第二話 永遠に姫
好江の部屋から出ると、大内と櫻のもとにわっと入居者たちが群がってきた。
「ちょっと大内さん! どうだったの⁉」
丸々と太った女性が、大内に掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ってくる。その後ろには四人の女性たちが威圧するように並んでいる。
「あーみなさん、落ち着いてください。今ね、咲野さんに、もうああいった行為はしないって約束していただきましたから」
両の手のひらを五人に向け、大内が諫める。けれど彼女たちの勢いは失われず、更に口々に声を上げ始める。
「それ、この前も言ってたわよねえ」
「言ってた言ってた。でも結局またおんなじことしたじゃない?」
「口だけじゃあ信用できないよ!」
騒ぎ立てる彼女たちに大内は「落ち着いてください!」と叫ぶ。
「今回はしっかりちゃんと約束していただけましたから! ねえ、櫻さん?」
「え? ああ、まあ」
ぼんやりとやり取りを見守っていた櫻は、生返事をする。すると注目の的が、今度は櫻の方へ向けられる。
「あらやだ、あなたが例の子? イケメンじゃない!」
「あの子に似てるわね、ほらなんて言ったかしら、あのアイドルグループの!」
「お人形さんみたいな顔してるのねえ。でもすごい髪の色」
「耳も、まぁーそんなにじゃらじゃらして。痛くないの? それ」
波のように襲ってくる彼女たちの言葉にも、櫻は顔色一つ変えない。大内が顔を合わせたときから変化のない気だるげな表情で「全然痛くない」と答えている。
「ねえ、あなたも聞いた? 咲野さんたら、ほんとうにひどいのよ。みっちゃんが芝山さんのこと好きだって知ってるくせに、あの人手出したんだから!」
「みっちゃん?」
櫻は首を傾げる。女性四人の視線が、一斉に一番後ろに立っていた女性に向けられた。彼女はいきなり注目を浴び、恥じ入るように視線を落とす。
「入居者の神岡道代さんです」
大内が耳打ちする。細く小柄な道代は、真っ白に染まった髪に手を添えながら、消え入りそうな声で「いいんです、私は」と口にした。
「お付き合いしているってわけじゃあないですし。私が一方的に、お慕いしていただけですから……」
「何言ってるの、みっちゃん!」道代の左隣に立っていた女性が肩を叩く。「芝山さんだって、どう考えてもみっちゃんのこと好きに決まってるわよ!」
「そうよ、ボール投げのときだって、いつも隣に来るじゃないの!」
「そうかしら。でも私、咲野さんみたいに美人じゃないし……」
「なあに言ってるのよ。みっちゃんは美人よ!」
「そうよ! それに、旦那が死んですぐ男漁りするような性格悪い女、選ぶわけないわよ!」
「ちょっと、みなさん。入居者さんの個人情報はあまり口にしないでください」
大内が慌てて制し、隣の櫻をちらりと見る。また耳の後ろを掻き、ピアスの音を響かせている。
「何? 好江さん、旦那死んだばっかなの?」
「そうなんです」はぁ、と大内が溜息をつく。「同じ部屋で暮らしていたんですが、半年ほど前にお亡くなりになりました」
「もしかして、部屋にあった仏壇ってその人の?」
「そうです。ご主人が亡くなったのを皮切りに、入居者さんたちに手を出し始めてたみたいです。仲の良いご夫婦に見えたんですけどね……もしかしたら色々あったのかもしれないなって、私たちも話していて。あ、でもだからといって手を出すなんてしちゃいけないんですけど!」
ふうん、と空気が漏れるような相槌が櫻から返ってくる。
女性たちは未だ口々に、道代を慰めたり咲江を貶したりと騒いでいる。大内が「とにかく!」と声を上げた。
「咲野さんには、しっかり約束していただけましたから。みなさん、そろそろリクリエーションの時間ですよ、ホールに集まってください!」
はあい、と女性たちは不満気な様子を浮かべながらも集団のまま廊下の奥へと消えていく。彼女たちの姿が見えなくなったのを見計らい、大内が櫻に頭を下げた。
「今回は、わざわざご足労いただいたのにすみませんでした。とりあえずは、咲野さんの様子を見守っていることにします。ありがとうございました」
はぁい、と欠伸交じりの声が聞こえてくる。大内が顔を上げると、やはり眠たげな顔でピアスをいじっている。耳たぶの上で、細く長い指が躍っている。
この指が、何人もの老女の体の上を滑り、中を掻き乱している。そう想像して、大内はぞっとした。
老人同士がセックスするなんてみっともない。そう思っているのかというふうに、櫻は先程大内に訊いた。正直なところ、図星だった。それと同時に、恐怖を感じていた。六十を過ぎ、七十を過ぎても、性欲に囚われ溺れることがあるのだという事実に。
そして、いずれ自分もそうなってしまうかもしれないという可能性に。