最初から読む

 

 福壇バー「一刻」は新潟市で昔からの歓楽街として知られるふるまちにある。
 高級酒や珍しい酒はない。つまみもちょっとした乾き物を出すだけ。今どきの凝りに凝ったバーに慣れていたら、「バーというより、スナックだよね」と思うことだろう。
 そう、そうなのだ。福壇バー「一刻」が提供しようとしているのは酒食ではなく、人々の繋がりと、互いを支え合うコミュニティーを育くむための場なのだ。
 店主は、おひとり様を支援するNPO法人代表の須貝さん。店を始めたきっかけは、
「どうせ毎晩飲むんだし、それだったら自分でバーをやればいいじゃんって思ったんだよね~」
 だそうである。羽毛のごとく軽いこのノリ、実際にはとてもじゃないが真似できない。そんな理由でバーが開けるなら、世の酒呑みはみんなバーのオーナーになっているだろう。
 もちろん、軽いノリの裏にあるのは、イキダンを始めたのと同じ目的だ。
 「福壇」は須貝さんの造語である。文壇や歌壇があるなら福祉の壇があってもいいじゃない、という発想で生まれたそうだ。
 漢和辞典を紐解くと、「壇」は古代中国で祭祀や朝廷の大典を行うために特設された土築の高い露台を指すと説明されている。
 中国北京の有名な観光スポット天壇公園にある天壇がまさにそれらしい。
 天壇は明清時代の皇帝が天に祈りを捧げた神聖な場所で、現在は「天円地方」説にのつとった壮麗な建物が建っており、いかにも特別にえらいんだぞ感を漂わせている。その特別感が転じて、ある特定の分野において、その道の専門家や優れた作品が集まる場、あるいはその集団を指すようになったそうだ。
 というわけなので、福壇には基本、福祉の専門家が集まる。常任マスターは須貝さんだが、日替わりで、ケアマネージャー、看護師、弁護士、僧侶など、福祉に関連する様々な専門職の人が臨時「ママ」や「マスター」を務める。
 だからといって、客筋を同業界に所属する人だけに限ろうとしているわけではない。福祉を受ける側や当事者はもちろん、業界とまったく関係ない人や、何も知らずふらっと立ち寄った観光客でもいい。早い話、どんな人間でも歓迎される。
 同じ業界の人間なら容易く相談相手や共感してくれる誰かを見出すことができるだろう。でも、単に誰かと共に時間を過ごしたい、ちょっとした話をしたいだけでもいい。誰もが安心してくつろげる場所を提供するのが目的なのだ。
 私が訪れた日も、社会福祉士や介護福祉士から、福祉用具の卸会社の営業をやっている会社員、不動産関係の人など、いろんな方々が出入りしていた。
 常連もいるが、彼らには見たことのない客でも拒否しない空気があった。初めて同席する人でもすぐに打ち解けることができる場を、マスターだけでなく、客たちも作っている。
 当然ながら、福祉関係者は共通の話題で盛り上がっていたが、私のようにまったくの門外漢の一見さんであっても、気負わず会話に加わることができた。アルコールで気持ちが軽くなっているのも影響していただろうが、元々心の障壁が低い人たちが集まっているのだろう。少し話すうちに共通点を見つけてくれて、なにかと気にかけてくれる。とはいえ、単なる社交上手が集っているというわけでもない。おそらく、空気の柔らかさが、福壇の福壇たる所以ゆえんなのだ。これだと確かにコミュ障でも比較的参入しやすいかもしれない。
 さらに、もう一つ重要なことがある。
 須貝さんがバーの場所を古町にした理由だ。
 古町は、信濃川左岸「新潟島」にある、その名の通り古い町だ。
 地域は河川舟運と海運の拠点港として、昔から栄えていた。資料によると、明暦元年(1655年)にはすでに町が形作られていたそうだ。
 人や物が行き交う中、自然と繁華街が形成され、かつては高級料亭が立ち並び、芸者衆も数多いた。昭和に入ってもその地位は衰えず、新潟市内でもっとも賑わった地域だった。須貝さんが若かった頃……すなわち30年ほど前までは若者が遊びに行くといえば古町だったそうだ。東京でいえば渋谷や新宿、大阪ならミナミといったところだろうか。
