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   十 鎮漣

 永禄五年(西暦一五六一年)──
 秋風の吹く西海道の大地は、燎原の火のごとき有様だった。
 誰が糸を引いているのか、考えるまでもなかった。息を呑み込み、鎮漣は筆を走らせた。永禄二年六月から始まった毛利家による豊前侵攻を皮切りに、西海道北部には血の嵐が吹き荒れていた。
「いや、侍島での大敗が契機と言うべきか」
 声に出した言葉に、胸がじくりと疼いた。
 筑紫攻めは、筑後勢が主体の軍勢だったが、総大将はまごうことなき大友家の将だった。大友、敗北す。その報せは筑前筑後を走り抜け、肥前や豊前を駆け巡り、大小の国人衆を動揺させた。彼らに、大友家からの離反を決断させたのは、侍島の戦いの翌月のことだった。
 大友家が最大の警戒をしていた謀神が動き出したのだ。
 毛利元就が送り込んだのは、二人の大内家の遺臣。彼らは少数で豊前へ上陸すると、瞬く間に門司城を攻略し、周囲の国人衆へ調略を始めた。八月には、豊前上毛の西郷隆依が大友家に叛き、筑前許斐城の宗像氏貞も同調した。
 それに対する大友家の動きは速かった。
 一門の中でもとくに有力な田原親宏を総大将として一万余の軍勢を送り込み、即座に門司城を奪還した。
 地図の上に経緯を書き記しながら、鎮漣は息を吐きだした。
「終わってみれば、これは毛利殿の探りの手だったのであろうな」
 門司城奪還の報せを柳川で聞いた時、鎮漣は無邪気に喜んだのを覚えている。大友家の武威に驚き、安堵したと言っていい。だが、それがいかに時勢の見えていない者の考えだったか、振り返って見れば噴飯ものだった。
 門司城を奪還した田原親宏を襲ったのは、毛利軍の新手だった。石見に出陣していたはずの毛利家の嫡男毛利隆元と三男小早川隆景率いる大軍が、いつの間にか長門に出現し、隆景の腹心乃美宗勝率いる水軍が田原軍の補給路を断ち、撤退させている。そのまま宗勝は門司城を奪い取り、毛利家の一文字三星の旗を城壁に掲げた。
 策謀によって城を落とし、そして大友一門率いる大軍を相手に、再度勝利して見せた。
 それこそが、毛利元就の描いた絵図だったのだと今ならば分かる。
 大友宗麟では、謀神毛利元就には勝てぬ。去就を定めぬ西海道北部の国人衆にそう思わせるための、あまりに鮮やかな手際だった。
 筑前の動揺を防ぐため、大友家は要衝宝満山、岩屋の両城に、武勇の誉れ高い高橋鑑種を城督として入れたが、焼け石に水だった。
 離反者は日に日に増えていき、永禄四年、大友家が誇る三老の一人である臼杵鑑速率いる三万の大軍が、またしても乃美宗勝を従えた小早川隆景に大敗を喫すると、離反の流れは止めがたいものになった。
「戦の世は、変わりつつあるのかな」
 古き権門が打ち砕かれ、新たな強き者が束ねていく。毛利元就の台頭はまさしくその流れの一つだろう。なによりそれを感じたのは、一昨年、永禄三年の尾張で起きた戦だった。足利幕府の一門であり海道一の弓取りとして名実ともに戦国最強と謳われた今川義元が、新興の織田上総介信長に桶狭間で討たれていた。
 驚天動地の出来事であり、日本全土に織田信長の名は一気に知れ渡った。
 二十七歳という年齢を聞いて、鎮漣は驚いた。当時、鎮漣は二十一歳。自分とわずかしか変わらない男が、大友家以上の敵を討ち滅ぼしたのだ。才覚の違いと言ってしまえば、それまでだ。だが、報せを聞いたその日、心の底に湧き上がったのは、自分でも驚いたが悔しさに近いものだった。
 侍島での戦は、負けを小さくすることしかできなかった。筑後の中では犠牲は少なかったとはいえ、柳川の民を自らの指揮で殺したことには変わりない。
