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遼平の帰還

 

  5


 シロのことはよく憶えているよ。
 あの猫は不思議な猫だったからね。真っ白な毛並みがほんとうに美しくて、ちょっと現実離れした雰囲気の猫だった。
 父の秋太郎は、大の動物好きで、善弥さんがいろんな動物を飼い慣らしているのを見ていつも嬉しそうにしていた。でも、なぜだかシロのことはよく思っていなかったね。というより、はっきり言うと、すごく嫌っていた。
 遼ちゃんにシロが懐いたのを知って、
「遼平が目をつけられた」
 って苦虫を噛みつぶしたような顔で一度言ったこともあったよ。
 遼ちゃん、憶えているかなあ。あんたが風邪をこじらせて肺炎になって死にかけたときのこと。もう耕ちゃんから聞いて知っていると思うけど、あのとき、シロが井戸に身を投げて、あんたの身代わりになってくれたって善ちゃんは涙ながらに話していたの。だけど、父は、「そんなんじゃない」って言ってた。
「どこがどうして、そんなんじゃないの?」
 私は何度も訊ねたけど、その先のことは父は何にも言ってくれなかった。
 でもね、それから数年して、父が病気になって入退院を繰り返すようになってね、「ああ、もうこれが最後の入院になるのかなあ」ってみんなが思っていたある日、私、病室で父と二人きりになったときに、もう一度その話を蒸し返してみたんだよ。
「おとうさんは、どうしてあのとき、あんなふうに言ったの?」
 って。そしたら父が、
「あれはシロじゃなくて満代がやったことだ」
 って言った。
 それを聞いて、まさかって思った。そりゃそうでしょう。あのおねえさんがシロを掴まえて井戸に突き落とすなんてするわけがないし、第一、あのすばしっこいシロがおねえさんなんかに捕まるわけがないもの。
「あり得ないよ」
 って笑ったら、父が例の苦虫を噛みつぶしたような顔になってね、
「そんなんじゃない」
 ってまた言ったのよ。
 うーん。ここから先の話を遼ちゃんにしていいのかどうか、おばちゃんも悩むんだけど、もうおとうさんもおねえさんも天国に行ってしまったし、遼ちゃん本人がこの話を知らないままでいるのもおかしい気がするから、思い切って話すね。
 ちょっと薄気味悪い話だし、およそ現実にあり得るようなことでもないんだけど、でも、そのとき父は病室で確かにこう言ったんだよ。
「あれは満代が、思い余ってシロに頼んだことなんだ」
 って。
「頼んだって、何を?」
 と訊いたらね、
「満代は遼平のいのちを助けるために、自分の寿命をシロに差し出したのに違いない。だからシロは井戸に身を投げて遼平を助けた。代わりに彼女は満代の寿命を受け取って、やがてどこかで生き返るに決まっているんだ」
 そしてね、
「あのことで、遼平は完全に猫神様に目をつけられてしまった」
 って、父は、いかにも口惜しそうに呟いたんだよ。


