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第四話 犬が守る

 

 

 くりあおは「よっ」と手のひらをこちらに向けたあと、そのまま廊下を小走りに駆けていく。

「栗田君、走らない!」

 すかさず、看護師の厳しい声が飛ぶ。

「はいぃぃ」

 おどけた返事を残し、彼の姿は病室に消えていく。

 ひどくそっけない挨拶をされたピーボは、気にした素振りも見せず、「フムフム」と老人のような素振りで二度うなずいて、子供の姿のなくなったプレイルームを見渡した。笠門はピーボのリードを握りながら、緊張を解く。

 警察病院の小児科病棟。時刻は昼十二時丁度で、入院している子供たちは皆、病室に戻り食事をとっている。

 担当看護師長の柴田がやって来た。

「今日はもう終わりでしょう? ジムにでも行くの?」

「ピーボお気に入りのカフェに行って、のんびりしようと思う。この間の放火案件以来、けっこう忙しかったから」

「そうね。ピーボもたまにはゆっくりしなくちゃね」

「栗田蒼君、退院は決まったのか?」

「ええ。来週には」

 栗田蒼は、三か月前に車椅子に乗ってやって来た。大腿骨の骨折だ。回復までには複数回の手術が必要との事だった。彼はうなだれたまま、口も利かず、車椅子を押す母親の手前、必死に涙をこらえていた。翌日から、ピーボが病室を訪ねるようになった。蒼はピーボを抱きしめ、ほかに誰もいないカーテンの中で声を殺して泣いていた。

 手術と入退院、リハビリを繰り返し、蒼は驚くほどのスピードで回復していった。骨を固定するためのボルトを抜く手術を終える頃には、彼を見舞う友人たちが毎日のようにやって来た。蒼はよく笑い、よく喋るようになった。それが本来の彼なのだ。

 ピーボが訪ねていっても、前のように積極的に抱きしめたりはしなくなった。それに合わせて、ピーボも彼と少し距離を取るようになり、病室にいる時間も短くなっていった。

 驚きと希望に満ちた蒼の時間は、笠門が想像もできないほどの速さで流れている。彼にとって、ピーボはもう振り返るだけの存在だ。ピーボを抱きしめて泣いた日は遥か彼方に過ぎ去り、今はもう、手のひらをかざして短く挨拶をする程度の関係になった。彼を心配し回復を願っていたこちらの想いは、もう届かない。

「良かったな、ピーボ」

 笠門の言葉に、ピーボも目を細め、同意してくれた。

 そう、それでいい。子供たちは、我々の事などさっさと忘れてくれればいい。

 柴田も同じ思いのようだった。寂しげに微笑みつつ、エレベーターまでピーボと笠門を見送ってくれた。

 

 職員専用エレベーターで地下駐車場まで下り、専用のバンに乗りこむ。それがいつもの手順だ。ピーボを連れて院内を歩けば、嫌でも目立つ。病院に動物を入れる事に抵抗を覚える者はまだ多く、ファシリティドッグについての認知度も低い。不本意ながらも、人目につかぬよう出入りしているのが現状だった。

「笠門巡査部長」

 地下のエレベーターホールに出た時、聞き覚えのある声で名を呼ばれた。ホールには、小さな休憩コーナーがあり、自販機と数人が座れるベンチが置かれている。丸テーブルの前に松葉杖をついた長身の男が、立っていた。

たき小田おだ? 滝小田か!」

「笠門。それと……ピーボ、ピーボだよな」

 五年前と同じ、爽やかな笑みを見せる。

「鑑識の後、総務部所属になったと聞いてな。どうしているかと思っていたんだが」

 滝小田しげるは笠門と同い年。鑑識時代、何度か現場で顔を合わせた事があった。捜査一課の刑事になる事を目標とする、野心的な男ではあったが、明るくさっぱりとした性格であり、生き馬の目を抜くような刑事畑にあって、ある意味、異色の存在と言えた。

