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二十四 孫四郎


 須古城から、血まみれの骸がいくつも運び出されていた。
 顔から足にかけて無惨な切り傷が刻まれていたという。木下昌直の報せを聞きながら、鍋島孫四郎は嘆息した。
「殿の怒りは激しいか」
「私の言葉を聞いてそれ以外に聞こえたのであれば、孫四郎殿も耄碌したと言わざるをえませんな」
「言うではないか」
 言葉が疲れていると思った。
 佐嘉の城下は、龍造寺隆信を称える声で溢れている。大友を破り筑前と豊前を手に入れ、肥後の全域にわたって傘下に収めたのだ。落ち目の大友を除けば、西海道は龍造寺と島津の二強と言ってよかった。
 柳川との講和も無事に終わったことで、領内は束の間の平穏に満ちていた。今も、遠くから賑やかな宴の声が聞こえてくる。
「昌直、それは何のつもりだ」
 茶室の躙り口に控える昌直を見て、孫四郎は舌打ちした。
 平素、生真面目な表情を崩すことのない昌直の顔に、墨で模様が描かれている。眉も、いつもよりも太い。それまで暗くて気づかなかったが、どうやら酒の飲み比べにでも負けたのだろう。昌直からは、酒の匂いが漂ってきていた。
「惚れた女子がおりましてな。此度の戦が終われば、婚儀をと申し入れておりました」
「それと、そのつまらぬ墨が何のかかわりがある」
「女子の父御が、戦だけが取り柄の面白くもない男に娘をやれるかと申しましてな。それがしなりに、夜を徹して考えたすえです」
「それで、その墨か」
 茶室に沈黙が流れた。
「すまぬ」
「いえ」
 気まずさを紛わすように、孫四郎は頬杖をついた。
「そうむくれるな。上手くいかなかったのであれば、私がとりなしてやる。相手は誰だ」
「覚順殿の娘です」
「ああ、あの娘か。なるほどな。朴念仁かと思っておったが。物乞い同然で佐嘉まで流れてきたお主を迎えてくれたのが、覚順殿だったな。ふむ、いつからだ」
「半年ほど前です。柳川の包囲から離れ、肥後を攻めた後、佐嘉に戻りました」
「殿への伝令だったな。たしかお主が行くと言ってきかなかったな」
「それくらいの槍働きはしたと思っておりますのでな」
 戦場からの逃亡は、武士として蔑まれるべきことだが、鍋島家中で木下昌直ほど武功を挙げた者はいない。豪胆と言うべきか、愛らしいと言うべきか。苦笑しながら頷き、孫四郎は畳の上に大の字になった。
「お見苦しゅうございます」
「ここには友しかおらぬ。私は外では、龍の御者などと言われる貴公子なのだ。構わんだろう」
 昌直が笑ったようだ。
「荒ぶる龍を、どう御するおつもりです?」
「説くしかあるまい。十郎の戦、身をもって知ったであろう。あれと二度も戦えるか?」
「それがしは御免蒙りたいものですが。筑前、肥後の大勝に水を差されたことに、殿は怒っておいでです」
「水を差された、か。柳川は降ったではないか」
「形としてはそうですな。孫四郎殿の田舟の策によって大手門を落としたことで、蒲池家は降りました。されど、龍造寺軍全てを見れば、多くの犠牲を出しております。行方の分からぬ者を含めれば、柳川との戦で犠牲になったのは、一万以上。五州の太守となった殿にとって、喉に刺さった忌々しい小骨のようなものでしょう」
 昌直の言う通りだった。
 形としては、蒲池家は龍造寺家に降った。だが、戦そのものを見れば、間違いなく龍造寺軍の大敗だった。
 鎮漣は、鮮やかに勝ち過ぎたのだ。
 講和を申し入れる時、孫四郎が言った言葉の意味に、鎮漣も気づいていたのだろう。勝ち過ぎたがゆえに、隆信の自尊心が深く傷つくことになったと。鎮漣の表情は暗かったが、同時に、やはり隆信をまだ信じていることも伝わってきた。でなければ、あれほど容易に和議を呑むこともなかっただろう。孤立無援といえど、柳川城を包囲し続けることは龍造寺軍にもできなかった。もう一年も耐えれば、島津家が北上してくることも十分にある。戦を続けようと思えば、鎮漣は続けられたのだ。
 鎮漣は、身を挺して隆信を諫めようとしたのだと、孫四郎には分かっていた。
 隆信が鎮漣を疑おうとも、隆信が鎮漣に負けようとも、自らの忠誠は隆信に向けていることを、鎮漣は伝えようとしたのだ。
「それを受け止めるだけの器が殿にあると信じている」
 受け止めてもらわなければならないことも確かだった。
 柳川があまりに鮮やかな戦をしたがゆえに、筑後では龍造寺家を軽んじる者が出始めていた。大友家と争ってきた肥後とは違い、筑後の国人衆はもともと大友の藩屏であったものが多い。龍造寺軍の強さが、彼らの首を垂れさせているのだ。
 筑後勢が離反すれば、肥後との連絡が途絶え、龍造寺に降った肥後の国人衆たちも再び離れていくだろう。島津が北上する動きを見せているとも伝わる今、筑後を固めることは何よりも優先される。
「明日、須古に行く」
「私は?」
 連れていくか迷い、孫四郎は首を左右にふった。
「お主は、そのおかしな墨を落として祝言を用意しておけ」
 荒れ狂う隆信のもとに、龍造寺軍きっての武勇を持つ昌直を伴えば、あらぬ疑いを向けられかねなかった。

