十四 孫四郎
永禄十二年(一五六九年)四月──
雲霞の如く城下に蠢く大友家の大軍を見下ろして、孫四郎はちらりと隣で胡坐をかく隆信を見た。家臣たちが悲壮な表情をする中、大きな欠伸をして、どこか緊迫感に欠けている。
佐嘉城の曲輪の一角、二重櫓の上に酒を持ってこいと隆信が命じたのは、日が暮れるころだった。
「ものの見事に囲まれたのう」
ぼんやりと呟いた隆信が、盃を呷り、くつくつと笑った。
「申し訳ございませぬ」
孫四郎の謝罪に、隆信は首を振った。
「責めてはおらぬ。お主の策を了承した時、こうなることも予測しておった。そのうえで、儂は決めたのだ」
遠く、星のような数の篝火は、大友家の怒りそのものだった。
総勢八万からなる未曽有の大軍の総大将は、雷神とも軍神とも呼ばれる大友家の宿老戸次道雪。正面切って向かい合うのは初めてだったが、城内の兵がその名に畏縮しているのは手に取るように分かった。
「八万の兵と戸次道雪か。目と鼻の先の高良山には、大友宗麟みずから出てきているというではないか。儂も大物になったものよ」
追い込まれた者の負け惜しみではなく、隆信は心の底から満足しているようだった。
隆信が、美味そうに盃を重ねていく。
月の明かりが、龍によく似合っていた。
この非常時に、なんと悠長なことかと怒る老臣たちもいたが、格子から差し込む月明かりに照らされた隆信を見て、傍にいる者たちもどこか安堵の表情を浮かべ始めている。
これまで隆信の言葉に従って、負けたことはないではないか。皆の脳裏に、そう浮かんだのが分かった。
不思議な男だったが、それが大将というものなのだろう。
意を決して、孫四郎も盃を手に取った。
「呑むか」
「お流れを頂戴したく」
隆信が酒を注ぎ、孫四郎は一息に呑み干した。
酒精は強くないが、身体の奥底から熱くなるような気がした。
「宗麟入道を包囲するはずが、佐嘉が包囲されたのはなぜか。孫四郎、話してみよ」
櫓の中に胡坐をかく二十人ほどが、全員酒を腹におさめた時、隆信が呟いた。
お前の役目は、ここから家中の者たちの士気を上げることだと、言葉の裏から伝わってきた。
「宗麟の力を侮っておりました」
「ほう」
「筑前の高橋鑑種、立花鑑載の蜂起によって、大友家は間違いなく浮き足立ちました。そこに毛利が攻めてくれば、包囲網は成功していたはずです」
「なぜ、そうはならなかった?」
隆信は、これまでの調略の経緯を家中に聞かせるつもりなのだろう。そして、敵を侮るなという教訓を刻もうとしている。
「宗麟の巧みな調略によるものです。筑前に広がった動乱に慌てず、宗麟はまず足元の豊後を固め、そして肥後の相良家を圧迫しました。後背を固めると、電光石火の速さで筑前の秋月、立花、豊前の仁保隆慰らを討ち取っています。彼らを救うべきは毛利でしたが、宗麟の調略の手が伸びた備前浦上家を警戒して動けませんでした」
「宗麟という男は、相当遠くまでものが見えるようだな」
「各地の報せを伝える者がいます」
「伴天連キリスト教か」
「御意。鉄砲など新しい技を持つ伴天連は、日本全土の大名から重宝されています。その中でも、早くから様々な恩恵を与えていた宗麟のもとには、多くの伴天連が集まり、全土の報せをもたらしています」
「ふむ。仏道に反するものと忌避する者も多いが、宗麟入道にとっては救いの手ともなったわけだな」
ちらりと一座を見渡すと、ばつの悪そうな表情をしている者もいた。伴天連が布教しようとするキリスト教を弾圧すべきと常日頃から言っている男だった。
視線を隆信に戻し、孫四郎はつづけた。
「くわえて、宗麟はこれまで毛利家の与力として従っていた瀬戸内の海賊衆に、筑前表での札浦(通行料を徴収する権利を持った港)を認め、毛利家の進軍を容易ならざるものとしました」