 だが、自動車の普及やバブル崩壊などが重なった結果、今ではずいぶんと寂しくなってしまったという。確かに私が訪れた日も、平日とはいえ盛り場が一番華やぐはずの時間帯でも人通りはまばらだった。
 かつての姿を知る世代にはさびしい限りなのだろう。
 だから、あえてこの町にバーを開いたのだと須貝さんは言っていた。かつての賑わいをもう一度見たいのだ、と。
 言うまでもなく、新しいバーが一軒できたぐらいで街の賑わいは戻らない。そんなことぐらい、人に言われなくても先刻承知の上だろう。
 だが、それでも望みを広言することは重要なんじゃないか。
 たとえば。
 須貝さんが町の復興を願っていることを、私はここに記述した。
 これをどれぐらいの人が読んでくれるのかはわからないが、もしかしたら同じような問題意識を抱える他地域の人がたまたま検索か何かをして、目にするかもしれない。その人はおひとり様問題には興味はないかもしれないが、大好きな町を盛り上げたいとは思っているかもしれない。
 「あ、同じようなことを考える人がいるんだ」と思って、バーを訪ねていくかもしれない。
 そこから何か新しいことが動き出す、かもしれない。
 全部「かもしれない」だし、実際には何も起こらない確率の方が高いだろう。でも、記述されなかった思いは百パーセント何も起こせない。
 言葉にすることで、思いは初めて種になる。
 最近、とてもそう思う。
 これは、言霊とかそういうスピリチュアルなことを言っているわけではない。現実的、功利的な話だ。
 人は誰でも漠然とした望みや思いを持っている。けれどもその中のいかほどが明確に言語化されるだろうか。まして、他者に発信するとなるとさらに機会は減るはずだ。
 しかし、何事につけ一歩を踏み出すためには、まず自分の望みの形を明確にしなければならない。さらに言えば、内面にある漠然とした思いを言葉にすることで、人生の行く手を照らし、よりよい道を見出すことができるのではないだろうか。
 私の場合、若い頃はこれをまったく理解していなかった。そのため学校選びも就職活動も社会に出てからの転職もすべて「なんとなく」で感覚的にやっていた。それがゆえにまともなキャリア形成もできず今に至り、ただ馬齢を重ねる結果となった。
 コミュ障であるのもまた、思いの言語化をサボっていたからかもしれない。コミュニケーションを円滑にしたければ、自分の考えや気持ちを言葉にすることは不可欠だ。誤解を防ぎ、共感を得ることが、人間関係を良好に保つ近道である。
 ところが私は、自分の言わんとしていたことが相手にきちんと伝わらず誤解されたと気づいていても、訂正するのが面倒になって諦めてしまう。そのせいで縁が切れた人もいるが、だったらそれで仕方ないよね、と放置してしまうのだ。これでは繋がるものも繋がらない。私の思いをより正確に伝えることができていたら、また局面も変化しただろうなと思う。
 また、希望や願いだけでなく、不安や疑問も言語化が必要なのだろう。漠然と見えないなにかに怯えるだけではなく、言葉にすることで具体的な問題として捉えて初めて、解決策を見出せるようになる。
 こうして見つけた解決策は、個人の満足だけでなく、社会全体の幸福にもつながる、かもしれない。
 自分のやりたいことを公に表明することで、同じ思いを持っていた人たちを集めることができる、かもしれない。
 個から集団になることで存在感が増すと、問題への注目度が高まり、社会的な議論を活発化させることができる。それらが積み重なった結果、より良い社会が実現する、かもしれないではないか。
 須貝さんは行動の人である、と同時に言葉の人でもある、と私は思っている。
 バーには口開けの客として入ったので、かなりの時間須貝さんと二人でよもやま話に花を咲かせていたのだが、まだ二、三度しか会っていない馬の骨が相手でも、仕事からプライベートまで、快くいろんな話を聞かせてくれた。とはいえ、自分語りではない。こちらの興味に自然に合わせて、気が逸れないような話し方をする。こりゃ確かにバーのマスターにはもってこいだわ、と思いつつ、それがつまり本職で養われた力――もともと素養があったのだろうが――だと思えば、やはり話術には訓練が必要なのだと改めて思った。
