遼平の帰還
8
翌日は、早くから起き出して、午前中は屋敷の内外を歩いて回り、午後からは爪島川の河原へと足を延ばした。善弥さんのスクーターは見た目はさすがにくたびれているが、ハンドルもなめらかでエンジンも快調。なかなか快適な乗り心地だった。
記憶のなかの庭にはたくさんの木々が植わっていたが、いまはかなりが伐採されてすっきりとした趣になっている。庭の入口から東面の白壁にかけて並んでいた桜は、太い幹の一本だけが残されて足下は芝生に変わっていた。北側のさざんかもなくなっている。ただ、正門につづく道に植えられていたつつじやこぶしは記憶のままだった。
そして、表庭のほぼ中央に立っているクスの巨木はなおさらに枝振りを広げて古い平屋の建物を睥睨している。
ただ、久方ぶりで屋敷を訪れてみて、一つ大きな勘違いをしていたことに遼平は気づいた。
善弥さんがしょっちゅう幹のてっぺん近くまで登って、遼平に「おーい」と声を掛けてくれたのはその表庭のクスノキだとばかり思っていたのだがそうではなかった。
というのも母や遼平が起居していた離れ家の縁側は、母屋のそれとは反対側に設置されていて、遼平はそこに腰掛けて、クスノキから響いてくる善弥さんの声に耳を傾けていたのだ。そして、実際に裏庭に出てみれば、表とまったく遜色ないほどのクスノキが離れ家の真正面に屹立していたのだった。彼に要領を教わって一緒に登った木もこっちに違いなかった。小柄だった善弥さんは、いつも白いシャツに短パンという身軽ないでたちで、まるで猿のように枝から枝へとよじ登っていった。
表と違って裏庭はちょっと雑然としている。巨木はクス一本だが、いまはいろんな木々が生い茂って雑木林のような雰囲気になっていた。そして、これも記憶とは異なったのだが、表の庭よりも裏庭の方がずっと広いのだ。
「猫神様」を祀るお社は、その裏庭の真ん中あたりに建っていた。いまも叔母夫婦がお祀りしているそうだが、中に安置していた純金製の猫の置物は、盗難を恐れてレプリカと差し替え、本物は大分市内の貸金庫に預けてあるのだという。
「いまじゃあ、お正月だってお参りする人は滅多にいないくらいだしねえ」
昨日、叔母はそう言っていた。
遼平はお社に合掌礼拝し、一日も早くつくみが見つかるようにお祈りした。そのあと、もしやつくみがここに来た痕跡があるのではないかと社の周りをくまなく点検した。だが、何の手がかりも見つけられなかった。
そうやって午前中いっぱい白壁に囲まれた屋敷の敷地を経巡り、それから善弥さんの“愛車”に跨がって爪島川へと向かったのだった。
蒸し暑いほどの陽気だったが、河原には涼しい風が吹いていた。
ここも二十数年ぶりで訪れる場所だった。水は清らかで流れは穏やかそのものだ。川面を覗くと小魚が群れたり離散したりを繰り返しながら泳ぎを楽しんでいる。
この清流が大雨で容貌を一変させ、鉄砲水となって「明礬神社」や深町一家が寝泊まりしていた社務所を丸ごと海へと押し流したなどとは信じがたい。まして、眼前のやさしい風景が釣りに来ていた六波羅光彦のいのちを一瞬で奪い取ってしまったとは想像のしようもない。
三時過ぎまで川沿いの道を散策したあと遼平は帰路につく。村役場の近所にある一軒きりのスーパーに立ち寄って買い物を済ませた。スクーターのシートバッグに食材や食料品でぱんぱんにふくらんだレジ袋を押し込んで、遼平は五時前には屋敷に戻ったのだった。
その晩もビールを飲んでのんびりと過ごした。
代々、猫神様にお仕えしてきた六波羅家の屋敷に、その血を受けた者の一人としてこうやって単独で寝泊まりしていれば、そのうち何らかのインスピレーションが降りてくるなり、超常的な現象に遭遇したりできるのではないか――そんな淡い期待を胸に秘めての一週間の滞在予定だったが、そうしたただならぬ気配はいまのところ一切感知することができない。
