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 鍬田有紀の住まいは、大田区北千束にある古びたマンションだった。築三十年以上たっているだろうか。七階建てで、彼女の住まいは二階である。リフォームや外壁の塗り直しなどとは無縁のようで、住宅街の外れに聳えている事もあり、どうしても廃れた印象を受けてしまう。外廊下の手すりにも錆が浮いていて、住人の往来も多くはない。部屋も半分ほどは空いているようだ。

 現在、警察が掴んでいる鍬田有紀の情報は、さほど多くはなかった。父を殺され、犯人と思われる夫は逃亡。離婚手続をして、今は派遣社員として品川にある大手機器メーカーで働いている。

 当初は苗場が有紀を頼り、連絡を取るのではないか、戻ってくるのではないかと、捜査員の目が光っていたが、手応えのない日々が続き、今では監視対象からも外れている。

「というか、捜査自体、やってないんだよな。自分たちの汚点をほじくりかえすだけだし」

 笠門は広々とした後部シートに座るピーボに向かって、つぶやいた。

 後部シートを倒し荷室とすることで、ピーボ用のケージも積むことができる、バン。笠門の、いや、ピーボ専用車として、使用が許されているものだった。その車はいま、有紀の済むマンション向かいにある、コインパーキングに停まっている。工場の跡地らしく、かなりの広さがあった。

「さて、どうしたものかな」

 有紀に直接会い、苗場について尋ねる事もできた。だが、もし苗場が本当に帰国しており、有紀との接触の機会をうかがっていたとしたら……。

 警察官である笠門が、不用意に彼女に接触する事は、控えた方が良いのではないか。

 もっとも、警察官には見えないだろうがな。

 運転席で腕を組み、有紀の居室である二階を見上げる。とりあえず現地までやって来たものの、どうして良いか判断がつかない。

 今日は土曜日で、会社は休み。有紀は自室にいるはずだった。

 笠門は刑事ではない。鑑識として働いた経験はあるが、捜査に関しては素人同然なのだ。

 捜査一課の浦幕に連絡しようかとも考えたが、止めた。名前をだすだけで睨まれると言われる、苗場絡みの事件だ。そんなものに関わっている事が知れたら、何を言われるか判ったものではない。笠門に捜査を命じた須脇も、そのあたりの事を慮っているのだろう。確証が掴めるまで、苗場の名を他に漏らしたくはないのだ。

「だからといってなぁ……」

 朝からピーボ相手につぶやいてばかりいる。そしてピーボは何も答えてはくれない。暖かな車内で、気持ち良さそうに目を半分閉じている。

 二階にあるドアの一つが開き、パーカーを着た女性が姿を見せた。

 鍬田有紀だった。メガネをかけ、マスクをしているが、間違いなかった。ビニールのエコバッグをさげ、階段を下りてくる。

「ひとまず、様子見といこうか」

 笠門は車を降りると、スライドドアを開き、ピーボを外にだした。開放感からぐっと体をそらし、わずかの間、空を見つめている。今日も絶好調の様子だ。

 リードを手にゆっくりと歩きだす。目的のある尾行ではないので、充分に距離をとり、それとなく周囲の人間にも目を凝らす。

 苗場がどこからか、彼女を見ているかもしれない。

 信号を右に曲がり直進すると、前方にスーパーが見えてきた。「ミクラス」という、都内でもよく見かけるチェーンスーパーだ。

 住宅街ということで駐車場のスペースはあまりないが、店は広く、土曜日ということもあって、なかなかの人出だった。

 有紀はふらふらと吸いこまれるように、中へと入っていく。

 それを見ていたピーボが、ふいに頭を上げる。笠門を見上げながら、ペロリと舌で鼻先をなめた。

「どうしたピーボ?」

 笠門も初めて見る反応だった。だが当のピーボは何事もなかったように、背筋を伸ばし座っている。慣れぬ場所での人混みで、戸惑ったのかもしれないな。

 店の入り口は左右に二つあり、その周りには園芸用品や、日用品のワゴンセールなどが行われていて、大賑わいをみせていた。

 笠門は入口脇でいったん足を止めた。このままピーボと共に店内に入るのは、あまりにも目立ちすぎる。おそらく一般のペットは入店禁止だろうし、たとえ許可されたとしても、犬連れで店内をウロウロしていては、有紀の目にも留まるだろう。

