

 峰岸の声には困惑が覗いていた。

 秩父さくら湖は一周およそ十キロ。その周囲には鬱蒼とした森が広がっている。木箱を埋めるとなれば、それなりに開けた土地が必要ではあるが、それでも捜索範囲は膨大なものになるはずだ。

 この場所ではなかったのだろうか。

 上野はもう一度、十八年前の事故の時の模様を思い返した。

 久しぶりの弦とのドライブということもあり、上野は周囲への注意がおろそかになり、事故の直前までほづみたちの車に気づいていなかったのは確かだ。

 だがあの時、ほづみたちの車は突然現れたように見えた。あの車はどこから来たのだ。

 上野は急いで、スマホの画面に周辺の地図を表示させた。

 上野たちは秩父市内から走ってきて、浦山大橋を右折した。

 だがほづみたちは、東京都内からやってきたはずだ。そうなると――。

 上野は閃いた。

 おそらくほづみの父親は、死に場所を求めて、73号線を北上してきたに違いない。

 両親の体からは筋弛緩剤が検出されている。ふらつきやめまいなどの症状が現れるのは、服用から一時間半ないし二時間後と言われている。

 地図をスクロールさせていくと、秩父さくら湖より東京方面へ十数キロ下ったところに、名栗湖を見つけた。周辺には見晴台やレストランもあり、車を停めて休憩するのに適した場所だった。

 もしほづみたち親子もここで休憩をしたとすれば、ほづみにとって、両親と過ごした最後の楽しい思い出の場所となるはずだ。

 迷っている暇はなかった。

 こちらの捜索は峰岸らに任せ、上野たちは名栗湖へ向かうことにした。

 

 

 胸の上に置いたリモコンを操作すると、木の蓋を引きずって電動車いすが動き始めた。足元から蓋が覆いかぶさっていき、やがて顔の半分が隠れてしまったところで、ほづみは小さく肩を喘がせ、電動車いすを停止させた。

 一度目を瞑り、それから覚悟を決めて再びリモコンを操作する。木の蓋が完全に穴を覆ったところで、操作を止める。木の蓋は隙間なく側面の板と密着しているわけではないので、僅かに光が差し込んでいた。もう一度呼吸を整えると、今度は電動車いすを後退させた。

 何度もシミュレーションを繰り返したので、操作を間違えるようなことはなかった。電動モーターの音が頭上をゆっくり通り過ぎていく。振動が伝わってきた。

 ほどなくして、箱の中が真っ暗になった。全長およそ一メートル、総重量は約一八〇キロの物体が、ほづみが横たわる箱の上に、覆いかぶさった格好だ。

 バッテリーの残り時間はあと僅かなはずだ。バッテリーが切れてしまえば、電動車いすは、ただの大きな鉄の塊となってしまう。その時にほづみの気が変わり、箱から出ようと考えても、電動車いすはびくともしないだろう。

 呼吸の間隔が忙しなくなってきた。今ならまだ移動させられる。ほづみはリモコンを手元へ引き寄せようとした。

「ほづみ、もっとお茶を飲みなさい」

 父の声が聞こえた。

「やだ。だって苦いんだもん」

「そっか、苦いか……じゃあ、しょうがないな。代わりにパパとママが飲むよ」

 あの日の光景が頭の中をぐるぐると駆け巡った。

 ほづみはリモコンを手放すと、胸の前で手を組み合わせ、目を瞑った。

 次に見えてきたのは、雲の晴れ間から一瞬だけ光を放つ秩父さくら湖の湖面だった。

「ゆかいに歩けば うたもはずむ

お日さまキラキラ 風も青い

バルデリー バルデラー バルデロー

バルデロッホホホホホ バルデリー

行こう ゆかいな旅――」

 

 

 名栗湖までの道のりは、道幅が狭く、ヘアピンカーブの連続だった。途中、ガードレールの設置されていないところも多く、その下は崖になっている。

 ほづみの両親は死を覚悟していた。それでもなかなか踏み切れず、死に場所を求めて秩父さくら湖までたどり着いてしまったに違いない。

 上野には彼らの心情が痛いほど伝わってきた。もし、息子の怜大が誰かに怪我をさせてしまったとしたら――。

 実際、体育の授業中に、怜大が同級生の女子を怪我させてしまうという事故は起きていた。大事に至らず、被害者の保護者も上野たちを責めなかった。

 そのことは単に幸運だっただけなのだ。

 ようやく名栗湖に到着した。

 平日であることも手伝って、車も人影もほとんど見当たらない。

 上野は真砂に命じて、湖の周辺をぐるりと回らせることにした。途中、飲食店もあったが、今日は休業の札が下がっている。そこからもう少し先へ進むと、見晴台へ続く登り道が現れた。ひょっとすると水嶋親子が最後に昇った場所かもしれない。