今夜もスーパーで仕入れてきた地元野菜の野菜炒めと津久見の海で獲れたという新鮮なアジとイカの刺身を肴にほろ酔い加減になれば、この八ヵ月で降り積もっていた心身の疲労が毛穴の一つ一つから霧散していくのが分かる。
――これじゃあ、単なる転地療養のたぐいじゃないか……。
遼平は小さくため息をつく。
開け放った窓の外は、大きな月に照らされて仄かに明るんでいる。立ち上がると、縁側まで出て夜空を見上げる。
クスの巨木が、月明かりのなかで存分に枝を広げている。
――つくみだったら、あのてっぺんまですいすいと登っていくんだろうな……。
酔った頭に浮かんでくるのはそんな他愛もないことだけだった。
翌朝は寝過ごしてしまった。ぐっすりと眠って目覚めてみると、もう午前十時を回っていた。今日は四月十一日月曜日。十四日木曜日の晩までここに泊まって、金曜日には東京に戻る予定だった。その日は、叔母夫妻が空港まで送ってくれる手筈になっている。
布団の中でしばらくごろごろとして、遼平はようやく起き出した。洗面を済ませ、昨日買ってきた食パンを焼いてバターをたっぷりと塗る。それとドリップパックのコーヒーで簡単な朝食にした。
今日の予定は、昨夜のうちに決めていた。
あの裏庭にある大きなクスノキに登るのだ。
善弥さんがしていたように、一番高い太枝まで登って、そこに座って爪島の風景を思う存分に眺める。
つくみだったら絶対にそうすることを、代わりにやってみることにしよう。
遼平は、持参したトレーニングウェアに着替えて、さっそく裏庭に出た。
こうして眺めると、こちらの方が正門側の木よりも幹が太くて枝振りも豊かのように思える。一番手近な枝でも手が届かない高さにある。それは分かっていたので、納屋から踏み台を持ってきていた。
踏み台に乗って最初の枝に両手を掛ける。懸垂の要領でまずはその枝に上った。下を見るとそれだけでも結構な高さだ。まだ小学校低学年だった時分に、よくこんな大木で木登りなんてしたものだと感じる。怖くはなかったのだろうか? 母は心配ではなかったのか? それとも師匠の善弥さんのことをそれほど信用していたということか?
上からさらに上の枝へと登っていくうちにコツを思い出していた。
「恰好なんかつけんでよかと。しがみつくように身体を枝に密着させてぐいぐいと登るんよ」
善弥さんの声が脳裏にくっきりとよみがえる。
数分で、最上部にある太い枝に達した。見上げればもちろんまだまだ細い枝は重なり合って広がっているが、大人が座れるような枝はここまでだった。ブランコの形で外側へと張り出した太枝に腰掛ける。ここからでも下界はずいぶんと遠く、視線をまっすぐにすれば田畑が点在する村の情景がはるか先まで見通せる。家の屋根は視野の三分の一にも満たない大きさに縮んでいた。
風はほとんどなく、日射しも強くない。空には少し灰色に濁った雲が浮いていた。暑くも寒くもない。
――要するに絶好の木登り日和ってわけだ。
昨日、遠出した爪島川や役場、スーパーなどを目で捜しながら遼平は心の中で呟く。
「木に登っていると安心する」
というつくみの言葉を思い出していた。
十分ほどそうやって景色を眺めていたときだった、近くの雲間から一筋の光がこちらに向かって射しているのに気づいた。いつからそんな光が届いていたのか分からない。ふと遠くから近くへと目を転じた刹那に光の存在が分かったのだ。
その一条の光を目で辿っていく。すぐ近くの地面に射し込んでいた。それは、猫神様のお社から左に五十メートルほどいった地点で、土ではなく草むらだった。
目を凝らすと草むらのなかに丸い口が開いていた。そこに光が当たっている。一体何だろう?