  6


 暁美叔母と会った翌朝、遼平は原因不明の高熱に見舞われた。
 ベッドの中でほとんど一睡もできぬままに六時頃に起床して、洗面所の鏡の前に立って顔を見ると真っ赤だった。その瞬間、足下から突き刺さるような冷たさが、かかと、尻、背中と一気に駆け上ってきて、そう感じた直後には、思わず床にひざまずいていたのだった。全身にガタガタと震えがきて洗顔どころではなくなり、ベッドに駆け戻った。
 それから一時間以上、羽毛布団を身体にきつく巻きつけて激しい悪寒と震えに苦しんだのである。
 ようやく震えが少しおさまって、よろめきながらリビングに行き、体温計を取ってきてベッドの上で検温した。三十九度を超える熱にぎょっとする。そんな熱が出たのは子供のとき以来。そもそもここ十数年は風邪一つ引いたことがなかった。
 喉は痛くないし、咳や鼻水が出ているわけでもない。ただ高熱による悪寒と震えはつづいている。
 携帯を使って、今日、様子伺いに出向く予定だった現場や取引先にメールでキャンセルを入れた。それから小田のメアドに欠勤の連絡をする。
 それだけ済ませて遼平はふたたびベッドに横になった。小刻みな震えに耐えながら目を閉じているうちに意識が遠のいていく。
 目覚めてみると部屋の中が赤く染まっている。
 まぶしさに窓から目をそむけながら上体を持ち上げた。首を回し、両腕を部屋着の上から揉みほぐす。身体の熱はきれいに抜けていた。悪寒もないし、震えも消えている。
 目が慣れたところでベッドから降り、窓へと近づく。
 真っ赤な夕日が東京スカイツリーを照らしていた。つくみは、この寝室からの眺めがとても気に入っていた。
 彼女はとにかく高いところが好きで、しばしば一人でスカイツリーの展望台に上がって東京の景色を堪能しているようだった。そのために二年前に発売が開始された年間パスポート(八千円)を、引っ越してくるとすぐに購入したのだった。このパスポートがあれば、平日は何度でも特別展望台(二百五十メートル)に上がることができる。大展望台(百五十メートル)ならば毎日、上がれるのだ。
 あの年間パスポートも結局、三ヵ月分しか使わなかった……。
 つくみは、私物はほとんど持ち出さずに家を出てしまった。年間パスポートもリビングのキャビネットにそのままだ。なくなっていたのは、磯子台の義父母の家と同様に、保険証や運転免許証、通帳やカード、クレジットカードといった必要最低限のものだけ。だが、そうしたカード類もいまのところ使用された形跡はない。
 しばらく窓の景色を眺め、遼平はリビングに向かう。
 部屋の明かりをつけて、テレビの前のソファに腰を下ろして上半身のストレッチを行なった。
 体調は完全に元に戻ったようだ。今朝のあの高熱は一体なんだったのか?
 テレビをつけると夕方のワイドショーをやっている。画面の時刻表示は午後五時四十三分。昨夜はほとんど眠れなかったとはいえ、十二時間近く寝てしまったことになる。高熱もそうだが、そんなに長時間眠ったのも学生時代以来ではなかろうか?
 テレビを消して、夜中、ずっと考えていたことをまた考える。
 暁美叔母の話が余りにも衝撃的で、逆に遼平は冷静さを装ってしまったところがあった。昨夜、シャワーを浴びてベッドに入ったあとでさまざまな疑問点が浮上してきて、なんでちゃんと叔母に確かめなかったのかとほぞを噛む思いだったのだ。
 一番の驚きは、祖父の秋太郎が死ぬ間際に叔母に語った内容だった。
 母の満代が、四十歳という若さで突然死したのは、そのちょうど十年前、肺炎で死の淵に立った遼平のいのちを救うために自らの寿命を猫のシロに差し出したからだ――祖父はそう語り、満代が早世した点から、暁美叔母は、「およそ現実にあり得るようなことでもない」と注釈をつけながらも、実際には、この祖父の言葉を信じ込んでいるふうだった。
 祖父の言葉がただそれのみなら、そんな荒唐無稽な話を額面通りに受け取っている叔母の精神状態の方を疑っていたかもしれない。
 満代は死ぬその日まで優しくて快活な母だった。板倉のおばさんがいまでもしょっちゅう言うように、彼女は自由で気ままで、「とにかく天衣無縫な人」だったのだ。堅物の父とは正反対の性格だった。だが、仮にシロに寿命を差し出して、自分は長くは生きられないと覚悟していたのだとすれば、さすがにあれほど朗らかで、暢気に子供たちとの日々を送りおおせたとは思えない。我が子との縁に限りがあると知れば、折に触れて二人を善き方へと導くための“教育”を心がけたのではなかろうか?
 しかし、実際の母は、しつけには無頓着で、学校でいじめられて帰宅すれば、
