ちょうど世紀が変わったばかりの頃、の話である。

 案の定一九九九年七の月を過ぎても世界は終わらず、いよいよ真剣に三十代以降のライフプランを考えなければならない羽目に陥った……はずだった。ところが、当時はあんまり考えていなかった。というより、まだ薄らぼんやりと「私に合う仕事ってなんなんだろうなあ」なんてことを、呑気にも思っていた。自分自身について深く考えることもしていなかったのだろう。

 まさに或阿呆の一生である。

 そんなある日のこと、新聞で求人広告を見かけた。

 翌年開園するというテーマパークのスタッフ募集だった。

 あ、これ楽しそう、と思った。で、応募したら受かってしまったので入社した。

 そこで出会ったのが、今回お話を聞いた夏山なつやま桂三けいぞうさんである。

 夏山さんは当時の上司であるが、最初からそうだったわけではない。

 入社後二年間ぐらいはあくまで他部署のえらい人かつ社内有名人という遠い存在であり、中途入社のぺーぺーである私なんぞは直接関わることのないお方と思っていた。ところが、その後すったもんだあった末に直属の部下になったのだ。

 部下になった後は、それはもうただただご迷惑をおかけしてばかりだった。思い出すたび穴があったら入りたい、無いなら掘ってでも入りたい気持ちになるほどである。

 だから、本来であれば「一緒にご飯食べながらお話聞かせてくらはい」などとお願いできる立場ではないのだ。ないのだが、夏山さんだったらOKしてくださるよな~と思った。優しい方だから。そうしたら、案の定だった。まことにありがたい限りである。

 さて、改めて夏山さんの御紹介をしよう。

 読者にはJALの機内販売情報誌「JAL SHOP」を御覧になった経験がある方も少なくないだろう。かの雑誌は時期ごとに掲載商品を次々入れ替えるわけだが、いつ見ても必ず載っている定番商品もある。

 JAL国際線で提供されているインスタントカップ麺「うどんですかい」はその筆頭格だ。世紀をまたいだこの人気商品の生みの親が他ならぬ夏山さんなのである。

 大学卒業後、日本航空に入社した夏山さんは顧客サービス業務に魅了され、それを極めたいと社費留学制度を利用して米国のコーネル大学に留学した。そして、帰国後に業務の一環として機内食の開発に携わった。当時、JALは経営難からの脱出を図っている最中であり、機内サービスの刷新は一大プロジェクトだったわけである。

 観光業にくわしい方ならばご存知のことだろうが、コーネル大学はアイビー・リーグであり、そのホテル経営学部は世界屈指の教育機関として名を馳せている。サービス業におけるハーバードとでもいえばよろしかろうか。とにかく、そこで教育を受けるっていうことはサービス業界のエリートであるわけだ。

 そんなところで学んだホスピタリティ、そして元々食いしん坊という特性を活かし、夏山さんはまずはファーストクラス改革に取り組んだ。太客の顧客満足度向上は企業ミッションとして極めて重要だ。その施策や、新たな路線の開拓において卓越したリーダーシップを発揮した結果、世界的に高い評価を受けるJALのファーストクラスのサービスが確立された。夏山さんがJALを離れてからもそのレガシーは受け継がれているそうである。ファーストクラスなど生涯お呼びでない私には知る由もないのだが。

 さて、JAL退職後、夏山さんはユニバーサル・スタジオ・ジャパンの開業スタッフとして、まだオフィスが準備室だった頃から関わることになった。大のテーマパーク好きとして選んだ道だったそうだ。

 食べることが大好きだから。

 テーマパークが大好きだから。

 夏山さんの経歴には好きが詰まっている。

 これはとってもすごいことだと思うが、ひとまずその点はスルーして話を先に進めよう。

 開業当時、USJは華やかなオープニングで注目を浴びていたが、内情はといえば、けっこうアレだった。平社員の私は臭いだけ嗅いだ程度だが、それでもなんだかな~と思うことが多かった。

 なんだかな~を生む要因の一つは、スタッフが寄せ集めのため企業文化がカオス状態だったことだった。

 簡単に説明すると、USJはバブル期に再開発が失敗に終わった大阪湾岸地区に、大阪市行政のおえらいさんたちが起死回生を狙って誘致したプロジェクトだ。つまり、行政主体である。一方、ライツ保持者は当然ながらメリケン国の会社。よって、私が知る頃の準備室は第三セクターでありながら外資という、羊羹ようかんにステーキソースを掛けたような状態だった。さらに、実務部隊はそれぞれてんで文化が違う企業からの転職、あるいは出向組もしくは天下り組で占められている。ある意味、世にある事業体のモザイクのような状態だったのだ。しかも、このモザイクはあまり美しくなかった。中小企業でしか働いたことがなかった私は、ここで良くも悪くも大規模企業体の実態を学ぶわけだが、それはさておき。

