木喰もくじき 1718 - 1810 享年93

※木喰の年齢は数え年で表記しています

 

五穀を断ち、
2万キロを歩いた「微笑仏」の怪僧

 

木の実や草根木皮だけで生きながら、
日本全国を歩き、各地に仏像を残した行者がいた。
その旅は北海道から九州まで37年、およそ2万キロに及ぶ。
だが、その苛烈な旅の果てに生まれた木喰仏は、
人を迎え入れるような笑みをたたえていた。

イラスト:たまゑ

 1718年、木喰は甲斐国丸畑村(現・山梨県南巨摩郡身延町古関丸畑)に、農業を営む伊藤六兵衛の次男として生まれた。木喰の若年期について詳しく伝える史料は少ない。だが、晩年に自ら記した自叙伝的記録『四国堂心願鏡』によって、その生涯の一端を辿ることができる。

 『四国堂心願鏡』によれば、木喰は14歳の時、家人に「畑仕事に行く」と言い残して故郷を出奔し、江戸へ向かったという。そして22歳の時、大山不動尊(現・神奈川県伊勢原市)に参詣した折、同宿した古義真言宗の僧に導かれ出家する。以後は梵字や声明などを学びながら、長い修行生活を送った。

 

45歳

木食戒を受け、「木喰行道」を名乗る

 1762年、羅漢寺(茨城県水戸市・現在は廃寺)の木食観海上人から木食戒を受け、「木喰行道」と称するようになる。木食戒とは、米や麦などの五穀を断ち、火を通した食物を口にせず、木の実や草根木皮などで生きる修行である。木喰の名は、この修行に由来している。

 さらに、この頃、日本廻国を発願する。しかし、実際に廻国へ出立したのは11年後だった。廻国までの歩みには不明な部分も多いが、一説には焼失した羅漢寺の再建に奔走したとも伝わる。

 

56歳

廻国へ出立し、北海道で造仏をはじめる

 発願から出立までには時間を要したが、いったん歩み出すと、その足跡は一気に広がっていった。納経帳などによれば、安永年間の木喰は関東各地の名山社寺を巡りながら廻国修行を重ね、60歳の時には一度丸畑村へ帰郷している。のちに90歳を過ぎても「父母菩提ノタメ」と記して仏像を刻んだ木喰にとって、廻国の旅は、故郷への祈りを抱えながら続いていったのかもしれない。

 そして61歳で北海道へ渡る。当時としてはすでに老境に差しかかった木喰は、熊石を中心におよそ2年滞在し、この地で突如として造仏をはじめたとされる。

 木喰におよそ1世紀先立ち、修行僧・円空もまた、各地を歩きながら神仏を刻み、北海道にも像を残していた。木喰がその円空仏を目にした可能性が指摘されており、そこから何かを感じ取ったのかもしれない。だが、鋭いノミ跡を残した円空に対し、木喰の像は丸みを帯びた特徴を持ち、やがて奇妙な笑みを浮かべるようになる。北海道での造仏は、廻国する行者だった木喰が、仏を刻む者へと変わりはじめた転機だった。

 

63歳

歩く行から、刻み残す行へ

 北海道から戻った木喰は、次に下野国栃窪(現・栃木県鹿沼市)に入り、約5カ月滞在する。この地で薬師堂を建立し、薬師三尊や十二神将を刻んだ。薬師如来像の背面には「日本廻国行者行道 同弟子白道」と墨書されており、この時期の木喰が弟子を伴って造仏を行っていたことがうかがえる。

 翌年、木喰は佐渡へ渡る。佐渡は、かつて弾誓上人が木食戒によって悟りを開いた地でもあった。木喰が島へ向かった背景にも、その弾誓への思慕があったとされる。佐渡での滞在はおよそ4年に及び、のちに弟子となる丹海とも出会っている。

 北海道ではじまった造仏は、栃窪を経て佐渡でさらに深まり、木喰の旅は、歩くだけの行から、土地ごとに仏を刻み残す行へと姿を変えていった。

 

76歳

各地に神仏を残し、「木喰五行菩薩」となる

 76歳の頃、木喰は「天一自在法門木喰五行菩薩」と称するようになる。長年にわたる廻国修行と造仏の積み重ねのなかで、その存在は単なる遊行僧を超え、独自の行を体現する者へと変わりつつあった。なお木喰は、その後も行く先々で像を刻み、ときには堂宇を整え、各地に神仏を残した。

 

83歳

廻国の果て、人々に微笑を残す

 木喰が三度目の帰郷を果たしたのは83歳の時だった。56歳で廻国へ出立して以来、その足跡は北は北海道から南は九州まで、およそ2万キロに及んでいた。木喰は村人からの依頼で丸畑村に四国堂を建て、四国八十八カ所霊場に対応する八十八体仏を納め、開眼法会を行った。

 だが、木喰はそこで旅を終えなかった。四国堂建立後も再び各地を巡り、「神通光明明満仙人」と名を改め、90歳頃に刻んだ自刻像の背面には「二千体ノ内」と記している。

 この最晩年の像にこそ、のちに「微笑仏」と呼ばれる木喰仏の特色が濃くあらわれていく。五穀を断ち、火食を断ち、全国を歩き続けた行者が、最後に残した像は、怒りでも威厳でもなく、人を迎え入れるような笑みをたたえていた。56歳から93歳まで、37年にも及んだ木喰の旅は、最後には人々の暮らしの中に残る微笑へと変わったのだ。

 木喰は93歳で亡くなったと伝えられるが、その終焉の地は現在も明らかではない。甥は最期の場所を知っていたともいわれるが、木喰自身がそれを固く秘したとも伝わる。各地に無数の仏像と墨書を残しながら、自らの最期だけは誰にも渡さなかった。

 

【木喰の格言】

みな人の 心をまるく まん丸に どこもかしこも まるくまん