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遼平の帰還

 

  3


 洋子ママに会ったあと四ヵ月余り、何の手がかりも見つからなかった。
 遼平は悶々とした日々を送りながら、一方で猛烈に働いていた。年末年始もほとんど休まなかった。仕事に没頭しているときだけは、つくみの不在とこの謎めいた現実の両方から逃れることができるのだ。
 仄かな光は、思いもしなかった方向から射してきた。
 年が明けた二〇一六(平成二十八)年三月十四日月曜日。現在は大分市に住んでいる母の妹、暁美叔母から久しぶりに連絡があった。
「実は、朋美が結婚することになったとよ。お相手は東京の人だっていうんでおとうさんと一緒に昨日、こっちに出てきたんよ。両家のご挨拶っていうの、それが昨日だったもんだからね。で、朋美にも勧められて二、三日東京見物をして大分に帰ろうと思っとるんやけど、遼ちゃん、今日明日にでもちょっと時間ある? せっかくだから会っておきたくて。いろいろ積もる話もあるけんね」
 と叔母は言った。
 朋美というのは耕平と同い年の従姉妹で大学時代から東京で暮らしていた。暁美叔母にはもう一人、光明という息子がいて、朋美より二つ下の彼は、地元で小学校の教師をやっている。
 宿泊先は浅草ビューホテルだというので、
「じゃあ、さっそく今晩にでもホテルにお邪魔するよ。仕事でちょっと遅くなるから晩御飯を一緒に食べるのは難しいけど、ホテルのバーで軽くお酒でも飲もうよ」
 と遼平が言うと、
「ありがとう。今夜は、旦那はこっちにおる大学時代の仲間たちと飲み会だし、ちょうど都合がよかよ」
 と叔母が言った。
 暁美叔母の夫も長年、小学校の教師をやっていて現在は大分市内の学校の校長先生のはずだ。母の父である六波羅秋太郎も教師で、今は津久見市に編入された爪島村で唯一の小学校の校長を長く務めていた。祖母も元は教員、暁美叔母も旦那さんとは職場結婚だから、要するに六波羅家とそれに連なる人たちは大半が教員で、高校卒業後に東京の短大に進んで、父の富士夫が勤める自動車部品メーカーの親会社にあたる大手自動車メーカーに就職した母の満代は相当な変わり種だったことになる。
「だったら八時にはビューホテルに行くよ。着いたらおばちゃんの携帯に電話する」
 そう言って遼平は電話を切ったのだった。
 ビューホテルは吾妻橋の家からも近場とあって、転居後ちょくちょくつくみと出かけていたホテルだ。「痩せの大食い」のつくみは、ビューホテル二十六階のブッフェ・レストランが大のお気に入りだった。
 そんなことを思い出して、つい感傷に浸ってしまいそうな自分を抑え、遼平は叔母の声を聞いているときから意識にモヤモヤと湧き上がってきたものに焦点を当てた。
 あの善弥さんについて訊いてみよう――モヤモヤがくっきりとした形になる。
 善弥さんは、見舞いにきた耕平にシロの最期を語り、「時期が来たら」遼平に伝えて欲しいと遺言したのだった。そうすれば「シロもきっと浮かばれるだろうから」と。そして、耕平は、つくみと一緒になる直前、清澄公園で件の遺言を伝えてきた。
 遼平のいのちを助けるためにシロが井戸に身を投げたと知った瞬間、隠善つくみのことを「むかしからの知り合い」で、自分のことを「ずっと待ってくれてた人」だと直感した理由が分かったような気がした。
 善弥さんはシロの遺骸を井戸から掬い上げて懇ろに葬ったという。子供心に不思議な人だと感じていた善弥さんとは一体どんな人物だったのか?
 暁美叔母は、十二年前に善弥さんが亡くなるまでずっと彼を見守ってきた人だった。祖父母が亡くなり、津久見の実家で善弥さんが一人になったあとも何くれと彼の面倒を見ていたと思う。そして、善弥さんが病を得ると自分たちの住んでいる大分市内の病院に入院させて最期を看取ったのだ。そんな叔母であれば、善弥さんのことはもとより、あのシロのことも詳しく聞いている可能性が高かった。
 シロとつくみ――遼平にはこの二つの存在がどうしても重なり合っているように思える。付き合い始めた最初からそうだったし、一緒に暮らし始めてのちは尚更、つくみはシロの生まれ変わりではないのか?――という現実離れした感懐を容易に手放すことができなくなった。
 むろん猫が人間に生まれ変わるなんてあり得るはずもない。
 だが、シロとつくみとのあいだに何か想像も出来ないような繋がりがある――と仮定することはできないだろうか? そして、その繋がりを突き止めれば、つくみが失踪した理由も、彼女がいまどこにいるかも見えてくる――と微かな希望を抱くくらいは許されるのではないか?
 暁美叔母から急に連絡を貰って、遼平はそんなふうに考えたのである。
 午後八時ちょうどに浅草ビューホテルのロビーに行くと、カフェ・ラウンジの入口で暁美叔母が待っていた。遼平が駆け寄ると、
「八時で予約しておいたから」
 彼女はそう言ってさっさとラウンジの中へと入っていく。遼平はあとに従った。
 ラウンジはほぼ満席だった。「Reserved」の札の置かれた奥の四人席にウェイトレスが案内してくれる。向かい合って座ったところで、
「上のバーの方が夜景はきれいなんだけど、こっちの方が落ち着くと思って」
 と暁美叔母が言う。
 最後に会ったのは、もう七、八年前だったか。そのときも朋美のもとに遊びに来た叔母から連絡を貰って、こんなふうに待ち合わせたのだった。
「朋ちゃんもよかったね。おめでとうございます」
 型通りのお祝いをまずは口にする。
「まあね。ただ、お相手は東京の人だし、勤務先もこっちだしね。あの子はもう大分には戻ってこないわね」
 叔母の口調は淡々としている。昔から、「朋美は満代おねえさんとよく似たタイプだから」と口癖のように言っていた。
 それからしばらくは朋美の結婚について聞いた。その話題が一段落したところで、
「奥さんとはうまくやってる?」
 と叔母が訊いてきた。
 結婚式を挙げなかったのでつくみを紹介することはできていないが、叔母からの結婚祝いはありがたく頂戴していた。
「うん」
 まさか去年失踪しました、とも言えない。
「おばちゃん、ところでなんだけどさ……」
 遼平はようやく今夜、暁美叔母に訊ねたかったことを切り出した。
「善弥さんって、どんな人だったの?」


