根津駅から徒歩五分の、家賃一八万円、2LDKのマンションへと帰宅した。十帖ほどのリビングとダイニングキッチンと、その南と西側にそれぞれ六帖の自室があるシンプルな間取りだ。
 玄関脇の壁には、夏に京都に旅行にいった際に買った美術館のカレンダーと、さやかの好きな「すみっコぐらし」のポストカードが貼りつけられている。リビングにはソファとローテーブル、42インチのテレビ、スタンド型のスピーカー、アウターを掛けるための共用のハンガースタンド、観賞用としてモンステラの鉢植えなどがあり、乾燥肌の春崎のためにとさやかが買ってくれた加湿器が年中出しっぱなしになっている。キッチン側の壁にはアンティークショップで買ったレトロな丸時計が掛けられていて、遅刻しないようにと、長針が五分進められていた。
 窓の方には組み立て用の物干しが広げられ、ヒートテックや下着類が部屋干しされている。ストッキングが滑り落ちていた。ローテーブルに置かれた籠の中には、未開封の役所からの封筒や、輪ゴムで留められたポテトチップスやドライフルーツの袋が入っている。家中に、今朝、溜まっていた食器を分担しながら洗う時に焚いた白檀びやくだんのお香のにおいが、まだ微かに残っていた。
 さっきまで恋人の実家という慣れない空間にいた分、春崎は我が家の見慣れた光景に気が緩んだ。高級な家具や家電こそないものの、春崎はこの家を気に入っていた。
 今日さやかの実家で話題に上ったのだが、ここで娘が暮らすにあたって、さやかの親はあれやこれやと援助を打診していたみたいだ。けれどさやかは、自分と春崎の家だからと申し出を断っていたらしい。そのことを思い出すと、さやかへの信頼と、さやかの親への不信感というか、うっすらと馬鹿にされ続けているような居心地の悪さを同時に感じた。
 春崎は着替えもせず、マスタード色のソファに倒れ込むように身を沈めた。ため息を吐くと、ソファと一体になってしまう気がした。ソファの座面の一部は、革面がひび割れて中の綿が露出しかけていた。
 このソファは、同棲をはじめた時にふたりで相談して買ったものだ。仕事にまだ慣れず不安が先立つ日々を送っていた自分たちが家具屋で一目見てこれにしようと惚れ込んだものだけに、愛着が湧いて、買い換えるタイミングを見失っていた。
 共に暮らすうちに、お互いの生活スタイルが感染うつり合っていた。掃除好きだったさやかは少しずぼらになり、ずぼらだった春崎には整理整頓が習慣づいた。このまま寝てしまってはマズいと立ち上がると、さやかがソファにもたせかけていたコートをリビングのハンガースタンドに掛けた。
 春崎の自室には、棚にずらりと漫画本が並んでいた。ここ数年はすべて電子で購入するようにしているが、高校生の時に少ないこづかいをやりくりして買った少年漫画などは、読み返す時も紙がしっくりくる気がしている。
 部屋には、趣味でも作ろうと思って買ってみたものの続かなかったアウトドアのアイテムや筋トレグッズ、瞑想用のクッションなどが、クローゼットに入りきらないのを開き直るように、きちっきちっとレイアウトされていた。
 スーツを脱ぎ、消臭兼シワ取りスプレーを大量に吹きかけてから、自室のクローゼットに仕舞い込んだ。
 ふと、吊るされた衣類の下の大ぶりの収納ケースが気になった。春夏用の衣類を入れているものと、事務用品などを雑多に入れているものとがあったが、なにかに操られるように後者の引き出しを次々と開けていった。
 目当てのものがないことを確認すると、腰を屈めて大胆にケースごと退かした。奥から現れた、埃を被ったダンボール箱を引っ張り出した。卒業証書など、捨てるに捨てられないものを入れた箱だった。シャツの袖を捲って箱から中身を出していくと、それが見つかった。
「まだ持ってたか」
 春崎はホッとしてつぶやいた。
 白い円形のCDプレイヤーだった。
 蓋を開けると中にはCD-Rが入っていたが、電池が切れていて再生できなかった。
 大学時代にヒロから借りたものだった。語学授業の課題のために、教授が執筆した参考書に付属しているCDを聴いてくる必要があったのだ。もちろんCDというものは知っていたが、それは当時すでにレトロなメディアで、身近で再生機器を持っているのはヒロだけだった。借りる際に、「どうしてこういうの持ってるんだ?」と何の気なしに聞いてみた。
「大事な人からもらったんだ」
 とヒロは答えた。
 借りたきりで返すのを忘れていたと気づいたのは、大学を卒業した後だった。