尚も注視すると、穴の周囲に石のようなものが積まれ、穴をぐるりと取り囲んでいる。地上からだと草に隠れて見えないのだろうが、上からこうして光が当たるとかろうじて見分けがついた。
気持ちが徐々に昂ぶってくるのを遼平は感じている。
――井戸じゃないのか?
そうに違いない、と思う一方で、矢玉社長の背中が光っていたと話す七輪の顔が脳裏に浮かんでいた。
遼平は息を一度整え、太い幹の方へと身体を寄せてクスノキから降り始める。時間をかけて慎重に降りていった。ここで怪我をしては元も子もない。
踏み台に足を着け、また一つ深呼吸をしてからクスノキの足下の地面に降りた。
樹上から見えた光はもう見えなかった。だが、井戸の方角は分かっている。そちらへ向かって歩き出す。
――いままでどうして捜さなかったのだろう? この家を訪ねて真っ先に見つけるべきは、シロが身を投げた井戸だったはずなのに……。
地面や草を踏みしめながら自問する。
丈の伸びた草を思い切りかき分けると、案の定、石積みの古びた井戸が姿を現わした。
遼平はしばし呆然とその前に佇む。
シロはこの井戸に身を投げ、その井戸で冷やしたスイカの汁を吸って遼平の肺炎は治ったのだ。
祖父の秋太郎によれば、シロは母の寿命を吸い取り、やがて生まれ変わることが分かってここに身を投げたのだという。
そのシロは三年後、横浜で隠善つくみとして転生した。母の満代はその七年後、四十歳の若さでこの世を去った――それは母自身が望んだことだったのだ。
遼平は井戸のへりに近づいて中を覗き込む。暗くて一メートル先も見えない。井戸の中は真っ暗闇だった。ただ、水の気配はなかった。
足下の石を拾って投げ込んでみる。コツンという乾いた音が聞こえる。
完全に涸れてしまっているようだった。
ジャージのズボンのポケットから携帯を取り出した。携帯のライトをつけて、井戸の中へとかざしてみる。石が積み上げられた側壁が見える。だが、携帯の弱々しい光では底がどうなっているのかは分からない。携帯を持った右手を伸ばしてみる。井戸の石積みのへりに上体を預けてさらに内部へと腕を突っ込んだ。
その瞬間、突然、身体を預けていた井戸のへりが崩れた。バラバラと石や土が底へと落下していく。
叫び声を上げる間もなく遼平の身体も井戸の中へと吸い込まれていった。
9
全身の痛みで目が覚めた。
といっても視界は闇の中だった。目を開けているのかどうかさえ分からない。だが、意識は確かに目覚めていた。
肩や腰にズキズキとした痛みがある。一体何が起きたのかしばらく理解できなかった。
「うーん」
と鈍い声で唸る。自分の声はちゃんと聞こえた。どうやらまだ生きているようだ。
上を見上げる。天井に小さな穴が空いている。そこから微かな光が降りてきている。
ここは井戸の底だ――そのとき初めて状況を理解した。石積みの井戸のへりが崩壊して、真っ逆さまに落ちたのだ。
慌てて両腕を伸ばして頭の辺りを触った。頭から落下した記憶がある。だとすれば頭や顔に深刻なダメージを受けたはずだった。頭頂から顔全体へと手のひらを這わせていった。どこにも裂傷や擦過傷はなさそうだ。痛みもない。不思議だった。落ちている途中で姿勢が変わったのだろうか?
徐々に薄明かりに目が慣れてくる。いま座っている井戸の底の様子が分かってきた。
背中は石積みの壁に預けていた。両脚は真っ直ぐに伸びている。恐らく、一度目覚めてこのような体勢になり、また気を失ったのだろう。それにしても井戸の底はずいぶんと広かった。尻の下は固い石ではない。枯れ木のようなものが堆積している。
もしかしたら、このたくさんの枯れ木が井戸の中ほどを塞いでいて、自分はまずそれにぶつかり、その拍子に身体の向きを変えて足から落ちたのかもしれない。腰や肩の痛みの度合いから察するに何かクッションめいたものに守られたのは確実だった。そうでなければ、この程度の痛みで済んでいるはずがない。
さらに目が慣れてくると天井の穴、つまり井戸の出口が案外に大きいのに気づいた。ということはこの井戸はそれほど深くはないのだ。それとも長年降り込んだ落ち葉や枯れ枝のせいで浅くなってしまったのか?
