アモイズを救出せよ

 

 自室にコンポが置かれた日は、人生のひとつの転機だったように思う。

 それまで我が家には据え置き型のカセットデッキしかなかったが、中学に入り、コンポを買ってもらったことで、MDの録音ができるようになった。そして何より、自分の部屋で音楽を聴けるようになった。誰かと聴く音楽と、一人で聴く音楽は別物だ。私はしょっちゅう近所のゲオに行き、ランキングコーナーから気になったものを片っ端から借りるようになった。

 

 中一の終わり頃、塾で同じクラスだった人から、「これ聴く?」とCDを渡された。たいして期待もせず借りて帰ったそれは、Mr.Childrenのベストアルバム(通称「肉と骨」)で、私はその日から中学の終わりまで、ミスチル漬けの日々を送ることになった。ゲオに行くとレンタルコーナーより先に中古CDのコーナーに駆け込み、ミスチルの過去のシングルやアルバムが安く売っているのを少しずつ買い集めていった。曲の終わりに次の曲のイントロがわかるくらいアルバムを聴き込み、暇さえあれば、歌詞をノートに書き写した。あの頃の心酔ぶりはなかなか常軌を逸していたと思う。これは一回きりだが、ネット上にミスチルのことを口汚くディスる文章を見つけて体中の水分が沸騰し、そのサイトの管理人に「あなたの言ってることは的外れだ」というような批判を長文でメールしたことがある。返事は来なかった。あの潔癖さは、今の私にはもうない。良くも悪くも自分だけのイノセントワールドを生きていた。

 

 それから時は流れ、高3の秋。野球部を引退した同じクラスの井下が突然バットをギターに持ち替えて、私は度肝を抜かれた。井下は野球の傍ら長年ギターを趣味としていたらしく、学祭期間中に教室でその腕前を披露したことで、意外な一面が皆の知るところとなった。野球部の坊主とギターを弾ける坊主。同じ坊主とは思えぬ変貌ぶりであった。さらに、彼がミスチルの大ファンであることも判明した。マイナーなアルバム曲を次から次へと弾いてくれて、私はすっかり感激してしまった。散々ミスチルを聴いてきたが、盲点だった。ミスチルって弾けるのか。

 

「ピアノやってた人は指が動くから、長瀬もちょっと練習すればすぐ弾けるようになるよ」

 

 井下にそう言われてすっかりやる気になった私であったが、結局、在学中にギターを手に取ることはなかった。

 

 井下は違うクラスの稲葉くんと「アモイズ」というユニットを結成して路上ライブをやるようになり、私も何度か聴きに行った。二人がやっていたのは主にゆずのカバーで、私はその路上ライブで、人生で初めて、しっかりハモっている人間を目の当たりにした。稲葉くんはそのイカつい見た目からは想像しがたい綺麗なハイトーンボイスの持ち主で、安定感のある声質の井下との組み合わせはかなりゆずっぽかった。

 

 アモイズの活動は高校までだったが、井下は大学を卒業した後も就職せず、サークル内で組んだバンドを続けていた。何度かライブを見に行ったことがある。坊主だった井下がロン毛になっていたので笑った。しかし、それも随分前のことだ。何年も会っていないので詳しい状況はわからないが、バンドのSNSアカウントが動かなくなって久しい。

 

 物書きでどうにかなってやろうという野望を抱きながら無難に就職して無為な日々を過ごしていた私にとって、音楽をやっている友達は目の上のたんこぶだった。妬みながら、羨みながら、それでも私はたんこぶにもっとデカくなって欲しかった。そうしたら、私もやれる気がしたから。

 

 他にもバンドをやっている友達が何人かいたが、今はもうやめてしまったか、働きながら細く長く続けている人ばかりだ。以前は頻繁にライブの告知がされていたアカウントに、子どもの写真が投稿される。アスレチックではしゃぐその笑顔に懐かしい面影を見つけて、少し感傷に浸りながら「いいね」を送る。

 

 

 就職して一人暮らしを始めるとき、父親の古いギターを借りていった。私はピアノをやっていたから、練習すればすぐに弾けるようになると思った。

「初心者のアコースティックギター」という教本を買い、新しい弦も買った。苦情がきては困ると思い、音を小さくするバンドみたいなやつも買った。しかし、そんな心配は無用だった。元旦に「ギターを弾けるようになる」という新年の目標を掲げること10回。結局ほとんど触らないまま、ギターは実家へ返却した。

