最初から読む

 

 

 ペット霊園「レボール」は都営新宿線の篠崎駅から車で十分ほどのところ、江戸川の河川敷近くにあった。住宅街が途切れ、工務店などが並ぶブロックの外れに、公民館を思わせる灰色のビルがひっそりと建っている。よく見ると、正面入り口の上に小さく「ペット霊園レボール」の文字があった。

 駐車場に車の姿はなく、ひっそりと静まりかえっている。

 車を降りた笠門はピーボとともに、足を止める。ペット霊園にピーボを連れて行くのは、躊躇ためらわれる。しかし、ピーボを置いて、車を離れるわけにもいかなかった。

 前もって調べたところでは、ビルの中にはペット専用の斎場があり、火葬を行う施設も完備しているようだった。祭壇や墓のようなものはなく、あくまでペットを火葬し、弔うための施設のようだった。

 火葬後は遺灰が飼い主に引き渡されるが、その際に、遺灰をブレスレットやリング、ペンダントにするサービスも行っている。

 どうしたものかと躊躇っていると、その姿を不審に思ったのか、中から女性が一人、怪訝な眼差しを向けながら出てきた。

「あのぅ、何か?」

 笠門はこの機会を逃すまじと、身分証をだした。

 

「そうですか。たしかにこんなかわいいワンちゃんを連れて、入りにくいですよね」

 江戸川の河川敷をのぞむ小さな喫茶店で、笠門は女性と向き合っていた。テーブルに置いた名刺には、「株式会社レボール代表取締役司久名里しぐなりおん」とある。三十代半ばくらいだろうか、豊かな黒髪と控えめな笑顔が印象的な女性だった。

 彼女は目を細め、じっとピーボを見つめている。

「子供の頃からヨウムを飼っていたんです。ピーちゃんて名前をつけて、かわいがっていたんですけど、中学の時に死んでしまいまして。そのとき、ちゃんと弔ってあげることができなくて……それで、今の事業を始めたんです」