 会う機会がなかったせいで、今に至るまでヒロのCDプレイヤーを手元に置いてしまっていた。
 いい加減、返さないとな。
 楽なスウェットに着替え、リビングのソファに横たわった。
 LINEのアプリを開いて、「友だち」一覧を遡ってみる。最後に連絡を取ったのはもう何年も前だ。ヒロは、人懐こいくせに急に連絡を返さなくなったり、何日も音信不通になったりする奴だった。登録名かアイコンが変わっているのか、ピンとくる人物が見当たらない。
「なあ、ヒロっていたじゃん?」
 シックなワンピースからパーカー姿になったさやかに聞いてみる。
「ヒロって、あのヒロ?」
「そう。あいつ、LINEどういうのだっけ。ちょっと連絡取りたいんだけど」
 借りたままのものがあるのだと説明すると、さやかは自分のスマホを操り、「これでしょ?」と人型のシルエットだけの初期アイコンを見せてきた。名前は「h」というただひと文字。
「あー。そうだっけ。ありがと」
〈ひさしぶり。元気にしてる? ヒロにずっと借りっぱなしのCDプレイヤーを見つけたんだ。ずっと返さないままでゴメン! 今さら迷惑かなとかも思ったけど、直接でも郵送でもなんでもいいから、よかったら返させてー〉
 そう送ったあと、さやかにこう聞いた。
「昔みたいに俺とさやかと三人で飲んだりしよう、って送ってもいい?」
「うん」
 どこか元気のない声だった。
「えっ、なに? ヒロとなんか気まずかったりする?」
「違うよ。全然違う。そんなんじゃない」
「じゃあ、なに?」
「あのさあ。こういうの言われるの春崎は嫌だろうけど、今言わないとモヤモヤすると思うから言うね。私の昔のことに興味ないの?」
「えっと?」
「今日、うちの親になんにも聞かなかったじゃん。アルバム見ても、お母さんの言うことに相槌打つばっかりで、春崎の口から、私がどんな娘だったかって聞いたりしないし、実家くるのやっぱり乗り気じゃなかったのかなって。そりゃあ、私の親の態度にも問題はあった。それは本当にそうで、悪いのはあの人たちだけどさ、でも、もうちょっとがんばってほしかった」
 会話自体がため息のようなしめった口調で、その分春崎は、さやかを怒らせてしまっていると感じる。
 さやかの言葉を避けるみたいに春崎は体勢を変えようとした。だらしない格好で聞いていると余計にさやかの不満が溜まっていく気がした。腹筋の要領で起き上がろうとしたが、運動不足のせいかうまくいかず、まずいと思った。
 さやかはすでに春崎の両親と交流があった。半年ほど前、さやかとユニバーサル・スタジオ・ジャパンにいった際に、大阪の実家に立ち寄ったのだ。実家では春崎の知らないうちに「ポンちゃん」という名のコーギーが飼われていて、母はさやかといくらも話さないうちから、「ポンちゃんもええ娘やって言うてるわあ」と何度も繰り返すのだった。始終にやけていた父もさやかのことを気にいったらしかった。それ以降時々どうしてか〈これ、とても、おもしろかったです。さやかさんと、見てください〉というような読点の多い文章を添えて、ユーチューブのマジシャンのタネ明かし動画のリンクを送ってくるのだ。春崎抜きで三人で食事にいったことさえあった。
「私、春崎のお母さんお父さんと過ごす時間が楽しいから、逆もそうだったらいいなと思ってたんだけどさ」
「うん。ごめん」
 ソファにちゃんと座り直した春崎はそれしか言えなかった。頭の中に浮かんでくるのは、だってさやかの親が感じ悪いから、ということばかりだ。流石にこんなことを、さやかもそう思ってるとしても、こちらの口から言うわけにはいかなかった。
 下手なことを言わないようにしようと、じっと耳を傾けるモードになっていると、さやかの口数も減っていった。
 さやかは黙って、インスタグラムの画面を見せてきた。
 同級生の婚約報告の写真。
 別の同級生の結婚式の写真。
 また別の結婚済みの同級生が赤ん坊を抱いている写真。
 似たような写真を次々と見せられる。
 春崎のインスタグラムも似たようなものだった。二十代後半になって、周りの友人が次々と結婚し、子どもを授かったりしている。でも、だからって、これを俺に見せて、どうしたいんだ。そう思うが、それも言葉には出さない。
 すれ違ってしまうことはこれまでに何度もあった。
 どうしてだろう。いつの間にか、ちゃんと言葉をぶつけず、ただ時間が解決してくれるのに任せるようになってしまった。

 

(つづく)