性悪夫の夢

 

 

 結婚してすぐの頃、夫に失望する夢をよく見ていた。夢の中の夫はやたら横暴で、軽薄で、私をぞんざいに扱う。私は憤り、「そんな人だと思わなかった!」と泣きながら夫に訴えるが、夫は薄ら笑いを浮かべるばかりでまともに取り合わない。怒りに任せて掴みかかったところで目が覚める。夢だったことに安堵し、隣にいる現実の夫に、「こんな酷いこと言われた!」と夢の中での悪行を報告すると、夫はいつも「夢の中の俺がごめんねぇ」と代わりに謝ってくれた。一緒に暮らすうちに夫が豹変し、私を嫌うようになるのではないかと、深層心理で恐れていたのかもしれない。

 

 我々はよく夢の話をする。

 

「ほのかさんが高いところから飛び降りる夢を見たよ」

「どれくらいの高さ?」

「3階くらい」

「飛び降りるには高いな」

「そう。止めたんだけど、ぴょーんって飛んじゃってさ。大丈夫〜⁉ って聞いたら、意外と大丈夫〜! って平気そうにしててすごかった」

 

 人の夢の中で謎の行動をする自分の話を聞くのはなかなか楽しいものである。

 たまに不思議なこともあって、私が知らないおじさんに不法侵入される夢を見た日、夫は知らないおじさんにスマホを盗まれる夢を見ていた。あれは絶対同一人物だと思う。

 

 

 掛け布団はそれぞれ一枚ずつにしている。夫は網で炙られる焼き鳥の如く頻繁に寝返りを打つタイプだが、なぜか布団は乱れない。一方、私はいつも布団が剥がれている。夫は夜中に目が覚めたときにかけ直そうとしてくれるらしいが、布団を足で挟んだり下敷きにしたりしていることが多いため、困難を極めるという。

「だからね、俺の布団を一部分け与えて、布団の温かさを思い出させてあげてるんだよ」

 布団の温かさを思い出した私は、そのうち自分の布団の中へと帰っていくらしい。昆虫の本に書いてある習性を利用した飼育のコツみたいな話だ。

 夏の私はさらに厄介で、寝ている間に暑くなり無意識にパジャマの下を脱いでしまう。こうなってはもはや夫もなす術がない。夜中に緊急地震速報が鳴った時、飛び起きた夫が真っ先に確認してきたのは「ズボン穿いてる⁉」だった。世話が焼けるにもほどがある。

 

 私ばかり迷惑をかけていると思われるのは癪なので一応言っておくと、夫も日によっていびきがうるさい。ただ、うるさくて眠れないということはほとんどない。私は秘技を編み出した。夫の呼吸に自分の呼吸を合わせて、夫のいびきを自分のいびきと思い込むのだ。どんなにうるさくても本人は起きないという現象を逆手にとった手法だが、これが思いのほか眠れる。寝ている間にいびきを共有されていることを夫は知らない。

 

 ある夜、夫のいびきを聞きながらSNSを見ていると、「世界中の男がみんなケンティーになればいいのに」という投稿が目に留まった。興味深い話だと思った。この人はケンティーが好きで、好きすぎて、こういう感情に至ったわけだ。

 小学生の頃に読んだ『ブッタとシッタカブッタ』という本のことを思い出した。ブタのキャラクターが仏教の考え方をもとに「心」について学んでいく本で、その中に、「もしもこの世の中にブタしかいなかったら、ブタの全てがブタと呼ばれることはなかったであろう」というような話があった。私はこれを読んだ時に未だかつてない衝撃を受け、この世のあらゆるものに名前がある意味、そして、たった一人の自分自身の存在を強く意識するようになった。

 もし世界中みんなケンティーだったら、今そこでいびきをかいて寝ている人物もケンティーになるわけだが、それは果たして本当に「ケンティー」なのだろうか。やはり、ケンティーはたった一人だからケンティーなのであり、夫もたった一人、他と区別する必要のあるたった一人だから、夫なのである。などと言いつつ、私も寝るのが好きすぎるあまり、「夫が布団だったらもっとよかったのに」という迷言を吐いたことがあるのだが。

 

 

 2人でとある野外ライブに行った。ライブ中、我々の斜め前にいた男がずっとスマホで動画を撮っていた。それが常に視界に入り込んで鬱陶しく、そんなに画面越しで見たいなら家でYouTubeでも見とけよ、などと内心毒づいていたところ、男がスマホを掲げてゆっくりと振り返り、後ろの観客を撮りはじめたので、私は音楽に合わせて腕を振るふりをしながら、カメラに向けて何度か中指を立ててやった。

 帰り道、夫にそれを言いたかったが、「そんなことしちゃダメだよ」と嗜められる気がしてためらった。でも結局、言いたい気持ちが勝った。

「前の人、ずっと動画撮ってたじゃん」

「撮ってたね」

「ムカついたからさ、ノッてるふりして中指立ててやった」

 少しだけ緊張しながらそう言うと、夫は目を見開いた。

「俺もそれやろうと思った! やらなかったけど、やりたかったわ!」

 やろうと思うだけでやらない夫とやってしまう私で品性に差が出る形となったが、私はまた一歩、夫に嫌われない確信を強めた。日々の小さな共感が、意外な承認が、私を油断させていく。「風邪ひいちゃうよ」と布団をかけてくれるたった一人の気持ちを無下にして、私は今日も布団を蹴る。今ではもう、性悪夫の夢は見ない。

 

 先日、夢の中で盛大に小便を漏らしたが、夢の中の夫は嫌な顔ひとつせず、掃除までしてくれた。目が覚めて現実の夫にお礼を言うと、夫は「どういたしまして」と、穏やかに笑った。

 

(つづく)