桃鉄で百億円の借金を背負ったままで御社を志望
上坂あゆ美『老人ホームで死ぬほどモテたい』(書肆侃侃房)収録
「就職活動」という言葉を誰かが発したとき、その場にいる人々の予測入力には「嫌」「つらい」「しんどい」あたりがあらかじめ表示されているように思う。世代や地域にもよるのかもしれないけど、就活とは忌まわしいものだといううっすらとした総意がある気がする。「体育の授業」という言葉もそれと同じくらいネガティブワードが続くように思うが、これはSNS上の偏った意見だろうか。私は体育の授業は本当に嫌だったけど、就職活動は皆が言うほどは嫌ではなかった。体育はしんどい割にわかりやすいメリットがなくてただただ嫌だったが、就活は、多少のしんどさに耐えれば大きなメリット(社会的地位やお金)が得られるため、むしろ周囲よりも進んで取り組んでいた。
家庭環境に問題があった上、自身の協調性のなさが加わって幼少期からずっと生きづらかったせいか、二十歳を超えた頃の私は、もう多少のしんどさには慣れ切っていた。生きてるだけでどうせしんどいなら、意味のあるしんどさの方がマシである。あの頃の私はそれくらい余裕がなくて、とにかく金と名誉が欲しかった。この世界で生きるに値する人間なのだという、わかりやすい称号が欲しかった。就活をしようとしなかろうと、私にとって世界の全ては敵だったので、これ以上自分の何かが奪われるくらいなら、私が他人から奪ってやるという心持ちだった。そういう理由で、金と名誉を求めて当初大手企業ばかりを受けていたが、悉く落ちた。落ちて落ちて落ちまくった。エントリーシートや筆記試験は概ね通るのだが、面接を数回経ると必ず落ちた。それは今考えれば必然で、空気が全く読めない上に野心と自我が強く、他人を傷つけることも辞さなかった当時の私は、会社の指示に従って動ける人が重宝される日系大企業では扱いづらいに決まっている。
万が一、私がうっかり日系大企業に採用されてしまっていたら……まず根回しとか、誰かの顔を立てるとか、社内政治の類は一切出来ない。それどころか社長を含めた飲み会の場で、酔い始めた社長が「今からちょっと変なこと言うんだけどさ」と切り出したとき、間髪いれずに「いやいつも言ってますけどね」とか言って場の空気を凍らせる。上司に「部に新入社員が入ったから上坂担当してくれる? 色々教えてあげて」と言われたら「私この人の採用に全く関わってないんですけど、この人って何を期待されて採用されたんですか? 私はこの人のどこを伸ばせばいいんですか? ていうか今の業務に加えて新人指導もやるんですか? 給料変わらないのに? それは何故ですか?」とか言うし、人事部や総務部がめちゃくちゃ忙しい時期に空気読まずに「すみませーん、短歌の本出すことになったんですけど副業いいっすか?」とかも言う。これらは全部実話である。私がいたのが自由で多様性を重んじる外資系の中小企業だったことと、与えられた仕事はそれなりに出来たのでギリギリ許されていた(と思う、多分)が、これが日系大手だったら即左遷、良くて窓際社員だったはず。だから新卒当時の私の面接を担当した大手企業の人々はとても見る目があり、危機管理能力が高いと言える。昇給させてあげてほしい。
就活時代のことに話を戻す。美術大学のデザイン専攻だったこともあり、広告業界や出版業界などクリエイティブ系の業界を中心に受けていた。その中に「はみ出し採用」という新卒採用企画をやっている会社があった。──弊社は『はみ出ている人』を求めています。型にはまるのではなく、はみ出るほどの熱量で自分から企画を出せる人を歓迎します!──
募集サイトには、一般的な履歴書やエントリーシートに加え、自分のこれまでの人生を映画の企画書にして提出せよとある。その書類審査で選ばれた数名が二次試験に進み、その企画書を使って社員にプレゼンを行い、最終的に合格者が決まるらしい。就活も後半戦に差し掛かって焦っていた私は、この「はみ出し採用」に強く希望を感じた。この会社なら私を採用してくれるかもしれない、むしろ、私だからこそ役に立てるのかもしれないと思った私は、全身全霊をかけて試験に挑んだ。おかげで書類審査をパスし、私を含めた五名ほどの学生が本社でのプレゼン機会を得た。二次試験にあたって私は、映画の企画書だけでなく「私の人生を題材にしたこの映画を宣伝するためのフライヤー」と「映画公開に伴い、密着ドキュメンタリー番組『情熱大陸』に私が取り上げられたときの番組動画」まで全部自作して持っていった。動画内では敏腕クリエイター(という設定)である私の煌びやかな活動の様子を追ったり、意味もなく母校(という設定で当時は現役である)を訪れて「懐かしい〜」とか言ったり、後半、「──あなたにとってクリエイティブとは、なんですか?」というテロップが入り、五秒ほど神妙な顔をした後に私が「生きる、ってことですかね(笑)」と答えたりする内容だ。もちろん私は今、この文章を打ち込みながら心臓のどこかが焼き切れそうになっている。
自信満々でプレゼンを終えたものの、一週間後くらいに不採用の連絡が来た。納得できずに理由を尋ねると、「あまりにもはみ出すぎている」「弊社ではあなたのクリエイティブ力を活かせないかもしれない」みたいなことを言われた。当時は「はみ出てる人を採用したいってそっちが言ったんじゃん!」などといたく憤慨したけれど、今の私に言わせれば、ここまで強い自己顕示欲を持った新卒は嫌だ、嫌っていうかもはや恐ろしい。絶対一緒に働きたくない。最近もこういう尖った採用企画をやっている企業をたまに見るが、果たして企業の皆さんは、当時の私のあのプレゼン(数十分に及ぶ)に耐える覚悟が本当にお有りだろうか。
大企業の採用には落ち続けた私だが、どうやら「自我が強い」というのは「自主性が高い」と捉えられることもあるらしく、中〜小規模のベンチャー的な社風の会社には意外とウケがよかった。いくつか内定をもらった中で、一番初任給が高い中規模の会社に入社することにして、私の就職活動は終わった。
ちなみに冒頭で自由な外資系企業にいたと書いたが、あれは転職を経た二社目の話だ。新卒で入った一社目の日系中小企業では、同期の中で営業成績は一位だったのに、辞める直前に社長や上層部と喧嘩みたいになり、最終的に社内でハブられていた。先日Facebookを見ていたら、「今日は我が社のOBを集めて同窓会をしました! 弊社はアルムナイ全員のLINEグループもあって、繋がりを大切にしています」というようなことを一社目の役員が投稿しているのを見た。私は同窓会どころかLINEグループにすら呼ばれていない。あの頃は若かったのでごめんなさいという気持ちと、別に行きたくないので呼ばれなくてよかったなという気持ちが、同じくらいある。