 笠門が異動してピーボのハンドラーとなる頃には、着々と手柄をたて、現在は目黒中央署の刑事課にいる。上司の覚えもよく、捜査一課も遠くはないとのもっぱらの噂だった。

「しかし、その傷、大丈夫なのか」

 大腿部のギプスに加え、病衣の間から覗く脇腹にはまだ包帯が巻かれていた。滝小田は足のギブスをコツンと拳で叩き、笑った。

「足はもう少しかかるが、腹はもう大丈夫だ。好事魔多しと言うが、油断したよ……」

 半月ほど前、目黒中央署刑事課は、管内で起きた暴行事件の捜査を進めていた。新宿のアパートに容疑者の友人がいるとの情報を得た刑事課は、男から話を聞くため、滝小田と後輩刑事の一人を向かわせた。

 ところが、その友人宅には事件の主犯と目される容疑者が潜伏しており、インターホンを鳴らした滝小田に向かいドア越しに発砲。弾は滝小田の脇腹に命中した。それでも滝小田は怯まず、そのまま室内に突入し、銃を所持していた容疑者を現行犯逮捕した。その際、容疑者に蹴られ、大腿骨にヒビが入るという怪我も負っていた。

 滝小田は足をかばいながら、ゆっくりとベンチに座る。

「もっと慎重になるべきだった。ヤツがアパートにいる可能性を考えなかった、オレのミスだ」

「自分を責める必要はないだろう。おまえは立派に職務を果たしたんだ。事件の詳しい内容までは知らないが、少なくとも、オレの所にはおまえの悪評は届いていない」

「そう言ってくれるのは、うれしいんだがな」

 いつも快活な滝小田の顔に影が広がった。気持ちの揺れをいち早く感じ取ったのか、ピーボは、どこか不安そうな様子で彼を見上げている。

 それに気づいた滝小田は、白い歯を見せ、ピーボの頭をそっとなでた。

「すごいな。おまえ、オレの気持ちが判るのか」

「洞察力に関しては、オレなんて足元にも及ばない。すごいよ、ピーボは」

「名犬か。あくまでも噂としてだが、評判は聞いている」

 その口ぶりから、彼が笠門たちの任務をある程度知っている事がうかがえた。警察関係者にも基本内密の任務だが、滝小田は交友関係が広い。そうした情報を拾う術にも長けているのだろう。人脈と情報。滝小田がいつも口にしている事だ。

「それで」

 笠門もベンチに座る。

「こんな所でオレを待ち伏せて、用件は何だ?」

「しばらく会わないうちに、刑事みたいな物言いをするようになったな」

「ピーボのおかげだ。一緒にいると、どうしたわけか色々な事件に関わる事になる」

「鑑識を辞めて正解だったんじゃないか? おまえには、今の方が向いている気がする」

「オレに会いたいだけなら、メール一本寄越せばいい。勤務終了後に病室まで出向いただろう。それをしなかったのは、人には聞かれたくない何かがあるって事だ」

「病室ってのは、プライバシーなんてあってないようなものだ。それに、オレには監視が付いている可能性もある」

「穏やかじゃないな。所轄の刑事を監視だと?」

 滝小田は周囲を見渡し、人気のない事を確認した後、低い声で言った。

「ここはちょっとした穴場でな。聞かれたくない話はいつもここでする」

「カメラはあるだろう?」

 天井には最新式の防犯カメラが設置され、赤いセンサーがじっとこちらを見つめている。

「友人と旧交を温めあっていた。映像だけなら、何とでもなる」

「なら、そろそろ本題に入ってくれ。ピーボを早く休ませてやりたい。それに、ここは排気ガスの臭いが酷くて……」

「内偵している殺人犯がいるんだ」

「何?」

「オレが個人的に動いている案件だ」

「個人的だと? そんな事がバレたら、おまえクビたぞ」

「それでも、やるだけの価値、いや、やらなければならない義務があるんだ」

 滝小田からは、切羽詰まった焦りの色が感じられる。

「それで、その殺人犯というのは、誰なんだ?」

大月おおつきまなぶ。目黒中央署の刑事課長。オレの上司だよ」

 