瀬戸内の海賊と言えば、毛利元就が飛躍するきっかけとなった厳島の戦いで、毛利家に尽力した者たちだ。思い込みは捨てるべきだと、孫四郎は伝えたかった。
宗麟の調略と、戦場での戸次道雪の奮迅によって、大友包囲網は崩された。
だが、その始まりは、ただ一人の男の、非凡な決断があったからだった。
「されど、宗麟が調略する猶予を手に入れたのは、前年の飢饉によって兵粮が不足していた中、筑後勢に兵粮を供出した者がいたからです」
静寂の中、隆信が眉をひそめた。
「柳川だな」
隆信の言葉に、家中の者たちが騒めきだした。玉鶴姫が嫁いだ先であり、筑後にあって大友家への忠誠無比の蒲池宗雪のいる城だ。
「柳川は、その年の正月から、自家の船全てを使って、土佐や果ては堺まで巡って兵粮米を集めていました。それによって、柳川の金蔵は空になったともいいます。差配したのは、宗雪殿ではなく、十郎鎮漣です」
最後の言葉に、隆信の頬が吊り上がった。
「婿殿は、なぜ兵粮米を買いあさったのか。いや、飢饉に苦しむ他の家も、米を買いあさってはいた。だが、婿殿が求めたのは、領内では食いきれぬほどの量だ。なにより、あの折は大友方だった高橋鑑種が、筑豊の米を大量に備蓄していた」
「……高橋殿の謀叛を、予見していたかもしれません」
ありえないと思いながらも、状況を考えれば考えるほど、そう結論づけるしかなかった。大友家の一族であり、戦功も抜群、宗麟から筑前国の守護代にまで任じられていた高橋鑑種が叛くなど、当時誰も予想だにしていなかった。
鑑種が、孫四郎の調略に乗ってきたことを毛利元就に伝えた時も、最初はありえぬと断じられたほどだったのだ。
「もしも、婿殿の行動が予見したうえでのことであれば、我らの苦境は、婿殿によってもたらされたとも言えるのう。いやはや。さすがじゃ」
隆信の笑みに、残忍なものがよぎったのを、孫四郎は見逃さなかった。
使える道具に対して、隆信はこれ以上ないほどの愛情を注ぐ。だが、自らを邪魔する者に対しては、背筋が凍るほどの憎しみを向けてきた。
隆信が立ち上がり、盃を櫓の外に放り投げた。
砕ける音が、小さく届いた。
「よいな。この光景を忘れるな。万事抜かりなく備えたとしても、些細な見落としがあれば一挙に崩れ去る。戦の世ぞ。裏切りは当然。子が親を討ち、兄が弟を殺す世だ。ゆめ、油断をするな」
胡坐をかいていた者たちが、一斉に姿勢を正した。
「孫四郎」
張りのある言葉に、孫四郎は立ち上がった。
「毛利元就殿が安芸を発ち、ようやく長門に入られました。主力四万の兵は、すでに渡海を終え、豊前に入っています。すぐにでも立花山城に向かうと烽火が上がりました」
「毛利を討つため、戸次らは動くな」
「御意」
渡海してきた毛利軍を率いるのは、吉川元春と小早川隆景の二人。山陰、山陽の攻略で大きく名をあげ、名実ともに西国屈指の武将だ。負ければ全てを失う大戦になる。大友家は、戸次道雪をはじめ三老全てを向かわせるだろう。
隆信が新しい酒壺を取り上げ、そのまま豪快に飲んだ。
「二度と味わえぬ酒の肴じゃ。孫四郎!」
隆信の気合が弾けた。
「次は勝つであろうな」
笑う隆信に、孫四郎は静かに頷いた。
大友家と龍造寺家の和睦をとりなしたのは、蒲池鎮漣だった。大友家中には、隆信と孫四郎の処断を命じる声も大きかったようだが、鎮漣が自らの功績と引き換えに、大友家を説得したのだという。
毛利家の大軍が迫っている状況で、これ以上佐嘉の包囲を続けられなかったという事情もある。鍋島家から一族のものを人質として差し出すと、七万の大友軍は一路、北へ反転していった。
「礼は言わぬぞ、十郎」
遠ざかっていく土煙に、孫四郎は拳を握った。
