付き合っていた頃に夫からもらった年賀状を見ると、子年なのに、コメントに添えてある絵は卯である。後頭部の毛の描写で、それが関根(私が飼っていたうさぎ)であることがわかる。夫は自著の表紙を自分で描けるくらい絵が上手いはずなのに、関根の絵はなぜかちょっと下手だった。もしかすると、夫の目には関根が実物よりずっと可愛いうさぎに見えていて、そのズレが微妙にデッサンを狂わせていたのかもしれない。年賀状の関根の尻の近くには、小さな黒ポチが3つほど描かれている。夫は関根の糞をも愛していた。
飼い主に加われたことがよっぽど嬉しかったようで、一緒に暮らし始めてからの夫はいつも関根に話しかけていた。「おはよう」「おやすみ」はもちろん、「ご主人様のご活躍だぞ」と言いながら論文が掲載された雑誌を見せたり、近所にヒグマが出没したと聞けば、「おまえは俺を食べないでよ〜」と甘えてみたり、関根にとっては心底どうでもよいであろうことを手当たり次第に話していた。無論、関根からは何の返答もないが、それが嬉しいらしい。「俺は関根に無視されたくて話しかけてるんだ」とまで言う。しかし、スピーカー付きのペットカメラから、夜中に突然「せっきー! せっきー! もうすぐ帰るよ!」と飲み会で酔っ払った夫の声が響き渡るのは、関根は無視しても私が無視できなかった。あまりにも心臓に悪い。
ある時、夫が関根の口元に親指を近づけると、指の腹をぺろぺろ舐めることが判明した。そんな姿はこれまで見たことがなかった。歳をとって草食動物としての警戒心が緩んだのかと思い、私も指を近づけてみたが、舐めない。誰に対しても平等に馴れ合わない奴だと思っていたのに、見損なったぞ。
悔しかったので、関根は体を舐めて綺麗にするのが好きだから、舐めないと気が済まないほど夫の指が汚いのだと決めつけた。夫に舌の感触を尋ねると、「ちょっとざらざらしてる」とにんまりしていた。
夫は関根だけに留まらず、うさぎを飼っている人のアカウントをフォローしまくり、人んちのうさぎまでをも愛でていた。多頭飼いに憧れているらしく、うさぎが2匹くっついている写真を見せながら、「せっきーもさ、お友達がほしいんじゃないかな」としょっちゅう言ってくるので、私はわざとらしく関根に告げ口した。
「せっきー、この人はね、せっきーの予備を作ろうとしているんだよ」
「違うんだよ? せっきーが好きなのはもちろんだけど、うさぎという生き物が大好きなんだよ」
「あーあ、それは、おまえのことが好きなのはもちろんだけど俺は女が大好きなんだと言っているようなものだね」
「全然違うんだよ?」
そんなやりとりを、関根は牧草をポリポリしながら聞いていた。やはり返答はない。
ある夏の日、近所で花火大会が行われた。花火の打ち上げがはじまると、関根は後ろ足を床に叩きつけ、ダンダンッと音を鳴らした。うさぎが後ろ足を鳴らす理由を検索してみたところ、「危険が迫っていることを仲間に伝えるため」という説が出てきた。もちろん諸説あるのだが、夫は大喜びだった。「俺たちを仲間だと思ってくれてるんだ!」と泣く勢いで感激していた。
「関根のことだから、うるさくてムカついただけでしょ」
冷めたことを言いつつ、私も嬉しかった。夫が無邪気で、私は冷静ぶって、関根は気にも留めず牧草を食べている、そんな瞬間がこの夏に刻まれたことが、とても嬉しかった。
毎年花火の音を聞くと、私たちは必ず関根のことを話しはじめる。
夫が飼い主に加わった時、関根はもう8歳を過ぎていた。人間の寿命に換算すると70歳近い。病気をいくつか患って、治ったり再発したりして、足腰も弱っていった。2人と一匹の暮らしは、半分くらいは介護の日々だった。その日々は深刻でありつつ、いつもどこか脳天気であった。
