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 須脇警視正はいつものうんざり顔で、笠門の提出した報告書をデスクに置く。

「で、一週間、張りこんで結果はゼロと」

「張りこむといっても、鍬田有紀は平日昼間は会社に出ています。勤務中に苗場が接触を図るとは考え辛く、張り込みは夜間が主になります。昼間はピーボの勤務もありますので」

「まあ、警察病院の患者たちから、ピーボを取り上げるわけにはいかないからな。で? おまえの新しい相棒はどうだ?」

「斑尾は昼夜を問わず、有紀に張り付いています。昼間の勤務中に、コインパーキングの車で寝て、夜間は寝ずの番」

「執念だな」

「とはいえ、そこは年ですから、本人は気張っているようで、うたた寝している事もかなりあるようです。正直、あまり当てにはなりません」

「しかし、ムショを出た老人がどうやって生活費を得ている? 店長に握らせた金だってかなりの額だろう。その出所は?」

 笠門は首を振る。

「判りません。もしかすると……」

「昔取った杵柄、か?」

 窃盗で金を得ている可能性は高い。いずれ、その辺も含め、きっちり取り調べる必要があった。

「まあ、その件は後でいい。有紀の方は?」

「平日の夜の張り込み中、一度、彼女の万引き現場を目撃しました」

「例のスーパーでか?」

「はい。帰宅して一時間後、何かに取り憑かれたような様子でスーパーに向かい、菓子パン一個を万引き。ほかに何も購入せず帰宅しています」

「万引きをするためだけに、スーパーに行ったのか!?」

「そのようです。斑尾も同道していたので、いろいろときいてみましたが、今までにも、何度か、同じ行動を取った事があるようです」

「クレプトマニアは、万引きへの衝動について『スイッチが入る』という表現を使うらしい。そうなると、もう止めようがなく、自宅にいても、店まで万引きをしに出かけてしまう」

「警視正も詳しいんですね」

「付け焼き刃だよ。しかし、鍬田の娘が万引きかぁ……。苗場どころではなくなってきたな」

 頭を抱える須脇に対し、笠門は言った。

「実は斑尾が面白い仮説をたてているんです」

「仮説ねぇ。まあ聞くだけ聞いてみよう」

「苗場は有紀とコンタクトを取りたい。でも、何処に人目があるか判らない。ではどうするか」

「勤務先や自宅に近づくのは危険だ。となると……なるほど、万引きを利用するわけか」

「さすがです。苗場は大金を持って海外にいた。顔を変えていてもおかしくはない」

「保安員だな」

「保安員が万引き犯を見張っていても、何の疑念も抱かれない」

「しかし、有紀の盗癖は本物なんだろう?」

「そこに目を付けた苗場が、警備会社に入り、保安員になった。それが、斑尾の見立てです」

「保安員なんて、そう簡単になれるもんじゃないだろう」

「有紀の万引きが始まった時期ははっきりしませんが、夫による父親殺しがトリガーだったとすれば、かなり前です。そして、苗場の帰国が、我々が思っているより前だとしたら?」

 須脇は腕を組み、疑念の唸り声を上げる。

「準備期間はあったわけか。しかし、苗場がそこまでする理由は?」

「愛情だと斑尾は言ってます。苗場は有紀を愛しており、彼女もまたそれに応えている」

「実父を殺された娘がか?」

「鍬田は現金強奪の件を娘には隠していました。奪った金もほとぼりが冷めるのを待つつもりだったのか、使っていません。すべてを知った有紀が父親に怒りの矛先を向けてもおかしくはないかと」

 須脇は腕組みを解く。

「まあ、可能な限り、張り込みは続行。斑尾とも良い関係が築けているなら、調子を合わせて利用しろ。ただし、苗場を見つけたら、逮捕しろ。生きたままだ。間違っても、斑尾に先を越されるんじゃない」

