「恐竜が絶滅した時、季節は春だったという研究結果があります。どうして春だとわかったのでしょう?」
パーテーションで区切ったデスクの向こう側から突如投げかけられた問いに、私はキーボードを打つ手を止めた。
「絶滅したの春なんだ」
「そう。なんでわかったと思う?」
何気ない感じの口調でもう一度尋ねる夫。その声色から察しがついた。ははん、これはあれだ。素人の回答が期待されている。何らかの事情で素人ならではの回答を必要としているが、古生物学者である夫はもはや素人の発想というのがわからない。そこで最も身近なド素人である私に白羽の矢が立った。そんなところだろう。
その思惑通りにすぐさま模範的素人回答を献上するのもつまらないので、ここはいっちょふざけてやろうと、熟考の末、「恐竜たちがお花見をしていた痕跡が残っていたから」という渾身の回答を出した。「いや真面目に」と窘められることを予想していたが、夫は意外にも「いい! すごくいい! そういうのが欲しかった!」と褒め称え、さっそくカチャカチャとパソコンに私の発言を入力していた。
後日、夫がウェブで連載している子ども向けのコラムが更新されたので読んでみると、「どうして春だとわかったのでしょう?」という例の問いかけのあと、「妻に同じ質問をしたところ、『恐竜たちがお花見をしていた痕跡が残っていたから』という回答が返ってきました。残念ながらハズレです」と、私の珍回答が冒頭の掴みとして使用されていた。このようなコラムを読む子どもというのは幼いながらもそれなりに古生物への造詣が深い者たちであろう。「お花見の痕跡だって。学者の妻なのにすっごくアホだよこの人」などと保護者に報告しながら鼻で笑われているのが目に浮かぶ。穴があれば入る、いや、いっそ桜の樹の下に埋まってアホの花でも咲かせてみせようか。
恐竜の人気は言わずもがな、古生物に興味を持つ子どもは多い。夫も子ども向けの仕事をすることがよくある。前職の博物館でも、授業の一環で訪れた子どもたちに毎日のように展示の解説をしていた。その様子を見学させてもらったことがあるが、夫は子どもを巻き込んで解説するのが上手だ。素朴な疑問も、知識の披露も、ちゃんと拾い上げていく。
北海道に住む4歳の甥っ子も、血の繋がった私より夫に懐いている。甥っ子は夫のことをハカセと呼ぶ。ハカセが自分の調査の写真を見せながら「これは地層だよ」と教えると、甥っ子は「ごちそう?」と返していた。ハカセは笑っていた。その目尻の優しいこと。
この人は子どもと話すのが上手である。そう見定めた私は、アンモナイトの帽子を被って「あんもクン」として活動すればたちまち人気者になれるのではないか、と夫のタレント化を目論み、「決め台詞は“何々しナイト!”でいこう」と夫にけしかけたが、あえなく却下された。夫はなかなかお堅いところがあるのだ。ちなみに、あんもクンの口癖は「モモモ!」である。
夫は過去に何度かテレビに出演したことがある。そのうちの一つが、「ポケモンとどこいく⁉」という子ども番組で、タレントの松丸亮吾やお笑い芸人のあばれる君と共に博物館の展示を見ながらクイズを出題する、という役回りだった。私はミーハー丸出しで「あばれる君に妻がファンですって伝えて」などと呑気なことを言いながら送り出したが、収録が終わって帰ってきた夫は「ダメだ、やらかした」とうなだれていた。
「なにがダメだったの?」
「あばれる君が一回やったボケを後からもう一回被せてきて、それを目で合図してくれたんだけど、反応できなかった」
「素人にそんな高度なこと求めないでしょ」
「いや、あの目は今だツッコんでくれ! っていう目だった。あれをスルーしたのは痛恨のミス。くそー」
意外と志が高くて笑った。実際のところは定かでないが、「今だツッコんでくれ!」という目をしているあばれる君の顔は不思議なほどスッと浮かんでくる。
放送を見てみると、夫はクイズの正解を発表するときにしっかりとタメを演出する等、予想以上にちゃんとバラエティをやっていた。あばれる君が「先生、タメ過ぎ〜!」と叫んでいた。我が夫があばれる君のリアクションを引き出している。私はいたく感動した。やはり「あんもクン」の才能があるのではないか。
ある夜、夫からひゃっく、ひゃっく、と音が鳴っていた。夫のしゃっくりはデシベルが高い。
「アンモナイトってしゃっくりする?」
しないだろ、と思いながら、そんな質問を投げかける。夫がどんなことを言うのか知りたいのだ。さあ説明してみせよ、という素人からの挑戦状である。
「アンモはしゃっくりしないよ。横隔膜がないからね」
「でもさ、横隔膜なんて化石に残らないでしょ」
「残らないよー」
「じゃあ本当のところはわかんないじゃん」
「わかるんだよー。肋骨の位置でわかるんだよー」
哺乳類の進化云々、呼吸効率が云々みたいなことをたくさん話していたが、詳しいことはもう忘れてしまった。
自分でも最近気づいたが、私が夫に古生物のことをあれこれ聞くのは、学びたいとかではなく、科学をダシに夫と楽しいお喋りを繰り広げたいという、ただそれに尽きる。質問がアホであればあるほど、科学的なフィルターを通して返ってきたときに会話が面白くなるから、やめられない。きっと私はこれからもアホで居続けることだろう。
4月。季節の裂け目にまんまと転落し、体調を崩してしまった。夫と予定していた花見にも行けなくなり、寝室でぼんやりしていると、外では鳥が集団でチーチー鳴いている。鳥は恐竜の生き残りらしい。それを踏まえると、さえずりが絶滅の春を生き延びた勝利の雄叫びに聞こえなくもない。
もし今、人類が絶滅したら、我々は花見をしていた痕跡を残し損ねる。そんなどうでもいいことを考えながら、ベッドの上で夫が買ってきたピノを食う春。
(つづく)