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二十五 鎮漣


 天正九年(西暦一五八一年)五月二十日──
 孫四郎からの書簡を開き、鎮漣は思わず微笑んでいた。誰よりも果敢でいながら、どこまでも慎重な孫四郎らしい。千の兵を連れて、佐嘉に参られるべしという唐様の剛毅な文字は、端々に落ち着きが滲んでいた。
 二の丸御殿に集う家中の視線に、鎮漣は書簡から顔を上げた。
「佐嘉で、猿楽を催すとのことだ。講和の儀として、隆信公も列席される」
 並ぶ重臣たちは、二十四人。左手の手前には、兄の鎮久が瞑目していた。右側には大木統光が並ぶ重臣たちを見据えている。ここに座る者は、いずれも三百日に及ぶ籠城戦を共に戦い抜いた者たちだった。
 鎮漣の言葉を聞いた者たちの反応は、その大半が疑うような表情をしていた。
「奥方様の御父上とはいえ、先年の暮れまで干戈を交えていたのです。いまだ敵地と言っても過言ではない佐嘉に、御自ら行かれるなど、正気の沙汰ではござらぬ」
「一度、和議を結べば、干戈を交えたことは忘れるべきであろうが……佐嘉行きを断れば、叛心ありとして、またぞろ龍造寺との戦になることは覚悟すべきであろうな」
 思い思いの言葉を、鎮漣は静かに聞いていた。統光と鎮久を除く二十二人のうち、二十人までが佐嘉に向かうべきではないと考えているようだった。残る二人にしても、戦を覚悟して進退を決めるべきだと言葉にした。
 それぞれの言葉が出尽くした時、鎮漣は孫四郎からの書状を畳の上に置いた。
「お主らの心はしかと受け取った。今宵一晩、じっくりと考え、明朝沙汰を出す」
 酒の支度をさせると、鎮漣は早々に御殿の奥に退いた。
 佐嘉から、田原伊勢守と西岡美濃守という二人の使者がやってきたことは、城内に知れ渡っている。鎮漣を待っていた玉鶴姫の表情は、ひどく暗い。
 身につける緋綸子の打掛は、ひどく懐かしいものだった。
「柳川へ来たばかりの頃、そればかり身につけていましたね」
「柳川のうつけを討つようにと命じられ、父から与えられたものです」
 鋭い眼差しが、まっすぐに鎮漣を見ていた。そこらの武士とは比べ物にならないほど猛々しい。夜空の星のように美しい瞳だと思った。初めて出会った時、その瞳に吸い込まれるような気がしたものだ。玉鶴姫の肩が、小さく揺れた。
「しかし、柳川には、私が討つべきうつけの殿など、どこにもいませんでした。いたのは、才無きことに苦しみながらももがき、才ある者に肩を並べ、そしてついには龍の雷雨さえも鎮めたお方です」
「おもはゆいですね」
「私は殿に同情申し上げていたのです。いえ。不遜にも、我が身と重ねて、自らを慰めていました。父より道具としての価値しか与えられなかった私と、柳川を龍にささげる哀れな姫若殿。龍の供物にしかならぬ身ゆえ、せめてともに滅びようと覚悟しておりました」
「私を殺して、自らも死ぬ気だったと?」
 玉鶴姫が笑った。
「道具は、使い道がなくなれば朽ちてゆくだけでございますゆえ。私は、その定めを童の頃から受け入れておりました」
 だからこそと、玉鶴姫の目が細くなった。
「父から供物に過ぎないと見定められていた殿が大きく飛躍した時、私は才無き者でも、才ある者に勝てることを知り、身が打ち震えるほどに嬉しくなったのです。同時に、私と殿は違うとも思いました。勝手に身を重ねて、殿を貶めていたことを悔いました」
「それは違います」
 鎮漣も微笑みを浮かべ、玉鶴姫の肩を抱いた。玉鶴姫の肩が強張った。
「私が強くなれたのは、ただ民のために強くあらねばならなかったからです。民を護れる武士でなければ、姫の瞳には映ることができないと、そう思っていたからです」
 弱き民をけっして裏切らぬという蒲池の義を果たすことは、同時に、鎮漣が惚れた玉鶴姫に、自らを認めてもらうための術でもあった。
「姫がいなければ、私は今もまだ姫若と呼ばれる武士であったでしょう。蒲池鎮漣という武士は、姫がいたからこそ、この世に生まれた」