 そんなカオスの殿堂において、マネジメントはもとより、調整役として大いに力を発揮しておられたのが夏山さんだった。社員はそれぞれがその道のプロフェッショナルとして入ってきた中途入社組なので、それなりに仕事ができる。だが、それだけで仕事が回るほど、世の中は甘くない。

 当然ながら幹部に近ければ近いほど英語力が必要になってくるが、必須だったわけではないので話せない人もいる。しかし、やはり英語が話せるとちょっとした意思の疎通がスムーズになるので、米国人幹部からは覚えがめでたくなる。その点、流暢かつ実用的な英語を使う夏山さんに重きを置かれていたのは納得ではあるが、夏山さんの最大の武器はやはりそのお人柄だっただろう。

 某月某日、東京のとある場所で待ち合わせをした時も、夏山さんは昔と変わらぬ柔らかな笑顔で現れた。そして、挨拶もそこそこに、まずはお話を聞く場にしたレストランの選択について大いに褒めてくれた。

 これが大変うれしかった。というのも、夏山さんは大変なグルマンなのだ。よって、下手なレストランにはお連れできない。だから、今回は少し趣向を凝らし、ああでもないこうでもないと呻吟した挙げ句にピックアップした一軒だったのだ。もちろん、そんな経緯を知っておられるはずもないが、それでも目先の変わった料理店であることから、元部下が無い知恵を絞ったんだろうなあと察してくれたのかもしれない。

 相手が自分のために何らかの骨折りをしてくれたと感じたら、それに謝意を示す。

 そこまでは心あらば誰でもすることだろう。しかし、夏山さんの場合は「褒める」を付加することで報いようとするのだ。思えば、部下だった時期も常にそういうコミュニケーションをしてくれていた。

 誰だって的確に(←ここ重要)褒めてもらえたらうれしい。

 うむ、これは「つながり」を形成するための大きなポイントだな。

 慣れていないがゆえに、たまさか褒められるととたんに挙動不審になるコミュ障仕草を発動しつつ、私は心のメモに書き留めていた。

 夏山さんの褒めは、席に案内されても止まらない。凝った内装や珍しい置物などを目に止めては声を上げて喜ばれる。こうした振る舞いはフロアには私たちしかいなかったからかもしれないが、私としてはひとまず合格した試験に加点を貰っているようでますますうれしさが増す。

 自分で言うのもなんだが、私は言葉をそのまま受け取るほど単細胞ではない。上方のハイコンテクスト文化圏、いわゆる「ぶぶ漬けどうどすか」圏で育ったせいか、人の言葉を正面からは受け取らず、裏を読むのが日常化しているのだ。

 それにもかかわらず、心から喜んでくれていると素直に感じられたのは、夏山さんがどこを気に入ったかを逐次言葉にしてくれるためだろう。

「このお店の内装は中欧的な重みがあっていいですね」

「この置物、おもしろいなあ。あまり見たことがないけれども、珍しいものなのでしょうか?」

 表現はごく素朴だが、背後には欧州文化への理解があることがおのずとにじみ出る。

 夏山さんなら、このレストランをおもしろがってくれるかもしれない。

 そんな目論見は的を射ていたらしい。正解カードを引いたわけだから、うれしくないはずがない。“わかっている人”にきちんと評価してもらえるのは誰だっていい気分になる。

 さらに料理がお得意なのを知っていたので、手土産としてちょっとめずらしいりんを差し上げたが、これもまるで高級シャンパンをもらったかのように喜んでくれた。

 自分の喜びをきちんと言語化して伝えることで、相手の心遣いが的外れでないことを伝える。そうしたら感謝は倍以上になって伝わる。

 これもまた心のメモに特記しておくべきだろう。

 私は感情表現が下手くそで、心から嬉しかったとしてもどうにもうまく伝えられない。いいところ「うれしいです」「ありがとうございます!」を笑顔(と自分では思っている表情)で言うのが関の山だ。

 けれども、もう少し具体的に気持ちを伝えられたら、きちんと感謝の念を余すことなく伝えられるのかもしれない。よしんば本当はたいして気に入っていなくとも、的確かつ素直な褒め言葉を口にしたら、相手は安心する。