「ペットは家族ですからね」

「地味な外観で驚かれたかもしれませんけれど、まだまだ難しい事も多くて」

 ふっと陰った表情に疲労がのぞき、経営の厳しさが見て取れた。

「それで、警察の方が……えっとその前に、一つだけお尋ねしてもいいですか?」

「もちろん」

「ピーボは警察犬ではないんですよね」

「はい。ファシリティドッグといいまして、病院のスタッフとして働いています」

「聞いたことがあります。子供や重症な患者さんたちが、犬とふれ合う事で元気になったり、回復したり──」

「はい。それがファシリティドッグです」

 司久名の表情がぱっと華やいだ。

「素敵なお仕事ですね。そっか、ピーボもがんばってるんだね」

 ピーボは笠門の傍を離れると、彼女の足元に行き、ペタンと床に伏せた。

「かわいい」

 金色の毛をそっと撫でながら、司久名は何かを思いきるかのように決然とした表情で自分の手元を見ていた。

 笠門は口を挟まず、コーヒーをそっと口に運ぶ。今は、ピーボの領分だ。

 やがて、彼女の指が止まる。恥ずかしげに顔を上げ、ホッと肩の力を抜いた。

「すみません。私が勝手に癒やされちゃって」

「いえ。それも我々の仕事ですから」

「どうしてファシリティドッグが警察の方と一緒にいるのか──とか、きいちゃいけないんですよね」

 笠門は苦笑する。

「まあ、できれば」

「判りました。それで、お尋ねになりたい事というのは?」

「そちらの施設を利用したと思われる人物についてなんです」

 笠門は火災現場の写真を携帯画面に表示する。

「この男性をご存じないかと思いまして」

 司久名はじっと画面を見つめていたが、すぐに男のはめたブレスレットに気づいたようだった。

「これ、うちでお作りしたものです。ジロー、そうラブラドールレトリバーのジローです。ペアでお作りしました。旦那様と奥様用だと思うのですが」

「あの……うかがいたいのは、男性の名前の方でして」

 司久名は頬を赤らめる。

「あ、すみません。つい……。みさき治一はるかず様です。葬儀を行ったのは二年ほど前でした」

「岬さんの住所、連絡先など判りますでしょうか」

「ええ、判ります。ただ……岬様、どうかされたんですか?」

「捜査上の事で多くは申し上げられないのです。昨今、個人情報の問題がいろいろ言われていますが、住所だけでも、お教えいただけませんか」

 司久名は困り顔でピーボに目を落とす。床に伏せていたピーボはいま、ツンと鼻先を上げて、司久名を見上げている。

 迷いは消えていなかったが、結局、ピーボが勝ったようだった。

「判りました。当社に登録してある住所だけでしたら」

「もちろん、それで構いません」

「顧客情報にアクセスしないといけないので、一度、社に戻りませんと」

「お手数かけます」

 そう言いながらも、司久名はすぐに腰を上げようとはしなかった。笠門はいったん浮かした腰をまた椅子に戻す。

「あの、岬さんの事なんですが……」

 それだけ言って、言い淀む。生真面目な性格のようで、表情には逡巡がうかがえた。

「岬さんについて、何かほかに気になる事でも?」

 笠門が水を向けても、彼女は顔を上げない。一方、ピーボがクフンと乾いた声を上げると、途端に、顔付きが引き締まった。ピーボの一押しで、気持ちが固まったようだった。「人間」としては何とも面白くないが、ここはまず結果が大事だ。

 司久名はピーボの頭に優しく手を当てると、口を開いた。

「実はジローの骨壺をお預かりしたままなんです」

 笠門はホームページに記載された「レボール」のサービス内容を思い起こす。

「たしか、骨壺などの預かり、保管は基本しないけれど、特別な事情がある場合は一年に限り、預かると。その間は、祭壇に何度お参りに来ても構わない」

 司久名はうなずく。

「はい。スペースの関係で、お預かりは限定させていただくしかないんです」

「ジローの骨壺を預かったということは、岬さんに何か特別な事情が?」

「はい。岬さんのご自宅は火災で全焼してしまいましたから、骨壺は当然、私どもでお預かりする事に……」

「待って下さい」

 笠門は慌てた。

「岬さんの自宅も火事になったんですか?」

「はい……自宅もって、どういう事ですか?」

「申し訳ありません、まず質問に答えていただけますか。岬さん宅の火事というのは、もしかして放火ですか?」

「いいえ、失火と聞いています。岬さんのご家族が飼われていたジローも、その火事で亡くなったんです。何も、ご存じなかったんですか?」

 岬については、まだ名前しか知らないなど、とても言えない。

「大変恐縮ですが、まずは岬さんの住所を……」

「判りました」

 不審げな眼差しで笠門を見据え、ピーボには輝く笑顔を投げかけた後、彼女は店を出ていった。

 恐らくデスクに戻った彼女は、警視庁に電話をしているだろう。そして、笠門という巡査部長が本当にいるかどうか、確認するに違いない。そのやり取りは、すぐに須脇の知るところとなり、また嫌みを言われる。

「厄介な案件を拾っちまったな、ピーボ」

 ピーボは床に伏せたまま、微睡まどろんでいた。

 

 

 埼玉県さいたま市北区きた土呂とろ町三丁目。都心からのドライブは、渋滞もなく快適ではあった。しかし、岬の住所と聞いてきた場所には、戸建て三軒分の更地が広がっていた。

 時刻は午後五時近くとなり、日は西に傾きかけている。立入禁止の看板と腰の高さくらいまであるサビついた鉄製の柵。オレンジの日差しに照らされてのびる長い影が、何ともいえない禍々しさを醸しだしていた。

「何だか、嫌な場所だな」

 笠門はピーボにつぶやいた。ピーボ自身は何も感じてはいないようで、飄々としてキョロキョロと辺りを窺っていた。好奇心の強さが、ピーボの特徴だ。

 更地の周りに目を移すと、所々が空き家となっている。人通りも少なく、何とも寂れた様子だ。町並み全体が古びていて、活気というものがない。

 駅まで歩けば十分ほど。少し行けばスーパーなどもあり、人々で賑わっている。

 この界隈だけ、時間に取り残されたみたいだな。

 更地の隣家を見ると、二階の窓にぼんやりとした人影があった。磨りガラスのため、顔までは見えない。どうやら、笠門とピーボをずっと見ていたようだ。笠門が窓に目を留めた瞬間、さっとカーテンが閉められた。

