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被疑者の桃子の情報を捜査本部に伝え終えた武本が戻って、いったん中断していた石原の取り調べを再開する。桃子の居場所を供述して気持ちが少し楽になったのだろうか。石原の表情は取り調べ開始時よりもさらに落ち着いて見える。
「それでは、取り調べを再開します。先に一つ、確認します」
初めて浦島に質問されて石原の顔に緊張が走る。
「被害者は誰ですか?」
遺体を遺棄した経緯と、どのように行ったのか、そして殺人の実行犯が誰なのかを石原は供述した。だが被害者についての言及はなかった。
「――わかりません」
それだけ絞り出すように言う。
「発見された遺体が身に着けていたのは下着一枚のみ。衣服はありませんでした。所持品もです。それらはどうしたんですか?」
石原は男の服を着たと供述した。だが、それらは発見されていない。
「あなたはさきほど被害者の衣服を着たと証言しています」
言質は取っているとばかり、浦島が念を押す。
「中落合に向かう車中で男の服を脱いで、その人の鞄――黒いナップザックの中に詰めました。服や持ち物に触れることすら怖くて。それ以降、触っていません。僕が触ったのは、服と、ナップザックの開け閉めをしたときだけです。その他の持ち物には一切触っていません。だから誰なのか僕には分からないんです。――ごめんなさい、本当にごめんなさい」
そう言うと、石原はまた深く頭を下げた。
「ナップザックは、今、どこにあるんですか?」
浦島が穏やかに訊ねる。石原の情緒に影響されている様子は感じられない。
浦島と組んで被疑者の取り調べに当たるのはこれで三度目になる。浦島は感情のコントロールが上手く、取り調べ能力も高い。今回もいかんなくその実力が発揮されていると武本は感心する。
「僕が車を降りた時はまだ車内でした。その日のうちか翌日か、はっきり覚えていないのですが、山上さんが処分したと聞きました」
被害者の衣服、所持品の黒いナップザックは山上が処分した、と武本は入力する。
山上の取り調べは別室で田淵と平井が執り行っている。山上は石原と同じく、被害者の衣服と所持品について証言しているはずだ。所持品の確認をせずに処分したとは考えづらい。おそらく山上は被害者が誰なのか知っているに違いないと、武本は思う。
「そうですか。では、さきほどの続きを」
了承して、また柔らかい物腰で浦島が促した。
「帰宅して数時間後、午後二時三十、いや二十……」
正確な時刻が出てこずに言い淀む石原に「あとで履歴を確認するので、進めてください」と、浦島が助け舟を出す。
「そうですよね。――桃子さんからLINE電話がかかってきました。今、新宿にいると言われて驚きました。てっきりあのまま逃げたと思っていたので。お金がないから稼がないと逃げられないと言われて。それを聞いて、ことの大きさの現実感が襲い掛かってきて怖くなりました。僕はさておき、山上さんは僕が連絡しなければ巻き込まれることはなかった。山上さんも逃がしてあげなければならない。そう思ったら、つい言ってしまって。そうしたら桃子さんが、わかった、任せて、と。そのあと山上さんと桃子さんは直接連絡を取るようになりました。その内容は僕は知りません」
石原の証言が事実ならば、山上と桃子が直接連絡を取り始めたのは、一月十三日の午後二時半以降からとなる。武本はその旨を打ち込んだ。
「それからずっと、遺体が見つかるかもと、毎日怯えていました。けれどそんなニュースはなかった。僕はそれまで通りにメンズコンセプトカフェで働いて、桃子さんは逃走資金を稼いで、そうして一週間、二週間と過ぎていって。もしかしたら、このままずっと何年も先にならないと見つからないのかも、なんて思い始めていました。それが二月五日のニュースで、あの家が火事になって、そこから男の遺体が出てきた、って」
言葉を止めた石原は、浦島のほうに少し身を乗り出して話を続ける。
「あの家に男の死体を置いたのは僕たちです。でも、放火はしていません。あの日以降、あの家には三人とも行ってません」
石原の表情は必死だ。
それが事実なのはこれまでの捜査で判明している。現場周辺の防犯カメラの映像に彼らが写っていたのは一月十三日の午前二時から五時までの間のみで、その前後はそれらしき人物が映像にないのはSSBCが確認済みだった。
