祖父母宅半焼事件
ここに、一枚の写真がある。私が生まれてすぐの、お宮参りで撮影された写真である。雪に囲まれた神社の社務所の前で、今よりだいぶするんとした顔つきの父が、赤子の私を抱いて立っている。薄ピンクの防寒着に包まれた私は、父の腕の中、この世のすべてがわからないという顔で、この世のすべてに祝福されている。そんな命の輝き最高潮の初孫を差し置いて、目を引くものがある。背後に写り込んだ父方の祖母・京子の姿である。
写真の京子は、何やら慌てている。千鳥格子柄のジャケットの襟を掴み、進行方向とは逆の方に顔を向け、何か事件でも目撃したかのような険しい表情でフレームの右側から駆け込んできた、その瞬間を捉えている。どうしてそんなに慌てているのか。結論をいうと、慌てることなど何もなかった。その場にいた誰もが、そして本人ですら、一体どうしてこんなに慌てているのか、さっぱりわからないという。
京子は「虫」と「写真」が嫌いである。カメラを向けると「あらヤダッ」と逃げていくので、どのアルバムを見ても京子の登場回数だけが極端に少ない。京子が幼い私と共に写っている貴重なスナップ写真のうちの一枚が、この「なぜか慌てている京子」なのである。私はこの写真をかなり気に入っている。惚れ込んでいると言ってもいい。京子という人間を如実に表した、完璧な一枚だと思うからだ。
京子は、玄関に並んでいる靴に一つ飛ばしで足を入れ、右足と左足それぞれ違う靴を右右で履いてくる。どう考えても履き心地がおかしいはずなのに、人から言われるまで気づかない。
京子は、スーパーの駐車場で祖父を待たせて買い物に行き、戻ってきて、知らない人の助手席に乗り込んだことがある。京子曰く、
「きっとその車のお父さんも奥さん待ってたんだわ、別人って気づかないでちょっと動いたんだから!」
長瀬家の話題の中心にはいつも、京子の多岐にわたる「やらかし」があった。
「あんた、いつか京ばぁの面白い話をまとめて本を出しなよ」
私にそんな冗談を言ったのは母だった。確か父もその場にいて、「そうだ、そうしろ」と笑っていた。驚くべきことに、これは私がエッセイを書きはじめるずっと前の、まだ学生だった頃に、何かの拍子にぽろっと言われたことである。それが20年弱の時を超え、こうしておおよそ近い形で実現しようとしているのだから、感慨深いものがある。
そんな京子の歴史的大ポカといえば、自宅を半焼させた件である。私はまだ2歳だったので覚えていない。よって、これから書くことは、父、母、叔母、そして京子本人からの口承ではあるが、桃太郎や浦島太郎並みに繰り返し聞かされている話なので、もはや私自身の記憶かのように錯覚している。ご心配をおかけしては申し訳ないので先に明言しておくが、死人・怪我人は一切出ていない。
当時、私と両親は祖父母宅のすぐ近くにある貸家に住んでいた。仕事で多忙を極めていた父もその日は珍しく在宅しており、双子の弟を妊娠中だった母と共に、親子三人、麗らかな春の休日を過ごしていた。
「ポテト揚げたよぉ」
そんな我が家に、揚げたてのフライドポテトを皿に盛って、京子がひょこひょこと訪ねてきた。京子がポテトを揚げたのは孫の私のためでもあるが、何と言っても、この手のものに目がない父のためである。父は還暦をとうに過ぎた今でも、事あるごとにケンタッキーを所望するような根っからのジャンク嗜好だ。
「結婚の決め手は義母が京子だったこと」と言うくらい、母は京子を好いており、その日も二人はポテトをつまみながらダラダラとくだらないお喋りに興じていた。テレビでは湾岸戦争のニュースが流れており、京子はずっとフセインの悪口を言っていたという。
そこに、玄関の方から大声が飛び込んでくる。
「お母さんいるかい⁉」
声の主は祖父で、京子は呑気な調子で「いるよぉ〜」と返事をした。普段穏やかな祖父が取り乱して叫ぶ。
「火事! 火事になってる!」
「えっ、嘘、どこ⁉」
「うち!!!」
その場にいた全員が「ええ⁉」と声を上げて、そこではじめて周囲のサイレンの音が耳に入ってきた。ちょうど我が家の目の前に消防用の消火栓があったらしく、窓のすぐ近くにはすでに消防車が数台到着し、消火活動が始まろうとしていた。
「えりちゃんは来ちゃダメ!」
皆が慌てて外に飛び出したが、母だけは京子に頑なに止められた。妊婦が火事を見るとお腹の子どもにアザができるらしい。京子はこの手の迷信をしっかり怖がるタイプである。
祖父母宅は轟々と燃え盛り、野次馬も集まって近所は大騒ぎになっていた。
ちなみに、このとき離れて住む叔母(父の妹)のところには、地元の同級生から「おい、おまえの実家燃えてるぞ!」という電話がかかってきたという。同級生からの突然の電話史上最も嫌かもしれない。
通報が早かったおかげか、とりあえず全焼は免れ、隣家に延焼することもなく、火は消し止められた。
