ごくろうさんって、あんた……。

 ああ、でも、そうだ。いつもそうだった。

 私が何か行動しようと決めた時、必ず邪魔してくるのがこいつら――冷央子、悲央子、怠央子だ。

 冷央子はヒューマニティーやポジティブシンキング、自己肯定などなど、前向きなもの全てが嫌いだ。そりゃ「明るい未来への行動」なんて聞いたら茶化して味噌を付けたいに決まっている。

 怠央子はとにかく怠け者だから、新たな行動は一切避けようとするだろう。人生、消極的であれば消極的であるほどいいと思っているんだから。

 そして、悲央子。

 こいつの口癖は「ほれ見たことか」だ。

 物事うまく行っている時は黙っているけど、少しでも雲行きが怪しくなると我が物顔でしゃしゃり出て「うまくいくわけがない、諦めろ」とそそのかす。試みが失敗したら得意顔、成功したら素知らぬ顔だ。

 この三人は常に巧みにタッグを組んでは我が人生航路を邪魔してきた。クラーケンかはたまた海坊主みたいな連中なのだ。

「あのさ、悲央子。あんた、社会的に孤立したらヤバいってとこまではわかってるんだよね?」

 動央子がうんざり顔で言った。

「わかってるよ」

「だから孤立を避けるために繋がりを開拓しましょうって話なのに、なんで今さらやりたくないなんて話になるわけ?」

「だから、やるだけ無駄だっつってんの。いい加減気づけよ。繋がりたいってからには誰か相手が必要だけど、私らが笛を吹いたって誰も踊らねーよ」

 訳知り顔の悲央子と、性悪丸出しの冷たい笑みで頷く冷央子。怠央子は話に飽きたのかスマホゲームで遊んでいる。

「まぁまぁ、そうおっしゃらないで。みんな忙しいし、なかなか思うようにはいかないだろうけど、真摯しん しに取り組めばきっとお仲間は見つかりますわ」

 なだめようとする夢央子を、悲央子は鼻で嗤う。

「何らかの形になれば手を挙げるかもな。けど、一から一緒にやりましょうなんて奇特な人間はいないに決まってんだろ。今までもそうだったじゃないか。そもそも人望も名声もない私に何ができるってんだよ。がんばったところで骨折り損のくたびれ儲けで終わるだけさ」

「そんな風に考えると、世の中生きづらくなるだけですわ」

「そうだよ。やらない後悔よりやって後悔だよ!」

「やって後悔するぐらいならやらない方がいいんじゃない? 無駄な労力払わずにすむしぃ」

 めずらしく自分から発言した怠央子の言葉を、冷央子が引き継いだ。

「そうそう。どうせ最後は死ぬだけなんだから無駄な努力はやめようぜ。死体が腐らなかったらそれだけで上等じゃん。私らだったら、最後まで一人でもなんとかうまくやってけるって」

「そうそ、やってもやらなくてもおんなじだって」

 三人の態度が目に余ったのか、理央子がめずらしく憤然たる調子で発言し始めた。

「いい加減にしたまえ、君たち。やらなくてはならない理由については、もうこれまで散々説明してきただろう。君たちは、自分自身のこれまでの労力を無駄にしようというのか?」

「損切りしたいだけよ、損切り。こっから先、無駄になるとわかっている金と労力を節約したいわけよ。なんだっけ、あれ。コンコルド広場?」

「……コンコルド効果、と言いたいのか?」

「そうそう、それ。サンクコストを惜しむあまり止め時にストップできないなんて、理にかなってないだろ、理央子さんよ」

「だから、なぜ失敗する前提なんだ、君たちは」

「そりゃ、私がやることだからよ」

 悲央子が理央子をねめつける。

「だれが私のやることに協力してくれるってんだよ。嗤われて終わりだよ」

 場が静まり返った。

 そう、実は推進派の三名もまったく不安がないわけではないのだ。しかし、それを抑えてでも前に進むべきだ。そう考えていたのに、今更ちゃぶ台返しをされたら、さすがに気持ちが萎える。

