第二話 降霊茶会
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申岡は四谷にある凶宅と噂される武家屋敷を丸ごと買い取って住んでいるという。妾が二人に子らもおり、そこに手下を住まわせている。果たして何で稼いでいるのか分からないが、羽振りは悪くないという。
啓吾と正周は、四谷の屋敷の前に立つ。
「こんにちは、と訪ねるわけにも……」
啓吾が躊躇していると、正周はずんずんと屋敷の門に向かう。用心棒のような風体の男に、丁寧に頭を下げる。
「先日、申岡氏とご一緒した連翹寺と申します。お見舞いに参りました」
暫しの間があってから、今度は女中が迎えに出て来た。
「主が、中へと申しております」
存外、あっさりと中へ通された。女中に先導されて奥の間に通されると、床の間を背にして、座椅子に腰かけるように座る申岡がおり、その周りをずらりと強面な男たちが十人余り囲んでいる。
「お前様は、先日の……華族のお坊ちゃんでしたかな」
「はい。連翹寺と申します。こちらは友人です。しかし、申岡さんがご無事で良かった。倒れられた時には驚きました」
「これは、不格好なところを見られたものだ」
「あの破崩坊さんが、貴方のことを呪ったと自白したそうですが、何か呪われるお心当たりはございますか」
「日頃から、呪われながら生きているようなものでございましてな。しかし、華族の若様は流石に人がいい。坊主如きの戯言を真に受けるとは」
かかか、と豪快に笑う様は、つい数時間前まで意識のなかった者とは思えぬ口ぶりである。正周はにっこりと微笑んだ。
「そんな豪快な御方が、戯言のような降霊会なぞに参られたのはまた何故ですか」
「あの破崩坊という男が、金になる話を聞かせてくれると言ったんですよ。とんだ茶番だったが」
「金になる話というと」
「徳川の、稀なる宝というもので」
申岡の答えを聞いた手下の一人が高笑いをする。
「親父、まだあの話を信じているんですか」
「当たり前だろ。あるはずなんだよ。旧幕の御宝がザクザクと」
「親父が坊主に騙された」
居合わせた者たちがどっと笑う。笑い声は、どこか淀んだ狂気を孕み、啓吾は重苦しさを覚えた。ここにいるのは、申岡の側近なのだろう。皆、人を殺めたことがあるらしく、彼らの背後からは、恨めしさを訴える細い声が聞こえている。そこに、欲と暴力の気配に引かれた雑霊が集まり、眩暈がしそうだ。正周の傍にいてこの有様である。
「さあ、酒でも飲んでいらっしゃればよい」
申岡が手を叩くと、芸者上がりといった風情の女が、酒肴の支度を始める。だが正周はぐるりと見回してから、うん、と頷いた。
「これだけ屈強な方々がお揃いならば、問題はございますまいが、破崩坊なる男は、釈放されたとのこと。もうお会いにならない方がよろしいかと存じまして。そのことだけ、お伝えしようと思って参りましたので、早々に失礼を」
「訪ねて来たなら、いっそ招き入れて返り討ちにしてもいいが」
男たちは腕まくりをして「そうだ、そうだ」と沸き立った。
「親父を呪ったかは知らねえが、騙したのは許せねえですねえ」
手下の一人が言いながら、申岡に酌をする。申岡は盃の酒を飲み干すと、それを拭って、ずいと正周に向かって差し出す。
「ささ、若様も一献」
酒を勧めようとするが、正周はいえ、と固辞した。
「御無礼かと存じますが、何分、下戸なものですから。これで失礼いたします。ご無事が分かって良かった。些少ですが、後ほど、お見舞いをお届けします。お酒がよろしいかな」
男たちは、おう、と低い声で応じた。
二人は、中年の女中に見送られて申岡の家を出る。すっかり夜も更けており、人影はない。屋敷の中から宴の声だけが聞こえている。
「啓吾君。とりあえず、今の私たちに出来ることはしたと考えて、これで帰ろう」
啓吾は、はい、と頷いて歩きながら、正周の隣に立った。
「ありがとうございます。今回は、私の我がままに付き合っていただいているので」
「いや、私の望みでもあるんだよ。君と同じで、私も破崩坊に同情しているんだ。ところで、先ほどの申岡氏の話にあった稀なる宝とは何だろう」
「新聞社記者の話によると、隠れ里にあると言われていたもので、旧幕の隠し財産ではないかと。申岡は、それを捜して里を襲ったとか」
