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中央と入り口近くの壁沿いに、それぞれ机が置かれた部屋に通された。ドラマや映画で見た取調室のまんまじゃん、と桃子は思う。言われた通りに中央の机奥の椅子に座っていると、ノックの音に続けて背広姿の男が二人入って来た。どちらも刑事なのだろう。桃子の正面の椅子に腰掛けた男はぱっと見、企業にでも勤めていそうだ。対して、入り口近くの机の男は、体も大きく顔も厳つい。再放送の刑事ドラマに出てくる暴力団担当の刑事みたいだ。
背後でドアの閉まる音がしてから、腰に巻かれた縄が解かれる。
企業勤めっぽい刑事が話し始めた。
「二月二十日午後四時、これより取り調べを開始します。私は警視庁捜査一課の浦島太郎」
名前を聞いて、思わず机の上に落としていた視線を上げて浦島を見た。
「おとぎ話と同姓同名の浦島太郎です。あちらは武本正純です」
名前への奇異の目に慣れているらしく、浦島は自ら説明を足してから、もう一人の厳つい刑事を紹介した。武本が無言で少しだけ頭を下げる。
「改めて、これより取り調べを開始します。西田佳須美、十七歳。住所は東京都町田市鶴川金井×丁目〇番地△□。明煌学園高校三年在学。間違いありませんか?」
食い気味に、「はい」とだけ小さく答える。
知りたいのはただ一つ、翼が今どうしているかだ。午後二時半頃、新大久保のホテルの部屋にとつぜん刑事たちが押しかけてきて逮捕された。そのとき、頭に浮かんだのは翼は無事なのか? それだけだった。
男を殺した。だから自分が捕まるのは仕方ない。けれど翼は助けてくれただけだ。なのに逮捕されたのなら、申し訳ない。すべて自分が悪いのだ。翼は何一つ悪くない。
翼が逮捕されたのか、それともまだなのかが分からない。どちらにしても、翼を助けなくてはならない。自分が犯人だと認めれば、まだ捕まっていなければ、そのままですむかもしれない。すでに捕まっていたとして、罪は軽くなるはずだ。
そう考えた桃子は、刑事が告げた中落合の火災現場から発見された男性遺体の殺害容疑を素直に認めて逮捕された。
最寄りの警察署に行くのだろうと思っていた。けれど、車で連れていかれたのはお台場の警察署だった。移動中、何度も同乗している刑事に犯人は自分だと繰り返した。翼の名前を出すわけにはいかないだけに、どう訊ねるか悩んだ結果、他に逮捕者はいるのかと桃子は訊ねた。だが、誰も何も教えてくれなかった。署に着いてからの写真撮影や指紋採取の間も、そのあとの身体検査中もだ。女性警官の立ち合いのもと、洋服や靴はもちろん、ブラジャーも外して中に何かないか調べられているときも、さらに身体測定や所持品検査の間もずっと、桃子は同じことを言い続けた。
まったく答えて貰えないことに、「何で教えてくれないの? あたしがやったって言っているでしょ! 認めたの! 犯人はあたし! だから、他に誰か逮捕したのか教えてよ! してるのなら、それ間違いだから!」と、何度怒鳴ったことだろう。それでも誰一人、何も教えてはくれなかった。
やがて桃子は思い出した。前に観た刑事ドラマで、複数いた犯人のどちらが主犯かを確定するために、取り調べ内容を双方に伝えないというシーンがあったことを。ならば、自分が正直にすべてを話せば、翼への容疑は晴れる。
「あなたは二月二十日午後二時五十二分に、東京都新宿区中落合×丁目×番地の火災現場で発見された男性遺体の殺害容疑で緊急逮捕されました。逮捕時も、それ以降も、罪を認める供述をしています。間違いありませんか?」
「はい、間違いありません。私です」
自分を見つめる浦島の目をまっすぐ見つめながら、桃子は即答した。
「では、事件当日のことを話して下さい」
「一月十二日の夜に男の人と、一時間二万円の約束でホテル――サウスなんとかっていうホテルに行きました。終わったんでお金を貰おうとしたら、その人に襲われて首を絞められました。逃げようとして蹴っ飛ばしたら机の角に頭がぶつかって」
そこで桃子は詰まってしまった。翼に連絡を入れた話は出来ない。すべて自分がやったと言うしかない。
「――それで男の人が死んじゃって、怖くなって遺体を運びました」
もちろんこれで、はいそうですかとはならないのは分かっていた。でも、このあとは何を訊かれても、ひたすら自分がやったと言うだけだ。それしかない。
自分の声が途切れて、室内に聞こえるのは、武本が打つキーボードの音だけになった。