 それでも、夢央子は気力を振り絞った。

「嘲笑されて終わり、なんてちょっと被害妄想が過ぎませんかしら? みんながみんな悪意の持ち主ばかりではないでしょう?」

「悪意がなくても結果は同じだ。理央子が理屈をこねた〝選択的関与〟とやらだって怪しいもんだぜ。言葉だけは随分飾ってるけど、要は困ったときだけ都合よく連絡して用が済めばすぐおさらばできる関係ってことだろ。SNSの『いいね』一つで友情気取りするような、そんな薄っぺらい関係ばっかりじゃないか。な~にが人生後半のあらまほしき関係性、だよ、笑わせんな」

「確かにそういう見方もできるだろう。けれど、あまりにも一面的な解釈だ。私が目指しているのはいわば現代版君子淡交だ」

「荘子とか出したら黙ると思った? いかにも頭でっかちの理央子さんだねえ。〝えらいひとのことば〟でだまくらかそうなんて、チャラいチャラい」

「なんだと! 貴様、もう一度言ってみろ!」

「何度でも言ってやるよ、この頭でっかちのコンチキ女」

「ああ、もういい加減にしてください!」

 美央子が割って入った。

「理央子さんまで喧嘩腰にならないで。もう、自分で自分たちにうんざりです。なんでことここに至ってこういう話になるのか……」

 けれども、ここでネガティブ三姉妹に負けては先がなくなる。どんな人間が自分に内在していようと、そいつらも抱えた上で私は未来に進まなくてはならない。

 そうだ、未来だ。

「あの、みなさん。調停係として提案があります」

 全員の視線が集まった。

「悲/冷/怠諸氏の言うこと、まったく理解できないわけではありません。というか、むしろ押し切られそうです。しかし、それではよき未来が見えなくなります。忘れましたか? 「つながり」を模索してきたそもそもの目的は『安心安全な老後を得ること』ですよ? 今多少のストレスがあったとして、それが何ですか。世間でよく言われるように、ここから先の人生においては今この瞬間がもっとも若いのです。若いうちの苦労は買ってでもしろ、というではありませんか。あ、怠央子さんは黙っててくださいね。言いたいことはわかっていますので。でも、今は黙ってて。とにかく、ですね。ここで社会との適切な繋がりを持つための方策を打ち立てるのはネガティブ三人組も含めた私たちの共通の利益になるはずです。しかし、あなたたちに納得してもらわないと進めないのも確か。だから、テッテ的に討論してもらいます。いいですか? 徹底的ではありません。テッテ的です。ネガティブ三人組がもういい加減嫌になって黙るまで議論してもらいます。いいですね?」

 普段は風見鶏的な態度を取ることが多い美央子だが、なんやかやでそれなりに発言権は強い。全員、黙って受け入れるしかなかった。

「では、ポジティブ組とネガティブ組に分かれて議論してもらいます。さあ、始めて」

 そんなわけでポジティブリーグとネガティブリーグのディベート合戦が始まったのである。

 

 人間ってそもそも一人じゃ生きていけない生き物ってとこまでは全員認識を同じうしているってことでOKよね。

 OKだけど、今の世の中、わざわざ「つながり」なんて持たなくても生きていけるのだって確かだろうが。人間関係なんぞ所詮は取引関係だろ? そんなもん必要最低限で良い。

 そうかもね。でも、取引関係だって信頼があってのことじゃないの。信頼がなければ取引なんてできないんだから。そして、取引を全部ひとつの関係性で賄おうとすると無理が出るから、パートを細かく分けることで、小さな信頼をたくさん作っていこう、って話をしてたんじゃない。つまり小商いをいくつもやって全体のインカムの底上げをする、みたいな。

 信頼関係ねえ……。前回もちょっと触れたけど、覚えてるよな? 中学の時、信頼していたはずの友達に、たった二週間ほどの空白があいただけで仲間はずれにされたこと。

 ……覚えていますよ。

 あの時、お前は必死に『きっと何か理由があるんだ』って自分に言い聞かせてたよな。でも結局、理由なんてなかった。たった一人の性悪に、全員があっさり呑みこまれたわけだ。人間なんて所詮そんなもんだよ。