 ちょうど、近隣住人から話を聞こうと思っていたところだ。笠門はピーボとともに、その家まで行き、インターホンを押した。応答はない。もう一度押して、待つ。やはり応答はなかった。

 かつて火事をだし更地になった土地を、ぼんやりとながめる中年男。それも犬連れで。警察官には見えないであろうし、居留守を使われても仕方ないのかもしれない。

 閉鎖的な雰囲気のある場所であるし、聞きこみといっても、苦労しそうだ。

 ため息をついた時、向かいの家の玄関が開いた。そこから転がるように出てきたのは、スーツ姿の若い女性だ。書類カバンを手に、家の中に向かって、ひたすら頭を下げ続けている。

「申し訳ありません。もう少しだけ、お話を……」

「ダメだ、帰れ!」

 中からは、男性の太いダミ声が響いてきた。家人は姿を見せることもなく、荒々しく玄関戸を閉めた。

 薄暗くなった路地に、呆然と家を見上げる女性と、笠門、そしてピーボが残された。

 いったい何事だろうか。女性の様子から見て、保険か何かの営業だろうか。商談がこじれ、たたきだされた──。

「ああ、もう!」

 女性が大声を上げた。笠門は思わず、身を震わせる。

「まったく何なのよ。せめて話くらい聞いてくれても……」

 独り言を続けつつも、笠門の気配に気づいたのか、女性はゆっくりと後ろを振り返った。

 大きな目に利発そうな顔立ち。服装はきっちりしているが、雰囲気はどこか天真爛漫だ。

 笠門を無言でじっと見つめた後、足元のピーボに目を移す。

「わぁ、犬!」

 明るい笑顔がはじけた。女性がだした右手に、すかさず自分の左前足を置くピーボ。

「握手してくれるの!」

 家からたたきだされたにしては、切り替えが早い。

「かわいい! すごい、毛が金色に光ってる」

 女性は本当に犬好きのようだ。ピーボと目線を合わせるようにしゃがみこみ、うっとりとした表情で肩周りの毛を指ですくっている。

「あのぅ」

 埒があかないので、笠門はそっと声をかけた。女性は我に返り、乱れてもいない髪を手で整え、シャッと背筋を伸ばし笠門の前で気をつけをする。

「申し訳ありません。突然、かわいい犬が現れたものですから」

「いえ、ボクの方は構わないんですが、あなたこそ、大丈夫ですか? ここの住人と何か?」

「あ、ちょっといろいろとクレームを頂戴したものですから、そのご説明に……」

「クレーム」

 女性はスーツのポケットから名刺をだした。

「私、大島おおしま不動産販売の若宮わかみや恵美子えみこと申します」

「不動産販売?」

「それで……ええっと、あなたがたは……?」

 笠門は身分証をだす。驚くと予想していたが、彼女は案外、ケロリとしている。

「警察。もしかして、岬様宅の火災の件で?」

 あっさりと言い当てられ、こちらが慌ててしまう。

「ええ。火災とは別件なのですが、岬治一さんについて、おききしたい事があって」

「火災とは別?」

 妙なところで、若宮は落胆の色を浮かべた。

「火災の件で捜査を始めてくれたんじゃないんですか?」

「火災については、失火との結論が出ているはずですが」

「それは、判っているんです。消防にも警察にも、何度も確認しましたから。ただ……」

 若宮は怯えた目で、岬宅などのあった更地を見やる。

「私が困っているのは、火事じゃなくて、呪いでして」

「の……」

 笠門と共に、ピーボも耳をピクピクとさせて反応を示した。

「呪いって、何です?」

「呪いは呪いです。あの土地にまつわる呪いを何とか解決してもらえませんか?」

 