 

「しかし、大丈夫なんですかねぇ」

 チョコクッキーをくわえながら、五十嵐いずみは言った。心配そうな口ぶりではあるが、目は好奇に満ちている。知り合って日は浅いが、彼女の性格が少しずつ掴めてきたような気がする。

「警察内部の話だからな。ある程度はっきりした事が判らないと、須脇警視正にも報告できない」

 そう言いながら、笠門は五十嵐が作ってくれた即席の資料をタブレット端末に落としこむ。五十嵐は五十嵐で、愛用の古びたパソコン「ポルタ」を愛おしげに見やりつつ、ネコのような抜け目のない笑みを浮かべた。

「警視正、今ごろはもう気づいていると思いますよ。異様に勘の鋭い人だから」

「そのパソコンに何か仕こまれていて、情報が筒抜け――なんてことはないか?」

「ポルタに限って、そんな事はないです。絶対です」

 シュィィィィィン。妙な音を発し、スリープ状態であったPCの画面が、不気味に光り始める。

「何だか気味が悪いな、そいつ」

「慣れれば、どうってことないですよ。では、私は仕事に戻ります。あ、そこにいて構いませんよ。別に気になりませんから」

 キーを打つ軽快な音が響き始めた。

 警視庁地下三階にある資料編纂室。部屋には相変わらず、捜査資料入りの段ボールが山脈をなしている。前に来た時は五十嵐の座席周りにまで箱が押し寄せていたが、今は多少、改善されているようだ。

 薄暗く、ほこりっぽい。何とも酷い職場だと最初のうちこそ思っていたが、慣れてくれば、案外、居心地がいい。

 端末の画面に表示されているのは、滝小田が訴えてきた事件に関する資料だ。

 二〇日ほど前、目黒川をのぞむマンションで、住人のとうけん、三十七歳の遺体が見つかった。

「阿刀の死因は後頭部に加えられた打撃。リビングにあったテーブルの角に彼の血がついていた……」

 一人つぶやいていると、五十嵐が椅子を回し、笠門の方を向いた。

「多量のアルコール摂取が認められたため、酔った阿刀氏が足を滑らせ、テーブルに後頭部を打ちつけて亡くなった。事故と判断され、捜査は終了しています。ただ、所轄刑事課の中には、他殺を唱える者もいたようです」

「その理由は?」

 五十嵐の頭には、捜査情報がほぼ入っているようだった。

「被害者の携帯は手元にあったのですが、少し離れたところにある充電器のジャックに血がついていたんです」

「阿刀の血液か?」

「はい。阿刀は帰宅前に自宅近所のバーに寄っていました。そこで携帯の電源が切れたとぼやいていたそうです」

「なるほど……」

 笠門は与えられた情報を懸命に頭の中で組み立てる。

「状況はいろいろと考えられるが、いずれにせよ、被害者が殺害された後、何者かが返り血のついた手で充電器に触れた可能性があるわけだ」

「被害者の携帯を開こうとしたんでしょう。ところが充電が切れている。仕方なくいったん充電器に接続し、わずかに充電されたところで、それを被害者のもとへ持っていった」

「指紋認証で開くためだ」

「ええ。死亡直後なら認証可能と言われていますから」

「携帯を開いた犯人は目的を達し、遺体の手元に携帯を置いて逃げ去った……か」

「ただ、不審な点というと、その程度です。外部からの侵入の痕跡はなく、室内に争った痕跡もない」

「一方で、阿刀氏に恨みを持つ者は多い。過去に問題あり、だからな」

 タブレット画面をスクロールすると、また別の事件資料がまとめられていた。

「死んだ阿刀は、あの多頭飼育に絡む暴行事件に関わっていたわけだ」

「多頭飼育事件については、実は黒幕だったって説が有力です」

 数年前、神奈川県丹沢山近郊で、劣悪な環境下で多数の犬が飼育されているとの通報があった。多くの犬に子犬を産ませ、ペットショップ等に売る。当時のペットブームに乗って、反社組織の構成員も含め、多数の人間が周辺の生活環境への損害や違法な売買で検挙された。

