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耕平の入学

 

1

「宗介の父親が誰だか分かったよ」
 運ばれてきたナポリタンに一口つけて、ふと思い出したような口調でタケルが言った。ナポリタンと同時に届いた自分のホットケーキにメイプルシロップを掛けていた耕平は手を止めて、口許にケチャップをつけたタケルの美しい顔をぽかんと見る。
「何、それ?」
 友莉が宗介を産んだのは去年の一月だった。この一月で満一歳。その日(十一日)は、流山の「そば処 田部井」で板倉のおじさん、おばさんをはじめ、耕平や珠子、それにタケルと新菜も加わって宗介の誕生日会を開いたのだった。
 妊娠期間中も出産後も友莉は宗介の父親の名前は決して明かさなかった。
 耕平たちだけでなく祖父母である智司おじさんたちにも、さらには三人で一緒に暮らして宗介の育児を半分は担ってくれている田部井さんにも父親のことは打ち明けていないようだった。
 これに関しては七輪社長に対しても同様だった。
 耕平は一度、真剣に七輪に問い質したのだが、「いや、僕もぜんぜん分からないんだよ」と言うばかりで、「妊娠した時期から考えて、たぶん友莉さんが相手をした六人のうちの一人だとは思うんだけどねー」と曖昧な物言いに終始した。
 むろん、七輪が六人の固有名詞を洩らすはずもなく、それ以上の追及は無理だった。ただ、彼の反応からして、六人のうちの一人が宗介の父親なのは間違いなさそうだと耕平は思ったのだ。それにしても、友莉ネェは、なんでまたそんな相手の子供を産んだのか? 彼らは金で友莉ネェの身体を買った男たちだった。あげく父親となった一人に至っては避妊さえしなかったのだ。それとも、彼に対してだけは、ある種の恋愛感情を持ったのか? そして、その子供を産もうと決めたのか?
 幼い宗介を舐めるように可愛がっている友莉の姿を見るにつけ、耕平はいつもそんなことをあれこれ思い巡らせているのだった。
「友莉ネェから聞いたのか?」
 それしかあるまい、と推量しながら耕平は言う。一言言ったきりで、ふたたびナポリタンを食べ始めたタケルが手を止める。
「違うよ。美々さんがこっそり教えてくれたんだよ。先月、宗介がインフルで入院したことがあっただろう。そんとき、友莉ネェから聞いたらしいよ」
「そうなんだ」
 と言って、耕平もホットケーキに口をつける。
 二月に入って宗介はインフルエンザが重症化して入院したのだった。一時は肺炎が進行していのちの危険もあった、と病院に見舞いに行ったとき友莉ネェが話していたのでよく憶えている。
 今日は三月二十九日火曜日。
 数えてみれば宗介の入院騒動からもう一ヵ月半以上が過ぎていた。
 耕平が仕事を辞めたのはちょうど一年前だった。以来、こうしてダラダラとした日々がつづいている。やることがないと時間というのはあっと言う間に過ぎていくのだと、この一年で耕平は蒙を啓かれた気分だった。
 目の前のタケルが「鼠」を辞めてホストから足を洗ったのも同じ頃だ。
 というより、新菜が一昨年の六月に浅草に開いた美容院が軌道に乗るとすぐにタケルは退店し、それからは耕平の会社にしょっちゅう顔を出しては、
「お前もさっさとこんな業界から足を洗えよ」
 と言い募り、珠子からも似たようなことを日々言われていたこともあって、耕平は二人の言に半ば根負けするようにして仕事をやめたのだった。
 プー太郎同士となって、タケルとは二日に一度はこんなふうに顔を合わせていた。
 今日のようにタケルが錦糸町にやって来るか、耕平がタケルの住んでいる浅草を訪ねるかだったが、錦糸町で会うときは大体、この「コットン」で待ち合わせて名物のナポリタンやホットケーキを食べ、それから街に繰り出すのだった。繰り出すと言っても二人ともやりたいこともないから映画を観るか、書店で本を漁るか、パチンコ玉でも弾くか、それとも長い散歩で時間を潰すかくらいだ。