「うーん」
ともう一度唸り声を上げて立ち上がってみる。
深くはないと言っても、穴まではずいぶんとある。普通の部屋の天井の倍以上はありそうだった。足下に目を落とす。やはり枝や落ち葉がびっしりと積もっていた。それでこの広さということはよほど大底の井戸だったのだろう。
微かな明かりで足下を見回し、膝をついて周囲をまさぐる。落下したときに手放した携帯を捜す。見つからなかった。体勢が崩れた拍子に地面に投げ出してしまったのか?
ため息をこぼしてふたたび座り込んだ。
――なんなんだ、これは。
――わけわかんないよ。
首を回し、両腕、両膝、両足首とチェックしていく。無傷だった。さきほどまでの肩や腰の痛みも一度立ち上がったあとは消えてしまっている。
いま何時だろう? 腕時計をしていないので分からない。木に登ったのが恐らく正午頃。三十分もかからずに木登りを終えて、この井戸へとやって来た。ということは、まだ午後一時くらいか。いや、そのあと気絶していたのだ。その時間が不明だ。三十分ほどで起きたのか。それとも何時間も気を失っていたのか……。
穴から注ぐ光の度合いでは、まるで時刻は読めない。原始人でもあるまいし、そんなの無理に決まっている。
穴が暗闇に沈むまで、何度も何度も井戸の側壁をよじ登ろうと頑張った。石を積んで土で固めた井戸だから手がかりはある。一度はあと半分ほどのところまで登ることもできた。だが、その先はどうにもならない。というのもこの井戸はフラスコの形状をしているのだ。底が広く、口が狭い。中ほどからは側壁自体が庇のように反っていて、それこそスポーツクライミングの選手でもなければ到底壁に取り付くことができない。自力で脱出するのは諦めるしかないようだった。
こうなると救助を待つしかなかった。
この屋敷に遼平が来ているのを知っているのは叔母夫婦だけだ。二人は朋美の結婚準備で上京中で、大分に戻ってくるのは木曜日だった。翌金曜日には空港まで遼平を送るためにまたここへ来てくれる約束になっている。ということは、少なくとも木曜日には連絡を寄越すはずだった。幾ら掛けても電話は繋がらず、心配になって自ら足を運ぶか、または村の知り合いに様子窺いを頼むだろう。そうすればもう大丈夫だ。
ただ、逆に言うとそれまでのあいだは絶望的だ。山の麓のこの屋敷に人が立ち寄ることはない。宅配便や郵便の配送もない。
木曜日まで、今日を含めてあと四日。四日間もこんなところで飲まず食わずで過ごして、果たして大丈夫なのか?
