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 背後の武本を振り向かずに浦島は取調室のドアをノックして開ける。机の奥の椅子に、明るい髪色の整った顔立ちの青年が腰かけていた。浦島に続いて武本も入室する。ドア近くに置かれた事務机の横に立つ戸塚署の刑事が一礼してから退室する。
「警視庁の浦島です」
「武本です」
 それぞれ名乗ってから、浦島が机を挟んで石原の正面に座り、武本は事務机の椅子に腰を下ろした。
「二月二十日午後一時三十二分、取り調べを開始します」
 浦島の宣言で、石原への取り調べが開始した。

 前日のメンコンへの聞き込みで山上と行動を共にしていたとみられる人物として、新宿区内のメンズコンセプトカフェ、クリスタルプリンスに在籍している石原進・二十四歳の可能性が浮上した。出勤予定だった石原は、当日とつぜん休むと店に連絡を入れていた。浦島は店から提供された石原の連絡先の携帯電話番号に電話をしたが、電源が切られていた。本部への報告を終えた二人は、その足で石原の現住所の新宿区市谷薬王寺町のマンションに向かったが、不在だった。管理人に頼んで出入り口の防犯カメラの映像を見せて貰った結果、午後六時十二分に大きめのボストンバッグを持って外出したことが分かった。目につく限りの周辺の道路、店舗、個人宅の防犯カメラの映像提供を依頼し終えると、その周辺でできることはそれ以上ない。そこで勤務先のクリスタルプリンスに戻り、店長や従業員たちに石原の行き先に心当たりはないか、山上との交流について知っていることはないか、石原はどういう人となりなのかなど話を訊くことにした。
 居場所と山上との関係については、目ぼしい情報は何一つ出てこなかった。石原は同僚たちとは常に一定の距離を取っていて、プライベートなことまで知る者は誰一人いなかったからだ。ただ石原の人物像は、店長と同僚たちとの間ではまったく違った。
 店長は、石原は口数は多くないし、あまり自分のことを明かさない秘密主義者ではあるが、シフトはきちんと守るし、売り上げも常に上位でお客とのトラブルもない優秀な従業員と好印象を持っていた。同僚たちも前半部分は同じだった。けれど、好感を持つ者はいなかった。
 自分の常連客がとつぜん店に来なくなり、連絡すら取れなくなった。数日後、渋谷のホテル街でその客と石原が一緒に歩いているのを見た。石原の常連客で店に来なくなったOLの客が、デリバリーヘルスのホームページに載っていた。後日、その客と石原が飲食店で一緒にいるのを見た。その頃に石原は家賃二十万円超えのマンションに引っ越し、身に着ける物も高級ブランド品ばかりになった――。
 店に来なくなった石原の常連客は一人ではなかった。ほかにもソープランドのホームページに掲載されているのを見た、職安通りで道に立っていたのを見たなどの目撃情報がいくつも出てきた。目撃談のあとに続いたのは皆、言い方は違えど、内容は同じだった。
 店は接待禁止だから、客との直のメールやメッセージのやりとりも禁止なのだが、実はしていて、店を通さずに直に物やお金を貰っているのだと思う――。
 店の給料は歩合制で、売り上げと比例して給料も上がる。同僚の数名は、これは内緒でと断りを入れてから、自分の月収を公開したうえで、石原の暮らしぶりはこの店の収入だけでは賄えないことを説明してきた。
 同僚たちの証言が事実ならば、石原は相手によって態度を変える男ということだ。石原の元常連客で風俗業に従事する女性の情報を聞いてから、二人は店を出た。そのうちの一人がホームページに掲載されているソープランドは歌舞伎町×丁目にあり、徒歩で十分もかからない場所にある。二人はその足で店に向かった。運よく、当該女性は出勤していた。
 石原について話を訊きたいと訊ねると、豊本泰恵・二十六歳は血相を変えて「進に何かあったんですか?」と、逆に訊いてきた。
 浦島はまず豊本に山上瑛大を知っているかと訊ねた。
「はとこの瑛大君なら知ってます」
 山上と石原は親戚でないのは、戸籍抄本で確認済みだった。念のためにもう一度浦島が確認を取る。
「山上は石原のはとこなんですか?」
「ええ、そう聞いてますけれど」
 豊本が怪訝な顔でそう答えた。石原が相手によって態度も言うことを変える男だと、ここでも立証された。
「そうですか」とだけ言うと、浦島は山上の行方を捜していて、石原から話を訊きたいのだと説明して、続けて「失礼ですが、豊本さんは石原さんとはどのようなご関係か、伺ってもよろしいでしょうか?」と訊ねた。
「交際しています」
 豊本は即答して、「いずれ、結婚する予定です」と続けた。
「いずれというのは?」
「進の実家の借金を全額返したら、結婚するんです」
 幸せそうな笑みを浮かべて、豊本が答える。
 石原の実家の借金の有無は確認しないと分からない。だが、さきほど石原の住むマンションを訪ね、メンコンの同僚たちから話を聞いた今、それが真実だとは武本には思えなかった。
「――おめでとうございます。それで、石原さんが今どこにいるかご存じですか?」
 その話に触れるのは得策ではないと浦島は判断したのだろう。ただ石原の所在を訊いた。「今日はお店に出勤しているはずです」
 また怪訝な表情を浮かべる豊本を見て、豊本からは目ぼしい情報は得られないだろうと武本は思い始める。 
 浦島から、石原が店を休んでいると聞いて、「え? なんで? 連絡してみます」と言うなり、豊本がスマートフォンを操作しようとする。
「すみませんが、我々が彼を捜していることは伏せていだたけないでしょうか?」
 武本がすばやく言う。
 豊本が動きを止めて武本を見る。続けて浦島に目を移す。二人の表情から、何かを察したらしい。豊本の顔から血の気が引いていく。
「だったら、連絡しません」
 豊本が、二人をきっと睨み上げて言った。連絡したら石原に不利になると考えたのだろう。愛する男を守るのは自分だとばかりに、強いまなざしをこちらに向けている。だが仕事の合間だからだと思われるが、着ているスウェットの上下は洗いざらしでくたびれていて、眼の下には濃いくまが浮かんでいる豊本が、結婚間近の幸せな状態には武本には見えなかった。
「山上は石原のはとこではありません。戸籍で確認済みです」
 豊本が目を見開くのを見ながら、武本は続ける。
「ここに来る前に、新宿区市谷薬王寺町の石原のマンションに行ってきました」
 ひゅっと音を立てて豊本が息を吸い込む。少し詰まってから「嘘よ。進が住んでいるのは、店の寮だもの。後輩と二人部屋だって」と、言い返した。
「いえ、店で現住所の確認を取って訪問し、管理人にも確認を取ったので間違いないです。店の同僚たちから、家賃は二十万円以上すると聞いています」
 怒りに満ちた目から力が抜け、くしゃりと顔が歪んでいく。
「――そんな。だって、進は」
 か細い声で言うと、豊本はその場にへたりと崩れた。
「大丈夫ですか?」
 浦島に声をかけられて、豊本が顔を上げた。
「居場所ですよね? 私もです」
 言うなり豊本が石原に電話をかけ始める。騙されていたと気づいたのだろう。その目は怒りでぎらぎらと輝いていた。
 だが結局、石原の行方は分からなかった。スマートフォンの電源は落とされたままだったからだ。
 後日、署で改めて話を伺いたいと頼むと、豊本は「明日は? 何時でもいいです」と、鼻息荒く同意してくれた。
 その時点で日付をまたいでいたので、捜査本部に報告を入れて、その日は解散となった。