 ホスト時代はあれほど飲んでいた酒を、タケルはきっぱりやめていた。代わりに見つけた趣味が読書で、一緒に住んでいる時分は、もとから本好きだった耕平のことを、
「そんな化石みたいな趣味、いい加減やめちまえよ」
 と笑っていたくせに、いまでは、
「耕平、本っていうのはほんと面白いな。この世の中、本さえ読んでいればマジ学校なんていらないんだな」
 と真顔で言ってくる始末だ。
 月に一度くらいは池袋にあるラブホテルでタケルと寝ている。
 タケルの真っ白で冷たい肌に触れると耕平は心が落ち着いたし、珠子とのあいだで満たされない欲望がすーっと消えていくのが分かった。
「だけど、どうして友莉ネェは田部井さんに父親の名前を明かしたんだろう?」
 耕平が訝しげな声を作ると、
「美々さんから突っ込まれて、ゲロるしかなかったんだよ」
 これまた意外なことを言う。タケルは田部井さんのことを会ったその日から「美々」という下の名前で呼んでいた。
「宗介が入院してるあいだ、夜は交代で付き添っていたんだけど、ある晩、友莉ネェと入れ替わりで店の後片づけに向かった美々さんが、忘れ物をしたことに気づいて病院にとって返したそうなんだ。そしたら、病院の玄関に銀色のベントレーが横付けされてちょうど男が降りてくるところだったらしい。彼は慌てた様子で通用口から病院に入って、あとからやってきた美々さんと同じエレベーターに乗った。もうそのときには、そいつが宗介の父親に違いないって彼女は確信していたから、先に男をエレベーターから降ろして、そっとあとをつけたんだそうだ。案の定、男は、宗介のいる個室に入っていった。で、次の日、友莉ネェにその男のことを告げて、『宗ちゃんの父親ってあの人でしょう?』って詰め寄ったってわけ」
「そのベントレーの男って誰なの?」
 タケルの話がよく見えなかった耕平は、ずばり訊いた。そもそもエレベーターに一緒に乗った時点で田部井さんが男を“宗介の父親”だと見破っていた理由が分からない。
「丹下宗十郎」
 手にしたフォークを耕平の鼻先でくるくる回しながらタケルが歌うように言う。
「丹下宗十郎!」
 耕平の声が思わず裏返る。
「そう。宗介の宗は、宗十郎の宗ってわけだったんだよ。美々さんも言ってたよ。『丹下の種だと思って宗介の顔を見れば、たしかによく似てるよね』って」
 丹下宗十郎は日本を代表する名優だった。国内に止まらずハリウッドでも活躍する文字通りの大スターで、年齢はとうに七十を過ぎているはずだった。
「じゃあ、丹下宗十郎もクルバンの会員だったってこと?」
「そうみたいだね」
「宗介が丹下宗十郎の息子……」
 にわかに信じがたい話ではある。だが、一歳になったばかりとは思えぬ宗介の眉目秀麗ぶりが、あの丹下宗十郎の遺伝子のなせるわざだと考えれば納得できないこともなかった。
「友莉ネェが認めたんだから間違いないよ」
 タケルは言い、
「美々さんに丹下が父親だろうって迫られて、『だからあれだけ来ないでくれと言ったのに。入院してるなんて連絡しなきゃよかった』って友莉ネェはしきりにぼやいてたらしいけどね」
 とつづける。
 耕平の方はあまりに突拍子もない話に頭がうまくついていけない感じだった。
「耕平がいつも言っている通りだね。友莉ネェってのは、確かに賢い人だ」
 タケルは淡々とした口調で言うと、ナポリタンを半分くらいまで食べてフォークを置き、冷めたコーヒーをうまそうにすすった。もとから彼は男とは思えぬくらいに小食なのだ。
「どうして?」
 ホットケーキを平らげながら少し考えたあと、耕平は訊ねる。
「だってそうじゃない。友莉ネェが相手をした六人の一人が丹下だったってことは、七輪は本人の言葉通り、クルバンの最優良顧客をあてがったってことだろう。つまり残りの五人も錚々たるメンバーだったはずだよ。なのに友莉ネェは、宗介の親として丹下に白羽の矢を立てた――そういうことでしょう」