だからこそ破崩坊もその言葉を出して申岡をおびき寄せたのだ。すると正周は首を傾げた。
「或いは、本当に稀なる宝を見せるつもりだったのではないかな。つまり、あの三鈷剣と、それに憑いた霊こそが、破崩坊にとって稀なる宝であったとか」
そうなのかもしれない。
その時、ぐわん、という耳鳴りのような音がして、啓吾は不意にその場にしゃがみ込んだ。
「どうした」
正周が案ずるように声を掛ける。啓吾は音のする方をゆっくりと振り返ると、そこにはゆらゆらと黒い陽炎を背負いながら歩いて来る破崩坊の姿があった。
「破崩坊」
破崩坊は申岡の屋敷の前に立ったまま、啓吾と正周を見やると、くくく、と、喉を鳴らすような奇妙な笑いを零す。
「邪魔をなさるな」
「申岡氏の屋敷に入れば、貴方も無傷では済みますまい。死ぬおつもりか」
「邪魔をなさるなと、申し上げた」
その声は、既に人の声音ではなく、怨霊のそれと同じく、幾重もの音が重なっている。
「破崩坊」
再度、呼び止めようとすると、破崩坊はカッと目を見開いて正周を睨み、さながら獣のように咆哮した。
その声は辺りを震わせ、啓吾は耳を塞いで身を縮める。
「若、退いて下さい」
最早、話は通じない。視ると、破崩坊が纏っていた怨霊の数が増しているようだ。連翹寺家の前で視た時、その背に憑いていたのは十人ほどであった。しかし今は、通りすがりの雑霊の類まで、怨霊の念に吸い寄せられて破崩坊の体を覆っている。人の形を留めぬ者も含め、この数時間で、力を増している。
あれに憑かれたら、一巻の終わりだ。
啓吾は一歩も足を踏み出せない。
その時、屋敷の中から、申岡の傍らにいた中年の任侠が顔を出した。そして、啓吾と正周、そして破崩坊を睨む。
「親父が、外が騒々しいって言うんで見に来たら……あんたら、まだいたのか。もしかして、それが親父を呪った破崩坊か」
男は腰に差した脇差に手を添えて舌打ちをする。
「親父を呪うとか、ふざけたことを抜かしてるんじゃねえ」
恫喝するように言いながら、ずいと破崩坊に歩み寄る。すると、破崩坊が思いもかけぬ素早さで男に向かって走り込んだ。
「何だてめえ」
男は恫喝して破崩坊を突き放そうとする。
破崩坊の手には、あの三鈷剣が握られていた。男は刃を向けられたことにカッとなり、破崩坊の手から三鈷剣を奪い、蹴り倒す。破崩坊は、どうと地面に転がった。
「俺に刃を向けるたあ、いい度胸だ」
男は恫喝しながら、破崩坊に刃を向ける。その瞬間、破崩坊は口の端を上げて、にやりと笑った。
「止めろ」
啓吾は思わず叫んだ。が、次の瞬間、破崩坊は男の手を取り、三鈷剣の刃を自らの胸に突き立てた。
啓吾の目には、破崩坊の身の内から、黒い霧が一斉に吹き出し、三鈷剣を伝って男の中へと入り込んでいくのが視える。
全ての黒い霧が入り込むと、男はひと時、ぐったりと項垂れた。しかしすぐに三鈷剣を突き立てられた破崩坊の骸を置いて、ゆらりと立ち上がり、屋敷に入っていく。
正周は、倒れている破崩坊に駆け寄る。啓吾も続くが、既に破崩坊の体は抜け殻のようになっている。
「啓吾君、破崩坊は死んでいる……」
啓吾は真一文字に唇を引き結び、首を横に振る。
「破崩坊は、あの男の中に」
啓吾が屋敷の方を指で差すのとほぼ同時に、屋敷の中から叫び声と怒声が聞こえた。先ほど酒肴を用意した芸者風の女と、中年の女中が叫びながら駆けだして来た。そして、啓吾に駆け寄る。
「助けて下さい。剛造が親父様を」
「申岡さんはどうなったんですか」
「首を、掻き切られて……その上、他の配下の連中が互いに斬り合いを始めて……何が何やら」
恨みを抱えた亡霊にとって、雑念と殺意を抱えた男たちは取り憑きやすいのだろう。悪意は増幅して殺し合いになった。
やがて屋敷から火の手が上がる。
「無量無辺の火焔を出だし、その身を地獄の業火に突き落としてくれようぞ……」
あの時の破崩坊の言葉が現実のものとなった。
「破崩坊、破崩坊」
破崩坊を抱えていた正周が、悲痛な声を上げた。破崩坊の体が、さながら火に焼かれるように、見る間に灰になっていき、刺さっていた三鈷剣がカランと音を立てて転がる。
破崩坊は、自らの身を呪具として、復讐を果たした。そして、魂が憑いた男の身が死んだと共に、身は灰となったのだろう。
燃え盛る火を眺めながら、啓吾は底知れぬ虚しさを感じていた。