 上野は車を停め、上まで行ってみることにした。

 頂上には木製の小さなテラスがあり、同じく木製のテーブルも設置されていた。上野は肩で息をしながら、目の前に広がる名栗湖を望んだ。

 真砂が傍らに佇んだ。目がまだ腫れぼったい。

「マンションの上階から植木鉢を落として、その結果、人が負傷したとすれば、大人なら処罰は免れなかったかもしれない。でも水嶋は子供だという理由で許された。それなのに両親は世間から追い詰められ、一家心中を図った。しかも亡くなったのは両親だけで、彼らが死を選ぶ原因を作った本人は生き残ってしまう。水嶋はその理由をずっと知りたかったんじゃないかと思う」

 それは鈴置の口から、水嶋の中にある処罰感情という言葉を聞いた瞬間から、漠然と上野が思っていたことだった。

「彼女が被害者たちを拉致して、罪の告白を迫った後、木箱に詰めて生き埋めにしたのは、自分が生き残った時の事故に見立てていたんでしょう。だからこそ、被害者たちを敢えて発見されやすい場所に埋めていた。それで彼らが助かることがあれば、犯した罪は許される。そのことは同時に、水嶋一人が生き残った理由にもなると」

「でも被害者たちに犯罪歴はなかったんじゃ……?」

「そう。彼らはきっと、罪とも呼べない程度の些細な間違いを犯してしまっただけでしょう。例えば、立ち入り禁止と表示された場所に、興味本位で足を踏み入れたとか。もちろん場所によっては、不法侵入罪という歴とした犯罪になる。だけど、木箱に詰めて生き埋めにされなければならないほどの罪じゃない。植木鉢のことと同じ。両親が死を選ばなければならないほどの罪ではなかった」

「そんなの全く筋が通りません」

「矛盾していることは水嶋自身も理解していたはず。何人拉致して、何人生き埋めにしようとも、答えなんか見つかるはずもなかった。本来なら、諸橋さんが助かったと知った時点で、水嶋も救われるはずだった。でもそうはならず、混乱に拍車をかけただけ……」

 これはあくまで上野の想像だ。真実は本人の口から直接聞くしかない。だからこそ、生きて捕まえなくてはならないのだ。

 見晴台をあとにしようとして、突然、背後から真砂が叫んだ。

「調査官、水嶋さんに送ったLINEに既読が付きました」

「いつ?」

「三十分くらい前です」

「位置情報が拾えるかもしれません」

 早速、天堂が本部に連絡を入れた。

 折り返しの電話を待ちながら、三人が見晴台から降りたところで、上野の携帯が鳴った。

 もう、わかったのか。

 だが、電話の相手は刑事部長の玉城だった。

 着信音が鳴り響く間、上野も他の二人も会話は交わさなかった。

 ようやく、着信が切れる。

「ここ、電波の入り、悪いですもんね」

 真砂が呟いた。

「そうね」

 上野が苦笑いを返したタイミングで、今度は天堂の電話が鳴る。それは待っていた回答だった。

「わかりました。最後に電源が入ったのは、ここから半径二百メートル以内の地点だそうです」

「二百メートル……もう少し絞れない?」

「あいにく、この周辺は基地局の数が少ないため、これが限界だそうです」

「わかった。峰岸さんたちもこちらへ向かわせましょう。私たちはこの先へ」

 上野たちは車に乗り込み、有間ダム方面へ向かった。

「調査官、あそこにあずき色のミニバンが停まっています」

 運転席から、真砂が指を差した。上野も、有間ダムの入り口から百メートルほど先に、その車の存在を認めた。

 真砂がバンの後ろに車を停止させる。

 上野たちは車を降り、バンを確認した。すると、助手席に意識を失った深瀬の姿があった。

 鍵はかかっていない。

 上野は急いで助手席のドアを開けた。

「深瀬さん」

 声をかけ、首の脈を取る。生きていた。

「真砂、救急車」

「は、はい」

 真砂が救急車を手配する間、天堂は荷台を確認していた。

 折り畳み式のスロープと、車いすを固定するためのフックがついていた。

 上野はダムの背後を振り返った。手前は緩やかな坂になっていて、その奥には森が広がっている。

 高さが一メートルに満たない石造りのブロックが等間隔に配置され、鎖で通行を遮断しているが、その一ヵ所の鎖が切れていた。

 目を凝らしてみると、斜面に二本の太いタイヤの跡らしきものが残っている。

 真砂をこの場に残し、上野と天堂はそのタイヤの跡を追いかけていった。

 

(つづく)