大谷とオーロラ
ロサンゼルスからアナハイムに向かう列車は、ほとんどが日本人で埋め尽くされていた。背番号17のユニフォームと日の丸がひしめき合い、日本語が飛び交う車内はもはや大谷翔平熱烈応援ツアー号といった様相で、メジャーリーグ観戦に向かうシチュエーションとしては少々趣に欠けたが、何を隠そう、私と夫もその光景を構成する立派な一員なのだから文句を言える立場ではない。それでも窓の外に目をやると、見慣れない植生と、壁という壁に描かれた鮮やかなグラフティが、ここがアメリカであることを実感させる。
2023年9月、私と夫は新婚旅行でロサンゼルスを訪れていた。6泊8日、海外旅行の経験が乏しい私にとっては一世一代の大旅行である。長いフライトを経てロサンゼルスに到着し、どでかいハンバーガーを食べたり、ハリウッドをぶらついたり、夫の行きたがっていた博物館に行ったり、チェーン店で朝食を食べただけで会計が7千円を超えて白目を剥いたりしながら2日間を過ごし、ついにこの日、満を持して、私の主たる目的であるエンゼルスタジアムでの野球観戦に向かっていた。
ずっと北海道に住んでいた私にとって、日本ハムファイターズにいた頃の大谷翔平は今より少し身近な存在であった。大谷が投げて日ハムが優勝した時は泣くほど嬉しかったし、極寒の中、雨に打たれながら優勝パレードを見たのもいい思い出だ。
メジャーに移籍してからの大谷はさらに規格外の大活躍で、今や野球界にとってあまりにも偉大な存在となった。そんな大谷をもう一度、近くで見てみたかった。
エンゼルスタジアムに到着した頃、ちょうどスタメンが発表され、そこには大谷もしっかり名を連ねていた。一安心しながら、テレビでいつも見ている大きな赤いヘルメットのオブジェの横を通ってスタジアムへと入る。
グッズショップは容易に身動きが取れないほどの大混雑で、やはりそのほとんどが日本人であった。決死の思いで人混みをかき分け、ハンガーに掛かっているユニフォームの名前を確認していくが、トラウト、トラウト、トラウト……トラウトばかりである。トラウトも超有名選手だが、日本人がオオタニを根こそぎ買っていくせいで、世にも悲惨なトラウト余りが起きていた。どうにかジュニアサイズのコーナーで大谷のユニフォームを発見し抱え込む。アメリカのジュニアたちがデカくて助かった。勢い余って買うつもりのなかった応援グッズの赤い猿をもショッピングバッグへ放り込んで、あとは会計するのみ。しかし、レジは長蛇の列。試合開始の時間が迫り、「俺はいいから先に行け!」と夫は私を送り出した。漫画だったら死ぬやつだ。一人でショップから這い出し、焦りと興奮で無駄にワタワタしながら自分の席につながる入り口を探していたその時、スマホに表示されたニュースの見出しが目に飛び込んできた。
「大谷翔平、急きょスタメン外れる。右脇腹の張り」
テンションは、下がらなかった。下げるわけにはいかなかった。こんな高さから落下したら生死にかかわる。
「聞いてくださいよ! 私、はるばるロサンゼルスまで行ったのに、試合直前に大谷が怪我してスタメン外れて見られなかったんですよ。そんなことあります? 神に見放されてるとしか思えませんよ。いつも神社で手を合わせながら何も考えてないのがバレたんですかね?」
この事態を正面から受け止めることを拒否した脳みそが、私の意思とは無関係にエピソードトークを展開しはじめた。飲みの席で大いにウケをとる自分の未来が見える。そうだ、これはある意味、すごい。一生モノのネタである。もしかして、「行って見られた」よりも「行って見られなかった」の方がすごいのではないか。それならいいか。いや、いいわけあるか。
情緒の乱れは謎の半笑いとして顔面に表出し、私は妙なニヤケ面のまま通路をふらふらと歩いた。
突如、「代打」という言葉がどかんと降りてきた。一筋の光。スタメンじゃなくても、代打で出る可能性はある。自分で言うのも何だが、私はこれでなかなか運のいい人生を送ってきた方だ。大谷は代打で出る。きっと出る。そう思っておかないと、吐いちゃいそう。