 ピーボ移動用の専用バンの助手席で、若宮は肩をすぼめながら、缶コーヒーを飲んでいた。運転席には笠門、後部に置かれたケージの中ではピーボが、キラキラと目を光らせて若宮の言葉を待っている。

「この辺りの土地は、もともといわくのある所でして、まあ、昔、大火があってたくさんの人が亡くなったとされる場所なんです」

「なるほど。そこで火事が起こり、住人に不幸が起これば、あらぬ噂もたつ……ってわけか。しかし、岬家の火事は失火だ」

「問題はそれだけじゃないんです」

 若宮は自身のタブレット端末をだし、保存してあったと思われるページをだした。「闇を引き裂く怪しい悲鳴」という長いタイトルの動画サイトだ。最新の投稿を見ると、禍々しい赤い文字で、「呪いの土地 皆が不幸になる忌みの場所」とある。

「いま人気のホラー動画サイトです。幽霊スポットとかに突撃取材したりする」

「幽霊に突撃ねぇ」

「その中で、岬様が住まわれていた土地が取り上げられてしまったんです」

「だが、あそこに建っていたのは岬氏の家だけじゃない。あと二軒、あったんだろう?」

ばやし様と井伊いいしろ様のご自宅が」

「岬氏宅の火災は延焼していない。つまり、焼けたのは、岬氏宅一軒だけ。まあ消火用の水の被害などもあっただろうから、両隣とも無傷とはいかなかっただろうが、どうして手放してしまったんだ?」

「そこなんです。三軒が建っていた土地は、もともと大島不動産販売が所有、管理していました。三世帯がお住まいで、何の問題も起きていなかったんですが……」

「今は全員、家を手放し、その後、土地の買い手もつかない」

 若宮は悄然としてうなずく。

「私の担当は土地、住宅に関するクレームの処理でして」

「しかし、家を手放した事と土地が売れない事は、別にクレームの対象ではないだろう?」

「ただ、三軒が立て続けに自宅を手放されたとなると、いろいろ噂もたちます」

「さっき見せてくれた、動画サイトとか?」

「その筋の人たちにすっかり有名になってしまいまして、夜な夜な、取材とか興味本位で押しかける人が出てきたんです」

「なるほど。近隣住人としては、たまらないな」

「うるさいし、気味が悪いし、すぐに何とかしろって、さっきの方にも怒られてしまいました」

 後ろのケージでは、ピーボがクーンと同情の声をあげている。

 若宮は弱々しく微笑み、肩を落とす。

「そんなこんなで、ここを離れる住人の方もけっこういらっしゃいます。もともとこのブロックだけ再開発に取り残されていて、古い住宅が多かったので」

「これを機に土地を売って、もっと明るく綺麗な街へ──ってところか」

「はい。大手の開発業者が動いているって噂もありますし」

「それなら、そこまで熱心にクレーム処理する必要はないんじゃないか? あの土地もいずれ、君の会社の手を離れるんだろう?」

「そうはいきません」

 若宮は決然とした表情で、笠門を見返してきた。

「もちこまれたクレーム処理は、一つ一つ、解決していきませんと、私たちの居場所がなくなってしまいますから」

「居場所?」

「私のいるのは小さな部署なので、業績が上がらないと、すぐにリストラ対象に……」

 彼女の境遇が我が身と重なる。

「それは、大変だな」

「でも、毎回、何とかしていますので、今回も」

 そう言って携帯で時刻を見る。

「いけない。そろそろ、張りこみの時間!」

「張り込みって……」

「今夜こそ、無断で動画撮ってアップしているグループを突き止めるんです。こっちも動画撮って証拠にして、ギュウと言わせます」

「ギュウ……ねぇ」

 若宮はケージのピーボに向かって手を振った。

「わんちゃん、元気でね。私の部署にも、すっごく優秀な犬がいるんだよ」

「クレーム処理に犬がついていくのか?」

「犬といっても、ただの犬じゃないんです。いぬって言うんですけど」

 よく判らない事を言う。

「それじゃあ、失礼します」

 若宮はすっかり日の暮れた、侘しい街に一人駆けだしていく。一人で大丈夫なんだろうかと思い見ていると、少し先の十字路でスラリとした男性と合流していた。黄色いジャケットを着た奇妙な男だった。

