1995年に初めてブータンを訪れた。NHKテレビ「わが心の旅」という番組の撮影のためだった。この件については、どこかに詳しく書いた記憶があるが、それがどこだったか、見事に忘れた。今回でおそらく7、8回目の訪問になると思うが、その種のことをきちんと記録しておく習慣がないので、よくわからない。初回の訪問で中央ブータンのブムタンにあるニマルン寺に宿泊した。そこでロポン ペマラ師に出会った。たいへんお坊さんらしいお坊さんで、帰依するブータン人も多いと聞いた。ブータンでは特定のお坊さんに師事して、人生のさまざまな機会にその教えを仰ぐ習慣があるという。日本でも江戸幕府の始まりの頃には、天海僧正が知られているが、もっぱら偉い人の助言役のように見られていて、そこら辺の庶民の相談役はお坊さんではなく、落語によれば長屋の大家さんだったようである。

 令和5年、今年の訪問は9月14日から24日、目的はまたテレビ番組の撮影のためで、今回は妻が同行するという。そのいきさつをこれから説明しようと思う。私の最初の訪問の後、翌年くらいに夫婦で再度ブータンを訪問した。ニマルン寺も再訪し、ペマラ師にお会いしたが、その際に一つ、頼まれごとがあった。ブータンに仏教を伝えたグル・リンポチェはブータン国内の8か所で教えを伝えたとされている。そのうちの7か所にはすでに寺があって、グルの意図は十分に遺されているが、1か所だけなにもない所がある。自分が生きているうちに、そこにお堂を置いて、ご本尊としてグルの像を祀りたいとのことだった。仏像自体はインドに注文するのでお金がかかる。そのお金を募金でいいから、日本で調達してくれないか、ということだった。同行したチベット仏教の専門家、今枝由郎氏が通訳をしてくださったので、話はよくわかったが、募金はしたことがないし、面倒くさい。おおよその金額を今枝氏に聞くと、この程度ということが判明したので、それなら自分個人で寄進したほうが早いと考え、妻がいたので同意を求めると、それで結構だという。のちに今枝氏の仲介でお金を寄進した。その後、ペマラ師は日本にも来られたが、私に会うと、申し訳なさそうな顔をして、あのお金は皇太后さまにお渡ししたという。ブータンの内部事情はわからないので、私の方はああそうですか、で済ませた。ただ妻がご本尊はどうなったと訊く。知らないよと言っているうちに、ブムタンのボス、ウゲン ナムゲルさんから、これですというご本尊の写真が届いた。その後、おそらく皇太后さまの意向で、仏像だけではなく、お寺を建てることになったと聞いた。2004年に寺が完成したので、ご本尊の開眼供養をするという連絡が突然にあった。供養の1か月前の知らせだったので、出席には間に合わず、供養の1月後に、妻とその友人たちとともに初めてそのお寺を訪問した。場所はポブジカ谷という圏谷で、冬季にチベットから鶴が飛来するという湿原の近くにあり、この時には寺にはまだだれもおらず、隣村のおじさんが鍵の管理をしていた。御本尊が落ち着くまで10年近く時間がかかった理由は、ブータンでは寺は近隣の村人の勤労奉仕で造られるからで、ゼネコンに頼めば済むというものではないからである。さらにその数年後に行ってみると、今度は尼寺になったという。尼僧がお茶の接待をしてくださった。妻が尼寺になった「私のお寺」を見てみたいというので今回の訪問になったわけである。行ってみると、なんと今度は尼僧の教育のための学校になっており、36人の生徒と6人の教育係が住む大施設になっていた。お寺自体は変わっておらず、近くに建物が増えたのである。

 こうしたいきさつを知人に語ったら、「藁しべ長者」みたいですね、といった。一体のご本尊がお寺になり、尼さんの学校にまでなったのだから、経済でいう高度成長というべきであろうか。間もなく『なるようになる。』(中央公論新社)という著書を出すが、まさにそれを象徴するような事例だと思った。私はべつにフェミニストではなく、仏教は女性を蔑視しているなどと怒ったこともない。ブータンには男だけではなく、尼僧が必要だなどと主張したこともない。要するに万事が「なるようになった」のである。

 私が物心ついた時代は精神一到何事かならざらんであり、一億玉砕、本土決戦という号令がかかった時期だった。それがアッという間に平和憲法、マッカーサー万歳になったのだから、まなじりを決して頑張ろうなどというつもりは、薬にしたくてもない。ま、なるようになるだろう、と呟くだけである。これでは威勢が足りないので、若者向きの主張ではないのはわかっているが、85年生きてきての結論がこれだから、いかんともし難いのである。

 ブータンに行くと、気が楽になる。なにしろいたるところに犬が「落ちている」。要するに寝ているわけだが、ほぼすべてが言わば地域犬で、首輪も何もない。腹が空いたら近所の家に食物を貰いに行くらしい。いじめる人がいないので、ただ大道に寝そべって、自動車がそれをよけて通っている。たぶん人間も似たようなもので、長年ガイドをしてくれているゲンボー君などは、私が働いていると怒る。「先生のようなお年寄りは後生を願って、ひたすらお経を読んでいなくちゃいけません」。字が読めなければどうするのかというと、マニ車という便利なものがあって、これを回せば大蔵経を読んだことになるのだという。斜面にある農家では、水流を利用して水車を回しているが、その先にさらにマニ車を付けて、常時マニ車を回している。ともあれ人は楽をしたがることが、これでもよくわかる。要するに現世では功徳を積むことが、なにより大切なのである。虫を採ったりするのは、殺生戒に反するので、もちろんダメである。ゲンボー君は私のお供に慣れているので、ビニール傘を持参して、棒で枝葉を叩き、落ちて来た虫を拾って採ってくれるが、必ず私の手元まで生きたままで運んでくる。自分では殺さない。