「それはこちらで確認します。続きを」
すでに確認済みだがそれを伏せて浦島が話を進めさせる。不安があれば、信用を得るために、より詳しく供述するはずだと考えたのだろう。
「もう逃げるしかない。そう思いました。でも、逃げるってどこに? 国外という言葉が頭に浮かびました。でも、三人で逃げるとなるとお金が心もとなくて。そうしたら山上さんが、男が誰か分かるようなものは何一つない、車のナンバーも分からないようにした、防犯カメラにも写らないように気をつけた。まだ大丈夫だ、それぞれ稼げるだけ稼ごうって。それが間違っているのは、今は分かっています。でも、そのときは、そうしようと思ってしまって。――なんかもう、物事を正しく考えられなくなっていたんです」
自嘲気味に呟くと、石原がまた続きを話し始める。
「それからは続報が出ていないか、数時間おきにニュースをチェックしました。でも、取り上げられていたのは翌日までで、そのあとは出てこなくて。もちろん、このままで済むはずがないとは思っていました。けれどニュースにもならない、警察が訊ねても来ない、そんな日が続いて。それでまだ大丈夫だと自分に言い聞かせて、店でも同僚やお客様に怪しまれないように、出来る限りいつも通りにしていました。一昨日の夕方、出勤直前です。警察がメンズコンセプトカフェに、山上瑛大の後輩を捜しに聞き込みに回っているという話が流れてきて。それで怖くなって山上さんに連絡して、会うことにしました」
この業界は横のつながりがあるから、情報が流れるのが早いはずだという懸念は的中した。捜査一課の面々が聞き込みに回っているのも、その目的も、すでに石原の耳に届いていた。
「山上さんと会う前に、僕は自首すると決めていました。何をどう言われようと、この気持ちは変えない。決意を固めて、山上さんにそう伝えました。そうしたら、山上さんも、もう無理だよな、やっぱり、間違っていたって言ってくれたんです。それで二人で自首をすることに決めました」
二月十八日午後七時前、聞き込みの情報を知り欠勤。その後、山上と連絡し合う。石原はその時点で自首を決意。山上も賛同。
そう武本は入力した。連絡を取った詳細な時刻や会った場所を石原は供述していない。これは必ず浦島がのちに質問する内容なので、今はそのままにしておく。
「その足で自首しようと二人で話しているうちに、自首したあとのことを考え始めてしまったら怖くなって、ネットで『自首したら』と検索してみたんです。そうしたら弁護士事務所のホームページがたくさん出てきて。いくつか読んで、事前に弁護士に相談する方が良いように思えて、それで刑事事件に自信があると書いてあった森本事務所に相談しました」
石原も、昨今の例に漏れていなかった。事前に弁護士に相談してからの自首は、やはりネットの情報によるものだった。
「担当してくれる枝野先生とのアポイントは翌日十九日の午後一時でした。その日は森本弁護士事務所の近くの港区のサウナに泊まって、そのまま約束の時間に事務所に行きました。事情を説明してから、このあとどう進めて行くかの相談をして、今日自首すると決めて、それで今朝の十時に新宿署に、山上さんと僕は枝野先生に付き添ってもらって自首しました。――本当に申し訳ございませんでした」
言うべきことはすべて言い終えたのか、石原はこれまででいちばん深く頭を下げた。
15
とつぜん鳴り響いたチャイムの音に、渉は叩き起こされた。だがその後は何も聞こえず、寝ぼけてただけかと思ったそのとき、またチャイムが鳴った。本当に誰かが来てドアのインターフォンを押しているのだ。机の上のデジタル時計の表示は六時二分だった。
――こんな早い時間になんだ?
長袖のTシャツにスウェットのパンツの寝間着姿のまま、渉は玄関に向かう。壁のインターフォンの通話ボタンを押すと、小さなディスプレイに男が二人映し出される。渉が声を発する前に、インターフォンが反応したのに気づいた男がカメラに顔を近づけた。
鋭いまなざしでこちらを見ながら男が口を開いた。
「栗林渉さんですね。警察です」
周囲の音がすべて消えた。身体が全く動かない。その耳にまた声が聞こえる。
「警察です。ドアを開けてください」
――終わった。
目の前が真っ暗になった。体中の力が抜けていく。
「いるのは分かっている。開けないのなら」
抵抗するだけ無駄だ。
「今、開けます」
発した声は震えていた。
(つづく)