腹立たしさと喜ばしさがない交ぜになっている。不思議な感覚だった。四年かけて造り上げた大友包囲網を崩されたことは、目から血が出るほどに悔しい。だが、蒲池鎮漣という気弱な男が、孫四郎が心の底で願っていた通りの武士として名乗りを上げたのは、身体が震えるほどに嬉しかった。
孫四郎の策を看破し、兵粮を集めることで大友家を動かし、包囲網を次々に破っていった。今もまた、多々良浜に集う毛利家との決戦に従軍し、北上している。
戸次道雪の与力として、毛利家との戦で功を挙げたことが、佐嘉にも伝わってきた。
隠していたのか、ようやく花開いたのかは知らないが、鎮漣はその力を隠すつもりは無いようだった。蒲池鎮久と大木統光を左右の将として、手足のように動かしている。蒲池家の老臣たちも、人が変わったかのような鎮漣の言葉に驚き、受け入れているという。
鎮漣が佐嘉に残したものは、大友家との和睦だけではない。
それは、隆信と孫四郎に対する問いかけでもあった。
なぜ、龍造寺家の助命を嘆願したのか。玉鶴姫の父親だからと言えば一応の理屈はつくが、龍造寺隆信は、これまで大友宗麟に幾度も叛旗を翻してきた。隆信を庇えば、鎮漣も目をつけられることが分かっていたはずだ。
「難題だな、十郎よ」
独りごち、だが頬が笑っていると孫四郎は思った。村中城から見渡す佐嘉の城下は広く、活気に満ち溢れている。
大友家を滅ぼす者は、独力でなければならない。
鎮漣の意思は伝わってきた。毛利家という強大な大名家を西海道に引き入れれば、その重石が消えた時、再び戦禍にみまわれる。それができぬのであれば、大友家の支配のほうが幾分ましだと鎮漣は考えているのだ。
お前たちに、大友に勝つ力があるのかと、鎮漣は問いかけてきている。
向かい合えば震えていた姫若が、随分と大上段になったものだ。
共に戦いたいと願ったからこそ、鎮漣は龍造寺家の助命を嘆願したのだろう。それを示すことを、孫四郎たちに求めている。
試されることは嫌いではなかった。
十月に入り、毛利の大軍が西海道から退いた。大友宗麟の策によって、毛利領内では毛利元就に滅ぼされた大名の遺臣たちが蜂起し、小さくない勢力となっていた。
毛利が退いた後、大友家の大軍は、毛利に与した国人衆に矛先を向けた。同月中に筑前の秋月が降伏し、十一月には高橋鑑種が降伏している。孫四郎が四年をかけて育て上げた包囲網が、端から次々に落とされていった。次に狙われるのは、龍造寺家だろう。
だが、その報せを聞きながらも、慌てはしなかった。
大友軍の矛先が、龍造寺家に向いたのは、年が明けた永禄十三年の四月のことだった。大友宗麟率いる六万の大軍が高良山に布陣し、隆信と孫四郎の自刃を求めてきた。
待ちに待った敵だった。
包囲する大友の総大将には、一族の中から大友親貞が選ばれていた。大友家が誇る戸次道雪も目付として参陣しており、幕中には蒲池家の左三つ巴紋もある。
「十郎。望み通り、大友への勝ち方を見せてやろう」
孫四郎がそう呟いたのは、八月十九日の深夜だった。
「親貞を討て! さすれば、我らの勝利だ」
大友親貞が布陣する今山への夜襲は、孫四郎自身が率いた。五百の味方は半数が死に、だが十倍以上の敵を殺した。
嵐のような戦闘が終わったのは、東の空が朱く染まり始めた頃だった。
目に入った血の痛みが心地よかった。
「首を掲げよ」
荒い息とともに、孫四郎はにやりとした。
大友親貞の首が、高々と槍に掲げられた。勝鬨の声が平原に響き渡り、村中城内から、旗鼓堂々たる隆信の軍勢が現れた。包囲していた大友勢が算を乱して、潰走してゆく。
平原に踏みしだかれた大友の杏葉紋を眼下に、孫四郎は岩の上に腰を落とした。
「これで、よいのであろう」
遠く、潰走していく大友勢の中にいるであろう鎮漣へ、そう呟いた。