十五
「秩序型の快楽殺人犯? 清洲納が?」
須脇は眉間に深い皺を刻みながら、絞りだすような声で言った。この結果をある程度、予想していたのだろう。
「その可能性があると言っただけです」
笠門は慌てて付け加えた。
須脇のデスクには、五十嵐の手を借りて抽出した未解決殺人事件の捜査資料が束になっている。それらに視線を落としながら、忌々しげに須脇は続けた。
「六件の殺人、深掘りすれば、もっと出てくる可能性か……。しかし、快楽殺人を行なうような男が、一県一殺とか、そこまで計画的に事を進められるものだろうか」
須脇は笠門の上げた報告書に、赤いペンで次々と書きこみをしていく。
「疑問は数限りなくある。その中で主だったもの三つだ。まず、おまえの言う通り、清洲には感情というものがないとしよう。だが実際の彼は、好感度抜群で、監督として多くのスタッフと意思疎通ができている。しかも最近ではテレビにまで出ている。どちらかというと、感情表現は豊かな方なんじゃないか?」
「教育されたんじゃないですかね」
須脇は苦笑する。
「両親が医師だったからか?」
「父親は精神神経科、母親は脳神経内科で働いていました。父親は犯罪者の脳の研究を米国でしていたこともあり、いわばシリアルキラーの権威です。子供の特異性を見抜いた彼らは、社会生活を営めるよう、徹底的に教育したんです。清洲はその場その場で自身の感情を選択し、それに応じて立ち居振る舞いを決めているだけではないでしょうか。感情がないはずなのにちゃんとコミュニケーションできるのはそういうことでは」
須脇はしばし無言のまま、報告書にグルグルと赤い丸を書き続けている。やがてその手を止める。
「専門家の意見を聞いてみる必要がある」
「警察病院で手配中です」
「疑問の二つ目だ。清洲は既に、いくつものアニメ番組や映画を生みだしている。感情のない殺人鬼に、可能な事だとは思えない」
「絵画など芸術表現が認められたシリアルキラーは、過去にもいます」
「おまえの考えはどうなんだ? 実際、ヤツと話をして、どう思った?」
「正直、判りません」
須脇の反応は、だんだんと投げやりなものへと変わっていく。
「最後に、清洲が感情を持たない殺人鬼だと、おまえが思った根拠はなんだ?」
笠門はいつもと同じ場所、戸口に佇むピーボを振り返った。
「あいつです」
「ピーボが、どうした」
「清洲と初めてあった時、ピーボの様子は明らかにおかしかった。具合でも悪いのかと、いろいろ診てもらいましたが、異常なしでした。考えられるのは、清洲です。ピーボの様子がおかしくなった時、その場にいたのは、オレと清洲の二人でしたから」
「それが根拠?」
「清洲を前にしたとき、ピーボには戸惑いと恐れが見えました。今まで、人に対してそんな反応を見せた事はありません。その理由をずっと考えていたんですよ」
「その結論が……これか」
「清洲には感情がない。ピーボは感情に根ざした微かな動作、表情の動きなどを察知して動きます。清洲にはそれがなかった。ピーボには、ヤツが一体何なのか、判らなかったんですよ」
「いや、しかし……」
「同じ事が清洲の側にも起きていました。二度目の聴取で確認しましたよ。ヤツもまた、ピーボを恐れている。ピーボのような特別な動物への対応策は、ヤツの中にインプットされていない。だからどう対処していいか判らなくなった。オレと話している間も、ピーボの存在が気になって仕方ない様子だった」
「もういい」
「警視正、ヤツは……」
「この話はここまでだ」
音をたてて、報告書のファイルを閉じる。
「以上だ。少しの間、休暇を取れ」
十六
「須脇の言いそうなことだぜ」
ガムを噛みながら、浦幕が笑う。