 当時の阿刀の肩書きは経営コンサルタントという怪しいもので、子犬の飼育販売など、いわゆるグレーゾーンギリギリとされる商売のブレーン的な役割を果たしていたと思われる。

 丹沢の飼育現場では、報道を見た動物愛護団体などが押し寄せ、抗議が過熱。ついには暴力沙汰に発展し、双方から複数の逮捕者をだした。飼育施設はその後解体され、保護された犬たちは、全頭、複数の施設に引き取られたと聞いている。

 一方で、捜査の手は阿刀にまで伸びたものの、結局、彼は検挙を免れ、今に至るまで、目黒の自宅で悠々自適の生活を送っていた。

 多頭飼育に絡む暴行事件において、阿刀の住居が目黒であったため、目黒中央署の刑事課も捜査に関わる事となった。その際、滝小田も応援として駆りだされている。

 ふと顔を上げると、五十嵐がじっとこちらを見ていた。

「誰からの依頼なのかはあえてききませんけど、やっぱり、須脇警視正にだけは一言、言っておいた方がいいと思います」

 笠門とピーボのやり方を熟知している彼女が、これだけ念を押すのだ。何か思うところがあるのかもしれない。

「判った。だがその前にいくつか、確認したい事があるんだ。それが済んだら、警視正に言うよ」

 五十嵐の表情にはいまだ不安が色濃く残っていたが、すぐに、いつものからりとした微笑みを浮かべた。

「まあ、それほど心配はしていないんですけど。巡査部長には、ピーボがいますからね」

 何とも複雑な気分だが、ピーボのおかげで自身の警察官人生が何とか保たれているのも事実だ。そんなこちらの気持ちを知ってか知らずか、五十嵐はあっけらかんと言い放つ。

「いざとなったら、ピーボが守ってくれますよ」

 

 

 ペットショップ「LAW OF THE JUNGLE」は思っていたよりも遥かに広かった。小規模スーパーくらいはあるだろう。駐車場完備で店内は明るく、今も家族連れを中心に多くの客が行き交っている。店員たちの表情も明るく、小動物に目を輝かせる子供たちに、飼い方などのレクチャーを行っていた。小鳥、うさぎ、熱帯魚、は虫類まで、コーナーごとにそれぞれがまとめて展示されている。

「あの、お客様」

 店のロゴ入りエプロンをつけた男性店員が、足早に近づいてきた。

「店の前にいるゴールデンレトリバーは、お客様の?」

 笠門はうなずいた。

「ええ。色々な動物がいるし、連れて入ったらまずいかと思って」

「もしよろしければ、我々スタッフが見させていただきますが」

「見てくれるの?」

「はい。奥にスペースがありまして、そこでしっかりとお世話させていただきます」

「そういえば……」

 笠門は店内を見回す。

「こちらの店、犬と猫がいないね」

 同じ質問を何度も受けているのだろう。

「はい。オーナーの意向で、犬と猫の販売は見合わせているのです」

「それは、多頭飼育事件が関係しているのかな」

 笠門はそっと身分証を見せた。

「オーナーと話がしたいんだ。それと、表にいるのは、ピーボ。オレの相棒なんだ。できれば、同席させてやりたいんだけど」

 店員は目をぱちくりさせながら、首をせいいっぱい伸ばして、こちらをうかがっているピーボを見た。

 

 店裏の従業員通路を抜けた先に、オーナーの部屋があった。狭いスペースにフードやケージの箱が積まれ、部屋というよりは物置小屋という雰囲気だ。

 資料編纂室を思いださせる雑多なスペースの真ん中で、店のオーナー、西村知将にしむらともまさは優しく微笑んでいた。日焼けしてがっしりとした体付きだが、その笑みは慈愛に満ちている。ピーボもひと目で彼に気を許したようだ。鼻先を上げ、興味深げに周囲の段ボールを見上げている。