「なるほどね」
 タケルの言葉を聞いて、耕平もその言わんとするところはすぐに了解できた。
「宗介にとってみれば、丹下のような大俳優の隠し子っていうのが将来的に最も有利ってことか……」
「そうそう。仮に宗介が役者を目指すんだったら負い目どころか箔付けになるからね。丹下の容姿を引き継げば、明らかに丹下の息子だと分かるわけだし」
「じゃあ、友莉ネェは宗介をいずれは芸能界に入れるつもりなのかね」
「美々さんも宗介はあんなにきれいな顔してるんだし、芸能人にするのが一番だって言ってた。たぶん友莉ネェも日頃からそれらしいことを言ってるんだろうね」
「宗介がいずれはアイドルか映画スターか……」
 友莉ネェが賢い人だというのは分かるが、それにしても大した適応力だと舌を巻かざるを得ない。七輪から三千万円を受け取ってコールガールを引退した彼女は、木場の実家には戻らずに田部井美々のもとへと身を寄せたのだった。
 田部井さんを紹介したのは、珠子だった。
 珠子と二人で、引退を決めた友莉の独身寮を訪ねたとき、この近所で自分のキャバクラ時代の先輩が蕎麦屋をやっていると珠子が言い出し、三人で店を訪ねたのだった。
「そば処 田部井」は独身寮から歩いて五百メートルもしない、東武線の「初石」駅前に店を構えていた。
 それからわずかのあいだに、友莉と田部井さんは急速に親しくなったようだった。そして、何もかも洗いざらい打ち明けた友莉は、田部井さんと同居する道を選択したのである。大学院まで通わせた弟はとっくに独立していて、田部井さんは店の二階で一人暮らしだった。
 察するに、三千万円をどう使うのか? この際、六人の誰かの子供をみごもってはどうか? ――といったことも田部井さんと相談ずくで決めたようだ。
 計画通りに妊娠した友莉は、引きつづき田部井家で起居し、妊娠中は「そば処 田部井」を手伝いながら今後の生活設計を練ったのだった。そして、出産直前、三千万円の一部を拠出して初石にあった店を「流山おおたかの森」駅前のビルに移転させ、それと同時に「そば処 田部井」の共同経営者におさまったのである。
 もとから人気店だった「そば処 田部井」は繁華街に移ってさらなる繁盛店となり、この夏には同じ駅の反対側にある大型ショッピングモールに二号店をオープンさせる予定だった。
「調べたんだけどさ、丹下宗十郎は十年近く前に奥さんを亡くして独身なんだよ。亡妻とのあいだに子供はいなかったようだから、宗介は唯一の跡取りってわけ。そのあたりも友莉ネェが丹下をターゲットにした理由なのかもね」
「だけど、丹下もよくそんなことを受け入れたもんだね」
 耕平は返しながら、あれほど美しくなった友莉なら、七十を過ぎて血を分けた子供のいない丹下を籠絡するのは案外、容易だったのではないかと思っていた。
「まあ、きれいなだけじゃなくて賢い人なわけだから、友莉ネェは」
 タケルが言う。
 友莉は妊娠が分かるとすぐに胸のシリコンバッグの抜去手術を受けた。いまはもう以前の体形だったが、それでも美しさに変わりはない。宗介を産んで尚一層、美貌に磨きがかかった気配もある。
「最初の子供を産んですぐが、女は一番きれいになるんだよ」
 珠子はかねがねそう言っているが、友莉を見ているとなるほどと思ってしまう。
「女は凄いよね。どんな生れでも美貌というプラチナチケットがあれば王妃にだって財閥夫人にだって本当になれるんだからね。美女の背中には翼が生えてるんだよ。俺たち男とはそこが大違いだよ」
 そう言ってタケルは苦笑いを浮かべ、また冷めたコーヒーをすすった。


2


 耕平が仕事もせずにダラダラと暮らしていられるのは、すべて珠子のおかげだった。
