「日本のバスキア」と呼ばれた和製グラフィティ・ライターの先駆者

スプレーやマーカーを用いて都市空間に自らの“名前”を拡散し続けてきたグラフィティ・ライターsnipe1。
街中の壁を非合法的にキャンバスと見立てるが故に、長年人目を避けた表現活動に拘ってきたが、今では現代美術の最前線で活躍する村上隆とコラボレーションを行い、世界的建築家・磯崎新に「日本のバスキア」とまで言わしめる。
snipe1のグラフィティは芸術なのか、それとも排除すべきものなのか─?

 

イラスト:たまゑ

 

 1974年、snipe1(本名非公開)は里帰り出産で「闘牛の島」の鹿児島県徳之島で誕生し、すぐに横浜市保土ケ谷区に移り住んだ。住処の団地では頻繁に飛び降り自殺があり、近所の河川が氾濫する度に、辺り一面が排泄物まみれになる劣悪な環境だったという。

 

10歳

やりたい放題の悪童時代

 小学5年の頃に東京都目黒区に引っ越し、生活環境は向上したが、生まれながらのやりたい放題気質はそのままに、周囲からは常に問題児として扱われていた。中学に入るとヒップポケットにスキットルを忍ばせて登校し、毎日仲間と宴会を開き「授業中はベロベロ」。下校時には、大学の学生寮に乗り込んで酒をせびるという放埒の日々を送る。そして、高校1年で急性アルコール中毒が原因で救急搬送された際、「埒が明かない」と思った親の計らいで、snipe1はアメリカに留学することになった。

 

16歳

日本から追い出され、グラフィティと出会う

 はじめてニューヨークに遊びに行った時、REVSとCOST(共にレジェンド・ライター)のグラフィティを生で見て、「なんなんだこれは?」と引き寄せられたという。それ以来、毎週ニューヨークに通うようになると、ブロンクスを代表するグラフィティ・クルー(グラフィティ・ライターのグループ)『BRT』と出会い、加入。そこで、人目が多い都市部においても素早く描けるタグ(線で描くサイン)とスローアップ(主に中塗りとアウトラインの2色で描く字体)を重点的に身につけ、93年に帰国する。

 

19歳

スプレー缶を武器に東京を塗りつぶす

 東京に戻ったsnipe1は、仲間を巻き込んで渋谷・原宿の都市空間を中心にボム(「爆撃」の意味通り、違法かつ攻撃的な表現。主にタグやスローアップを指す)を開始する。まだ街頭に防犯カメラは設置されておらず、人目を盗んで描くこと自体の難易度は低かったが、自分たち以外にボムをするライターは皆無に等しかったという。そのため、『snipe1』という名前とは別に、ライターネームを複数でっち上げ、「グラフィティが盛り上がってる雰囲気を作るために色んな名前で描きまくった」。この自作自演が発端となり、東京にライターと落書きが増殖した。

 

22歳

「多種多様な運び屋」として世界中を放浪

 そして、96年からは「多種多様な運び屋」として東南アジアとヨーロッパを中心に駆け巡り(2000年以降、アメリカ入国禁止対象者)、各国のグラフィティシーンに身を投じ、コネクションを築いてゆく。02年には鉄道車両のみをボムの対象として狙うライター・VINOと出会い、彼を師と仰ぎ、自身も09年までトレイン・ボムに専念するなど、snipe1は一貫してストリートを根城に、公には認められない破壊的表現に傾倒した。

 

44歳

芸術家・村上隆との邂逅

 確信的にアンダーグラウンドに身を置いてきたsnipe1だが、17年に友人の誘いで村上隆の作品制作のサポートに入ったことで、翌年に同氏が運営する『Hidari Zingaro』で初個展開催という知遇を得る。それまで、四半世紀近くストリートで培ってきた美学とスタイルをキャンバスに落とし込んだ作品群は、「不安しかなかった」というsnipe1の思いとは裏腹に好評を博した。

 それ以降、世界各国のギャラリーで展示を行うようになると、snipe1のグラフィティに、江戸絵画で見られるモチーフを画中に取り込んだものが散見されるようになった。中でも、本格的に表現の場を現代アートシーンにまで拡げた18年制作の『aZONING』という作品で、白隠慧鶴の禅画『すたすた坊主』をサンプリングしたことは看過できない。作者の白隠は、臨済宗中興の祖と称される江戸時代中期の禅僧で、多くの書画を残している。『すたすた坊主』は道楽放蕩の末に、腰に注連縄を巻いただけの乞食坊主に成り果てた布袋の姿を描いたもので、布袋は白隠の自画像として描かれている。布袋にとっての道楽とは、仏の教えを説き人々を救うことであり、例え乞食になろうとも皆の福を祈るという白隠の意気を示したものだ。さすれば、『aZONING』に描かれたスプレー缶を吹く『すたすた坊主』はsnipe1自身であり、ひいては“生涯グラフィティ・ライター宣言”とも受け取れるのだ。また、自らの思想をより多くの人々に届けるための手段として禅画を描いた白隠同様、snipe1のグラフィティには主義主張が多分に含まれる。

 例えば『aLOADING』(2021年)という、画面いっぱいに並ぶ様々な羊たちの上に、Webサイトなどで読み込み中に表示される「Loading…」の文字と回転系のアイコンが描き加えられた作品がある。この場合、羊の群れは、自らの意見を持たず大勢に従う従順な人間のメタファーであり、今も飼い主にとって都合のいい情報をローディングされているかもしれないという状況に対する警鐘に他ならない。

「これからは破壊ではなくポジティブな絵を描きたい」

 かつて都市景観を破壊したsnipe1のグラフィティは、鑑賞者の意識の変革を夢想する芸術活動へと変貌を遂げようとしている。

 

【snipe1の格言】

「表向きは可愛い絵だとしても裏では常に訴えかけている」