真っ暗闇の中でうとうとしながら遼平は夜を明かした。手足を伸ばせないのでちゃんと眠れなかった。さいわい寒さはない。というより井戸の中はあたたかかった。これが真冬だったらきっと凍死しているだろうし、真夏だったら数時間で熱中症に罹ってしまうだろう。問題は雨だ。小雨程度ならともかく、大雨だとさすがにここまで水が入ってくる。身体が濡れるのは勘弁してほしい。木曜日までの天気予報はどうだったか? 記憶をたぐってみたが何も思い出せなかった。
二日目になると、口の中が乾いてひりひりするようになった。水が飲みたい。雨は勘弁してほしいと願っていたが、逆に大雨でも降ってくれた方がいいくらいだ。ちゃんと眠れないので日中もうとうとしてばかりいる。
その晩、ふと思った。この屋敷に来れば超常的な現象に遭遇できるのではないかと期待していたが、ひょっとするとこれが「超常的な現象」なのではあるまいか? そもそもあの一条の光に導かれるようにして井戸を発見したのだ。あげくに崩れるとも思えぬ井戸の積み石が崩れて転落してしまった。
この井戸は、自分のいのちを救うためにシロが身を投げた井戸だった。
あれから二十九年。死すべきいのちを生かされて、自分は今日まで生きてきた。そして、ついにそのいのちを授かった場所へと導かれ、いま生命の危機に遭遇している。
――なんだ、そういうことか……。
渇きと空腹でぼんやりしてきた頭で、遼平は拍子抜けするような心地で気づく。
――シロにいのちを救われたあの日から、俺はこうなる運命だったのだ。
現状を冷静に見つめるなら、とてもあと二日もこの状態で生きられるとは思えなかった。とにかく渇きが深刻だった。水なしで人は四日も生きられないということか。
猛烈な渇きがもたらすものなのか、しばらく前から、七輪優作が話していたことが繰り返し脳内に再生されていた。母親である深町あやめのことを彼はこんなふうに話していたのだ。
「母のことはほとんど何も知らないんですよ。物心がついた頃には滅多に家に帰って来なくなっていましたからね。僕を育ててくれたのは黄昏族で働く女性たちでした。だから、母とそれなりに話ができたのは、彼女が警察に捕まって刑務所に入ってからなんです。面会に行くとさすがに嬉しそうにしていてね、いろんな話をしたものです。といっても、すぐにがんになって死んでしまったので、そんなに長い期間ではなかったんですが。母は不思議な人でした。『優作、この世界には人ならぬ人が大勢いるんだよ。人間は大威張りで、自分たちがこの世界の支配者だと思い込んでいるけどね、ほんとうはそんなことはない。この世界を操っているのは人間よりもずっと数の多い動物たちの方なんだ。そして、彼らは人間と自分たちのあいのこを作って、上手に人間をコントロールしているんだよ。もう何千年も動物と人間はそうやって共生してきたんだ』なんて言っていました。訳がわかんない話ですよね。でもね、母は動物の言葉が分かったみたいでした。幼心にもその記憶だけは僕にもあるんです。自分で動物を飼うことはなかったんですが、近所の犬や猫、公園に集まっているカラスや鳩、動物園に行けばそれこそライオンやトラ、ラクダやゾウだってすぐに母に気づいて近づいてくる。そんなときはね、檻の内側にいる彼らといかにも親しげに何か話したりしてたもんです。母が死んで、医療刑務所に遺体を引き取りに行ったら看護師さんがこう言っていました。深町さんの病室は、いつも窓辺に鳥が来ていたって。母の遺体を引き取って斎場に運ぶときに病院の玄関で空を見上げたらね、それはもう物凄い数のカラスたちが円を描くように舞いながら悲しそうな声を上げていましたよ」
猫の声を耳にしたのは、四日目の早朝だった。
遼平はもう一ミリも身動きできないほど衰弱していた。だから、その声を聞きつけたときもさほど感情は昂ぶらなかった。ニャーという声を耳にして、そちらの方向へとわずかに顔を持ち上げただけだった。声は井戸の穴の方から聞こえたのだ。
現実かどうか不分明だが、井戸の穴のふちから真っ白な猫が顔を覗かせていた。目が合うとニャーともう一度鳴いた。
――シロだ……。
と遼平は思った。
シロはすぐにいなくなった。鳴き声も二回だけだった。恐らく幻聴、幻視だったのだろう。
頭を下げてふたたびうつらうつらとし始めたとき、今度は、
「遼ちゃん」
という声がした。
さすがに遼平の意識レベルは跳ね上がった。それは余りに明瞭だったし、ずっと待ち焦がれていた声だったからだ。
ふたたび顔を上向ける。そこには懐かしい顔がある。
「遼ちゃん、ごめんね」
彼女が言う。
遼平は必死に名前を呼んだ。しかし、ひからびきった喉からは小さな音の固まりさえ出てこない。
「待っててね。もう大丈夫だよ。いますぐ降りていくから」
小さく頷くことしかできなかった。