 ドア越しに中をのぞくと、彼女はカゴも持たず、棚に並ぶ食料品を物色していた。

 足元のピーボがまた顔を上げた。褐色の目を入り口に近づいてくる初老の男性に向けている。薄手のセーターをはおった、穏やかそうな男性だ。口の大きく開いたトートバッグを手に、そそくさと店内に消えていく。ピーボは口の間から歯をのぞかせ、まるで男性の名残を惜しむようにじっとその背中を追っている。そして最後に、ペロリと舌で鼻先をなめた。

「ピーボ、どうしたんだ?」

 笠門はピーボの横にしゃがみいま一度、たずねてみる。ピーボはなおもガラス扉を見つめていたが、やがて視線を外し、ピシリとしたいつもの姿勢で座った。ピーボの真意が判らないため、しばらく様子を見るしかない。

 その後も、老若男女が笠門たちの前を通り過ぎていったが、ピーボは彼らに短く目を向けるだけで、目立った反応は示さなかった。

 見れば有紀がこちらに向かって歩いてきていた。菓子パンを買ったようで、小さなレジ袋を提げている。気づかれないよう、ピーボと共に出入口から離れ、園芸用植木鉢の置かれた棚に身を隠す。

 続いてドアが開き、初老の男性が姿を見せた。さっきと同じく穏やかな顔付きではあるが、どこか雰囲気に険がある。ドアを出たとたん、左右を素早く見回し、トートバッグを抱えるようにして、早足で進み始めた。

 彼の後ろから、若い長身の男性が現れた。長い足で初老の男を追うと、肩に手をかけ何事かささやいている。

 大きく膨らんだトートバッグが宙に飛んだ。初老の男が、相手に向かって投げつけたのだ。そのまま、表通りに向かって走り始める。バッグを投げつけられた若い男は、中から飛びだしたビールの缶が顔に当たったようで、地面に倒れこんでしまった。

 笠門はゆっくりと落ち着いた口調を心がけながら、ピーボに「ステイ」と指示し、逃げた男の後を追い始めた。警察官として、この場を見過ごす事はできなかった。

 逃げた男には、すぐ追いつく事ができた。普段から運動もしていないのだろう。懸命に走ってはみても、スピードは出ず、既に息が上がっていた。

 五十メートルほどで追いつき、前方に回る。突きだされた警察の身分証を見て、男はその場にへたりこんだ。

 若い男はビール缶の当たった額を押さえながら、すぐにやって来た。出血などはしていないようだった。

「すみません、ご協力ありがとうございます」

 険しい表情で男を睨みながら、頭を下げた。笠門は彼が首から下げた身分証を確認する。そこには、「保安員」の三文字があった。

 

「万引きとはね。あの男が」

 スーパーの従業員専用の搬入通路で、笠門は保安員、塚本竜つかもとたつと向き合っていた。

 万引き犯とされる男は、店長室で警察の到着を待っている。店長は三十代前半と若く、配属されてまだ三ヶ月足らずらしい。星芦圭ほしあしけいと名前が記された真新しい名刺は、笠門のポケットに収まっていた。

 塚本は笠門の脇にきちんと座るピーボに目を落としながら言った。

「初犯であるのは、本当みたいですね。食料品を買う金に困り、手当たり次第に詰めこんで逃げようとした。保安員の存在も知らなかったみたいだから」

 実際、男の所持金は四百円足らずで、クレジットカードの類いも持っていなかった。

 腹が減って仕方なくと泣く男の横で、店長は警察に電話をかけ、淡々と事情を説明した。

「考えている事は判りますよ」

 塚本は陰のある笑い方をした。

「その程度の事で、警察に連絡するんじゃないって、言いたいんでしょ。でも、万引きの全件通報を通達したのは、オタクらなんだから」

 警察庁が二〇二一年に、万引き事案の全件通報を通達したのは事実だった。だが笠門は、万引きなどの窃盗事案に関係した経験はない。怪訝そうな顔をしていると、塚本は舌打ちをしながら苦笑した。