 今回のブータンは、covid の影響が酷いということであった。前国王の時代から、観光立国で国作りを進めてきたが、観光客の減少でホテルは建物だけあって、サービスに従事する人がいない。自国内に仕事がないので、労働生産人口の4分の1が海外に出たという。ガイドのゲンボー君自身が9月中にはオーストラリアに行くそうだ。かれは自身で旅行社の社長をやっているが、法律が変わって、そういう地位の人は大卒でないとダメだと決まったのだ。部外者にはよくわからない変化だが、戦後の日本を知っていれば、社会の理不尽な変化には慣れ切っている。ゲンボー君は先妻の娘が2人、オーストラリアに留学中で、自分たちでアルバイトもしているが、やはりなにかと手伝ってやらなければならない、という。ゲンボー君は現在3人目の奥さんがいるが、2人の間に娘が1人いて、その子はブータンに置いていくらしい。奥さんのご両親が健在だから、それができる。ブータンでは離婚は普通だが、それに伴って、子どもを扶養する義務は当然厳しい。移住のことをゲンボー君は私にぜひ直接に伝えたいということで、2人だけで話す機会を探していたらしい。とにかく30年のお付き合いで、いろいろ世話になったという思いがあって、状況の変化のために、今後ブータンでのガイドができないことを、心から申し訳ないと思っているということは、しっかりと伝わった。

 私にとっては、死活問題ではないから、ああそうですか、で済むが、もっと深い人間関係だとあれこれ問題が起こるだろうとの想像はつく。現在の国王は5代目だが、前国王の英断で、国会ができた。まだそれが十分に機能しておらず、現国王のコンサルにはアメリカ人が入っているという。明治維新前後の日本というわけだが、日本人自身がこうした社会変化の在り方を十分に把握しているとは言えない。西郷隆盛に象徴される西南戦争の意義は、今になってようやく解明されつつある。先崎彰容『未完の西郷隆盛』(新潮選書)が典型だと思う。ブータンには戦争が起こっているわけでなし、国内に対立が生じているとも見えない。

 日本人が自分たちの欧米化政策の是非をきちんと理解していれば、例えばブータンで進行中の変化などについて、良い忠告ができるはずだと思う。アメリカ文明は自然資源が豊かな土地に、歴史から切り離された人たちが築いた特殊な事例だから、そこで通用する法則が普遍として持ち込まれると、あちこちでもめごとが起こる。中近東が良い例で、現代では問題が中国とロシアに移っている。

 ブータン旅行のおかげで柄にもなく世界を論じてしまったが、自分の足下はなかなか見えないものである。私は戦後のいわゆるインテリの左翼思想に年中お付き合いさせられてきた。「なるようになる」というのが本音の人たちが、何か原則らしいものに出会うと、もともとそんなものはないのだから、つい引きずられがちになる。

 岩村暢子『ぼっちな食卓』(中央公論新社)を読むと、以前から岩村氏が指摘するホンネとタテマエの主婦における乖離が見事に示されている。栄養士や看護師が講演の席上で指示する食の在り方と、その人たち自身の食卓の乖離が、まことに明白なのである。そのことを本人に指摘すると、まず間違いなく本人を怒らせる。そういう指摘は野暮である。言わないことになっている、と言ってもいい。その意味では、聴衆も共犯である。そういう社会で、憲法の議論をしてなにになるか、と私は感じる。

 言語が社会を規定する。そのことを私は信じていない。言語は言語で、その場に応じた発言をすればいい。言葉はその場を盛り上げる道具なのである。それを間違うから、政治家の失言問題が起こる。「初めに言葉ありき」という聖書の社会とは、ずいぶん違うというしかない。このような言い分は、ときどき述べてみるが、なんとも人気がない。Chat GPT を好例として、言語が中心になりつつある社会の現状を示しているのであろう。

 なるようになるという考え方の弱点は、「じゃあ、どうすればいいか」という行動指針が出ないことであろう。いわゆるシミュレーションがその意味では重要となる。そのためにはさらに岩村氏流の現状の適切な把握が必要である。ホンネはむしろ現状を正直に示すものだから、社会はホンネの集積に近づくべきなので、それがいちばんストレスが少ないことになるはずである。天から降ってきたような原理原則に従うよりは、身体のホンネで生きたらいいでしょうというのが私の結論だが、きちんと説明するためにはもはや紙数が尽きた。そもそも言葉はアテにならないということを言葉にするのは、自己矛盾ではないか。昨日はイギリス人と話していて、自分の考え方を説明するのに汗をかいた。無駄な努力だったなあ、と感じる。話すのは時間が限られているが、書くのならそれなりに時間が取れる。まだ質問があったら、メールをくれと言っておいた。