お察しの通り、火事の原因は京子がポテトを揚げた油の火を止め忘れたことにある。その時、祖父は居間で寝ていた。几帳面な人で、普段ならその辺でごろ寝するなんてことはせず、昼寝するにしても必ず2階の自室で寝ていたのだが、その日に限ってうっかり居間の床で寝てしまい、京子は珍しいこともあるものだと、その頭の下に座布団を差し入れてあげたのだという。
祖父は激しく燃える炎の音と煙で目を覚まし、京子を家中捜したがどこにもいないので、大慌てで近所の息子夫婦の家へと駆け込んできた、というわけである。祖父がいつも通り自室で昼寝をしていたら、気づくのが遅れて更なる大惨事となっていた可能性が高い。不幸中の幸いとはこのことである。
しかし、不幸中の不幸とも言える事態が起こる。京子がパトカーで連行された。自宅をわざと燃やして、祖父を殺そうとした疑惑をかけられたのである。
京子によると、警察官の尋問は完全に京子を放火犯と決めつけた調子で行われたという。
「奥さん、なんでこんなことになっちゃったの」
「ポテトを揚げた火を消し忘れたんだと思います……すみません……」
「ポテト〜? 旦那さんの歳でポテトなんてあんまり食べないでしょう」
「いえ、あの、息子が好きで、すぐそこに住んでるもので……」
「息子ったって、もういい歳でしょ⁉ わざわざ揚げるほどフライドポテト好きかね?」
「ま、孫もいるんですよぉ……」
父がジャンクフード好きなせいで変に疑われる京子。
さらに、
「旦那さん、寝てたんでしょう。それでわざと油を放置したんじゃないの?」
「まさか、そんなことしません!」
「だって、座布団渡したっていうじゃない。ぐっすり眠らせるために、計画的にやったとも考えられるよね?」
良かれと思って渡した座布団が、まさか殺意の証拠になるとは。その狡猾さは京子の性格とあまりに掛け離れており、もし私がその場にいたら、警察官をバシバシ叩きながら「あり得ん、あり得ん」と腹を抱えて笑ったに違いない。
ちなみに、このとき叔母の元には同級生から「おい、おまえのお母さんパトカーに乗せられてるぞ!」という報告がなされたという。これまた嫌な電話すぎる。
京子は涙ながらに無実(過失はあるが)を訴え、とりあえずは解放された。しかし、その後も捜査は続き、刑事が近所の家を回って、京子の人柄や夫婦仲について聞き込みをしていたらしい。京子は極端にドジであるというだけで、他人とトラブルを起こすような人物ではない。ご近所さんも口を揃えて「いい奥さんだ」「あんなに仲のいい夫婦はいない」と証言してくれたので、夫殺し疑惑は無事晴れた。しかし、自宅は無事ではない。
台所は吊り棚が燃え、天井が焼け落ち、何から何まで真っ黒になっていた。居間も広範囲が燃えて煤だらけとなり、床もめちゃくちゃで、靴を履いて歩かなければならない状態だった。やっと現場に来ることを許された母が訪ねると、サンダル履きの京子が燃え残った和室の小上がりにちょこんと腰掛けて、「私バカよね〜」と細川たかしを口ずさんでいたという。
その後、半焼した家は改修され、私のよく知る祖父母の家となった。程近いところに実家が建ち、祖父母の家は私にとってずっと第2の家のような場所だった。しかし、その家も今はもうない。数年前に祖父が亡くなり、京子は叔母一家と共に暮らしている。家は取り壊し、私の弟が土地を譲り受け、立派な家を建てた。京子が燃やした台所の辺りを、甥っ子が元気に走り回っている。
昔から心臓が悪く、虚弱体質の京子だが、驚異の粘りでもうすぐ92歳になる。80代で足を骨折したときは誰もが寝たきりを覚悟したが、あれよあれよという間に自力で歩けるまで回復し、周囲を驚かせた。たまに会いに行くと、「はーもうダメ」とか弱音を吐きながら、細い体でお菓子をばくばく食べている。耳が遠くなったので以前に比べると会話に軽快さはなくなったが、話していると、やはり京子は京子である。私がエッセイで賞をもらったことを親戚に自慢したらしいが、双葉社のことを「三つ葉だか、四つ葉だか……」と言ってしまい、私は一部親戚の間で農業関係の賞を取ったことになっているらしい。
20代の頃、京子に言われた。
「あんたは結婚とかしないのかもしれないね。一人でも、どうにでも、楽しくやれちゃいそうだもん。ほーんと面白い人だわぁ」
結婚するともしないとも言っていないのに、なぜか京子は勝手に観念したような風で、私の腕にポンポンと触れた。それが、なんだか妙に嬉しかった。京子にそう言わしめた私なのだから、きっとずっとこのままでいいのだろう、と思った。のちに結婚したが、京子の言葉は栞のように、私の人生にずっと挟まっている。そのページを開くたびに毎度言いたくなる。面白い人は、あなたでしょう。
ソファに座っている京子の足に下から抱きつこうとしたら、「ひっ! 虫⁉」と叫ばれた。落ち着け、京子。虫ではない。あなたのことが大好きな、36歳の可愛い孫だ。
(つづく)