「管轄が違うから判らないってことか。ま、今に判りますよ。俺はちょっと、これやってきます」

 タバコを吸う仕草をすると、塚本は薄暗い通路を歩き去った。

 彼はこのスーパーからの依頼で、警備会社から派遣された、万引き対策のための保安員であるという。

「万引きGメンってヤツか。テレビで何度か見たな」

 ピーボ相手に喋っていると、せわしない靴音が近づいてきた。制服警官が二名、通路にやって来る。先を行く小太りの男がピーボに気づき、「へっ?」と声をあげた。

「見ろよ、犬だ」

「ホントだ。かわいいですね」

 後ろに続く若いがやはり小太りの警官が、頬を緩め、ピーボに手を振った。一方、その横に立つ笠門には、二人とも厳しい視線を向けてきた。

「で、あなたは?」

 笠門は身分証を提示する。警官二人は、総務部総務課という所属に首を傾げつつ、それぞれ、とう巡査、なか巡査であると名前、階級を口にした。近くにある駅前交番勤務である。犯人逮捕に協力したわけであるから、礼の一つでも言われるだろうと待っていたが、返ってきたのは、うんざり顔でつぶやく伊藤のため息だった。

「しかし、本庁の方がどうしてこんなところに? 状況はこれから聞かせていただきますが、けっこう時間かかりますよ」

「それは構いませんが……」

「やあ、どうも」

 一服を終えた塚本が戻ってきた。伊藤が顔を顰め、ぞんざいな口調で言葉をぶつけた。

「まったく、今日、二人目。もういい加減にして欲しいんだけど」

 これには、笠門も呆気にとられた。窃盗犯を見つけた人間に対し、礼どころか文句を言うなんて。

 塚本は苦笑しながら、笠門を見た。

「ね? 全件通報たって、現場はこの通り、パンクしてるんですよ。たとえ百円でも窃盗は窃盗ですから、聴取して報告書をあげなきゃならない。自転車泥棒から喧嘩まで、警察官の仕事は山積みなのに――。彼らに代わって言ってあげました」

 おどけてみせた塚本は、そのまま店長室へと向かって行った。伊藤は鬱陶しげにその背中を見送りつつ、あらためて笠門に言った。

「聞いた通りですよ。そりゃ、盗みは盗みですけど、少しはこっちの事も考えてもらわないと。とにかく、身柄確保の状況を聞きますので、一緒に来ていただけますか」

 笠門はピーボを伴い二人の後についた。

 結局、解放されたのは、二時間後。慌てて有紀のマンション前に戻ったが、彼女がその日、顔を見せる事はなかった。

 

 

「いいねぇ、ピーボはかわいいねぇ」

 金色の毛をさわりまくる五十嵐いずみに対し、ピーボは嫌がる素振りも見せず、「大人の対応」をしている。

 日曜日の「ミクラス」は昨日以上の人気だった。日曜特価という催しをやっているせいもあるだろうが、地域の嗜好を知り尽くした、地元密着型スーパーの強みもあるに違いない。

「日曜なのに、かりだしてすまなかったな」

 笠門の言葉に、五十嵐は明るく笑う。

「何度も謝らないで下さいよ。ちゃんと休日出勤と認めてもらいましたし、明日は代休とりますから」

「なら、いいんだが」

「それより、ここでピーボと一緒にいる、ただそれだけでいいんですか? こんな仕事なら毎日でも引き受けちゃいますよ」

「ああ、ちょっと確認したい事があるんだ。オレがここを離れたとき、ピーボを見ていて欲しい」

「了解です。それはそうと、鍬田有紀の方は、大丈夫なんですか?」

「ああ。午前中、近所を聞きこんでみたんだが、土日の休み、彼女はほとんど自室にこもっているらしい。そして日用品の買いだしには、もっぱらここを使っているそうだ」

「では、ここで待っていれば、いずれ彼女は現れる?」

「そういう事だ」

「ですが、このスーパーに……」

 笠門は五十嵐の言葉を止めた。ピーボが客の一人に反応したからだ。今日は若い男性客だった。赤色のキャップをかぶり、薄い紺色のジャンパーをはおっている。うつむき加減のまま、早足で店内へと消えた。