 確かにあの時は辛かったね。でも、そのあとに出会った高校や大学の友達は違ったじゃん。

 たまたまだろ。運が良かっただけだ。それに、ハイティーンにもなりゃ合わないやつは避けるぐらいの知恵はついたしな。でも、その運は社会人になってからは消え失せたじゃないか。長年続く関係なんてどれぐらいあった? 片手で足るほどだ。最初のうちはうまくいっても、だんだんほころびが出てきて最後には壊れる。勝手に寄ってきて勝手に去っていくやつもいるし、何かを誤解して大騒ぎしてイタチの最後っ屁かましたやつもいたよな。あと、私が見てないと思ってSNSで陰口書いていたやつ。あれはさすがに馬鹿かな? と思ったな。とはいえ、そこにイイネしてる連中含めて私に悪意を持っている人間を一網打尽で把握できたからかえってありがたいぐらいだったけどさ。とにかく、自分の傷をほじくり返さなくてもニュースを見ていればわかるだろうが。詐欺、裏切り、虐待……。ニュースの大半は醜い所業だ。世の中、胸糞悪い人間の方が圧倒的に多いんだよ。

 それはニュースの特性のせいでしょう? 『今日も多くの人が周囲の人々に対して誠実に生き、善き行いを率先してやりました』なんてことをわざわざ報道するわけないじゃないの。むしろ、胸糞悪い人間が少数派だから目立つんだし、ニュースにもなるんでしょうが。

 じゃあ聞くけど、お前らは他人を百パーセント信頼できるか?

 ……。

 ほら見ろ。結局、私ら全員が他人なんて信頼できないと思ってるんだ。そんな私らが新しい「つながり」なんぞ求めたところで、信頼関係の構築なんぞできないって。

 だからこその「選択的」でしょう。百パーセントの信頼関係なんて、神様じゃあるまいし無理に決まってる。でも、少しでも信じられる部分があれば、それを分かち合えることに意味があると思うの。

 選んだところで、いつかは裏切られるんだよ。期待すれば期待するほど、裏切られたときの痛みは大きくなる。だから最初から期待しない方がいい。人間なんて信じない方が楽に生きられる。

 やめて、本当にやめて、その浅薄な人間観。ちょっとこじらせた中学生が言うレベルよ、それ。少なくとも五十女の言葉じゃない。

 うるせえな。

 だいたい、リスクを取らなきゃリターンもないでしょうよ。

 人間関係を投資みたいに思ってるあたり、お前も結局は打算的じゃないか。

 そうですよ。打算的ですよ。ていうか、打算以外の何ものでもないよね、選択的関係性なんて。でも、たとえ打算であれ、最後に物を言うのは信頼、誠実、善性。そういうポジティブな心性よ。だいたい、あんたたちが好きな「極力人を介在させないサービス」だって、サービスのシステム自体を信頼しているから使ってるわけでしょ? 大きく言えば、それだって選択的関係性の一部でしょうが。どんな無人サービスだって、フロント部分に人がいないだけで、その背後にはサービスを運用する人たちがたくさんいるんですからね。顔が見えないってだけ。

 社会システムだって信頼してねーわ。

 だからこそ、細かい信頼関係をいっぱい作っておこうって話じゃん。一個ついえても他があればなんとかなるっしょ。

 いっぱい作るって、どうやって? お前みたいなのがいきなり繋がりを求めてます! なんて言ったところで誰が相手してくれる?

 だからさ、そこをこれから具体的にやっていこうってのに、あんたたちが邪魔してるんじゃないの。

 じゃあ聞くけど、お前ら初対面の人を信用できるの? これから新たな関係性を構築するってのは新しく会う人を信用するってことだろ?