捜査本部の置かれている大久保警察署の会議室だ。捜査員たちが行き交う署内にあって、交渉の末、十五分の期限付きで借り受けた場所だった。交渉の対価は、一階受付前にいるピーボだ。殺気だった署員たちの癒やしとして、奮闘中である。
「だが、ヤツの言う事はもっともだ」
笠門は折畳み式の固い椅子に座り、足を組んでいた。デスクを挟んで座る浦幕は、小さくうなずいた。
「すべてはおまえの推測だからな。オレが警視正の立場だったら、即座にクビにしてやる」
「そうはなりたくないから、頼りたくもないきさまに頼っているんだ。関東一円の事件、調べてくれたんだろう?」
「ああ。コネと伝手を最大限使ってな」
「それで、結果は?」
「残念ながら、ゼロだ。清洲との関わりを示すものは何一つない」
予想していた事ではあったが、焦りを抑えこむ事はできなかった。ピーボがいない事もあり、デスクを思いきり拳で叩く。
「くそっ」
その思いは浦幕も同じであったようだ。
「正直なところを言えば、オレ自身、まだ半信半疑だ。ただ、清洲の事はいったん置くとして、おまえがだしてきたこの六件、同一犯の仕業である可能性は高いと、オレは思う」
「被害者に共通点はないし、手口もバラバラ。『オック・スター』以外に、これといった共通点もないんだぞ」
「蛇の道は蛇さ。事件を掘る時には、その周りも掘ってみるもんだ」
「詳しく聞かせてくれないか」
「まずは埼玉県の居酒屋店主殺しだ。これには後日談がある。常連の一人が、容疑者として引っ張られたんだ。二日ほどしてアリバイのある事が判り、そいつは容疑者リストから外れた。ただ、常連の間であらぬ噂が広がってな。結果、彼らの間で犯人捜しが始まり酷い諍いが起きた。容疑者とその仲間が、別の常連連中と殴り合いになって、死者こそでなかったが、何人か病院送りになった」
「そんな枝葉の情報までこっちには入ってこなかった。初耳だよ」
「栃木県のガソリンスタンド店員殺し。被害者は真面目な男だったが、父親が元暴力団員だった。評判の良くない男であちこちから恨みを買ってたわけだ」
「息子はそのとばっちりで殺されたってわけか?」
「本当のところは判らん。だが父親はそう思った。心当たりのあるヤツ数人を訪ね、暴行を働いた。最後はスナックに立てこもり、ガソリンをまいて火をつけた。巻き添えで五人死んだ」
「その事件なら知っている。ニュースでもトップで取り上げていた」
「神奈川県の工場長殺し。この工場は当時、従業員の処遇を巡って、経営者側と工場側がもめていた。その間に立って、交渉を進めていたのが、被害者の工場長だった」
「工場長が殺され、交渉は決裂、経営者側との暴力沙汰に発展した……って事か?」
「一人死んで、二人が重傷。二人とも今も入院しているらしい。ほかに怪我人が十三人。千葉の独居老人殺し……」
「もういい」
笠門は止めた。これ以上、聞くに堪えなかった。
「千葉も群馬も、殺しの後、それを引き金にして酷い暴力事件が起きた。そうなんだろう?」
浦幕はうなずいた。
「新宿のチンピラ殺しも然りだ。あれがきっかけになって、暴力団同士の激しい抗争が起きた」
「つまり、犯人はそこまでの事を狙って、被害者を選んでたってことか?」
「オレはそう思う。自分のまいた暴力の種が広がっていくのを、笑いながら見ていたんだろうよ」
笠門は無力感に苛まれていた。すべて清洲の仕業だ。ヤツがピーボも怖れるシリアルキラーなのは間違いない。だが今の時点で、笠門にできる事は何もなかった。
「何とか尻尾を掴んで、ガサ入れでもできればな。こういうタイプは殺人の思い出に何らかの記念品を持って帰る可能性が高い。探せば、絶対に出てくるはずだ」
「それをするためには、確かな証拠ってヤツを掴まないとな」