 須古城の二の丸で孫四郎を迎えた隆信は、こちらが拍子抜けするほど朗らかな表情をしていた。酒も抜けているようで、言葉もはっきりしている。
「柳川の戦は苦労をかけたな。お主がおらなんだったらと思うとぞっとする」
 孫四郎の肩をゆすり、隆信が笑った。
「お主が、柳川攻めを囮にすると言った時、これほど上手くいくとは思っておらなんだ。肥後を統一し、忌々しい大友から豊前までを奪い取ることができたのは、全てお主の功だ」
「ありがたきお言葉でござります」
「お主がここまで姿を見せたのは、柳川の仕置についてであろう」
 こちらが言うよりも先に、隆信が切り込んできた。憑き物が落ちたかのような表情で、隆信が南に広がる泥濘の浅瀬に視線を向けた。猟師たちが、泥濘の中で鍬を振り上げて泥喉魚どじようを探している。
「須古の館からは民がよく見える。戦が終わった喜びが、佐嘉の城下にいる時よりも、肌身で感じられるのだ」
 隆信の言葉には、久しぶりに感じる優しさが滲んでいた。
「儂が、柳川に参り、蒲池と龍造寺は固く結ばれておることを示そうと思っておる」
 隆信の言葉に、孫四郎が慌てた。そんなことをすれば、筑後の国人衆は龍造寺家が蒲池家に阿ったと思いかねない。なにより、鎮漣がそれを望んでいない。
「今、民は戦が終わって束の間の平穏を喜んでおる。そんな中、みだりに筑後中を巻き込むような大戦を起こせば、民は儂を見放すであろう。それにな。鎮漣から誓紙が届いた」
 紙切れだが、と隆信が笑った。
「一木村で共に火を囲んだ頃に戻れないかと、書いて寄越してきおったのだ。毒気が抜かれたわ」
 大きく伸びをして前に歩いた隆信に、孫四郎は頭を下げた。
「柳川の帰参をお認めになるのですね」
「認めるも何も、龍造寺の当主である政家がすでに認めておろう。儂はその仕上げをするだけじゃ」
「されば、十郎を佐嘉にお呼びください」
 隆信が肩越しにこちらを振り返る。
「鎮漣が佐嘉に来るかのう。蒲池家中には、いまだ龍造寺を敵とみなす者も多くおろう。むざむざ敵地に来ると思えぬ」
「十郎だからこそ、必ず参りましょう」
 鎮漣は、自らが佐嘉に来ることで、筑後が龍造寺のもとに平穏を取り戻すことを理解している。なによりも、それを願っている。
 隆信が有明の海に視線を戻した。
「ならば、万事お主に任せる。鎮漣が来れば、儂は身一つで、佐嘉で出迎えよう」
「ありがたく」
 自ら柳川に出向くとまで言ったのだ。隆信の言葉に、孫四郎は心の底から安堵がこみ上げてきた。
 その日のうちに須古城を出立し、筑後の酒見城に戻った孫四郎は、木下昌直を柳川へ使者として送った。桜の蕾が膨らみ始めている。
 満開になる頃には、友と三人で美味い酒が酌み交わせるかもしれない。

 

(第20回につづく)