 よほどの変人でもない限り、人を喜ばせるのは楽しいものだ。そして、人は自分の喜びに寄与してくれた対象には良い印象を持つものである。

 夏山さんがあのややこしい社内で調整役として腕をふるっておられたのも、まずは相手の心を開くことから始められていたからではないかと思う。

 けれども、夏山さんにはいわゆる「ひとたらし」的ないやらしさはない。

 たぶん、それが人の輪を築く秘訣だったのではないか、と今となっては思う。

 夏山さんは人を喜ばせるのが好きでサービス業に入ったという筋金入りのサービスマンだ。「誰かの喜ぶ顔が御褒美です」なんて安手の求人広告コピーのようだが、実際にそういうマインドの人なのだ。

 現在は接客サービス業関連のコンサルティングをフリーランスでやっておられるが、仕事はこれまでの人脈から得ているという。これまでキャリアアップを重ね、何度か転職する都度、新たな人脈ができたが、それを保っていられるのはFacebookのおかげ、とのことだった。しかし、FBの“友達”を仕事に繋げられるのは実績と信用がある人だけだ。他のSNSと違い、圧倒的にリア友率が高いからである。実力以上のキラキライメージ演出がもっとも難しい媒体といえよう。

 また、親しい仲間との気軽なやり取りも衆目の下で交わされるわけだが、ちょっとした言葉遣いや相手のいなし方などにモロ人格が出てしまう。

 FB経由で仕事が来る人は、そういう難点をクリアしているわけだ。

 は? 私ですか?

 皆無です。

……さて、話を戻そう。

 食事中の話題はもっぱら懐かしい昔話だった。私は終始「いやあ、そうでしたねえ」「あれは楽しかったですねえ」と思い出にふけってばかりだが、夏山さんは話の端々に今日の目的である「人と繋がる心得」を挟んでくれる。それとなく、だが。

 そういえば、幹部の外国人たちが夏山さんを信頼していたのは、英語でのコミュニケーションがスムーズであったのはもちろん、目的にする資料をきちんと用意してくれるから、だったような気がする。

 そんなの当たり前じゃないの? と思うけれども、なかなかどうして。企業勤めの経験者ならわかるだろうが、自利誘導目的に恣意しい的な資料を用意するタイプの人間も少なくない。正確性より己に有利になるかどうかを優先する、そういう人だ。

 実は、入社直後に配属された部署の一部スタッフがまさにそのタイプで、個人的に辟易へきえきしていた。この体験のせいで、私の人間観は若干こじれてしまったわけだが、それはさておき。

 今思えばああいう世界に私よりずっと長くいる、そしてその中で幹部にまでなった人たちが利己的な資料を見抜けないはずがない。

 また、夏山さんは普段は聞き役に回ることが多いが、いざという時は熱弁をふるうのを厭わない。おかげで、夏山さんが多弁になるとおのずと「ここは聞きどころなのだな」とわかる。普段の行動を通して、コミュニケーション上の軽重を判断させる。意識してやっておられるのかどうかはわからないが、コミュニケーション手段としては実に有効だ。

 改めて色々と発見しつつ、私は普段の自分がいかに上滑りの会話に終始しているかを実感していた。

 多少言い訳すると、私の認知は典型的な視覚優位であるらしい。洋画を見る時には迷うことなく字幕を選ぶタイプだ。

 会話では、まず耳から入った情報を理解しなければならないが、聴覚優位の人なら難なくこなせるそれに、私は余計なエネルギーがかかる。よって結果的にアウトプットの労力を削らざるを得ないのだろう。どうしても雑な応答になってしまう。また、多動の特性ゆえ、会話の最中に気になった部分だけを意識がピックアップし、そこから自分の世界に暴走してしまうのもしばしばだ。

 さらに、近頃は若干耳が遠くなってきているのもあって、ますます会話が面倒になってきている。これが私に「対面コミュニケーション」をちゆうちよさせる一因であることは確かだ。

 だが、今回お話を聞いた御三方は、まずは会話に入る前の段階、対面した瞬間から「あなたは私に歓迎されてますよ」というような雰囲気を出すことで相手を安心させることにけていた。

 これが、言葉のやり取りを超えたコミュニケーションを可能にするポイントではないか、と思うのだ。

 そして、それこそが「つながり」を作っていく第一段階ではないか、と。

 ひるがえって、私はというとたぶんそこはかとなく警戒心を見せてしまうのだと思う。ヤマアラシがトゲを立てるか立てないか迷ったあげく、半分だけ立てているような、あの状態。これでは相手も落ち着いて話ができないだろう。

 結局、会話を通しで私が得たのはわかりやすい処方箋ではなく、自分には欠けている何かの発見だった。実にありがたいことである。

 

(つづく)