 己に何ができるのか。
 柳川を率いる者として、民の命を守る者として、何ができるのか。
 その日から、毎日のように自室で地図とにらみ合うことが日課となった。
 永禄五年の二月、毛利家は門司城からさらに西南に進出し、苅田松山城や豊前の楔とも言える香春岳城を落とした。毛利家の本隊は元就が率いて石見を攻めている最中のことだ。大友家では、毛利家には歯が立たないと、誰もが確信を持ち始めていた。
 六月には、元就の石見国攻略が遂に終わった。
 そのまま出雲国現在の鳥取県へ侵入すると、かつて山陰に覇を誇っていた尼子家の諸城を次々に攻略し、ついにはその本拠である富田城を囲んだとも伝えられてきた。安芸国の小領主だった元就が、いまや七か国にまたがる大国の大名だ。
 柳川は、どう動くべきなのか。
 背後に気配を感じ、鎮漣は筆を置いた。
「暗い顔をしておられます」
 よく透る声は、玉鶴姫のものだった。慌てて地図を片付けると、鎮漣は振り返り、頬に笑みを張り付けた。
 玉鶴姫の瞳は、この数年で昏くなった。
 鎮漣が惹かれた憂いを帯びた瞳はそのままだが、そこに諦めにも似た色が滲むようになったのだ。
 玉鶴姫は、龍造寺隆信によって柳川は滅びると思っているのだろう。鎮漣では、抗うことすらできないと確信を抱いていることを、鎮漣は知っていた。
 姫を安堵させたい。だが、そのための言葉を鎮漣は持っていなかった。西肥前を統一してみせた龍造寺隆信と比べられるほどの戦功もなく、その右腕として龍の御者と呼ばれ始めている鍋島孫四郎ほどの見識もない。
 何を口にしても、空虚なだけだ。それがただもどかしかった。
「義父上は、神代殿と和睦されたようですね」
 鎮漣の言葉に、玉鶴姫が悲しげに微笑んだ。
「父が神代殿との和睦を認めたのは驚きました。一度敵対すれば、その九族まで殺し尽くすまで止まらぬお人でした」
「かつてはそうでした。されど今の隆信殿は、敵だった者を味方とするおおらかさもお持ちです。姫が見た土橋殿の処刑は、一族を殺し尽くされた憎しみからでしょう」
「であれば良いのですが」
 言い淀む玉鶴姫に頷くと、鎮漣は茶の湯を命じた。
 畿内では、そのために作られた茶室で、煩わしい作法を踏まえて楽しむものらしいが、鎮漣はただ茶の味が好きだった。いや、茶を飲む束の間だけ見せる玉鶴姫の安堵した顔が好きなのかもしれない。
 黒く艶のある天目茶碗に、茶の濃い緑色は良く映える。
 傍らに座った玉鶴姫に勧めると、にこりと笑い、口をつけた。艶やかな唇に見とれ、数瞬後、思わず目を逸らした。
 まだ、玉鶴姫との間に子はなかった。
 輿入れしてきてすでに七年経っているが、それはそれで構わなかった。子を生さぬ玉鶴姫に憤る声もあるが、老臣のほとんどは龍造寺との子などできれば、大友家から睨まれると胸を撫でおろしている。
 柳川にあって、いや、筑後国内にあって鎮漣と玉鶴姫は似た立場だった。
 侍島では、自分の指揮によって犠牲を最小限に抑え、父を救ったという自負はある。だが、老臣たちは第二陣の指揮を執っていた蒲池麟久の功だと言い、麟久や田尻親種などは鎮漣の怯懦によって筑後勢は敗れたと声を大にしている。
 その声は、時を経るごとに大きくなり、陰で鎮漣を暗殺しようとする動きもあった。大木統光の護りによって、今のところ大事には至っていないが、廃嫡を望む声は日々大きくなっている。
 それを好都合とばかりに猿楽(能楽の前身)に耽溺してみたが、父が廃嫡を言い出すことはなく、兄の鎮久も我関せずとばかり、ひたすら己の武を磨き上げることに専念している。
 柳川どころか、筑後中から疎まれているのが、自分と玉鶴姫だった。