 人は一人では生きることはできない。誰かのためと思うからこそ、死地に踏み込むことができる。老いた父も、そうして死地に踏み込んだのだろう。
 玉鶴姫に認められようともがいてきた自らの一生が、そう物語っていた。
 身体を引き離し、鎮漣は玉鶴姫の正面に正座した。
「明後日、私は佐嘉へ出立します」
「どうしても、行かれるのですか」
「柳川の民を護ることで、私は姫を惚れさせたと思っています。この生き方を変えることは、もはやできませぬ。佐嘉へ行き、御父上と固く手を結ぶことが、民のためとなりましょう」
「父は、騙し討つことを卑怯とは思っておりません。勝つことこそが全て。後ろ指を差されようとも、勝つためには容易に鬼となれるお人です。佐嘉に行けば、二度と、殿と会えないような気がしております」
 鎮漣の胸を掴む玉鶴姫の手を、静かに握りしめた。白く細い指先を、額に当てた。
「姫、決して死なぬと、誓いましょう。蒲池の義は、決して死にませぬ」
 言葉にしてみて、やはり心のどこかには不安があったのだろうと自覚した。玉鶴姫と会えなくなるかもしれないことを、恐れている。それを振り払うかのごとく、強く、手を握りしめて、息を吐いた。
 五州を制した隆信を主と仰ぎ、その両翼を鍋島孫四郎と自分がつとめれば、西海道をあまねく統べることもできるはずだ。戦い抜いてきた末に掴んだ自信であり、それを掴み続けることが、玉鶴姫と対等に向かい合う術だった。
 己を磨くこと以外に、術を知らない。生き方を見せる以外に、術を知らない。
 玉鶴姫の手を離し、鎮漣は立ちあがった。追いすがるように立ち上がりかけた玉鶴姫が、口を結び、泣くように笑った。
「お帰りが遅くなれば、私がお迎えに参ります」
 玉鶴姫の言葉に、鎮漣も微笑みを返した。
 鷹尾城の田尻鑑種からの書状が届いたのは、翌朝のことだった。母貞心院の実の兄であり、鎮漣と隆信が争うきっかけを作った張本人でもある。書簡の内容は、蒲池家が島津に内通したと報せたのは、家中の者が勝手にやったという言い訳がましいものだった。
「柳川の島津への内通を讒言したことが露見すれば、己の身が危ういと怯えているのでしょうな。浅ましいとしか言葉がありませぬが」
 吐き捨てるように言った統光に、鎮漣は肩を竦めた。
 慌ただしい足音が聞こえ、直後、焦燥を滲ませた貞心院が、御殿に駆け込んできた。兄である田尻鑑種をどうか赦してほしい──鎮漣の手を取り、母は隆信へのとりなしを求めてきた。
 隆信のもとに向かう鎮漣の身を案じる言葉は、そこにはなかった。童の頃から、この人に幾度も刺客を向けられてきたのだ。今さら何の期待もしていない。ご心配めされるなと言い捨て、母の手を振り払った。
 嫌なものから逃れるように、搦手の馬場へと統光を伴った。
「統光、鷹尾城に向かえ。今後、筑後の主は隆信公だ。仕置は全て、その差配に従う。田尻殿を佐嘉へお連れせよ。兵を連れていけ」
 大木家は蒲池家の宿老筆頭であり、田尻鑑種は統光にとっても伯父にあたる。丹後守を佐嘉に連行するには、統光以上の人選はない。
「佐嘉へは誰を?」
「私の先陣を務めるのは兄上と決まっておる」
「されば、心配は無用ですな」
 統光を見送り、鎮漣はその日のうちに支度を整え、柳川を出立した。総勢二百名。孫四郎からの書簡には、千の兵を用意せよとあった。“一木村の友”と会うことに、兵はいらない。
 城下を出る辺りで、百名ほどの人だかりが待ち構えていた。
 中央で深々と頭を下げるのは、宗顕だった。目尻には深く皺が刻まれている。翁面をつけずとも、舞台での役をこなせそうなほどだった。左右に並ぶ者は、宗顕に師事する猿楽の一座だ。
「佐嘉での猿楽は、それがしに任せていただきたく。殿に相応しき四番目物をお見せしたく」
「宗顕殿は言い出したら聞かぬゆえなあ」
「それは、殿も同じでございましょう」
 宗顕の顔には、断られてもついていくという意思が滲んでいる。
「りんは京へ着いたか」
「殿にご配慮いただいた船で、一月ほど前には着いたようです」
「ならば、行くか」
 鎮漣が頷いた時、出立を命じる鎮久の声が、城下に響き渡った。

 

(第21回につづく)