スタジアムは鳥肌が立つほど開放的で、青空と芝の緑が眩しかった。夕方の乾いた風が心地よく吹き抜けていく。大型ビジョンではエンゼルスの名場面が派手な演出とともに映し出されている。もちろん、そこには今シーズン投手と打者の両方でほとんど休まず出場して大活躍した大谷の姿もあった。
大谷が立っていたマウンド、大谷が立っていたバッターボックス、大谷が走っていた芝、大谷が座っていたベンチ、大谷がホームランを放り込むと花火が打ち上がる岩山のオブジェ。テレビで見ていたすべてが今、目の前にある。大谷のユニフォームを着た私がいる。膝の上には応援グッズの猿もいる。それなのに、大谷だけがここにいない。
だめだ、考えるな。心が潰れる。とにかく、大谷以外のことを予定通り遂行するしかない。
グッズ売り場から生還した夫と共に、ビールを買いに行った。物価高、円安、そこに球場価格が加わって、ビールは一杯2,400円だった。もうどうにでもなれである。
おつまみとして、ヘルメット・ナチョスも買った。被れるサイズのヘルメットに、トルティーヤチップスと肉などの具材がこれでもかと盛られている。ヘルメットを持ち帰ることでお土産にもできるというお得感が小市民の心をくすぐった。
とりあえず、今できることを楽しむしかない。ナチョスをつまみにビールを飲みながらメジャーリーグ観戦。なんて素晴らしいのでしょう。
そんな我々にチャンスが訪れた。ファールボールがこちらに向かって飛んできたのだ。私の席の右側は端まで空席だったのだが、なんと、そこにボールが転がった。完全に私の守備範囲である。
「あっ! 取れる取れる! 取って!」
左隣の夫が叫ぶ。しかし、私はすぐに動くことができなかった。なぜなら、膝の上にヘルメット・ナチョスを抱えていたからである。底が丸くて不安定なヘルメット・ナチョスをどうすることもできず、抱えてアワアワしているうちに、後ろの席の少年が手を伸ばして私の真横に転がっているボールを掴んでしまった。
「ああ! 絶対取れたのに!」
「だって、ナチョスが、ナチョスが……!」
ナチョナチョ言っても時すでに遅し。少年は後ろで大喜びしている。ナチョスにまで足を引っ張られ、もう散々である。
トラウトなど主力選手が軒並み怪我で離脱し、すでにポストシーズン進出を逃しているエンゼルスはこの日も冴えない試合で、7回の時点で2-6の4点差を追う展開。逆転のチャンスを生み出さなければ、大谷が代打で呼ばれることもない。お願いします、と心の中で何度祈ったかわからない。結局、8回に1点追い上げただけで、9回は三者凡退。エンゼルスはあっさり敗北し、大谷が代打の神様になることはなかった。
「いや、このままじゃ帰れないよ。もう一回行こう」
野球に興味がないはずの夫が前のめりでそう言ってくれたので、大谷が数日で復帰することに賭け、帰国する前日のチケットを購入した。この日はそこまで悲壮感もなく、「こんなことってあるかよブハハ」と笑う余裕があったのだが、一夜明けると、信じられないくらい落ち込んでいる自分がいた。
大谷の欠場は日本でも大きなニュースとなっていた。SNSを見れば、「今季はもう休ませるべき」という意見ばかり流れてくる。大谷の体を第一に考えるファンが大勢いる一方で、私はまたチケットを買い、出場してくれることを期待している。こんな私は、大谷のファンとは言えないのだろうか。何十万もかけてロサンゼルスにやってきてこんな自問自答をする羽目になろうとは、我ながら不憫な話である。
その日は朝からサンタモニカに行く予定だったが、空は曇天。とてもじゃないがビーチ日和とは言えなかった。地下鉄の車窓から暗い空と暗い街並みを眺めていると、さらに気分が滅入った。夫に話しかけられても素っ気ない返事しかできず、ただじっと窓の外を見ていた。視界の外側に夫の小さなため息を感じた。