  4


 むかしね、むかしと言っても安土桃山時代だから、そんなに遠いむかしではないんだけど、別府湾に瓜生島という名前の島があったのよ。で、その島には神社があって、うちの六波羅家と、もう一つ、善弥さんの生まれた深町家の二家が代々、この神社の神官職を務めていたの。六波羅家と深町家はもとは一つの家で、どこかの時点で分かれたと言われていて、要するに親戚筋だった。
 で、この瓜生島が、文禄五年(一五九六年)のある日、大地震で一夜にして海に沈んでしまったのね。一説には、島にあった蛭子神社の蛭子様の像を誰かがいたずらで赤く塗ったせいで神の怒りに触れたからだと言われているんだけど。
 ただ、その蛭子神社がうちが仕えていた神社ではなくて、深町家と六波羅家が仕えていたのは、もう一つ、島の南端にあった「明礬神社」という神社の方。両家はそこをお守りする家だったわけ。
 この「明礬神社」の由来というのはかなり風変わりで、こういうことだったの。
 瓜生島の水没からさらに遡った源平の時代、別府近郊にある、いまは猫ケ岩山と呼ばれている御山に化け猫が住んでいて、この化け猫がやたらと旅人に悪さをする。人々は困り果てて、あの弓の名人、鎮西八郎為朝に退治を頼んだのね。為朝は彼らの窮状を汲んで、さっそく化け猫退治に赴き、彼の強弓の矢を射かけられた化け猫は這々の体で御山を下りて、当時まだ別府湾に浮かんでいた瓜生島にいのちからがら逃れていった。
 そこで化け猫は、これまでの自らの行ないを深く悔いて、島民のために働く守り神になったと言われているの。その猫神様を祀っていたのが「明礬神社」で、うちと深町の両家は、その神社を代々お守りさせていただいていたのよ。
 ところが、文禄五年の大地震でこの神社が瓜生島もろともに海底に沈んでしまった。
 祀られていた猫神様は六波羅家と深町家のご先祖様たちを引き連れて、島が没する寸前に小舟で島を脱出したの。そして、さまざまな苦難のあとにいまの津久見の土地に辿り着いた。ご先祖さまは、そこに田畑を開いて村を作ったの。村には、瓜生島にちなんで「爪島村」という名前を与えて、もちろん島にあった「明礬神社」を再建して、お百姓をやりながら猫神様を祀ることにしたのよ。
 でも、この新しい「明礬神社」も昭和四十年の豪雨で爪島川が大氾濫して、鉄砲水で社務所もろとも流されてしまった。その日は、年に数度の深町家のお籠もりの日で、まだ二歳の赤ん坊だった善ちゃんはうちで預かっていたから難を逃れたんだけど、社務所に詰めていた深町の人たちは全員、水に呑まれて亡くなってしまったの。
 それで、善ちゃんは六波羅家の人間として育てられることになり、おじいちゃんたちは二度も水害にあった神社を再建するのはもうやめて、家の敷地のなかに小さなお社を建てて、そこに純金製の大きな猫の置物を飾り、それをご神体としてお祀りすることにしたんだよ。だからお正月なんて、村中の氏子たちが引っ切りなしに、うちの裏庭に初詣に来ていたものよ。
 爪島村の人たちはどこの家も金色の猫の置物を飾っていて、信心の厚い氏子の中にはそれこそ純金製の立派な置物を職人に作らせて、家の守り神にしている人も結構な数いたんだよね。もともと村人は深町、六波羅の両家の末裔か、それとも「明礬神社」の猫神様を慕って集った人たちばかりだったから。
 善ちゃんは、大きくなっても読み書きは苦手だったし、中学校にもろくに行けなかったんだけど本当に心のやさしい人だった。そのことは遼ちゃんたちもよく知っているよね。さすがに猫神様に情けをかけられて唯一生き延びた深町家の末裔だけあって、とにかく動物に慕われて慕われて、猫や犬でも、鳥やそれこそ猪や熊だって善ちゃんの前に出ると、もう、母親に巡り会ったみたいに甘えて、懐いて仕方がなかった。