「いまから仕返しに行っておいで。男同士、きっちりカタをつけてくるんだよ」
 と言い放つような人だったのだ。
 だが、祖父は母が寿命をシロに差し出したにとどまらず、そうやって母の寿命を受け取ったシロは「やがてどこかで生き返る」と叔母に告げていた。さらに、そんな形で母が遼平のいのちを救ったことで、「遼平は完全に猫神様に目をつけられてしまった」とも語っていたのだった。
 この祖父の言葉をそのまま受け入れるのであれば、母のいのちを貰ってやがて生き返るはずのシロは、“猫神様の化身”だったということになろう。もともと母の実家である六波羅家は深町家とともに、代々、この猫神様を祀る「明礬神社」の神職を務めてきた家だった。
 シロが猫神様の化身で、その化身はいずれどこかで生き返って、目をつけておいた遼平のもとへとやって来る――こんなふうに連想すると、祖父が死ぬ間際に伝えたという「およそ現実にはあり得ることでもないような」話は、にわかに現実味を帯びてくるのではなかろうか?
 ――そしてその化身の生まれ変わりこそが隠善つくみだった……。
 つくみこそが、母のいのちを奪った張本人であり、そんなふうに母が自らのいのちを投げ出さねばならぬよう仕向けたのは遼平自身なのだ。
 ――この俺が、母をあんな若さで死に追いやった真犯人……。
 慄然とした思いでリビングの窓ガラスに映る自身の姿を眺める。いつの間にか外は真っ暗になっていた。
 遼平はソファから立ち上がり、キッチンへと向かう。朝から飲まず食わずだった。空腹ではなかったが、何か口に入れた方がいいに決まっている。空腹は思考をあらぬ方向へと導く。
 冷凍しておいた食パンを解凍して、買い置きの鮭フレークとチーズとマヨネーズで鮭マヨ・チーズトーストを焼く。あとは冷凍野菜のブロッコリーと卵をバターで炒め、インスタントのコーンスープも用意した。つくみがいなくなってからは、宅食といえばこんなものだった。あとは市販のパスタソースでパスタを作るくらい。最初は侘しかったが、いまではすっかり慣れてしまった。
 食事を腹におさめながら、去年の十一月に「京極」の洋子ママが話していたことを振り返っていた。
 あのときママは、つくみが、自分の先祖は九州の島の出身だと話していたと教えてくれた。だとすれば、つくみ一家が身を隠す場所は「九州のどこかの島かもしれない」と。
 四ヵ月前のその話と暁美叔母が言っていた「瓜生島」の話とが昨夜、ぴたりと重なった。もしも、つくみがシロの生まれ変わりであり、猫神様の化身なのであれば、確かに彼女の先祖は「九州の島の出身」ということになる。
 ママが言っていたもう一つの推理も、昨夜の叔母の話と符合するところがあった。
 つくみは遼平の子供を身ごもり、だからこそ「彼女は家を出て行ったんじゃないか」とママは言った。つまり、遼平と夫婦になったのは、結婚が目的ではなく妊娠が目的で、その目的を果たしたがゆえにつくみは帰るべき場所へと帰っていったのだと。あのときは、およそ真に受けられる話ではなかったが、祖父が口にした「遼平は完全に猫神様に目をつけられてしまった」という言葉をそこに重ねるならば、ママの突飛に思えた推理も正鵠を射ていたような気がしてくる。
 ――つくみは俺の子を身ごもっていたのだろうか……。
 しかし、と遼平は思う。友莉とはきょうだい同然の関係だと話したとき、つくみは「きょうだい同然って言っても、私たちみたいに一心同体じゃない」と言ったのだ。
 ――その一心同体だった俺たちが、子供ができたからといって別れ別れになったりできるのだろうか?
 そうやって考えると、つくみが身ごもっていたにせよ、いなかったにせよ、なぜ彼女が自分の前から消えたのか依然として理由が分からなかった。仮につくみがシロの生まれ変わりであり猫神様の化身であったとしても、どうして自分のもとを去って行く必要があったというのか?
 他にも暁美叔母の話には幾つもの謎があった。
 なぜ、母の満代は、実兄である六波羅光彦の存在を息子たちに隠していたのだろうか?
 昭和四十年の大水害で亡くなってしまったという善弥さんの叔母「深町あかね」は、あの七輪優作の母「深町あやめ」と同一人物なのだろうか?
 六波羅光彦が爪島川で助けた「末次食堂」の一人娘とは、タケルが現在生活を共にしている末次新菜のことではないのか?
 ――まずはそういった疑問の幾つかを解き明かさねば、つくみが去った理由も、いまどこにいるのかも掴めるはずはあるまい……。
 遼平は窓に映った自分の姿をもう一度、じっくりと見つめながらそう思う。