 

「私がギター弾ける人間だったら絶対ヤバかったよ。たぶんまともに働いてない。人生踏み外してただろうね。危なかったよホント」

 

 そんなわかりやすい負け惜しみを言ってみたりもするが、どう考えても私は踏み外さない方の人間である。褒められることが好きだから、褒められやすい道をゆく。そのくせ、人生踏み外してなんぼ、とか思っている。できやしないくせに思っている。いや、できやしないからこそ、そう信じてやまないのかもしれない。

 

 

 2年ほど前、東京に引っ越すタイミングでコンポを手放すことにした。音楽の聴き方はMDからiPodになり、iPhoneになり、今はもうほとんどサブスク頼みだ。思い入れがあってなかなか捨てられなかったコンポだが、十数年も電源すら入れていなかったので、さすがに潮時と思った。

 引っ越し準備の最中、コンポに何か入れっぱなしになっているかもしれないと思い、薄いプラスチック板で塞がれたMDの差し込み口を暖簾のように指でめくってみた。覗いて、仰け反った。側面用の細長いシールに、「アモイズ ラジオ」と書いてある。それは、アモイズが出演したコミュニティラジオの番組を録音したものだった。アモイズは路上で歌っているときにラジオ局の人から声をかけられ、一度だけ番組に呼ばれた。たかがコミュニティラジオだが、周囲は大いに沸いた。私もその一人だった。その証拠に、こうして張り切って録音までしたのである。

 

 再生ボタンを押す。MCである素性のよくわからない陽気なお姉さん2人がグダグダな世間話を繰り広げ、それを少し早送りすると、CM明けにアモイズが登場し、ゆずの「からっぽ」を歌った。二人の声が懐かしかった。

 お姉さんたちに「かっこいい〜!」と褒められ、たじたじになるアモイズ。「なんでアモイズなのー?」と名前の由来を聞かれると、「えっと、こいつ(稲葉)のことをふざけてアモイって呼んでて……はい、そんな感じです」と、井下は要領を得ない回答をした。お姉さんたちも聞いた割にたいして興味がなかったようで、なぜ稲葉くんがアモイと呼ばれているのかという核心に迫ることもなく、番組は終わった。

「はあー懐かしすぎる」

 ひとしきり笑って満足し、MDの取り出しボタンを押した。しかし、反応がない。何度か押してみたが、うんともすんとも言わない。どうやらボタンが壊れているらしい。まあ、このままコンポと一緒に処分すればいいか。MDは他のも大半ごみ袋行きにしたのだ。友達が知らないお姉さんのラジオにちょろっと出演しただけの音源なんて、たぶんもう一生聴かない。そう思いながらも、ハサミの先端を差し込み口につっこんでガチャガチャやってみる。やはり、出てこない。

「あーもう!」

 苛つきながら、私は押し入れから工具箱を取り出した。コンポを棚から下ろして、ダンボールの積まれた部屋の中、床に座り込み、ネジを外していく。コンポのパーツは思いのほか複雑に組み上げられており、ネジを外しても外しても、一向にMDに辿り着かなかった。無数のネジが床に散らばる。ドライバーを回しすぎて、親指の付け根の筋肉が痛い。埃が舞って鼻がむずむずする。引っ越し準備でクソ忙しいときに、私は一体何をしているのか。でも、頭の中で誰かが叫んでいた。アモイズを救出せよ!

 MDの収納箇所は巨大ロボのコックピットくらい最深部にあり、やっと辿り着いた時にはもう、コンポは見る影もない残骸となっていた。救出したアモイズをまじまじと眺める。思い出のコンポを破壊してまで、私はどうしてこんなものをとっておきたいのか。稲葉くんは結局なんでアモイなのか。

 自分の執着とアモイの謎に頭を抱えながら、床に散らばったネジを拾い集める。

 道を踏み外さないが、ネジは外せた。

 そんなくだらないことまで思いついてしまい、もう苦笑いするしかなかった。

 

(つづく)