「これは素晴らしい」

 一方の西村も、笠門には目もくれずひざまずいてピーボと目を合わせる。それだけで、意思の疎通はかなうらしい。西村が力強くうなずくと同時に、ピーボもまたブルンと身を震わせた。

「警察の方と聞きましたが、この犬……」

「ピーボです」

「ピーボは……警察犬……いや違うな。猟犬でもない」

 怪訝な表情の西村に対し、笠門はいつもの説明を行った。西村もファシリティドッグについては知っているようで、すぐに得心した様子だ。

「なるほど、警察病院の。しかし、病院勤務の方がなぜ?」

「警察というのは、人使い、いや、犬使いも荒いところでしてね。通常勤務が終われば、捜査の手伝いもさせられるってわけです」

 でまかせではあるが、それなりの説得力はあったのだろう。ピーボから離れた西村の目には、既に警戒の色が浮かんでいた。

「ということは、例の多頭飼育事件の事で、また何か?」

「あなたは、動物愛護団体『アニマルガード』の主催者でもある。飼育場を巡っては、管理者たちとかなり激しくやり合ったようですね」

「当然でしょう。あなたも犬を相棒とするからには、理解できるはずだ。あの現場の凄惨さと言ったら……」

「犬たちが虐待を受けていた事も、四十頭近くの犬が無残な死を遂げた事も知っています。ですが、それと暴力はまた別問題だ。あなた方は、管理地にいた者、数人に暴力を振るい、怪我を負わせている」

「それはこちらとて同じです。相手は特殊警棒などで武装し、私の仲間は腕の骨を折る大けがを負った」

「相手側も二人ほど病院送りになっていますがね」

「その件については、刑事、民事ともにケリがついている」

「あなたがたは不起訴、民事では和解が成立した。管理をしていた者たちも、ごくごく軽いものではあるが、刑事罰も受けた。しかし、黒幕と思しき何人かは、表に出る事もなく逃げ延びた」

 西村は深いため息をついた。

「やはりそれですか。阿刀の事なら、私は、いや、我々は何も知らない。ヤツが黒幕であるという情報は得ていましたよ。でもだからといって、殺したりしません」

 そう言った西村は、「なっ」とピーボに同意を求めた。それに対し、まったくリアクションしないピーボもさすがだ。

「阿刀さんと最近、会った事は?」

「ありません。会いたいと思った事もない。まあ、噂くらいは聞いてますけどね。相変わらず、羽振りの良い暮らしをしていて、あろうことか、犬を飼っているとか」

「ラブラドールレトリバーだと聞いています」

「我々への当てつけのつもりかな。ところで、彼が亡くなった後、そのラブラドールレトリバーはどうなりました?」

「警視庁の総務部総務課に、最近、事件に関係した動物を保護する部署ができましてね。ただ、そこが手いっぱいで、引き取る事ができなかったのです。現在は目黒のボランティア団体が面倒を見ているようですが」

 西村は口元を引き締め、湧き上がる怒りを懸命に飲みこんでいるようだった。

「ボランティア団体の連絡先を教えて欲しい。うちで引き取らせてもらう」

「判りました」

「阿刀の死についてはどうなっています? まだ結論はでないのですか?」

「捜査上の事は、お答えできんのです。申し訳ない」

「やれやれ」

「何か進展があれば、お知らせします」

「頼みます。じゃあな、ピーボ」

 西村はピーボにだけ笑顔を見せ、手を振った。尻尾を小さく二度振ると、ピーボは名残惜しげに、西村から視線を外す。

 この男を随分と気に入ったようだ。

「さあ、行くぞ、ピーボ」

 リードに力を入れると、ようやく笠門の方に体を向ける。こちらの思いを先回りして動くピーボにしては、珍しい事だった。

 帰り際、店の中をのぞくと、客は皆、温かく微笑みながら、動物たちと接していた。

「ここはいい場所だな」

 ピーボは目を細めて、フフンと鼻を上げた。

 

 

(つづく)