  7


 二〇一六年(平成二十八年)四月九日土曜日。
 遼平を乗せたJAL663便は定刻の午前十一時四十分ちょうどに大分空港に到着した。到着ロビーには、暁美叔母と夫の憲正さんが待ってくれていた。
 滑走路の見えるビューレストランで三人で昼ご飯を食べ、叔母夫婦の車で津久見市郊外の旧爪島村へと向かった。昼食は全員、大分名物の「とり天定食」だった。
 大分空港は国東半島の別府湾側にある。そこから津久見までは別府湾を半周するような形で高速(東九州自動車道)を走ればよかった。津久見のインターチェンジまでおよそ一時間半。そこから爪島村まではさらに四十分ほどかかる。
 爪島村に母と一緒に帰省していたのは小学校四年生くらいまでだった。それからは祖父母が亡くなったこともあって帰らなくなったが、シロとの一件が母の足を遠のかせたという側面もあったのかもしれない。
 爪島村への行程を憶えていたわけではなくて、高速道路経由の行き方は今回調べてきた結果だったのだが、憲正さんは東九州自動車道は使わず、別府湾のへりに沿って海を望みながら走る一般道のルートを選択したのだった。
 東京は四月に入っても肌寒い日も多かった。だが、やはり九州に来るとすっかり春めいた陽気になっている。晴天ともあいまって車窓から見える海の景色は見事なものだった。
「年末年始やゴールデンウィーク以外は滅多に混雑しないからね。わざわざ東九州道を使う必要はないんだよ」
 と憲正さん。確かに道はがらがらだった。別府、大分と抜けて車は順調に爪島村を目指す。磨崖仏で有名な臼杵市内に入ると市内を縦断するように臼杵川沿いに走り、そこから西へと進路を取った。県道204号線に出て津久見湾側ではなく反対の山側方向へと進んでいく。
 片側一車線の県道はきれいに整備されているが、走るうちに周囲の景色はどんどん山深くなり、青江ダムを擁する青江川から枝分かれした爪島川の方へと分け入ると、もう周りは雑木林とその合間合間に点在する田畑だけになった。
「遼ちゃん、どう? この景色憶えている?」
 暁美叔母に訊かれて、
「いやー」
 感嘆の声で返す。これほど辺鄙な土地だとは思いもよらなかった。瓜生島が沈んだあとご先祖様たちは「さまざまな苦難」のあとにようやくこの場所に辿り着いたのだと、先だって叔母は話していたが、その伝説の真実味が増すかのような風景だった。
 六波羅家の一男二女がみんな爪島村に居つかなかったのも、この隔絶された環境ではやむを得なかったということか……。
「爪島にはいまどれくらいの人が住んでいるの?」
 後部座席から助手席に座っている叔母に訊ねる。
「このあいだ、千人を切ったって言ってた。もう小学校も中学校も廃校になっちゃってね。子供たちは市街までバスで通っているみたいだよ」
「バスでどれくらいかかるの?」
「四十分ってところかね」
 と答えたのは憲正さんだ。小学生が片道四十分のバス通学を強いられるようでは、もう地域の発展は望めないだろうと思う。小田の口癖である「東京以外は全部地方」という言葉が脳裏に浮かんでくる。
 結局、爪島集落の西側にある栗唐山という小さな山の麓に建つ六波羅家の屋敷に着いたのは午後三時過ぎだった。長時間のドライブでさすがに叔母夫婦はくたびれた様子に見える。遼平の方は広い屋敷に入った途端に子供時代の記憶が一気によみがえってきた感があり、いまどきめずらしい囲炉裏付きの居間で叔母たちが一休みしているあいだも家の中や表と裏にある大きな庭を歩き回って懐旧の情に浸っていた。
 帰省時に母と寝起きしていた離れ家にも行ってみたが、そこはもう雨戸が締め切られ、母屋と繋がっていた渡り廊下も撤去されていた。一方、母屋の方は長年、無住に近い状態にもかかわらず丁寧に整えられている。聞くところでは、叔母夫婦や長男の光明一家が別荘代わりにときどき使っているらしい。加えて、今回、遼平が久々に爪島村を訪ねたいと言ってきたので、叔母と憲正さんが先週二日がかりで部屋の片づけや掃除を念入りにやってくれたのだそうだ。