そんな事は判っている。声を荒らげそうになるのを、かろうじてこらえた。浦幕に当たったところで、どうしようもない。彼とて同じ気持ちなのだ。
「手間をかけてすまなかった。少し頭を冷やす事にする」
笠門は立ち上がり、ピーボのもとへ向かう。
肩を強く掴まれた。追いかけてきた浦幕だった。
「おまえが物わかりのいいフリをする時ってのは、大概、要注意なんだよ」
個人的な遺恨はあるが、そこはさすが一課の刑事だ。人を見通す眼力にかけては、ピーボに勝るとも劣らない。
「おまえ、自分からエサになりに行こうとしていないか?」
「何の事だ?」
「これから、清洲に会いに行くつもりじゃないか? そしてヤツにねちっこくまとわりつくわけだ。ヤツはストレスを溜め、衝動にかられる。おまえをぶっ殺してやりたいって」
「警官を襲ったところを捕まえれば、言い逃れはできない。それに家宅捜索ができれば、こっちの勝ちだ。犯行に関する何かが出てくるに違いない」
「テメエが死のうと大けがしようと、知ったことじゃねえ」
浦幕は不安げに佇むピーボを見た。
「あいつを巻きこむんじゃないぞ」
「それは、無理だ」
「何だと?」
「ヤツを苛つかせているのは、オレじゃない。ピーボだ。もしヤツがブチ切れて狙ってくるとしたら、オレではなくピーボの方だろう」
「おまえ、自分じゃなく、ピーボを……」
「清洲をこのまま野放しにはしておけないだろう? 放っておけば、これから何人殺されるか」
「だからって……」
派手な音とともにドアが開き、私服刑事が飛びこんできた。
「浦幕警部補、ちょっとヤバい事実が……」
険悪ににらみ合う二人を見て、口をつぐむ。
「警部補……?」
浦幕は舌打ちをしながら言った。
「何でもない。で? ヤバい事ってのは?」
刑事は笠門に目を走らせる。部外者に聞かせたくはない内容なのだろう。浦幕はぞんざいな調子で顎をしゃくり、「続けろ」と示した。刑事は不服そうに口を尖らせながらも、口を開く。
「被害者の持っていたネタが流出しています。ネット上で公開されているようなんです。かなりな騒ぎになっていて、ネタがネタだけに、ちょっとヤバいんじゃないかって」
「しかし、データはこちらで全部、押さえただろう。コピーがあったって事か」
「不倫から事務所の裏金まで、芸能ネタばかりですけど、これ、下手すると血の雨が降りますよ」
「忙しくなりそう……」
浦幕が何かに気づいたように顔を上げる。笠門も同じだった。
「おい、ひょっとしてこの殺し……」
十七
清洲納は距離を取りながら、標的を尾行していた。自宅を出て十五分。深夜の住宅街に人影はほとんどない。標的はリードを握り、犬の散歩を続ける。事前に調べたところでは、コースは日によって変わり、時間も三十分から一時間と一定していない。
犬はよくしつけられていて、主の横を大人しく歩いていた。
襲う場所は決めていた。このまま行くと、今夜は公園を一周するコースだ。公園手前の路地で一気に片を付けよう。まずは犬だ。接近する清洲の気配にまず気づくのは犬だろう。どういう行動をとるのか予想はつかない。だからこそ、先に仕留める。人間はその後でどうとでもなる。凶器はナイフを選んだ。素早く動く事が要求されているからだ。だがもし、余裕があれば、人間の方はロープを使ってもいい。
やっかいなのは、犬に逃げられる事だ。だが清洲には自信があった。
公園が近づいてくる。
今回の被害者選定は、長年の教えに反していた。あまりに清洲自身との繋がりがありすぎる。それでも、衝動には抗えなかった。我慢の限界だ。
清洲は暗闇の中、歩速を上げていく。音はたてない。微かな風が吹いた。犬がピクリと顔を上げ、後ろを振り向いた。
遅い。清洲はナイフを振りかぶった。