 木登りの名人でもあったから、しょっちゅううちの裏庭にあった大きなクスノキのてっぺん近くまで上がって、そこからかつて神社があった爪島川の方をまるで懐かしむように眺めていたわ。そんなとき善ちゃんの両肩にはいつもいろんな鳥が止まっていた。
 善ちゃんにきょうだいや親戚はいなかったかって?
 きょうだいはいなかったけど、善ちゃんの父親の妹、つまり彼のおばさんがいたと思う。でも、そのおばさんも善ちゃんの祖父母や両親と一緒に豪雨の日に激流に呑まれて死んでしまったの。
 そのおばさんの名前?
 名前は何だったっけ。たしか「あかね」っていう名前だったんじゃないかな。深町家は六波羅家とは違って、神肌の人が多く出る家系でね。善ちゃんもそうだったけど、この「あかね」さんも神肌の人だと噂されていた。そうそう彼女は動物の言葉が分かるって言われていたんだよ。
 彼女だけが、実は、生き残ったんじゃないかって?
 それはどうかな? とにかく凄い大水だったから深町の人たちは海に流されて誰の遺体も見つからないくらいだった。でも、だからといって「あかね」さん一人が生き残ったっていうのはちょっとあり得ない話だと思うよ。生きてたら村に戻ってくるだろうし。
 六波羅光彦? もちろん知ってるわよ。知ってるなんてものじゃない。満代ねえさんや私の実の兄だもの。そうか。遼ちゃんたちはきっと憶えていないよね。兄は早くに亡くなったし、ずっと東京に行っていて、大分に帰ってからも爪島村には戻って来なかったからね。遼ちゃんたちは、兄には一度も会ったことがなかったと思う。もともと彼は六波羅家を捨てた人だったし。父の秋太郎ともひどく不仲だったから。
 えっ、どうして兄が美容師だったって知っているの?
 えっ、爪島川に流されて死んだことも……。
 誰からそんな話を聞いたの?
 満代ねえさん?
 でも、それなら私にいま「六波羅光彦って知ってる?」なんて訊かなかったはずだよね。
 そう。その通り。兄はずっと東京で美容師をやっていて、昭和が終わる数年前に不意に大分に戻ってきたの。戻ったと言っても、大分市内に住んで爪島村には滅多に寄りつかなかったんだけどね。
 そして、平成が始まったばかりの夏に爪島川に釣りに出かけて、そこで溺れて亡くなってしまった。でも、小さい頃から川遊びが好きだった兄が溺れたのは事故じゃなかった。そのとき、村で一軒だけあった「末次食堂」っていう食堂の家の人たちが川に遊びに来ていて、そこの一人娘だった三歳の女の子が流されてしまったのよ。
 釣り糸を垂れていた兄は、女の子の悲鳴を聞きつけてすぐに川に飛び込んで、彼女のことは何とか助けたんだけど、川の水が冷たかったこともあって、自分は力尽きて急流に押し流されてしまった。
 兄が見つかったのは何日も経ってからで、さすがに父もげっそりやつれて、遺体が上がったときは「こうやって会えただけでも、深町さんのときよりはマシだろう」ってポツリと洩らしていたわ。
 末次さんたちはどうなったかって?
 やっぱりそういうことがあって、いたたまれなかったんでしょうね。狭い村で食堂をやっていて、一人娘が助かったとはいえ、代わりに六波羅の長男を死なせたとなるとなかなか先の商売は難しかっただろうからね。数ヵ月もしないうちに店を畳んで、村を出ていった。噂では奥さんの実家がある日田に移ったっていう話だったよ。

 

(つづく)