 手を取り合いたい。傷の舐めあいをしたい。そう思うと同時に、自分は男なのだと心の中で叫ぶ己がいた。惚れた人を守れる男でありたい。傷ついた姿を見せたくはない。
 茶を口に入れると、今日は苦みだけが喉の奥に広がった。
「父の望みは、西海道を統一し、京に上ることです」
 玉鶴姫がぽつりと言った。
 言葉の弱弱しさとはうらはらに、その気配はどこか刀を持って向かい合うような鋭さがある。茶碗を置き、鎮漣は背筋を伸ばした。玉鶴姫が、いかなる密命を帯びて柳川に輿入れしてきたのかは、容易に想像できる。
 隆信が柳川を攻めることになれば、背中から鎮漣を刺す。
 老臣たちの中には、賢しらにそう口にする者もいたし、大友家に叛く龍造寺家の動きを見れば、それも当然のことだと思う。だが、そのまま受け取れぬ自分がいることも確かだった。
 龍造寺隆信という男に感じた輝きを、今も強く覚えている。
 柳川の民と車座になって酒を呑み、楽しげに語らっていた隆信は、柳川を発つとき、民の平穏のために戦うとはっきり口にした。
 龍造寺家にとって、柳川が南部進出の鍵になることは間違いない。大友家に従う蒲池家にすれば、隆信は敵だ。だが、民の平穏を考えた時、隆信は自分にとって敵ではないと、鎮漣は確信していた。
「父の望みは、義心一徹。大友家へ忠義を尽くすことです」
 言葉にした途端、玉鶴姫との間にある溝が深くなった気がした。
 当主である蒲池宗雪が大友家に尽くす限り、柳川は龍造寺隆信を止める必要がある。
 くだらない、という思いはある。大友家に従ってきて、柳川は何を得たのか。一年のほとんど、宗雪は戦場を飛び回り、結果、ろくに領内も発展していない。増え続けるのは、大友家から与えられる薄っぺらな感状と、崇久寺の卒塔婆だけなのだ。
 我欲のために戦う大友家を捨て、隆信に賭けた方が良いのではないかとも思う。
 ただ、それでも鎮漣が迷っているのは、大友家の強大さにあった。
「今、大友家が倒れれば、西海道はこれまで以上の戦乱に包まれます」
 玉鶴姫が鎮漣を見つめてきた。
「三前三後(豊前、肥前、筑前、豊後、肥後、筑後)の太守となった御屋形様が倒れれば、各国の領主たちは、生き延びるために血みどろの戦を繰り返すことになる。筑後だけを見ても、二十四人の領主がひしめき、小城の領主を数えれば百を超えるのです」
「大友家が倒れれば、毛利殿に従うのでは?」
 その言葉に、鎮漣は力なく微笑んだ。
「それを妨げるのは、姫の父君でしょうね」
 玉鶴姫が固まったのを見て、鎮漣はつづけた。
「隆信殿の想いは、私も理解しているつもりです。それだけの才があることも認めています。隆信殿だけではない。傍には孫四郎殿という麒麟児が仕え、才あれば様々な身分の者を召し抱えてきたことで、肥前でもその武力は頭抜けている。木下昌直という名も、無双の武者として近頃よく聞きます」
「孫四郎の才は、よく知っています。父の母、私の祖母慶ぎん尼は、鍋島孫四郎は龍造寺の家になくてはならぬ至宝だと言って、孫四郎の父のもとに強引に輿入れしました」
 その話は筑後までも届いていた。当主の後家が、臣下のもとに輿入れするなど前代未聞のことなのだ。だが、従兄弟であった隆信と孫四郎の結びつきは、義兄弟となったことで離れがたくなったのも確かだった。
 玉鶴姫が口を閉じ、息を吸った。何かを言いだそうとしているのは分かる。それが言葉になる前に、鎮漣はすっとその肩を押さえた。玉鶴姫の瞳が、わずかに広がる。
「隆信殿でしょう」
 区切り、鎮漣もまた動悸を抑えるように息を吐いた。
「毛利殿を豊前に引き入れ、豊前、筑前の国人衆を蜂起させたのは」
 さすがに隆信の娘だけはある。動揺を見せずに、天目茶碗を置いた。見上げてくる玉鶴姫の瞳を、鎮漣はまっすぐ見つめた。