 たぶん、私はこれがまったくできていない。
 話しすぎるか、まったく話さないかのどちらかだ。
 酒が入ると話しすぎ、入らないと口数が減る。
 そして、話しすぎた時は相手への罪悪感が残るし、話さなかった時は物足りなさを感じる。それを繰り返した結果、コミュニケーションを面倒に感じるようになり、やがて「つながり」を重視しなくなったのかもしれない。
 しかし、須貝さんはコミュニケーションの場を広く持つことで、自分がやりたいことをどんどん見つけ、実現していっている。
 私が「繋がり方」を見つけ出したいのであれば、「場」を作ることを目標にし、そしてその目標を明確な言葉として発していくことが重要なのではないか。
 言葉にしていけば、同じような思いを持った人たちと繋がっていけるかもしれない。それは相互依存でも一方的な搾取でもない関係になるのではなかろうか。
 以前にも吐露した通り、これまでの私は一過性の関係に心地よさを見出してきた。けれども、今こそそのコンフォートゾーンを抜け出す時なのだろう。
 そして、方法としては、イキダン方式の「趣味で集まる仲間」より、福壇バー方式の「リラックスしてれる場」を作る方が私向きなのかもしれない。そのような場を設けるのはなかなか難しいところではあるが、今後の方向性としてはあり、なのではないかと思う。そんなわけなので、一緒にやりたい人は気軽にお声がけのほど!
「オッケー! これでひとつ方針が出たね! これで私の仕事は終わったね!」
 動子が小躍りしている。
 ちょっと待て。まだ終わっていないんだが……。あとお二人のインタビューが残っているぞ? しかし、お役御免とばかりに浮かれた動子は聞いちゃあいない。
「いやあ、これでこそ新潟まで行った甲斐があったってものですよ! まあ、全然収穫がなかったとしても、後悔はなかっただろうけど。本町通り商店街にある鮮魚店でお安いのに極上のセコガニを食べながらカップ酒を飲めただけでも十分だったし!」
 ああ、あれはおいしかったねえ。次の日に食べた山の幸もおいしかったねえ。
「わざわざローカル線で移動して浦佐駅で途中下車して食べた山のアワビと新潟牛と美雪マスね。時間の関係でテイクアウトにしたけど、あれも最高だったねえ。ああ、もう一回新潟行きたい……」
 うむ。
 動子は自分の役目はこれにて終了と思っているようだけど、まだ働かせないと。けど、一回終了モードに入ったらなかなか動かないのが動子である。しかし、ひとつだけこいつを動かす手段がある。食い意地に訴えることだ。総じて腰の重いモンガーズだが、どいつもこいつも、あの怠央子でさえ食い物には簡単に釣られる。まして動子ならぜったい動く。
 よし、そうしよう。
 あの~、動央子さん? 新潟行きはお疲れさんでした。
「ん? なに改まってんの?」
 いえいえ、お骨折りにはきちんと感謝すべきだと思いまして。つきましては、前々から行きたかったレストランに行ってみられてはいかがでしょう?
「え、いいの? まじで???」
 とはいえ動子さんの行きたいお店っておひとりさまが入りづらい場所ばかりじゃないですか。
「いや、別に一人で平気だけど? っていうかいつもだいたい一人じゃん」
 まあ、そうおっしゃらず。今せっかく「つながり」をテーマに模索しているんだから、ここはひとつ目先を変えて、あとのお二方とは会食を楽しみながらお話を聞いてみてはいかがでしょう? ほら、一石二鳥でしょ?
「お、一石二鳥、いいね。私の好きな言葉です。わかった! 動子にまかせて!」
 簡単にその気になってくれた。これだから単純バカはいいものだ。
 金央子がクレームをいれる気がしないでもないけど、ここはひとつ黙っていてもらおう。モンガーズの明るい未来のために。

(第11回へつづく)