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 あまりのそっけなさに呆然としたが、いつまでも引きずってはいられない。この嘘は、何が何でも貫き通さなければならない。それ以降、浦島と武本に何を言われようと、桃子は都合が悪いことに関してはだんまりを決め込んだ。
 それから昨日の午前中までの三回の取調べを乗り切った。午前中は取調べはなかった。代わりにワゴン車に一人で乗せられて裁判所に連れていかれた。検察でも取調べが行われた。その内容は相手が刑事から検察官に変わっただけで、全く同じだった。
 正直、時間の無駄だと思ったが、これまでずっと留置場と取調室の往復のみだったので、場所や相手が変わっただけでも気分転換にはなった。
 そして今日の午前中の取調べで、起訴が確定したと浦島から告げられた。ならばこれで取調べは終わるのだろう。ほっとしたのもつかの間、まだ取調べは終わっていないので、このまま継続すると言われて、がっかりした。
「食事だ」
 留置担当官の声に続いて、居室の鉄格子の差し入れ口から、床に敷くゴザを渡された。桃子は「はい」と応えて受け取り、そのまま入り口近くにゴザを敷いた。居室には机がないので食事は畳に敷いたゴザに置いて食べる。
 十二時になって、留置担当官が持ってきた昼食を受け取る。昼食は基本的にパン食だ。八枚切りくらいの厚さのパンが三枚に、小学校の給食で出てきたような小袋に詰められたマーガリンとイチゴジャムがついて来た。昨日はリンゴジャムとピーナツペーストで、一昨日はマーガリンとリンゴジャムだったから、日替わりになっているらしい。おかずは十センチくらいの容器に入ったチキンナゲット一つとポテトサラダだった。昨日はウィンナーとほとんどキャベツの千切りだけの味の薄いコールスローサラダで、一昨日はミートボール一つのナポリタンだった。正直、美味しくはない。あとは紙パックのジュースで、今日はヨーグルト味だ。これも日替わりらしく、昨日はオレンジで、一昨日はアップル味だった。
 留置場では三食が無料で支給されるが、平日の昼食だけは自分で五百円の費用を負担すれば購入することが出来る。メニューは日替わりでご飯物が二つと麺類一つの中から選べて、前日の夕方に頼めば、翌日の昼食として提供される。署内の食堂で作っているので、警察官も同じものを食べているとのことで、取調べのときに浦島が、「牛肉ではなくて豚肉だけれど、焼肉丼は美味しいよ。あとは、鶏の照り焼き丼もお薦めだ。麺類は麺が伸び気味だし、だし汁もぬるいからあまりお薦めできないよ」と、教えてくれた。
 平日の自弁だけでなく、日曜日には三百円でお菓子も購入できる。ただし、ロールケーキかどら焼き、チョコパイのどれか一つだけだ。代金は各自の所持金から引かれ、釈放、または保釈時に精算すると留置担当官から説明を受けていた。
 逮捕された時、桃子の所持金は十一万六千五百六十円だった。瑛大が最後の客の代金の回収に来なかったからだ。
 お金は十分に持っていた。けれど、桃子は一度も自弁を頼んでいない。日曜日はまだきていないがお菓子を頼むこともないだろう。理由は、少しでも多くお金を翼に渡したかったからだ。自分のせいで前科がついただけでなく、脱税も見つかってしまった。宇佐見が言った通りならば、罰金を支払わなくてはならない。せめてその罰金は自分が払いたい。いや、払わなければならないと桃子は思っていた。
 届いた昼食の食パンの一枚目はマーガリンだけ、二枚目はイチゴジャムだけ、三枚目はマーガリンにイチゴジャムを重ねて塗って、その順番通りに食べていく。イチゴジャムだけのが最後だと、口の中が甘ったるくなって嫌だからだ。
 正直、美味しくはないし、量も少ない。けれど、お腹が空いているから完食してしまう。
 食べ残しや飲み残しの取り置きは許されていない。だから三十分の食事時間内にすべてを食べ終えなくてはならない。桃子はもともと食べるのが速くはない。けれど、三十分かかるほどの量はなく、味わって食べるほどでもないので、食べ終わるのには十五分もかからない。
 食事が終われば午後五時の夕食までは自由時間だ。とは言っても、検察へ連れていかれたり、刑事による取調べ、弁護士の接見や一日一組限定の面会がこの時間内で行われるので、完全な自由時間とはならない。
 十二時半になって空き容器とゴザを回収された。
 歯を磨き終えた桃子は畳の上にごろりと横になった。今日の午後は二時からまた取調べがある。集中力が途切れて、適当に頷いたりしないように、食後はしっかり休んでおかなくてはならない。
 昨日は午後一時に弁護士が検察での取調べの内容を確認しに来たが、今日は来ないらしい。
 二十日に逮捕されて、その日のうちに警察は両親に連絡し、実家内の桃子の私物を押収した。翌日の午前中に、父親が初めて見る背広姿の五十代くらいのおじさんと一緒に面会に来た。そのおじさんが弁護士だった。それから弁護士は昨日まで毎日接見に来ていた。父親はまた別の日にも弁護士と一緒に、差し入れの本や雑誌、衣服を持ってやってきた。けれど、母親と妹はこれまでただの一度も来ていない。
 弁護士が言うには、ニュースやネットは事件の話で持ち切りだという。ことに、顔出しなしで取材に応じた同級生や立ちんぼの数名が、桃子の両親は、ピアノのコンテストで結果を出している妹しか眼中になく、桃子はネグレクトされていたとか、家出しているのに捜してなかったみたいだと話したことで、マスコミが大挙して実家に押し寄せていると聞いた。
 両親に申し訳ないとは一切思わなかった。それどころか、これまで自分を無視してきた結果がこれだ、ざまぁみろとすら思っていた。けれど妹に対しては、わずかではあるが、心の中で痛みを感じていた。
 妹も両親と同じで自分を無視していた。ただ、妹は本当にピアノが好きだ。だからこそ、自由な時間がほとんどないにもかかわらず、続けていられたのだろう。自分が逮捕されても、これまでと変わらず、練習しているに違いない。でも、コンテストとか、今後の人生でずっと、自分の妹だと陰口を叩かれ続けられるのかと思うと、さすがに可哀想なことをしてしまったと思う。
 そんなことを考えているうちに、いつの間にかうとうとしていた桃子の耳に、「百二番、一時から面会だ」と、留置担当官の声が聞こえた。起き上がって「はい」と返事する。
 留置場内では名前ではなく番号で呼ばれている。最初は違和感があったが、二日目になって薄れて、今ではなんとも思わない。
 面会は月曜から金曜の平日のみ、時間は午前九時から午後四時まで一日一組のみで、十五~二十分程度となっている。父親だろうか。また雑誌でも持ってきたのかなと思いながら、時間になるのを桃子は待っていた。

 

(つづく)