「判りました」

「それから……」

 須脇は封筒を取り出し笠門にさしだした。

「気になって調べさせた。目を通してみてくれ。判断はまかせる」

 

 

 日曜日のスーパー「ミクラス」は今週も絶好調だった。卵とキャベツが地域最安値という情報がネットに流れ、開店直後から客がひっきりなしに押し寄せている。

 入り口脇のワゴンの陰。もはや定位置となった場所に、笠門とピーボ、それに斑尾が立っている。五十嵐いずみに代わり、斑尾が相棒になるなんて、何とも妙な巡り合わせだ。もっとも、ピーボは斑尾を気に入っているようで、斑尾の繰り言を、ウンウンとうなずきながら、聞いていたりする。

 中年男に高齢者、それに犬。怪訝そうに通り過ぎていく者もいるが、支店長の星芦は完全にこちらの支配下にあるため、問題はまったくない。もっとも、ピーボがことごとく万引き犯を指摘、保安員と連携することで万引き防止効果が上がっているのも事実であり、なかなかに心中複雑なようだ。

「保安員について、調べたか」

 斑尾がきいてきた。こちらの情報を彼に明かしてはならないと、須脇からは厳命されていた。しかし、それでは現場が成りたたない。

「ここに保安員が配置されるのは、週末のみ。予算が厳しくて平日は無理なんだそうだ。担当する保安員は主に六人。顔を覚えられるリスクを考え、一度勤務した後は、最低二週間、別の店舗を担当するらしい」

「その六人の中に苗場がいると、オレは踏んでる」

「六人のうち二人は女性だ。男性の中でも一人は五十代。苗場は三十代半ば。整形などをするにしても、年齢を大きく偽るのは難しい」

「つまり、候補は三人か?」

「体格の問題もある。苗場の身長は一六九センチ。それほど大きい方じゃない。候補の三人中、一人は一五九センチと男性にしてはかなり小柄だ」

「それを活かしての保安員か」

「大きく化けるのはできなくないが、小さくなるのは無理だ」

「二人にまでしぼられたな」

 そのうちの一人と笠門は言葉を交わしている。ここに来た初日に会った、塚本竜也だ。

 今日の担当者は、まだ挨拶をした事がない。実直そうな三十代半ばの青年で、鍛えぬいた体付きをしている。背はさほど高くなく一七〇前後というところか。

 苗場と背丈などは合うし、保安員に化けるのであれば、こいつだろう。

 斑尾も同じように考えているようで、今日こそは尻尾を掴もうと、目を不穏にギラつかせていた。

「あんたら警察で指紋採取して照会すれば、一発だろうによ」

「保安員の彼は何も犯罪を犯してはいない。それに今は、指紋だってある程度変えられる」

「有紀と何か言葉の一つでも交わしてくれればなぁ」

「あんたが星芦を抱きこんで、有紀を捕まえないよう指示したから、かえってややこしくなってんだろうが」

「しょうがねえだろ。有紀に臭い飯食わせられるかよ。それに……」

「待て」

 その有紀がやって来た。いつものようにパーカーを着て、目の焦点が定まらない、ぼんやりとした様子で歩いている。手には買い物カゴを提げ、逆の手には携帯がある。

「やつら、携帯で連絡を取り合っているに決まっている。そして、三週に一度、ここで互いに顔を合わせているんだ」

 実のところ笠門は、保安員苗場説には懐疑的だった。保安員に化けて有紀に近づくというアイディアは悪くないが、結局、彼女とは言葉すらも交わせない。

 素性を隠すといっても、実際、苗場は警察のマークからは外れていて、障害となるのは斑尾くらいだろう。逃走を図るつもりなら、老人一人、殴り倒すなり何なりして姿を隠すくらい造作もないはずだ。にもかかわらず、そうした行動はまったく取っていない。