 それは状況にもよるかな。ことは慎重に運ばないと、だし。

 ほら見ろ。お前らだって結局は人間不信のままじゃないか。

 でもさ、最初は誰だって他人だったじゃん。友達だって最初は知らない人だった。そこから信頼関係を築いてきたわけで。

 だから、それを今さら一からやるのがめんどくさいの。

 「めんどくさい」は不幸の道の一里塚。

 だいたい、いくら信頼を築いても、結局は自分の期待通りに相手が動いてくれない場面に出くわすに決まってるでしょ。年を取れば取るほど価値観も違えば、考え方も違う。分かり合えると思うのは幻想だよ。

 だから分かり合えなくてもいいんだって。それこそ何を今更、だよ。別に分かり合えなくても協力しあうことはできるでしょ。なんというか、冷と悲の方がよっぽどピュアだよね。もしかして人間関係にむちゃくちゃ幻想持ってない?

 うるさいな。じゃあ、お前らは人間不信のままでいいっていうのか?

 それはそれ、これはこれ、かな。私たちは自分自身が一番大事だから、自分の未来の可能性を広げたいだけなんだよね。確かに新しい出会いなんて、たいていはガッカリで終わるだけで、期待して損したって気分になるのはしょっちゅうだけど、でも素晴らしい出会いもあったし、むしろ最初から壁を作っていたのがガッカリの原因だったんじゃないかなあ。ねえ、もういい加減オトナなんだから、傷つく云々はどうでもよくない?

 よくないだろ。ストレスになるだけなんだから。

 もちろんそうだよ。でもさ、この歳になると、もう傷ついたところで「はいはい、またいつのものですね」で済ませられるのも確かなんだよね。これもまた年の功と言えましょうか。

 騙されたらどうするんだ?

 それはまた別の問題。用心するのは当たり前。用心しつつ、信頼もする。これでいいじゃない? それに、そういう感情的な問題を極力排除できるようなシステムを構築すれば、問題の大半は片付くんじゃないかしら。

 そんな器用なマネ、私らにはできないね。

 できるよ。だって、君らも結局私なんだから。

 なんでそんなに気楽なのかね。

 それも年の功かなあ。とにかく私はとかく物事の悪い方、悪い方に引きずられる性格だってのを自覚するようになってから色々変わったし。対人関係なんて百パーセント信じるとか百パーセント疑うとか、そういう単純な話じゃないよね。

 けど、社会全体で見るとうっかり信じたらえらい目にあうようなことばっかりになってるだろ。なにせ特殊詐欺らんまんの世の中だぜ? そんなご時世で安全に人と繋がるには、これまで以上の労力が必要になってくる。それをやるだけの根性と素質なんかないだろ、私らに。

 まあね。でも、あんたたちがちょっとおとなしくしてくれていたら、やりやすくなるのは間違いないわ。別に無防備でいるつもりはないし、変な自己啓発みたいな「出愛」に感謝「志事」だ「輝業」だ「幸齢者」だ~っ! みたいなことをやりたいわけじゃないのはあんたたちもわかってるでしょうよ。

 どっちでも一緒だよ。何をやったところで、最終的には刀折れ矢尽きて消耗しきっている自分の姿しかえないけどね。

 十分ありうるけどさ。でも、それでもいいと思うんだ。やってみる価値はあるでしょ。それに、不信感って連鎖するじゃん。誰かに不信感を持つと、相手もこっちに不信感を持つようになる。でも、逆もまた然り、で。小さな輪でもたくさんできれば大きな輪になるかもしれないし。

 救世主気取りかよ。やっぱへんなスピとかにかぶれていない? 大丈夫?

 かぶれてません。大げさなことじゃなくて、自分の周りの小さな関係だけの話よ。結局のところ、あなたたちが私たちに完全に説得されることなんて金輪際ないでしょ。そもそもあなたたちの警戒心があるから身を守れることもあるし。だから消え失せろとは言わない。でも、とりあえずやるだけやってみましょうよ。せめて、考えるだけでもしよう。答えは一生出ないかもしれないけど、でも答えを出せないまま前に進んでいくのが人間ってものなのかもしれないし。とにかく、今後進める計画ではあなたたちの考え方もできるかぎり反映すると約束します。だから、大人しくしておいて。

 

(つづく)