かぼちゃの煮付けのような夕暮れに甘くしょっぱく照らされる家

上坂あゆ美『老人ホームで死ぬほどモテたい』(書肆侃侃房)収録

 ある日、理科の授業で「お家でとっている新聞を一週間分集めましょう。その中の天気図の部分を切り取って、七日分をノートに貼ってきてください」と先生が言った。雲がどのように動いているかを観察するためだという。雲の動きを毎日ノートに貼るなんて、そんなことしていいなんて、なんだか神様みたいだ。わくわくしながら家に帰って、早速食卓に置かれていた新聞を開く。クラスでも特に小柄だった私にとって、ひらいた新聞は自分がくるまれてしまいそうなほどに大きく、ページをめくるのにかなり苦労した。雲はここかなあ、ここかなあ、と思いながら全ページを見渡したけど、天気図はどこにも見当たらない。夜になるのを待ってから、必死に探しすぎてバラバラになってしまった新聞を持って、父に聞いてみた。父は「天気ならここにあるよ」と前の方のページを指差す。それは、数日分の天気が太陽、傘、雲などのアニメちっくなマークで表されているだけの簡素な図だった。なぜなら父の趣味で、我が家の新聞はずっと「スポーツ報知」だったからだ。社会情勢、事件、文化コラムなどが載っている一般的な大手新聞には、雲の動きを含む詳細な天気図が載っている。しかし、記事の多くが野球チームの勝敗や芸能ゴシップなどに割かれるスポーツ新聞では、ここ数日が晴れか雨か曇りかという、全ての天気をざっくり三種類に分けた、それだけの図しか載っていなかった。雨だと競馬や競輪などのレースに影響が出るからかもしれない。競馬や競輪のレース模様は、毎回天気欄の二十倍くらいのでかさで載っていた。
 私は一応、スポーツ報知の天気欄を七日分切り取ってノートに貼り、学校に持っていった。クラスメイトに見られないように、授業の前にこっそり先生にだけ見せた。雲のいないノートを見て先生は一瞬黙ったあと、憐れむように「……お隣の子に一緒に見せてもらおうね」と言った。
 みんなの家の雲は動くのに、我が家の雲は動かないのだ。自分の家は、なんか良くない方向に人と違うらしいということを初めて実感した。例えば我が家にあるお菓子は、なんというかパチモンみたいなお菓子ばかりだった。味はきわめて普通だけど、スーパーやコンビニで売っているのを見たことがないものばかり。友達の家に行くと、ちゃんとカルビーやブルボンが作っている馴染み深いお菓子が出てきて、多分こっちが本物なのだと思った。味も心なしか、本物の方が美味しい気がする。遊びに行くと言うと、よく母が「じゃあお菓子持っていったら」と家にあるお菓子を手渡してきたけど、私はパチモンなのが恥ずかしくて持って行きたくなかった。
 それから私が小学五年生だったときに、あややこと松浦亜弥がCMしていたシャンプーが爆発的に流行った。彼女の代表曲である「桃色片想い」を主題歌に、桃の香りがするピンクのシャンプーを、当時のティーンはこぞって買い求めた。我が家のシャンプーは長年同じもので、やっぱりドラッグストアで売っているのを一度も見たことがない、茶色のなんか変な草の絵が描いてあるシャンプーだった。でもクラスではあややの桃のシャンプーを使っている子ばかりになって、皆が桃の匂いを振り撒きながら自慢してくるので、私はこのシャンプーが欲しくてたまらなかった。母はなかなか買ってくれず、私は「うちはふつうじゃないからだめなのかな」と悲しみを募らせていた。後日、姉と二人で駄々をこねまくったら渋々買ってもらえたけど。
 先日、小学校の同級生のみさとちゃんに、久しぶりに会った。彼女は「あの頃、あゆのお家が本当に羨ましかったんだよ」と言った。「いつもおしゃれでブランド物の服を着てたよね? あゆのお家は、すごい広くて立派で。家の中で一緒に縄跳びの練習ができるなんて、本当にびっくりしたんだよ」
 嘘だと思った。だって、みさとちゃんのお家はいつでも本物のお菓子が出てくる家だったし、あややのシャンプーも皆より先に持っていたし、もちろん理科の授業でも雲が動いていたから。私こそ、彼女の家に生まれたかったなあって、心の底から何度も思った。
「それに、あゆの家はすごく、すごく自由だったから」とみさとちゃんは続ける。
 当時、遊びに来ていたみさとちゃんと私を、母が夕飯に連れていったことがあった。そこの飲食店ではいつもテレビがつけてあって、そのときはたまたま『Stand Up!!』という、童貞卒業を目標とする高校生の青春を描いたドラマが流れていた。
 幼いみさとちゃんは“童貞”という言葉の意味を知らず、とても気になったので、まず彼女の姉に尋ねてみると、「知らない! ……知らないけど、あんたそれ絶対お母さんに聞くんじゃないよ」と強く言われた。お姉さんは、本当は意味を知っていたのだ。聞くなと言われると余計に気になってしまい、みさとちゃんはお母さんに同じことを聞いたところ、そんなこと知らなくていい!! と一蹴されてしまったのだという。それでもどうしても知りたかったみさとちゃんは、我が家に来ていた際、私の母に童貞の意味を尋ねた。私の母は表情ひとつ変えずに、「エッチしたことがない男の人のことだよ」と、あっさり教えてくれたのだそうだ。
「あのとき、本当に感動したの。生まれて初めて、子どもだからって変な気を遣われずに、一人の人間だって認めてもらえた! と思った」
 童貞という言葉を知ることさえ禁じられていたみさとちゃんと比べれば、我が家では父が幼い私や姉を膝に乗せながら、雑誌に収録されていたバチバチ18禁のエロ漫画を読んでいたことすらあった。幼い姉が「これエッチなやつじゃん!」と指をさしても、父は「そうだねえ、エッチだねえ」と言ってページをめくり続けるような家だった。父のベッドの横には常にエロ本が置かれていることを知っていたので、小学生の頃、私と姉は誰もいないときに読みまくっていた。今考えれば父が比較的ノーマルな性癖だったことは、我々にとって本当に幸いである。たしかに我が家はものすごく自由というか、放任主義の家だった。何時間漫画を読んでも、ゲームをやっても、パソコンをやっても、怒られることは一切なく、もっと勉強しなさいとかは一度も言われたことがない。
 大人になってからわかったことがいくつかある。家にあったお菓子が一般流通していないものばかりだったのは、母が生協の注文宅配システムを使っていたからだ。我が家は共働きで、忙しい母は日中食材の買い出しに行くことが難しかった。いつも夜中に生協のカタログを見て、そこにあるオリジナル商品から買うものを選び、仕事の合間を縫って食事を作ってくれていた。そして、あややのシャンプーを買うことを渋っていたのは、家が美容院を営んでおり、美容院専売の特別なシャンプーを家でも使っていたからだった。地味で変な絵が描いてある茶色のシャンプーは、実はあややのシャンプーの三倍以上の値段がするらしい。
「ふつうの家」なんてないんだなということに気づいたときから、やっと、私の中の雲が動き出した。あややのシャンプーを買ってもらったときよりも嬉しかった。 

 

(第6回へつづく)