 ピーボはその姿をじっと見つめ、そわそわと落ち着きのない仕草をみせる。そして、舌をだして鼻先をペロリとなめた。

 同じだ。昨日、万引き犯が店に入るとき、ピーボは同じような仕草をした。

「頼む」

 笠門は店に入り、若い男の後を追う。かなりの人がいたが、目立つキャップのおかげで、尾行は簡単だった。

 男は生鮮食品売り場を抜け、鮮魚、肉とスーパーの外周に沿って早足で移動、特に人の多い惣菜、弁当コーナーで、向きを変え、菓子の並ぶ棚へと近づいていった。菓子類の棚は三列に分かれており、スナック類、チョコ、グミ、飴などが種類別に整然と並んでいる。男はスナック類には目もくれず、グミやガムなどが並ぶ棚の前へと進む。何気ない風を装いながら、ちらちらと周囲をうかがう様子が見て取れた。

 やるな。

 そう感じたとき、男はガムを二つ取り、それらを袖の中に素早く入れた。その手をポケットに突っこむ。手をだした時、袖の膨らみは消えていた。盗ったガムをポケットに入れたのだ。

 男は棚の前をまだ動かない。もっと盗もうか、迷っているようだ。棚の陰から身を乗りだそうとした瞬間、肩を手荒く叩かれた。中年の地味な風貌の男が、笠門の耳に囁いた。

「あんた、何もんだ?」

 男の手には「保安員」と書かれたカードがある。その間も、男の視線は菓子棚前にいる男から離れない。笠門は身分証をだし、男に見せた。すぐに舌打ちが返ってくる。

「何だか知らないが、邪魔しないでくれ。気取られる」

「すまない。昨日の保安員は休みか?」

「派遣される保安員は変わるんだ。常習に顔を覚えられるだろう」

「そうか……。で、あいつ、ガムを二個、ポケットに……」

「判ってるよ。とっくにお見通しだ。後は任せてくれ」

 赤いキャップが棚の前から動き、レジへと繋がる人混みの中へと紛れる。保安員の男は、名前を尋ねる暇もなく、するりと笠門の前を離れ、後を追っていった。

 商品をポケットに入れただけでは、まだ声かけはできない。これからレジで代金を払うつもりだった等、いくらでも言い訳ができるからだ。

 商品の支払いをせず、店の外に出た事を確認した後で、保安員は万引き犯に声をかける。

 保安員に言われた通り、笠門はすぐにその場を離れ、ピーボと五十嵐のもとへと戻った。

 笠門の姿を見て、ピーボの瞳が輝いた。五十嵐は少し不満そうだ。

「やっぱり、笠門巡査部長がいいんですね、ピーボは」

 ピーボの頭を軽くなで、申し訳ないと目で詫びる。五十嵐は苦笑しつつ、うなずいた。

「それで? 何か収穫はあったんですか?」

「あったとも。ピーボは万引き犯を見分ける事ができるのかもしれない」

 