 二〇一四(平成二十六)年の三月にYouTubeにチャンネルを開設して今月で丸二年。珠子はいまや美容系ユーチューバーの人気トップ5に常時ランクインする超売れっ子となっていた。
 開設半月後、兄貴の嫁、つくみねえさんのメイキャップ動画をアップしたのがブレイクのきっかけだった。おねえさんの動画は驚異的な反響を呼び、わずか一ヵ月間でチャンネル登録者数は一気に二万人まで爆上がりした。その後はまさに倍々ゲームのような状態になったのだが、決定的だったのはそれから半年後の二〇一四年九月、Kポップのアイドルオーディションに挑戦するという財前梨々杏ちゃんのメイクを珠子が一手に引き受け、彼女がオーディションで勝ち上がっていくプロセスを「亜里砂のマジカルメイキャップ 超実践編」で独占配信したことだった。
 リリアちゃんは財前君の妹で、学業のかたわら地下アイドルとして活動し、小さな芸能プロダクションにも所属していたのだが、オーディションに関してはガチの挑戦だった。応募総数三万余名の中から選ばれる新グループのメンバーは韓国側三人、日本側二人という超ハイレベルな公開選考会だったので、もちろん最初はリリアちゃん本人もプロダクション側も合格するとは端から考えてはおらず、たまたま財前君がこのところ登録者数を伸ばしている珠子のYouTubeチャンネルをプロデュースしていると妹のリリアちゃんが知って、地下アイドル活動のプロモーションにつながればとコラボを申し込んできてくれたのだ。
 ところがこのリリアちゃんの挑戦が予想外の結果を呼んだ。
 一次選考、二次選考と彼女は勝ち上がり、韓国での三次、四次、そして最終選考を突破して見事合格を掴み取ったのだ。
 リリアちゃんのメイク動画は一次選考、二次選考、ソウルでの三次以降の選考と逐一アップされ、そのなかで亜里砂(珠子)はリリアちゃんの毎回の“顔作り”の意図を詳細に解説し、それらのメイクが各段階の選考会でどのような効果を生むかを予測してみせた。
 この一連の配信によって「亜里砂のマジカルメイキャップ 超実践編」は爆発的な視聴回数を記録しつづけ、リリアちゃんがアイドルユニット「KJステイタス」のメンバーとして、昨年の六月に日韓で同時デビューを果たした時点でチャンネル登録者数はついに二十万人を突破したのだった。
 そして、年末の紅白歌合戦に「KJステイタス」が出場すると登録者数は三十万人台へとさらに急伸したのである。
 珠子の月収はすでに三百万円を超えていた。登録者数は現在も順調に増えているから五百万円の大台に乗るのも時間の問題だろう。
 登録者数が五万人に迫り、月の収入が五十万円を超えたあたりから彼女は、
「耕ちゃん、もう仕事辞めなよ。しばらくのんびりすればいいじゃん」
 としきりに言い出した。
 タケルがホストから足を洗った頃には月収は百万円近くになっていて、「辞めろコール」はさらに頻回になった。耕平にしても、珠子の稼ぎがそこまでとなると段々にその気になってきた。
 自分ももう今年で二十八歳。この辺で踏ん切りをつけないとあっという間に三十を迎えてしまう……。
 というわけでタケルの尻尾を追うように彼は水商売稼業から足を洗ったのである。
「ところで話は変わるんだけどさ……」
 残っていたナポリタンの皿が片づけられ、注文した二杯目のコーヒーが届いたところで、カップを持ち上げながらタケルが言った。
「俺、来月から美容師の専門学校に行くことにしたから」
「え」
 喉が詰まったような声を耕平は出す。
「何、それ」
 最前と同じセリフが口から飛び出した。
「そんな話、全然聞いてないよ」
「ごめん。急に決まったんだよ。てか、正式に決まったのは昨日だったからさ」
「昨日?」
「新菜の専門学校時代の友だちが、いま日暮里にある美容・理容専門学校で先生をやっててさ、俺がちょっと前に『美容師だったらやってみてもいいかな』って口走ったら、新菜のやつ、さっそくその友だちに相談して、勝手に入学を決めちゃったんだよ」