うさぎは2種類の糞をする。ひとつはコロコロの丸い小さな糞で、もうひとつは盲腸便というブドウのミニチュア版みたいな柔らかい糞なのだが、なんと、うさぎはこの盲腸便を自ら出して自ら食う。盲腸便には、うさぎに必要な栄養がたくさん含まれているのだ。本来は股の下に顔を埋めて尻から直接いくスタイルなのだが、足腰が弱った関根はこの姿勢が難しくなり、落ちている盲腸便をこちらで拾って食べさせてやる必要が出てきた。落ちているのを見つけたらすかさずスプーンで救って、関根の口の前に持っていく。なかなか食べないので、ぐいぐいやる。うんこを口元にぐいぐいやる罪悪感。どうにか食べさせると、「うんち食べて偉いねぇ!」と、夫が関根をこれでもかと褒める。うんちを食べて褒められる生き物を見たのは初めてのことである。
また、腰の位置が下がって尻が汚れるようになったので、定期的にシャワーで洗うようになった。これがなかなか骨の折れる仕事で、いつも二人がかりであった。夫が関根を支える係で、私が洗う係。関根は水が嫌いで、油断すると暴れるので大変だった。
「ねえ、もうちょっとこっち向けてくれないと下の方洗えないじゃん」
ガビガビになった尻の毛は、洗いながら梳いてもなかなか綺麗にならず、気の短い私は毎回苛ついた。それでも夫はいつも必ず一緒にやってくれた。関根に「湯加減はどうですか?」なんて聞きながら。
乾かすときは、私がドライヤー係で、夫は風が満遍なく当たるように関根の尻を右にやったり左にやったりする係だった。ずっしりと成長しきった関根を抱きながら、「関根にも赤ちゃんの頃があったんでしょ。信じられない。いいなぁ、見たかったなぁ」と夫は言った。
「そうだよ。こーんなちっこい、手乗りサイズだったんだから。それをペットショップで見つけたんだから」
「いいなぁ。俺も関根を見つけたかったなぁ」
悔しがるのをわかっていて、私はこれでもかと古参ぶる。
あまり関根の写真を撮ってこなかった。特に、赤ちゃん時代の写真はほとんど残っていない。関根を飼い始めた頃の私は、写真を撮るというのはどこまでも人間側の都合であり、そこに執着しない自分はそこいらの飼い主と違ってペットと高尚な向き合い方をしている、と思っていた。その変な気負い方のせいで、最も可愛い赤ちゃん時代の写真を残し損ねたのだから、馬鹿としか言いようがない。唯一残っている写真は、小さな関根をキッチンスケールに乗せて体重を測っているものである。それを見てキャーキャー言う夫に、「なんでもっと撮っておいてくれなかったの」と責められるが、今更どうしようもない。あの頃の私は、関根の小さい時の写真をこんなにも共有したい人が現れるなんて、まるで想像していなかったのだ。
関根が5歳くらいの頃、少し親しくなった人に関根を会わせて、「人間でいうと45歳」と教えたら、「なんかそう言われるとあんまり可愛く思えないね」と半笑いで言われたのを思い出す。私はそいつのことを一瞬にして嫌いになった。そして、関根が年老いても、病気をしても、尻が汚くなっても、日々可愛いと言い続ける夫を、日々好きになった。
「関根が死んじゃったら、俺生きていけない」
夫はよくそんなことを言った。妻である私が死んじゃったら、ならまだわかるが、数年の付き合いしかないうさぎに対して大袈裟である。しかし、ふと気づいた。夫は関根を飼っていない私を知らない。出会いの瞬間から、関根ありきの私なのである。だとしたら、夫にとっての関根は、私にとっての関根以上に、確固たる存在なのかもしれない。
ドライヤーの風に目を細める関根。関根の後頭部の毛に触れて、微笑む夫。私が引き合わせた、一人と一匹。
(つづく)