 なるほど、援軍がいるのか。

 笠門は改めてかつて岬の家があった場所を眺める。両隣ともに家を手放し引っ越していった場所。三軒分の更地か。

 呪い──。

 笠門はピーボと目を合わせる。

「そいつの正体、突き止めてみるか?」

 

 世田谷区の自宅で、笠門は届いたばかりの資料に目を通す。五十嵐が超特急で集めてくれたものだ。

 呪いの真偽はともかく、燃えた岬宅だけでなく、その両隣も自宅を手放していた事は引っかかっていた。

 その辺りを掘っていけば、案外、岬治一と放火の関連についても見えてくるかもしれない──そう考えたのだ。

 岬宅の火災や隣家の売却については、不動産会社である若宮も当然、詳しく知っていたに違いない。直接尋ねてもよかったが、たとえ警察相手とはいえ、顧客情報を不用意にもらす事はしないだろうし、無理に聞きだせば彼女に迷惑がかかる。

 所轄警察署にたずねる手もあったが、場所は埼玉だ。埼玉県警に直接問い合わせようものなら、即座に警視庁捜査一課の知るところとなるだろう。上司須脇の命令は、あくまで「秘密裏に事を行え」だ。

 端末に表示される五十嵐の資料は、急ごしらえであるとは思えないほど、緻密で判りやすかった。

 リビングの隅では、ピーボが丸くなって眠っている。笠門は壁際に身を寄せ、端末の光で眠りを妨げぬよう気にしながら、資料に目を通していく。

 岬治一宅が火に包まれたのは、一昨年の三月。寒の戻りがあり、数日に亘って好天が続いていた頃だ。消防への通報は午前一時半。通報者は岬本人である。岬は当時四十二歳で飲料メーカー勤務。妻あさ四十歳、娘さくら五歳、犬のジローと共に暮らしていた。

 出火元は庭東側にある物置で、中にはキャンプで使う着火剤や炭が入れてあった。本来火の気のない場所ではあるが、その付近では岬が日常的に喫煙をしており、その火が物置内に積んであった新聞紙に引火、着火剤にも燃え移り、猛烈な炎を生じたとある。つまり、失火だ。

 消防の努力で両隣への延焼は防がれ、焼けたのは岬宅のみ。出火元が玄関と反対の東側であった事も幸いし、家族は全員無事だった。しかし、犬のジローが逃げ遅れ、助からなかった。

 岬は刑事責任などは問われなかったものの、半年後には離婚。現在、妻、娘は福井の実家に身を寄せているという。岬は会社も退職しており、現住所などは不明とある。

 失火ですべてを失った男が、まったく別の場所で連続放火事件を起こした──。失火と放火を結びつける物は、野次馬の写真くらいだ。

 続いて、向かって左隣に住んでいた、小林家に関する資料だ。住人は小林大輔だいすけともの二人。年齢はどちらも四十歳丁度。大輔は新聞社勤務。友美は専業主婦だったとある。

 岬宅の出火時、二人は旅行に出かけており留守だった。しかし、大輔に急な仕事が入ったとの事で、午前三時過ぎに帰宅。その時点で岬宅の火災は消し止められていた。消防、警察への証言がそれぞれ残ってはいるが、形式的なものに終始している。

 問題はその後だ。小林大輔の知人が経営する会社が破綻、保証人となっていた大輔が多額の借金を背負いこんでいた事が判明する。それが元で夫妻は離婚。自宅を売却し、借金返済の一部に充てる事となった。

 現在、妻の友美は日本語教師としてタイにいるという。小林本人の消息は不明だ。

 三軒目、右隣は井伊城まこととも夫妻。誠、四十九歳、ボルケラー証券勤務。智子、四十歳は、外資系の金融会社を経て、フリーの投資コンサルタントをしている。誠は会社員として堅実な実績を積み上げる一方、智子もまた富裕層を多く顧客に持ち、評判も上々。金融系の動画サイトなどにもよく登場している。収入面では、誠より智子の方が桁一つ多いのではないかと思われる。