「えー」
 耕平が叫ぶと、
「俺だって、えーって感じだよ」
 タケルは両手を広げてみせる。
「で、タケルはほんとにそこに通うわけ?」
「仕方ないだろ。いつまでもプーってわけにもいかないし、新菜が入学金も授業料も全部払っちゃったからね」
 そう言って、新しいコーヒーをすする。猫舌なのでちょっと熱そうに顔をしかめた。
「じゃあ、本気で美容師になる気なんだ」
「まあね。浅草に店もあるしね、俺が美容師になったら新菜と二人で働けるでしょ」
 タケルはまんざらでもないふうだった。
「だけど、俺はどうなんの?」
 美容学校の話を聞いて真っ先に思い浮かんだことを耕平は口にする。
「いままでみたいにしょっちゅう会うのはちょっと無理かもね」
 タケルはあっさり言った。
「そんなあ」
 タケルがあれだけ足を洗えと言うからやめたのだ。
 梯子を外されるとはこのことだろう。
「それで、今日ここに来る道々で考えてたんだけどさ、耕平も手に職を付けたらどうかな?」
「手に職?」
「そう。俺が美容学校に通うみたいに耕平も何かの学校に通えばいいんだよ。幸い、珠ちゃんがあんだけ稼いでるんだから学費だって生活費だってぜんぜん大丈夫じゃない」
 タケルの場合は、ホスト時代に稼いだ金で末次新菜に店を持たせていた。それもあって新菜はタケルと堀切愛美の関係の継続を飲み込むしかなかった面もあった。それはともかくタケルが新菜の稼ぎで暮していられるのには相応の根拠があるのだ。
 一方、貯金もせずにその日暮らしを送っていた耕平の場合は、もはや完璧に“珠子のひも”状態なのだった。
「いまさら俺が何の学校に通うんだよ」
 そう言い返しながら、だったらいっそタケルと同じ美容専門学校に行こうかと、耕平はちらっと思っていた。
「看護学校なんてどうかな」
 するとタケルが意外なことを言った。
「看護学校?」
「うん」
「なんで?」
 タケルがなぜ急にそんなことを言うのか耕平には分からない。
「だって、友莉ネェが昔、そんなふうに言ってたことあるんでしょう。看護師になればいいって」
 タケルは存外真面目な顔つきになっていた。
「看護師……」
 そこでようやく耕平は思い出した。そういえば、高校の頃に耕平のサッカーの試合をTV観戦した友莉ネェが、翌日会ったときに、勝ち負けのつくスポーツは耕平には向いていないと言って、「じゃあ、俺、何をやればいいの?」と問い返すと、「お医者さんとかかな」と答えたのだった。「俺の頭でそんなの無理に決まってるじゃん」と一笑に付したら、
「お医者さんじゃなくて看護師さんでもいいと思うよ。耕平君はすごくやさしい人だから」
 と友莉ネェは言い返してきたのだった。
「タケル、よくそんな昔のことを憶えてるねー」
 耕平は感心してしまう。タケルとは長い付き合いで、たいがいのことは打ち明けているが、それにしてもその記憶力にはいつも舌を巻いてしまうのだった。
「俺たちの年齢で入れる学校って少ないけど、美容師も看護師も資格を取るのに年齢制限はないからね。だったら耕平は看護師になるのがいいと俺も思うよ。あの賢い友莉ネェが勧めたんだからきっと間違いないしね」
「うーん」
 耕平は首をひねる。さんざん泥水すすって生きてきたこの俺が看護師だなんて悪いジョークなんじゃなかろうか?
「だけど、いまからじゃどこも入れないよね。もう入試もとっくに終わってるし、専門学校だって入学は四月でしょう」
 耕平は言う。
「そんなの全然平気だよ。耕平がその気になってくれれば俺が堀切に言って、救世会系列の看護学校に入れてやるからさ。それくらいわけないよ」
「何、それ」
 ふたたび耕平は呆れたような声を出す。
 確かに救世会病院グループの堀切愛美理事長にタケルが頼めば、救世会系列の看護学校に耕平をいまから押し込むくらいは造作もないに違いなかった。

 

(つづく)