うさぎを飼っていた。名を関根という。
ペットを飼いたいが飼わせてもらえない子ども時代だった。厳密にいうと亀は二匹飼っていたが、私が憧れたのは毛の生えた温い動物がいる暮らしである。
あの頃、犬を飼っている子は犬が好きで、猫を飼っている子は猫が好きであった。当然のことである。しかし、私はその単純さに内心白けていた。その子らは親近感だけで物事を判断し、最も身近な動物を安直に好きと言っているに過ぎない。その点、私は当時ペンギンが好きだったので、飼ってもなければ触ったことすらないペンギンを好きな自分は本物である、という謎の自負があった。持たざる者の嫉みでしかない。
「大人になって一人暮らししたら飼いなさい」
私がいくらゴネても、両親はその一点張りであった。そんな先の未来を提示されたところで、子どもが納得できるはずもない。私は親を見限り、ある人物に救いを求めた。サンタクロースである。
クリスマスの少し前、「子犬をください」と手紙を書いた。ペンギンを個人宅で飼育するのは無謀だと思い、次点で犬にした。そのあたりは妙に冷静である。手紙は自室の窓に外から見える向きで貼った。
期待を胸に目を覚ましたクリスマスの朝。枕元にはプレゼントと手紙が置いてあった。
「ほのかちゃん、子犬は大人になってから飼おうね」
どこかで聞いたような台詞だが、その筆跡はこれでもかというくらいヨボヨボで、どうやらサンタ本人からの手紙で間違いないと思わされた。今なら努力の一環だとわかる。
残念は残念だが、正直一か八かくらいの期待度だったので、私はあっという間に気を取り直し、興味は目の前のプレゼントへと移った。包みを開けると、長瀬家史上最も不可解なプレゼントが姿を現した。
ピングーの手回し式シュレッダーである。
当時、個人情報流出の危険性が世に広まり、手紙や葉書を裁断するための家庭用シュレッダーが出回りはじめた頃だった。旬なアイテムではあるが、子どもへのプレゼントとしてはあまりに実用性を重視しすぎている。
多少の違和感を覚えつつも、好きなキャラクターであるピングーにまんまと誤魔化された私はそれを好意的に受け取った。ハンドルをぐるぐる回して紙が裁断される様子は思いのほか面白く、折り紙をバラバラにして遊ぶなどしてそれなりに楽しんだ。私が飽きて放置するようになってからは、母が郵便物を捨てる際に重宝していたようである。真意を確かめたことはないが、サンタとの癒着が疑われる。
「大人になって一人暮らししたら……」
果てしないほど遠く感じていたその未来に、気づけば立っていた。
23歳、就職して一人暮らしをはじめた年の冬、私は「本当に飼ってやるぞ」と決意を固めた。
うさぎを選んだのは、ワンルームマンションでも鳴き声の心配がなく、散歩の必要もないという飼いやすさの都合からだった。それまでうさぎを特別好きだと思ったことはない。私は世間一般で「可愛い」と分類されるものにあまり心惹かれない性分なのである。
ペットショップをいくつか回ってみたが、うさぎ探しは難航した。私が思っていた以上に、実物のうさぎはやっぱりしっかりプリチーであった。うさぎというだけで充分プリチーであるのに、耳が垂れていたりするとそれはもうプリチー過多で、「その手には乗るものか」という警戒が先に立つ。ペットショップを徘徊する日々が続いた。
ある日、今はもう閉店してしまった札幌エスタのペットランドで、ケージの中でじっとしている一匹のうさぎを見つけた。生まれてまだ数ヶ月のそのうさぎは、両手の平にすっぽりと包んでしまえるくらいの大きさで、すすきの穂のような明るい茶色の毛にポワポワと覆われていた。札を見ると、「ライオンラビット」と書かれている。調べたところ、成長すると顔まわりの毛がライオンの立て髪のようにフサフサになる品種らしい。確かに、他のうさぎに比べて顔まわりの毛足が長い。毛玉のように丸っこいフォルムをしているが、小さい耳はピンと立って草食動物らしい緊張感があり、目は真っ黒に澄んでいた。いい面構えをしている。
私はそのうさぎをいろんな角度から眺めたり、一度離れてまた戻ってみたりして、何度も確かめた。
「うん、可愛い」
運命のうさぎに出会えた興奮というよりは、やっと選べた安心感の方が大きかったように思う。
それが関根との出会いであった。関根は7千円で、ケージは1万円だった。
諸々の準備を整え、後日改めて店に引き取りに行った。店員が関根を抱きながら、「ママ来たよ?」と言った。ママになるという発想はなかったので、どう反応していいかわからず苦笑いした。
関根は直方体の紙箱に入れられ、さらにペットランドのロゴ入りのビニール袋に入れられた。まるでケーキのような扱いである。
ビニール袋を受け取り、店を出て、下りのエスカレーターに乗る。生き物が入っているとは思えないほど静かだった。中を確認するわけにもいかないので、そのままできるだけそっと歩いた。一階まで降りて、本当に中身がケーキなのではないかという疑惑が高まってきた頃、ゴソッ、ゴソッ、と振動を感じた。ケーキは生きていた。
外はもう雪が積もっている。寒い思いをさせてはいけないと、急いでタクシーに乗り込んだ。
部屋に帰り、関根をケージに入れ、買ってきた牧草とペレットをたっぷり盛った。はじめての場所に慣れるまで暗くしておいた方が良いという店員の教えに従い、ケージの上から毛布をかけた。
関根は警戒しているのか、とことんじっとしていた。あまりにも長時間動きがないので、毛布の向こうで早くも死んでいるのではないかと心配になった。それでもしばらく放っておくと、コッ、コッ、コッと小さくリズミカルな音が聞こえてきた。私は、「うちの秒針ってこんなに音が鳴るんだっけ」と時計を見上げた。それが牧草を食べる音だと気づいて、嬉しくて一人で笑った。それから10年10ヶ月の間、私はその音を聞き続けることになる。
名前の由来は、関根勤の昔の芸名「ラビット関根」からである。妙な名前をつけられた上、狭いワンルームの一角で、私の自己実現に付き合わされることになった関根。不憫で可愛い毛の生えた温い生き物。
ちなみに、成長しても関根の顔まわりが立て髪のようにフサフサになることはなかった。なぜか後頭部の毛だけが長くなり、昔のヤンキーのような髪型になった。ライオンラビットではなく、幼少期たまたま顔周りがフサフサしていただけの雑種だった説が濃厚である。
ペンギンでもなく、子犬でもなく、ヤンキーヘアのうさぎだった。
シュレッダーのハンドルをくるくる回しているあの頃の私が知ったら、きっと困惑するに違いない。
(つづく)