 ここでそれを玉鶴姫が認めれば、蒲池家は大友家の藩屏として龍造寺隆信を討たなければならない。今はまだ少弐家を滅ぼし、肥前で幅を利かせ始めただけであり、それは大友宗麟も認めた気配がある。だが、毛利と手を組んだということであれば、話は変わってくる。
 隆信に勢いがあるとはいえ、大友家と正面から戦うだけの力はまだない。
 掌から伝わってくる玉鶴姫の温かさを、鎮漣はやさしく握りしめた。
「肯定も否定もしないでください。隆信殿の道を、私は認めています。ただ、今ではないと私は思っています。肥前の龍がいま飛翔すれば、あまりにも多くの血が流れる」
 玉鶴姫の顔に浮かぶ驚きは、その心の内にうつけと蔑まれる鎮漣の姿が消えぬゆえだろう。
「未だ、大友の御屋形様の勢いは強大です。一挙に取って代わることができるほど、麾下の武士たちも甘くはありません」
 大友家に従い柳川の民が血を流すのは許せることではない。だが、従う以外の道に、光明を見いだせないのも事実だった。童の頃は、大友家にひたすら忠誠を尽くす父のことが理解できなかったが、歳を重ね、世を知れば知るほど、義心鉄の如しという父への賛辞は、父自身の諦めから生まれたものなのだと分かってきた。
 鎮漣自らが立ち上がり、乱世を鎮めるなどというのは夢のまた夢。
 自分は、今川義元を討った織田信長のような天賦の才はないのだ。
 人は、自分にできることしかできないし、できることをやればそれでいい。そして、できることを放棄するのは許されないと鎮漣は思っていた。蒲池家の後継者としてできるのは、柳川の民の犠牲が、最小限で済む道を見つけることだろう。
「姫、私は、柳川の民を守りたい」
「そのお気持ちがあることは、幼き頃から伝わってきておりました」
「民を守り、そして姫を守りたいのです」
 言葉にした思いは、初めて玉鶴姫を見た時に抱いたものだった。
 郷里を追われ、柳川まで落ち延びて来た玉鶴姫の瞳には、強い憂いがあった。隆信が佐嘉を奪還し、柳川に輿入れしてきた時も、そして今もまだ玉鶴姫の瞳には滴るような憂いが滲んでいる。
 その憂いを、いつの日か変えたい。
 初めて玉鶴姫を見た瞬間、そう思った。
「隆信殿のもとで育ち、私より見識も武芸の才もある姫にしてみれば、戯言のようにも思えるでしょう。武将としての資質があるわけでもなく、政にしてみても民と共に泥にまみれることが精いっぱいだ。それでも、私の気持ちは十四の頃から変わっていないのです」
 溢れるように言葉が口をついて出た。
 だが、言葉を紡げば紡ぐほど、玉鶴姫の顔は青ざめていくようだった。
「殿がそう望まれるのであれば、道はただ一つでしょう」
 震える声で、玉鶴姫が俯いた。
「動き出せば、父は止まりませぬ。父は父祖伝来の権威を憎んでおります。そこに胡坐をかき、弱き者を虐げる者を。そして、自らの道を妨げる者を許しませぬ。少弐家を滅ぼした時、父はそのしゃれこうべを……」
 言葉を詰まらせた玉鶴姫を、鎮漣はぎこちない手つきで抱きしめた。しばらくすると、震えが小さくなり、消えた。
 小さな肩から力が消え、その額が鎮漣の胸に押し付けられた。
「民を守りたいと思われるのであれば、決してその裁きをお間違え無きよう」
 玉鶴姫の囁くような声は、鎮漣の力では柳川の民を守ることができぬという言葉の裏返しのようにも感じた。そう言わせてしまうのは、己の力の無さだった。
 華奢な体を抱く腕に力を籠めることもできず、鎮漣はただ天井を見上げた。


   十一 孫四郎

 永禄七年(西暦一五六四年)二月──
 額に流れる汗を拭い、鍋島孫四郎直茂は和睦した高城に背を向け、佐嘉への道を急いだ。