 二時間ほど休憩を取って叔母たちは腰を上げた。
 表庭にある納屋に案内され、
「これが電話で話しておいたスクーターだから」
 と紺色のスクーターを見せられる。滞在中は、このスクーターを使って買い物や遠出をすればいいと叔母に勧められていたのだ。
「憲正さんが先週乗って、問題ないって分かってるから安心して使ってちょうだい」
 と叔母は言った。
 年代物のヤマハだったが、かつては善弥さんの“愛車”だったという。「善ちゃんは、そのスクーターで近所近在を走り回っていたんだよ」とは、先日の電話で叔母が話していたことだ。
 今夜の食事は、空港でお弁当を買ってきていた。お茶やビールのたぐいは台所の冷蔵庫に叔母たちが用意してくれている。お風呂の支度は帰り際に憲正さんがやっておいてくれた。
「今日はゆっくりして、明日からいろいろ見て回ればよかよ。私たちも木曜日には帰ってくるから」
 叔母たちは、そう言い置いて帰っていった。
 二人は、また明日から上京して朋美の結婚式の準備を手伝うのだという。遼平の方は今日から一週間、休暇を取っている。そのあいだはここに滞在するつもりだ。ゴールデンウィークはびっちり会社に詰めるという条件で小田も快く休暇の取得を許してくれた。
 風呂を沸かして入ると、持参した部屋着に着替え、囲炉裏の部屋で弁当を肴にビールを飲んだ。縁側の窓を開け放ったままでもちっとも寒くはなかった。東京とはえらい違いだ。
 缶ビール二本ですっかり酔っ払った。白壁にぐるりと囲まれたこの大きな屋敷の探索は明日に回して、遼平は戸締まりもそこそこに隣の客間に布団を延べて横になる。
 あの日、暁美叔母から衝撃的な話を聞いたあと、遼平は、「深町あかね」と「深町あやめ」が同一人物であるかどうかを確かめるために七輪優作のもとを訪ねたのだった。
 七輪は、母親の出自についてはほとんど何も知らなかった。だが、それでも両人が同じ人間であるのは彼の話からして間違いないと遼平は確信したのだった。
 同様に、爪島川で溺れているところを六波羅光彦に助けられた「末次食堂」の三歳の女児が、タケルの同棲相手の末次新菜であることも七輪の話からして確実だと思われた。
 真藤興業の真藤社長が付き合っていた美容師の六波羅光彦が、実は自分の伯父で、その伯父がいのちを捨てて助けた末次新菜がタケルの恋人で、しかも彼女は伯父と同じ美容師になった。その新菜は爪島村の出で、爪島村は、別府湾にあって一夜で沈んだ瓜生島に起源を持っている。村人の大半は、瓜生島の「猫神様」の信者だったというから末次一家もそうだったに違いない。そして、六波羅家と共にその猫神様に仕えていたのが深町家で、深町あやめはそこの、たった二人の生き残りのうちの一人だった。さらに七輪優作はこの深町あやめの息子で、七輪は遼平が捨てた板倉友莉のいのちの恩人でもある。
 異様とも思える、こうした人と人との奇縁を俯瞰するならば、その系統図の中心に猫神様が座り、この神様の化身がシロという猫で、そのシロに「目をつけられた」のが、六波羅家の長女の息子である遼平だった――という推理は、当を得ているように思われる。
 それこそ雲を掴むようで非現実的で荒唐無稽な推理でもあるが、しかし、数々の奇縁が現実のものであるのもまた確かなのだ。
 あのとき、つくみが「行っちゃ駄目! あの人は絶対に大丈夫」となぜ叫んだのかも、七輪が深町あやめの子であることを知ると理由が分かってくる。つくみがシロ(猫神様)の生まれ変わりなのであれば、深町あやめの息子に友莉を託すことなど造作もないことだったろう。
 今回、遼平が爪島にやって来たのは、何かつくみに関する新情報を得たからではなかった。彼女の行方はいまだ杳として知れない。だが、洋子ママも言っていたように、つくみが身を隠す可能性がある「九州のどこかの島」とは、瓜生島が水没した現在、この爪島村以外には考えられないのだ。
 だからこそ、遼平は二十数年ぶりにこの地へと戻ってきた。

 

(つづく)