 さらに、ここに勤務する保安員たちは、笠門の素性を知っている。もし苗場が保安員に化けているのなら、警察が張っていると知ってなお、ノコノコ出てくるはずもないだろう。

 苗場は有紀と接触してはいない。それが笠門の推測だ。彼が国内に戻ってきたという情報自体がガセなのか。戻ってきたとしても、昔の女になど興味もないのか。

 有紀は買い物用のカゴも取らず、気怠い様子で店内に入っていく。

 クレプトマニアの中には、一度「万引き」のスイッチが入ると、その前後の記憶が曖昧になる者もいるという。今の有紀の状態もそうなのではないか。

 斑尾とピーボを残し、笠門は有紀の後を追う。柱の陰に保安員の姿を見たが、笠門と有紀は「対象外」であると認識しているので、何も行動を起こそうとはしなかった。

 有紀は生鮮食料品のコーナーをぶらっと見て回った後、まっすぐ菓子パンコーナーに向かった。「標的」の場所だ。笠門は箱ごと積み上げられた特売ポテトチップの陰に身を置き、様子をうかがう。有紀は棚を一巡りすると、いつもより入念に周囲の様子をうかがっている。菓子パンコーナーを挟んだ対面には、保安員の姿も見えた。

 有紀はさらにもう一度、棚を回り、あんパンを一つ握りしめると、買い物カゴの陰に隠しつつ、ポケットにねじ入れた。笠門は保安員と目を合わせた。そっと首を左右に振ると、保安員は唇をかみしめ、その場を離れていった。

 その後、有紀はカゴの中身の会計を済ませ、トボトボと家路についた。ピーボの脇では、斑尾が期待に目を輝かせていたが、笠門が首を振ると、肩を落とし消沈した。

 この男についても、笠門は疑念があった。鍬田にどのような恩があるか知らないが、その仇を討つため、ここまで身を削り必死になるだろうか。それに、彼からは殺気めいたものがまるで感じられない。彼にあるのは、老年の侘しさと、不思議な温かさだった。ピーボが彼になつくのも、その辺を感じ取っているからだろう。

「なあ、斑尾さん。もうそろそろ、限界なんじゃないか」

 答えはない。彼自身も同じ思いなのだろう。

「今日帰ったら、新しく報告書を書くつもりだ。そして、来週はもうここには来ない」

 斑尾はピーボの脇に膝をつき、首の辺りをポンと叩いた。

「潮時ってヤツか……」

 ピーボが斑尾の袖をなめる。

「ピーボも名残を惜しんでいるみたい……」

 ピーボの褐色の瞳が何かを訴えるように煌めいた。何だ? 何か伝えたい事があるのかピーボ。

 確かに、さきほどから笠門にも妙な引っかかりがあった。何か、見落としているものがある。それは……。

 有紀が入店する時だ。微かな引っかかりを覚えた。それはなぜか。

 ピーボだ! ピーボはその時、無反応だった。万引き犯が来た時に見せる、独特の仕草がなかった。

 笠門は斑尾の腕を掴む。

「クレプトマニアの症状は治まる事もあるんだよな」

「本で読んだところだと、ストレスといった原因が取り除かれると、自然に回復する場合もあるらしい」

「有紀は回復しているんじゃないか?」

「しかし、彼女はさっきも……」

「急に万引きを止めれば、オレたちに気取られる。そう考えたのだとしたら」

「彼女が発症した原因は、夫による父親殺しと夫の逃走」

「その夫が戻ってきたとしたら……」

「ストレスの原因は取り除かれる」

「苗場は戻ってきている。ヤツは有紀のもとへ……」

 笠門はピーボを連れ駆けだしていた。遥か後ろから、斑尾の声が追ってくるのは判っていたが、足を緩める事はできない。

 有紀のマンションが目に入った時、彼女は外廊下を進み、自室に入るところだった。

 管理人に身分を話し、階段で二階へと上がる。部屋の扉が並ぶ廊下に立ったとき、笠門はピーボと目を合わせた。

 本来なら、須脇に応援を要請し、もう少し監視を続けてから踏みこむべきだった。だが笠門には、一つの予感があった。それはピーボの考えとも一致するようだった。ピーボはつっと先に立ち、部屋に行くよう促していた。