 高城城主の平井経治は少弐氏の支族として、数年来、隆信に抵抗してきたが、今度の戦で龍造寺の軍門に下ったかたちだった。福母村での戦では、包囲された第一陣の兵を救い、孫四郎はそのまま平井軍を潰走させる大功をあげ、経治が開城を決断する契機となった。
 大勝利だったが、祝う間もなく隆信は一足先に佐嘉へ戻り、孫四郎もまた和睦の処理を終えると、飛ぶように佐嘉へと戻った。
 龍造寺家が慌てていると見せかけるため、必要なことだった。
 大友包囲網の主翼を担っていた毛利家が、大友宗麟と和睦した。その報せが飛び込んできたのは、高城攻めの最中だった。
「名ばかりの将軍家を動かして和睦を画策するとは。宗麟め、味な真似をしてくれる」
 自室で嬉しそうに吐き捨てたのは、しゃれこうべに鎧どおしを突き立てた隆信だった。室内にいるのは、孫四郎と昌直だけであり、隆信はその残忍さを隠そうとはしない。
「宗麟のうつけめは、大友家への包囲網を破ったと思っておるのだろうな」
 隆信が大杯を昌直に突き出した。
 昌直の手によって、酒が注がれていく。
「あの入道め。己は孤島の奥地で書簡をひたすら書いているだけで、全てを支配している気になっているのであろうが、それが大間違いよ。だから見誤るのだ」
 酔うほどに声が大きくなっていく。だが、それで隆信の思考に雑念が混じることはない。
「孫四郎よ。公方の仲裁による毛利家との和睦は、大友家にとって悪手だ」
「宗麟入道はそう思ってはいないでしょうね」
 孫四郎もまた、苦笑をこぼした。油断する時でないことは重々承知している。大友家の威勢は、肥前を着々と切り取りつつある龍造寺家と比べても、まだ強大すぎるほどに強大だ。だが、その強さと自信が仇になったと思わずにはいられなかった。
「大友家は毛利家との決戦を先延ばしにして、先に我ら龍造寺や筑後の堤貞元を討つつもりなのでしょう」
 宗麟の考えは理解できた。
 大敵毛利と戦う前に、獅子身中の虫を取り除こうとするのは、戦略としては間違っていない。全力を尽くしても勝てるか怪しい毛利家との戦の最中、龍造寺や堤が背後から攻めてくれば、大友家はその日のうちに滅び去ることにもなりかねないのだ。
「毛利家の尼子攻めも佳境。出雲、伯耆、因幡に集中したい元就としても、和睦は願ってもいないことであろうな。尼子を滅ぼした毛利と、獅子身中の虫を除いた大友。大友が勝つと宗麟は思っていましょうが」
 盃に酒を注ぎ、孫四郎も口に含んだ。
「獅子の身体が、すでに腐っていることを、宗麟はいつ知るのでしょうな」
 隆信が立ち上がり、間合いを取った。
 刀を抜き、昌直にも抜くように合図をした。やめろ、とは言えなかった。昌直が刀の達人とはいえ、それでも隆信に勝る遣い手は、家中にいない。
 二人の練達による剣舞は、見ているだけで血が滾るようだった。
「岩屋城、高橋鑑種。そして、立花山城の立花鑑載」
 隆信が口にした名前は、いずれも大友家の一族であり、代々忠誠を誓ってきた者たちだ。
 高橋鑑種はあらゆる戦で抜群の武功を立て、かつて宗麟の命を、身を挺して守ったこともある。宗麟の信頼は篤く、侍島の戦で大友家が大敗した後、岩屋城の城督として筑前国守護代の地位を与えられていた。立花鑑載もまた、大友家先代より仕える武士であり、重要な戦には必ず参陣している。
 立花山城は毛利家の豊前侵攻を押しとどめる要。岩屋城もまた、筑前大宰府を筑紫惟門から守護する要衝である。大友家にとっては、決して失ってはならない拠点であり、宗麟が二人に任せたのは、至極当然の判断だろう。
「悲しいかな」
 隆信の言葉が、瓦灯の光を揺らしたようだった。
「孫四郎。筑前は、お主の掌の上だ」
 満足げな言葉に、孫四郎は頭を下げた。