 翌日は捜査会議終了後、浦島と武本は山上と石原の出身地であり、実家のある静岡県葵区に向かった。一日かけて双方の実家や出身校、交流のあった同級生らに聞き込みに回った結果、様々なことが分かってきた。話の裏を取るために、その翌日もまた静岡に向かうこととなった。午前八時半に静岡駅に到着し、聞き込みを始めて一時間半後の午前十時を回った頃、捜査本部から連絡が入った。山上と石原の両名が弁護士を伴って新宿署に、二月五日に起こった中落合の火災現場から出てきた遺体について知っていることを話したいと、自首してきたというのだ。
 受付は新宿署で行い、午後に捜査本部のある戸塚署に移送して取り調べを行うこととなったので戻れと言われ、浦島と武本の二人はすぐさま帰路についた。
 戸塚署に戻ると、捜査本部で取り調べの割り振りがされていて、二人は石原を担当することとなった。
 取り調べの前に、二人はこれまで調べて分かった石原と山上の情報のすべてを再確認した。先入観は厳禁というのは取り調べの鉄則だ。ことに今回は自首している。まずは話を聞く。内容の事実確認を行い、適切に対処する。それのみだ。
 だが今回はすでに情報を得ている。そのどれもが二人の、ことに石原の言うことは疑ってかかる必要があると思わざるを得ないものばかりだった。
 机に視線を落としている石原を武本は見つめる。
 一昨日、メンズコンセプトカフェに聞き込みに回り、各店舗のキャストたちを見てきた。女性の集客を目的とした店だけに、キャストたちは皆若く容姿が整っていた。ただ店によってはコンセプトの衣装に合わせて舞台メイクレベルの化粧を施していた。中には素顔の想像がつかないくらい化粧をしているキャストもいた。石原が在籍するクリスタルプリンスは王子がコンセプトの店で、キャストの化粧は他店と較べると薄かった。だが至近距離で見ると、眉毛、目元、鼻筋、頬ともに、陰影を濃くするメイクを全員が施していた。今、石原はメイクはしていないが、大きな目と通った鼻筋のその顔は、十分に整っている。
 神妙な面持ちに見えるが、目の下に隈はなく、頬もこけていない。憔悴してはいないと武本は思う。
 服装は紺色の丸首セータにブラックジーンズ姿で腕時計、指輪やネックレスなどのアクセサリーもしていない。これは弁護士の指導があってのものなのか、それとも、日常的にこうなのかは分からない。身体は脱力はしていないが、強張ってもいない。ならば、緊張はさほどしていない。見た限りの印象でしかないが、武本には石原が殺人の自首をしにきたようには見えなかった。
 ――ならば、何を告白しに来た?
 事件から十六日が経過した今、警察がメンズコンセプトカフェの捜査に及んだ当日に突然店を休み、その後、行方をくらましてからの弁護士同伴での自首だ。準備万端という言葉が武本の頭に浮かんでいた。
「二月五日、中落合×丁目の火災現場から見つかった遺体について話したいことがあるとか」
 浦島が穏やかに話しかける。
「はい。その空き家に遺体を運びました。――ごめんなさい。本当にごめんなさい」
 言い終えると石原は深く頭を下げた。

 

(つづく)