 二人は都心の一等地にタワーマンションを所有。現在はそこに居住している。

 つまりは、ビジネスで成功したので、住まいもグレードアップしただけの事だ。

 念のため、三世帯以前、この土地に住んでいた者たちについても、五十嵐にあわせて調べてもらってはいた。岬たちの家が建つ以前は、大池おおいけという男性が住む屋敷があったらしい。彼は九十年代にコインパーキング事業で財をなした人物で、五十代で会社を売却し、隠居。悠々自適な暮らしを楽しんでいたらしい。二〇二〇年、一人暮らしであった大池がケアホームに移る事を決め、土地を売却、そこに三棟の家が建つ事になった。ただ、大池がケアホームに入るきっかけとなったのは、調理中の小火ぼやで、その際、大池は両腕に火傷を負っている。

 大池氏が土地を購入するまで、アパートと戸建住宅がひしめくようにして建っており、住人の移り変わりは激しかった。だがその間、火災は一度も記録されていない。

 多くの人々が暮らせば、その数だけ悲喜こもごもがある。土地の呪いなんて、ただのデマだ。

 一方で、やはり気になるのは岬だ。

 気配に顔を上げると、ピーボが横に座っていた。

「すまんピーボ、起こしちゃったか」

 ファシリティドッグにとって、睡眠は何よりも大切だ。

 ピーボは少々眠そうな目をしながら、顎を笠門の膝に乗せる。

「早くこの件に片を付けないとな」

 しかし、いつもと違いどうにも手応えの薄い案件だ。岬という男の実態が、いつまでたってもはっきりと見えてこない。

 彼が三度の放火を繰り返したとして、動機は何なのか。

 ピーボが薄目を開いて、端末の画面を見つめる。丁度、岬が行ったとされる三度目の放火現場の写真が表示されていた。古い木工店の倉庫兼住宅はオレンジ色の炎を上げながら、黒い煙を噴き上げている。

 彼はなぜ、三度目を失敗したのだろう? 回を重ねるに従い、放火の手際はある程度よくなるはずだ。度胸もついてくる。なぜ逃げ遅れるようなヘマをしたのか。

 度胸が逆に仇となったのか? 慣れからくる油断もあったのか。

 思えば、岬の身元を確認する事に躍起で、放火そのものに目を向けてこなかった。

 被害者にも目を向けてみるべきかもな。

 しかし、放火現場に出向き、住人や建物の所有者に話をきけば、確実に消防、捜査一課の知るところとなる。彼らの捜査状況は判らないが、まだ岬の身元特定にすら至っていないと思われる。

 さてどうしたものか。

 ピーボが大きな体を揺らし、笠門の手に触れた。画面上の指が滑り、資料の別のページが開いた。岬家の火災についての詳細な報告書だった。その中には、火災保険の書類も含まれている。失火か放火かで意見が分かれたためか、保険会社が民間の鑑定人を使い、消防とは別の報告書を提出させている。

 保険会社はタガール&ガンザ。依頼を受けた火災鑑定人の名前は、有藤ありとうはじめとあった。

 笠門は放火の現場写真に画面を戻す。そこから、小林宅、井伊城宅の保険関係書類も探した。目的のものはすぐに出てきた。

 保険会社の名前は、タガール&ガンザ。

 大手保険会社であるから、偶然とも考えられるが、笠門が調べている四軒すべてに同じ名前が出てくるというのは、少々、引っかかる。

 偶然なら偶然で、確認する必要があるな。

 遅い時間ではあったが、須脇にメールを打つ。

 隠密行動を強いられているのであれば、それなりの対処法がある。こちらから出向くのではなく、呼びつければいいのだ。

 メールを打ち終わり下を見ると、ピーボは顎を笠門の膝に乗せたまま、スヤスヤと眠っていた。

 

 

(つづく)