気がつけば三十歳でモロゾフのプリン容器が増えゆく戸棚

上坂あゆ美

 ある日、SNSに大量のメッセージが届いていた。『短歌についてアドバイスがほしい』『上坂さんのような歌集を作りたい』『説明が下手でごめんなさい』『これが私の短歌です(以下、60首ほどの短歌が羅列)』『すみません、今泣きながら打っています』『できれば一度お話しできませんか』『すみません、すみません』『上坂先生に師事したいです。弟子にしてくれませんか』『本気です。よろしくお願いします。急に話しかけてごめんなさい』……実際はこの3倍くらいの量のDMがきていたけど、つまり、私に短歌を教えてほしいということらしい。現実世界で「弟子にしてください」って言われること、あるんだな。相手は二十歳くらいの女性のようだ。私は悩んでいる若者を見ると過去の自分と重なってしまい、放っておくことができない性分なので、とりあえず電話で話聞きましょうかと自分の番号を伝えておいた。
『いつでも大丈夫です』『いつでも大丈夫と言ったんですがちょっと予定が入ってしまって少しお待ちください』『一応かけます!』『かけたんですがつながらず留守電残しておきました』『メッセージ入れました!』次にスマホを見たときには、これらのメッセージがまたもや大量に溜まっていた。しかし自分のスマホには着信履歴が残っていない。記載した番号も間違っていないと思われる。それを伝えると、『すみません、別人にかけてました』と言われ、数字の異なる着信のスクショが送られてきた。なんか変な勢いのある子だな。この間違い電話の相手、留守電聞いて不審に思っていないといいのだけど。
 日を改めて彼女と電話をした。詳細は伏せるが簡単にまとめると、身近な人にひどいことをされて精神が不安定になり、最近ようやく持ち直してきて、その人との共通の趣味が短歌なので、相手より先に歌集を出して売れたい、売れなければならない、そうしないと私の呪いは解けない……ということだった。今の私からすれば、短歌以外にも道はあるよなあとか、売れる売れないは関係ないんじゃないかなあとか思うけど、自分だって若い頃はどうしようもない思い込みの強さで突っ走っていたから、まずは彼女が思うように一度やってみるしかないのだろう。
 ただ電話する前から、弟子を取る気は一切なかった。そもそも私は歌歴の短い新人だし、完全に独学でやってきたため、かなり偏った指導になるだろう。それは彼女の作風を狭めてしまいそうで忍びない。それに、私の弟子になったところで本が売れなかったら、呪いが解けなかったら、彼女はどうするのだろう。要するに、彼女の馬鹿でかい熱量に応えられる自信がなかった。でも、そういう抽象的な理由を伝えたところで彼女の勢いに押し切られそうな気がして、「すみません、短歌講座みたいなイベントを有料でやることもあるものですから、あなただけに無料でっていうのはちょっと……」と、事実ではあるがそれっぽい理由を伝えると、間髪入れずに『いくら払ったらやってくれますか!? 金ならあります!!』と言われた。
『私、月収100万はあるので……えっと、月に30万とかでどうですか!?』
 びっくりして一瞬フリーズした。初対面の相手に月収を言ってしまう危うさはもちろんだけど、学生かなにかだと思っていた二十歳の子が、月に100万……!? 私はそんな金額稼いだことないぞ。興味本位で、つい「すみません、どんなお仕事をされてるんですか……?」と聞いてしまった。
『私、ライバーとネット占い師をやっていて。ライバーはライブ配信中に視聴者からの投げ銭で稼いでいるんですが、今は占いの方が好調ですね。最近多いのは反ワクチン思想の方です! 反ワクって家族や友人から孤立している人が多くて、自分の考えを肯定してくれる人が欲しくてネット占いに辿り着くんですよ! 彼らの話をひたすら聞いて肯定するっていう仕事で月100万稼いでます!!』「…………(そんなハキハキ言うことじゃないだろと思いながら圧倒される私)」『上坂さん会社辞めたって言ってましたよね? 困ってませんか?』「……まあそうだけど、それ私に直接言わない方がいいと思うよ」『あ、そうなんですね! 気をつけます!!』
この辺から、(やべー、これどうやって断ろうかな)という理性と、(月30万って相当割がいいな……いやでもトラブルになる予感しかない……でも……)という欲が混ぜこぜになって混乱した。
 その後、歌をつくるにあたってどんなことで悩んでいるかを聞く中で、受ける受けないは別としても、参考になりそうな歌集や教本をいくつか教えてあげようと思い立った。通話を繋いだまま移動すると、リビングでは私のパートナーが不動産会社と駐車場契約の電話をしているところだった。すると急に、電話口で彼女が怯え始める。
『!? ……上坂さん……なんか、おじいさんの声しませんか?』
 パートナーは私と同じ三十代だ。彼の低い声が老人の声に聞こえたのだと察し、思わず電話口で「あははは!!」とでかい声を上げた。すると、笑い声がうるさくて相手の声が聞こえづらくなったパートナーは、ますます大きい声でゆっくりと駐車場契約番号を読み上げようとする。
「ピーの、いち、ごお、なな、はち!」『上坂さん!! やっぱりおじいさんいますよね!?』「あははははははハハっゲホゲホ」「えっ何ですか!?……えっとだから、いち!! ごお!! なな」『やっぱり!!!私、そういうのわかるんです!!!!大丈夫ですか!?』
 彼女の独特な思い込みの強さと思わぬ偶然の重なりで、パートナーはもはや実在のおじいさんですらなく心霊的なおじいさんになってしまった。なんなんだこのとんでもないピタゴラスイッチ。とりあえず彼の声が聞こえないよう洗面所まで避難し、あれは同居しているパートナーの声なのでと説明したが、彼女は納得がいっているのかいっていないのかわからない様子だった。
 短歌にまつわる悩みをひとしきり聞いてから、一旦回答は持ち帰るとして電話を切った。月に30万という金額に目が眩みかけたけど、彼女の思いは到底私に受け止められる大きさではなく、やっぱり断ることにする。次の日、おすすめの本と、おすすめの投稿先や講座などのURLを一通りまとめて送った。そして、やっぱり今回の依頼は受けることはできないが、短歌は独学でも続けられるのでぜひ頑張ってほしいというメッセージを送る。彼女からはすぐに返信が来た。怒濤の勢いの感謝の言葉と、今後の意気込み、そして依頼を受けられないことにも一応は納得してくれているようで安心した。ものすごい文量のメッセージが来た後、最後に、『感謝の気持ちとして高級リンゴジュースを送ってもいいですか? パートナーのおじいさんと一緒に飲んでほしいです』とあった。
 同居しているのが霊じゃなくパートナーなのは理解してくれたようだが、私がおじいさんと付き合っているのは間違いないと思い込んでいるらしい。なんかもうこれ以上言ってもなと思ったので、「お気持ちだけ受け取っておきます」と返しておいた。 

 

(第10回へつづく)