お互いほとんど無言で、サンタモニカの駅から海に向かって歩いた。貧乏性ゆえ、せっかく来たのだから観光はこなさなければという気概だけはあり、有名なゲートの前で記念写真を撮った。スマホを確認すると、あからさまに顔が暗い。そもそも、曇っているせいで写真が全体的に暗い。それを見た途端、諸々のどうしようもない悔しさが爆発した。
「曇ってる! 暗い!」
半泣きで怒りながら、私は北アメリカ大陸に地団駄を踏んだ。大人としてあまりに見苦しい怒り方をする私を見て、夫が吹き出した。それで私も少し笑えた。
ビーチをサイクリングしているうちに少しずつ日が射して、午後には快晴となった。夕日がよく見えるシーフードの店で生牡蠣を食べた。美味しかったが、4個で5,100円という値段に気を失いそうになり、ビールを飲み干してそそくさと退散した。夕日は綺麗だった。
帰る途中、道路の柵に腰掛けた爺さんがこちらを見て、「ジーザス・ラブ・ユー」と呟いた。
帰国前日、我々は再度エンゼルスタジアムを訪れた。大谷はあれからずっと欠場しており、この日もスタメンに名前はなかった。その前日に夫の念願だったカリフォルニア・ディズニーを目一杯満喫したこともあり、何となく吹っ切れている自分がいた。大谷が出場しなくても、せめてエンゼルスの勝ちを見たい。
その祈りが通じたのだろうか。7回に2点のリードを許したときにはもうだめかと思ったが、9回裏にヒットを繋いで同点に追いつき、最後はサヨナラタイムリーでエンゼルスの逆転勝利となった。我々は飛ぶ勢いで立ち上がり、前回購入した応援グッズの猿を振り回した。この猿は「ラリー・モンキー」という名前で、直訳すると「逆転猿」である。
正直、大谷のことは途中から諦めていた。日本で中継を観ている家族から、大谷はベンチにも姿が見えないらしいとLINEがきていたからだ。
試合後、私はフィールドに向けて、日本ハムファイターズのユニフォームを掲げた。背番号11番。大谷翔平の日ハム時代のユニフォームである。前の球団のユニフォームを出すのは無粋だと思いつつ、大谷を見られなかった不憫な古参ファンとしてテレビカメラに抜かれることで、私がここにきた証を残してやろうという最後の足掻きであった。
しばらく掲げたまま感傷に浸っていたが、係員のおっさんに「早く荷物をまとめろ!」的なことを叫ばれたので、すごすごと帰り支度をした。家族に確認したところ、どうやら私の日ハム掲げはテレビに映らなかったらしい。でも、それでよかったような気もする。
大学生の頃、アラスカにオーロラを見に行きたいという友人がいた。彼女は旅行資金を貯めるため、バイトのシフトを増やし、賄いで食費を浮かせ、切り詰めた生活をしていた。そんな彼女に対し、私は言った。
「それは、写真じゃダメなわけ?」
半分冗談、半分本気だった。あの頃の私は、インドに行って人生観が変わった、みたいな話が大嫌いだった。だって、その場所に行くだけで何かが変わるわけがない。移動距離の分だけ自分が大きくなったように錯覚しているだけではないか。旅行にお金と時間を使うより、私はこの国で、この街で、もっとやるべきことがある。考えるべきことがある。そんな風に思っていた。しかしこれらは結局、自分の行動力の乏しさを正当化したいだけの言説に過ぎない。「写真じゃダメなわけ?」という発言には、友人の行動力とバイタリティ、そして、出現しないかもしれないオーロラに賭ける勇気とロマンへの嫉妬が多分に含まれていた。
友人がアラスカで実際にオーロラを見ることができたのか、実はよく覚えていない。しかし、彼女がアラスカにオーロラを見に行ったことは事実で、それは実際に見ることができたかどうかよりも、彼女という人間を語る上で重要な、彼女を彼女たらしめる要素のように思える。
だから、私もきっとそうだ。実際に大谷を見ることができたかどうかよりも、大谷を見にはるばるロサンゼルスまで行った、ということが、自分にとって重要な意味を持ったとしても、何ら不思議ではない。
もちろん、リベンジしたい気持ちもある。でも、とりあえず今は大谷の活躍をテレビで観ながら、私は自分の生活を、人生を、地道に打ち返していく。それだけだ。
(つづく)