「一月十三日午前二時四十七分と午前三時十九分に、目白通り沿いの駐車場付近を君と男性がスーツケースを引いて移動しているのは、防犯カメラの映像で確認済みだ」
浦島の声に心臓を鷲掴みにされた。一気に胸がばくばくと脈打ち始めた。
一人でなかったのはもうバレている。ただ、一緒にいたのは瑛大だ。だったら瑛大のことだけ話せばいい。そう決めて桃子は話し出す。
「助けてって、頼みました。それで手伝ってくれました」
それだけ言って口を閉じる。次は瑛大について話すことになる。瑛大とはあの日、初めて会った。翼の名を出さずにどう説明しようと考えていると、「君とその男が乗った車には、もう一人男性が乗っていたのも確認済みだ」と、浦島に言われた。
頭の中が真っ白になった。
――どうしよう。翼がいたのもバレている。でも、もう一人と言っただけだ。それが翼とは分かっていないかもしれない。
そこで桃子は気づいた。その映像から自分が逮捕されたのなら、翼も瑛大も捕まっているに違いない。翼が犯罪者として扱われ、自分と同じく写真を撮られ、警察官の前で服を脱がされて検査されたのかと思うと申し訳なくて、居てもたってもいられなくなった。
「――一つだけ教えて下さい」
祈るような気持ちで声を絞り出す。
「何ですか?」
優しくはないけれど、冷たくは感じない声で浦島が訊ねる。
「あたしの他に誰か逮捕してますか?」
お願い教えて。心の中で何度も繰り返しながら、桃子は浦島を見つめる。でも、浦島は口を開かない。
「お願い、それだけ教えて。正直に全部話すから。だからお願い」
頬の上を滑り落ちた涙の粒が、ぽたりと机の上に落ちた。
「いない」
ようやく出てきた答えに、「本当に?」と、桃子は食い気味に訊き返した。
「いない。逮捕したのは西田佳須美、君一人だ」
――よかった。翼は捕まっていない。
俯いて両手で顔を覆った。安堵で涙が止まらない。
「これを」
声が聞こえて顔を上げると、いつの間にか横に立っていた武本がティッシュを差し出している。
「ありがとう」と応えてティッシュを受け取り、顔を拭く。写真撮影前に石鹸で化粧を落としたが、まだ残っていて、わずかにアイラインかマスカラの黒い色が着いた。
「先に伝えておく。君を逮捕できたのは、メンズコンセプトカフェ・シルバープリンスの店員、翼こと本名・石原進と無職の山上瑛大の両名が、今朝、中落合の火災現場で見つかった男性の死体遺棄をしたと自首したからだ」
――翼が自首? 何それ、どういうこと?
桃子の頭の中が疑問で埋め尽くされていく。
「防犯カメラの映像から山上瑛大を確定して、交流のある石原進を捜すために、昨日、新宿のメンズコンセプトカフェに聞き込みに回った。それを知って逃げられないと思った石原は、弁護士同伴で山上と共に自首したんだ」
警察は自分ではなく瑛大と翼を先に見つけた。無職の瑛大よりもメンカフェで働いている翼の方が捜しやすかったのだろう。結果、誰よりも先に翼に警察の手が迫ったのだ。警察が自分を捜していると知って、どれだけ翼は怖かったことだろう。どうしようか深く悩んで、きっと罪悪感に耐えかねて自首したに違いない。
桃子の頭の中に、項垂れる翼の悲しい横顔が浮かぶ。
自分と同じで無機質な狭い部屋に刑事二人と閉じ込められて、全部話せと追及されているのかと思うと、申し訳なくてたまらない。そこで桃子は気が付いた。翼は捕まったのではない。自首したのだ。だったら、犯罪者扱いはされていないはずだ。
「自首したのなら、翼は捕まらないんだよね?」
期待を込めて桃子は訊ねる。
「死体遺棄罪だから、執行猶予はつかない。三年以下の懲役で刑務所に入る」
きっぱりと浦島に言われて、目の前が真っ暗になった。
翼が刑務所に入る。ドラマや映画でしか見たことがないから事実なのかは分からないけれど、灰色の服を着て他の犯罪者とずっと一緒に牢の中に閉じ込められるのだ。
メンカフェの銀色のスーツが翼はとびっきり似合っていた。他のキャストの比ではなかった。私服も腕時計やアクセサリーも最高に格好良かった。その翼がすべてを奪われる。それも三年もだ。
――全部、あたしのせいだ。
また涙が流れ落ち出した。今すぐ会って翼に謝りたい。でもそれは叶わないのはさすがに分かっていた。
今、自分に出来るのはただ一つだ。翼には罪はないと警察に分かって貰って、少しでも罪を軽くして貰う、それだけだ。
「あたしが悪いの。翼はあたしに頼まれただけなの。翼は悪くないの。全部あたしが……」
分かってもらおうと、桃子は懸命に声を絞り出した。
(つづく)