 高橋鑑種と立花鑑載は、すでに大友家への叛心を固めている。その二人だけではない。隆信と孫四郎によって大友家からの離反を決めた者は、数え上げればきりがないほどだ。大友家の家中が知れば、上から下までが飛びあがり仰天するだろう。
 隆信の刀が、しゃれこうべを再び突き刺した。粉と砕け、藺草が白くまみれた。
「両将の裏切りは、宗麟が二人の一族を誅殺したが故。宗麟も甘い男だ。儂であれば、誰一人生かさぬものを」
 平然と言い放った隆信が、刀を鞘に納めた。昌直が下がる。
「元就が尼子を滅ぼし、全軍をもって豊前に渡るのは数年後になるだろう。宗麟は驚くであろうな。鉄壁の布陣と思っていたものが、そっくり敵となるのだ」
 毛利軍と大友軍との対峙が、蹶起の合図だった。
 筑前では、岩屋城の高橋鑑種、立花山城の立花鑑載、古処山城の秋月種実、天拝山城の筑紫惟門、高祖城の原田隆種らが一斉に立ち上がり、肥前では龍造寺と千葉家が、豊前からは宗像家や長野家が一斉に大友家へ襲い掛かる。
 想像しただけで背筋が凍るような布陣だった。
「我らも、それまで生き延びねばなりませぬ」
「宗麟に唆された少弐の残党のことであれば、孫四郎、お主に任せる。適当に相手にせよ。生かさず殺さず。龍造寺は、肥前の統一に苦戦しているように見せよ」
 毛利家と和睦した宗麟は、かつて隆信が滅ぼした少弐冬尚の息子を、ここぞとばかりに肥前に送り込み、反龍造寺勢力をまとめ上げている。
「宗麟の調略に苦戦していると見せつつ、いずれ大友家と和睦を結ぶ流れでよろしいですね」
 隆信が頷いた。
「大友ほどの大敵は、一挙に滅ぼす必要がある。元就が豊前に戻ってきた時、我らは大友を攻め、肥前、筑後、肥後を切り取るぞ。柳川の姫も、ようやく使いどころができたわ」
 不意の言葉に動揺したが、それを見抜かれぬよう孫四郎は目を細めた。
「お主との立ち合いをみて姫を嫁がせたものの、あのうつけは、家中から見放され、今にも廃嫡されようとしているらしいではないか。役立たずもいいところ」
 筑後での鎮漣の評判は、佐嘉にまで伝わってきていた。廃嫡されれば、柳川城は鎮久が継ぐことになるだろう。そうなれば、玉鶴姫を嫁がせた意味もなくなる。
「十郎の才については未だ分からぬことが多いように思います」
 大友家による筑紫攻めで見せた鎮漣の動きは、うつけにできる者ではない。柳川領内での木綿栽培にしてみても、無理だと思っていたが、時をかけて鎮漣は成し遂げている。油断すべきではない。ただ、それが自分の願いであることも、孫四郎は気づいていた。
 玉鶴姫が嫁いだ男は、非才であるべきではない。自分の心を納得させるためにも、かつて一木村で隆信と共に戦うと誓った男は、一廉の武士であってほしかった。
 孫四郎の想いを察してか、隆信の表情に不快なものがよぎった。
「まあよい。毛利家の侵攻と共に、柳川を攻める。姫には、内応の支度をさせておけ」
「露見すれば、姫の身が危ういかと存じますが」
「構わぬ」
 言い切った隆信に、孫四郎は俯いた。一度口に出した言葉を、隆信は決して曲げない。鎮漣を警戒するのであれば、戦となる前に鎮漣を調略せよ。孫四郎の玉鶴姫への想いを知る隆信の言葉には、そう込められていた。
 自分であればできると信じているがゆえの隆信の言葉だった。
「御意」
 孫四郎の呟きに、隆信が鼻を鳴らした。
 時はかかった。だが、作り上げた大友包囲網は、これ以上ないものだ。自分が大友宗麟だとして、勝利する道は見えない。この策に、死角はないはずだ。
「孫四郎。そう構えるな。しくじろうとも責は全て俺にある。いかなる結末になろうと、俺が何とかするさ」
 隆信の不敵な笑い声が、室内に響き渡った。

 

(第8回につづく)