現場周辺にはブルーシートが張り巡らされ、野次馬たちの目から遺体を隠していた。鑑識の人間が歩き周り、早朝の現場はまだ騒然としていた。
「発見者はジョギングをしていた近所の住人。死後四時間ほど。殺害時刻は午前一時前後と推定」
無線に向かって刑事が報告を入れている。
浦幕が公園の柵にもたれ、仰向けになった遺体を見下ろしていた。
「予想外の展開だな」
笠門はコンビニで買ってきたガムを差しだして言った。浦幕が礼も言わずそれを受け取ると、一枚、口に放りこむ。
清洲納は、自身の血で愛用のパーカーを血に染め倒れていた。胸の周りに数カ所、刺し傷があった。争った痕跡があり、右手人差し指の骨は折れている。唇は切れ、頬には殴られた痕跡もある。
浦幕がため息まじりに言った。
「こいつは殺す側だった。なぜ殺されている?」
「オレにも判らん」
「殺害現場はここか?」
「いや。鑑識の話だと、別の場所で殺害され、ここに遺棄されたらしい」
「どうしてわざわざ、そんな事を?」
「知らねえよ。それより、おまえの相棒は?」
「この状況で連れてくるわけにもいかない。警視庁総務課の別室が警察博物館内にあって、そこで預かってもらっている。動物にえらく詳しい巡査がいてな」
「おまえがピーボを預けるくらいだ。よほどのヤツなんだろう。だが、連れて来なくて正解だよ」
「ここはおまえの担当か?」
「いや、同じ一課の日塔警部補だ。訳を言って、入らせて貰った。係は違うがうちの抱えているヤマと関連ありかもしれんから」
日塔は捜査一課の警部補であり、浦幕とはライバル関係にある。浦幕としては、自身に関わりのある事件を日塔に横からさらわれた形になるわけだが、今回ばかりはそれに対し不満を唱えるつもりもないようだった。
「大久保署のジャーナリスト殺し。やはり清洲の仕業か?」
「恐らくな」
被害者の小台が持っていたネタが流出した件は、案の定、大変な騒ぎとなっている。暴力沙汰こそまだ起きていないが、今回の件でタレント生命を絶たれる者は多くいるだろう。
浦幕は、担架に乗せられた清洲の遺体を見ながら言った。
「清洲の自宅には、日塔たちが行っている。そのうち、すべて判るだろう」
浦幕の携帯が鳴る。
「日塔からだ……」
長いやり取りになった。浦幕の表情を見れば、傍で聞いているだけで、おおよその内容は察しがついた。
通話を終えた浦幕は、暗く沈んだ声で言う。
「清洲の自宅から、犯行を裏付ける証拠が複数見つかったそうだ」
「証拠っていうのは?」
「案の定、殺人の詳細をすべてデータにして残していた。計画から実行、その後の顛末にいたる一部始終だ。ネットに繋がれていないPCの中に、入っていたらしい」
「それは、間違いなく清洲本人によるものなの?」
「日塔の話では間違いないって話だ。死体と一緒の自撮り写真もあったらしい」
やはりピーボの見立ては正しかったのだ。
「清洲の正体に気づいている者はほとんどいなかっただろう。被害者遺族の復讐などの線は考え辛い。争った痕跡もある事だし、清洲が新たなターゲットを襲い、返り討ちに遭った可能性が高い」
「だがやったヤツは、どうして名乗り出ない?」
「正当防衛の可能性があるとはいえ、人一人、殺してるんだ。慌てて逃げた──そんなところじゃないか?」
数日内には正式な発表がある。人気アニメ監督の死とその正体に世間は大騒ぎにするだろう。報道も過熱するに違いない。そうなったとき、犯人は名乗りでてくるだろうか。浦幕は一人、笑う。
「ここからは日塔の担当だ。オレは関係ない。さっさと帰って寝るとするよ」
思いがけない形ではあるが、事件の幕は下りた。笠門はその場を離れ、ピーボのもとへと向かう。やるべき事が残っていた。
(つづく)