「ピーボは人の感情を読み取るのが上手い。普通に買い物に来る人々の行動や表情と、万引き目的でやってきた者との微妙な差異を感じ取っているのかもしれない」

 五十嵐はいぶかしげな表情を浮かべつつも、反論はしてこなかった。

「まあ、昨日と今日、事例が二件だけでは説得力もないけどな。ただ、これだけはどうしても気になるんだ。昨日、ピーボは鍬田有紀に対しても、似たような仕草をしたんだ」

「それはつまり、彼女もまた、このスーパーで万引きを?」

「彼女に逮捕歴はないんだよな」

「交通違反一つ、ありません」

「いずれにしても、真偽を確かめてみたい」

「それはいいですけれど、苗場颯太を見つける事に繋がるんですか?」

「判らない。ただ、現状、ほかに打つ手がないんだ」

「やれやれ。大丈夫なの? あなたのパートナーは」

 五十嵐がピーボに話しかける。ピーボは顎に力をこめ、ややきつい表情で五十嵐を睨んだ。

「怒られちゃった。さすがパートナー。信頼で結ばれているんですね。ごめんね」

 判ればいいんだとばかり、ピーボはまたスーパーを出入りする人々に視線を戻す。

 五十嵐とピーボ。こちらもけっこう相性がいいみたいだ。

 そんな事を思う笠門の目に、道をやって来る有紀の姿が目に入った。ピーボの脇にしゃがみ、五十嵐に言った。

「有紀だ」

 昨日と同じパーカーを着て、顔は俯き加減、背を丸めて人の目をはばかるように、身を縮めながら、「ミクラス」の前へとやって来る。

 ピーボは彼女に視線を据えたまま、どこか悲しげな面持ちで、舌をだして鼻先をペロリとなめる。五十嵐もはっとした様子で、食い入るように有紀の様子を見つめていた。

 そんな視線を感じたのか、ふいに有紀は笠門たちの方に視線を向けた。笠門が五十嵐に下がるよう指示し、ピーボ共々、ワゴンの陰に隠れるのとほぼ同時だった。

 有紀はその場に留まり、入店を迷っている。その気配を感じながら、笠門は彼女の動きを見守った。

 やがて有紀は、何かに誘われるかのように、ふらふらとした足取りで店内に消えた。

「頼む」と五十嵐に言い残し、笠門は後を追う。有紀は警戒を深めた様子で、しきりと周りを気にしている。

 笠門は昨日より相手と距離を取りつつ、慎重に有紀を追う。その途中、保安員の姿を探した。彼はあの後、赤キャップの男を捕らえたに違いない。騒ぎが起きた様子もないので、そのまま店長室に連れて行かれたのだろう。だがまだ、警察は来ていない。

 目の端を保安員が横切った。有紀とは反対側の方向に移動している。目線を左右に向けているので、万引き犯を探しているだけで、目をつけた誰かがいるわけではないようだ。

 笠門は彼に近づき、声をかけた。保安員はギョッとして笠門を睨みつけた。

「あんた、まだいたのか?」

「さっきの男はどうなった」

「店長室にいる。警察呼んだんだけど、まだ来ないんだよ。日曜で忙しいみたいでさ。こっちは後回し。無駄に座ってても仕方ないから、巡回してるってわけさ」

「あんたの仕事を邪魔する気はないんだが、要注意人物を見つけた」

 相手は気のない様子で、笠門の示した方を見た。有紀は菓子パン売り場に近づき、棚の前をうろうろしている。何とも不自然な挙動だ。

「あの女……」

 保安員がつぶやく。

「知ってるのか?」

「あの女はいい」

「え?」

 有紀が素早い手つきで、パンを一つ、ポケットにねじこんだ。

「おい、いま、パンをポケットに……」

「いいんだ!」

 保安員の声は怒気を帯びていた。

「警官だからって、いちいち口だしすんじゃねえよ。捕まえたら捕まえたで、文句しか言わねえくせに」

 昨日の小太り警官コンビとのやりとりがよみがえる。

 有紀は棚の前を離れ、足早に出口へと向かっている。保安員はその場を動こうとはせず、既に別のターゲットを探していた。

「すまないが、教えてくれ。どうして、あの女は捕まえないんだ?」

 保安員は口の端を歪める。

「店長から言われてるんだ。あいつはダミーだって」

「ダミー?」

「警備会社が、保安員の精度をチェックするため、送りこんでくるらしい。品物を盗んだようにみえて、実は、棚に戻したり、別の棚に置いたりする。それに気づかず外で声かけをしたら、アウト。商品はどこからも出て来ない。保安員としての評価が下がるって案配さ。陰険な事、するだろう?」

「だが、店長はダミーの正体を君らに教えている?」

「こっちの気持ちを多少なりとも判ってくれてんじゃないの? こっちは毎日、戦場にいるようなもんなんだ。こんな抜き打ちチェックなんてされるいわれはねえだろ?」

「たしかに……な」

「もう勘弁してくれ。次行くから」

 突き放すように言うと、保安員は笠門のもとを離れ、客の中へと消えていった。

「ダミーねぇ」

 笠門はその場で須脇に連絡を取り、保安員を派遣している警備会社に連絡をしてもらった。

 

 

(つづく)