 廊下から道を見下ろすと、荒い息をつきながら、斑尾がやって来たところだった。笠門が待つように言っても、彼は聞かずに踏みこむだろう。

 ならば……。

 笠門はインターホンを押す。応答はない。さらにもう一度。チェーンを外す音が聞こえ、わずかにドアが開いた。

 疲れ果てた表情の女性が、虚ろな目で笠門を見上げていた。

 笠門が口を開く前に、彼女は足元のピーボに気づいた。頬にわずかな赤みがさし、表情が少し緩んだ。笠門は身分証を示し、話がしたい旨を伝える。

「最近の刑事さんは、犬連れなの?」

 ドアを開け、彼女は笠門とピーボを招じ入れる。

「実を言うと、オレは刑事じゃないんだ」

 ピーボは上がりがまちで、左右の壁の臭いを嗅ぐ。そして、リビングの先にある扉に視線を固定した。

 笠門はリビングに入る。小さなテーブルと椅子が一脚。テーブルにはパソコンがあるだけで、ほかに家具らしいものはない。ピーボが見つめている扉は、寝室に通じるものだろう。笠門がスライド式のドアに手をかける。有紀は何も言わなかった。

 ドアを開くと、明らかな異臭が鼻を突いた。一人用ベッドの真ん中に、男が血まみれで事切れていた。苗場だ。腹にナイフが刺さり、相当に苦しんだのだろう、顔は苦悶に歪み、手はナイフの柄を握りしめたままだった。

 死後三日ほどだろうか。

 玄関に、斑尾の気配がした。有紀はそちらにちらりと目をやってから、冷たく笑った。

「三日前の夜中に戻ってきたんだ。やり直したいって言ってたけど、多分、嘘。だから、刺したの。ずっと前に買ったナイフ。こうするために買ったナイフ」

 斑尾が寝室に入ってきた。この結果は予想していたのだろうか、驚いた様子もない。

 そんな斑尾に目もくれず、有紀は笑う。

「殺したら、すっきりしちゃった。万引きもしたくなくなった。でも、急に生活変えたら、疑われるかなって」

 彼女は血の飛び散ったベッドの縁に腰を下ろす。

「でも、見つかっちゃった」

 彼女は冷たく笑い、斑尾は戸口で泣いていた。

 ピーボはそんな二人を見上げながらも、笠門の傍を離れない。笠門はピーボの頭に手を置きながら、斑尾に言った。

「上司が鍬田の妻について調べた。彼女は亡くなるまで二年ほど闘病していた。出産ができる状態ではなかったそうだ」

 斑尾は顔を伏せたまま答えない。

「有紀はもしかして、おまえの……」

 岸田銀行の強奪事件。あれは、娘の有紀に金を残してやるためのものだったのではないか。鍬田と二人で事件を起こし、幼い有紀を鍬田夫妻に預ける。そして自身は早くに捕まり、捜査を終息させる。捜査網から逃れた鍬田は、残った金で実の子として有紀を育てる──。

 相手の女性の素性は判らないが、貧困に喘いでいた斑尾にとって、それが娘を育てるための窮余の一策であったとしたら。

 しかし、現金強奪は成功したものの、有紀の人生は苗場によって踏みにじられた。そんな娘を、出所した斑尾は見守っていたのではないか。彼が実の父親なら、全部腑に落ちる。

「斑尾!」

 斑尾は派手に鼻を啜っただけで、何も答えなかった。

 ピーボが有紀の足元にそっと近づいた。彼女は細い指でピーボの金色の毛に触れる。ピーボは背筋を伸ばして座り、彼女を見上げていた。

 ベッドから下りた有紀は、ピーボの体をそっと抱きしめる。

「温かい」

 

(第二話・了)