吐瀉物にまみれた道を歩いてく おおきなおおきな犬の心で

上坂あゆ美『老人ホームで死ぬほどモテたい』(書肆侃侃房)収録

 29歳のときにひとりで家を買った。かつて樹木希林がこう言っていたからだ。
“(私の芝居の)ゆとりはどういうところから出ているかと言いますと、不動産をひとつもっているからではないでしょうか。いつ仕事がダメになっても、家賃収入があるからいいや、と思ってやっているからだと思います。私は、芸能界に入ったときから喧嘩っ早くて、これは夫の比ではないんです。だからいつか喰いぱぐれるかもしれないと思って、ほかに生活の基礎だけは確保しておこうと。”(「いきいき」2007年1月号より)
 不動産担当者に購入の理由を聞かれ、「樹木希林が不動産があると良いと言ってたので」と正直に言ったら困惑された。家といっても家賃収入が入るような投資用物件ではなく、居住用マンションの狭い狭い一室だし、35年ローンは定職を持たない私に重くのしかかるけれど、それでも家を買ったのだ。
 なぜなら、将来的に樹木希林を目指しているから。もちろん樹木希林そのものになれるわけではないし、タレントや俳優を目指しているわけではない。正しく言うと樹木希林レベルの魂の格を持ち合わせたいということであり、私はつまり樹木希林(概念)を目指している。
 
 最近、よく「自分の価値を人と比べるな」という言説を耳にする。確かに、何も成していなくても自分は存在していて良いのだ、素晴らしい存在なのだと思えたら、どんなに生きやすいことだろうか。でも、多くの人にとってそれは難しい。だって人間は相対的な生き物だから、他人と比較することでしか自分というものがわからない。少なくとも私はそうやって、比べまくって比べまくって自分というものを認識してきた。だから私は、「他人と比べても良いけど、それによって凹まないようにする」という妥協策を取り入れることにした。人と比べて自分はなんてダメなんだと悩むことは精神衛生上良くないが、人と比べた上でもっとこういう人間になろうとチューニングしていくことは、決して無駄じゃないと思う。どうせいつか死ぬならできるだけ良い人間として死んだ方が清々しく死ねそうだし、ただ無為に生きろと言われても人生は長過ぎるから。
 26歳のとき、今まで会った中で一番素晴らしいと思う人に出会った。前働いていた会社の上司がその人だ。仕事が抜群にできるのはもちろん、どんなに忙しいときでも明るく朗らかで、他人の悪口を言っているのを見たことがない。それでいて、不条理なことに対しては毅然とした態度で、しかし場の空気を柔らかく保ったまま自分の意見を述べ、皆で正しい方向へ向かおうとする。あまりの徳の高さに菩薩かと思った。私もこういう人になりたいと思って、彼の仕事ぶりや振る舞いを真似てみたけれど、どうにもむず痒く、自分が自分でないような感覚が付き纏う。
 例えば、飲み会で誰かが同僚の愚痴や噂話を言い始めたとする。よく言ってくれたという発言にも、それは流石に言い過ぎじゃないかと思うような発言にも、彼は否定も肯定もせずに自分のオレンジジュースを飲み続ける。また、自分が褒められても嬉しそうにしているのをあまり見たことがなく、部下やチームが評価されたときの方がずっと嬉しそうである。自分が話題の中心になるよりも、他人が話題の中心にいるときの方が心地が良いようなのだ。
 これらの事象サンプルを得て、彼と私の一番の差異は自我の強さにあると分析した。私は人一倍自我が強く、彼は人一倍自我が弱い。目の前に提示された意見に対しては常に肯定か否定かを示したくなるし、自分が褒められたら嬉しいし、自分が話題の中心にいる方が心地良い。私が一番大事にしているのは自分の意思で、彼が一番大事にしているのは皆の調和である。私の自我は我ながら恐るべき強さで、こればっかりは後天的にどうにもならない。彼のような生き方のほうが格好いいと思ったから何度も矯正を試みたが、ストレスで死にそうになったのでやめた。ここまでの文章で「私」「自」「我」という漢字が頻出しまくっていることからもお分かりいただけたかと思う。
 
 そして次なるロールモデルを探していたところ、辿り着いたのが樹木希林だ。私は自我の強さによって人と衝突することがとても多く、かといって自我を曲げられないことは検証済みなので、どうしたら望まぬ対人事故を少しでも減らせるのかずっと悩んでいた。樹木希林は、私が知り得た自我強人(じがつよんちゅ)の中で最も格好よく、そしてその自我の強さを周囲に赦され、むしろ求められてきた存在である。
 樹木希林の密着ドキュメンタリー番組を観ていたら、訪れた店の女将からプレゼントを渡されたとき、彼女は「気持ちだけ受け取りますね」と言って受領を拒否した。それでも相手が渡そうとしてくると「いらない。本当にいらない」と断言し、最終的に本当に受け取らずに帰った。 別の番組では、資料写真と違うスタイルにしようとしたヘアメイクに説教したり、密着しているディレクターそのものに対し「あなたは何が撮りたいのか」と詰め寄る場面もあった。 いついかなる場面でも自分の意思をはっきりと提示するのに、周囲の人はそれを喜んでいるような節すらある。それは、彼女が厳しさ以上に大きな優しさを持っている人だからであることが、たくさんの映像を通して伝わってきた。
 
 彼女はもうこの世を去ってしまったから、私は過去の発言や振る舞いを、残された記録データによって学習することしかできない。しかし一般的な俳優に比べてかなり多くデータが残っている方で、対談集だけでなく名言集なるものまで発売されているが、本人は「紙の無駄だから」と自身での執筆を一切断っていたらしい。
 私は32歳になり、脱サラして作家になった。彼女が紙の無駄だと言ったことを生業にして生きているし、彼女が内田裕也と結婚したのは30歳のときだったのに、私自身は未婚・子なしのままである。まあまあ樹木希林そのものじゃなくて概念だからと、辻褄の合わないことには目を瞑りつつ、私は今日も生きている。だって本当は、樹木希林になれてもなれなくてもどっちでも良いのだ。誰も彼も資産はない代わりに、格差があって、差別があって、戦争があって、孤独がある。こんな荒廃した世の中で、死にたいと思うのはもはや当たり前なのだけど、素直に死んでやるのも癪に触る。だから「まだ死ねない」と思う理由を重ねていくことでなんとか生を選択し続け、今日も生きていこうと思う。

 

(第3回へつづく)