読書の秋というわけでもないが、このところさまざまな本を読んだ。まず作家の朝井まかてさんとネコ対談をしたので、朝井さんの作品を順不同で読んだ。じつに幅広い分野で書く人で、興味深かったのは、森鴎外の末子森類の評伝『類』(集英社)である。個性の強い2人の姉、茉莉と杏奴の下で、「なにもしなかった人」というしかない。こう書くと、オブローモフを思い出す。類はそんな人ではなく、日本人なんだから、やはりそれなりに、あれこれ頑張って働いた人だったらしい。オブローモフなんて、もはや忘れ去られた名前かと思ってネットで検索すると、そうではないことがよくわかる。引きこもりが話題になる時代だから、むしろそれで当然であろう。私は大学生の時に、ゴンチャロフの『オブローモフ』を読んだが、中身はすっかり忘れている。読んだ理由は実兄が就職もせず、ただ「なにもしないで」いたからで、読んだからと言って、参考になるわけでもなかった。

 他の作品を挙げると、『銀の猫』(文春文庫)は江戸期を描く時代小説だが、読みだして捕り物帖かと思ったら、介護の話だったので、ビックリした。『雲上雲下』(徳間文庫)は日本の昔話を背景にしたファンタジーで、とにかくこの3冊を読んだだけでも、作品の幅の広さがわかる。

 現代文学では後は小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』(文春文庫)だが、『小川洋子のつくり方』(田畑書店編集部編)もなんとなく読んでしまった。朝井・小川のご両者は現代日本文学の代表とも言えようから、いまさら論評することもない。ただ文学作品を読むと、いつもの理屈っぽい著作に対するときとは違った読み方になる。なにより「文章を楽しむ」ことができる。やはり文学にはときどき親しんだ方が頭の健康のためだという気がする。お2人の作品を読む間に、たまたま山本七平『「あたりまえ」の研究』(文春文庫)を古い本の山から拾い出してしまい、つい読んでしまった。中に「小説の効用」という項があったが、そこでは文章の読み方には触れてなかった。山本七平はここで中間言語という概念を出す(後記)。小説の効用とは「他人の内面の世界を知ることによって、自分の内面の世界を把握できる」ということらしい。山本はこの文章の中で、曽野綾子が中東の税関で梅干を問題なく通過させるために「これは私の宗教にとって絶対必要な食物なんです」と言ったという例を引く。この言明はあきらかにフィクションだが、そのフィクションが彼らの内面的世界を示すだけでなく、彼らとわれわれの内面的世界がどのように違うかを示してくれる、これこそが小説だ、と書く。

 薬じゃあるまいし、小説の効用なんて訊くだけ野暮だと思う人もあろう。もちろん山本七平はそんなことは百も承知の上で、論を進めている。「われわれの言葉には対外言語と対内言語がある。外部に向かって何かを話すのも言語なら、自らの内で考え、自己と討議し、自己の考えを検証して一つの結論を出すのも言葉である。小説を読むのはどちらに入るのか。その言葉は自己の外の活字から出てくるという意味では、外部にある言葉であって自己の内部にある言葉ではない。しかしそれを読むことは自己の考えを外部に向かって発表することではないから、対外言語ではない。しかし、その作品に何らかの感慨を抱き、感想を持つことは、たとえ口にしなくても外部のものへの言葉だから、対内言語ともいえない。小説が応答してくれるなら、それに向かって言いたい言葉は、多くの人にあるであろう。いわば、自己の世界が外部の内面的世界と直接に接触しているわけである。素晴らしい小説の中に没入してしまうというが、それは読者がそう感ずるのであって、小説の方がその人の世界に入り込んできて、その人の世界を完全に占拠しているのがその状態である。そのときにはその小説はその人の対内言語になっている。私はこれを一種の中間言語と考えているわけである。そして人間はこれによって、自分の世界と他の世界との間を往復でき、いわば夢からさめたように、小説の世界からまた自己の世界に戻ってくるわけである。」山本七平がこれを書いた時代から、言語空間のありようはすっかり変わった。地殻変動が起きたというべきであろうか。小説や諸種の著作への感慨、感想はSNS上にいわば「そのまま」対外言語化されるようになった。誹謗、中傷、炎上から結果としての自殺に至るまでの騒ぎを思うと、山本七平の感想を聴きたくなる。やがてすべての言説は巨大な電脳の中の対内言語ということになるのだろうか。

 次に読んだのは、片山修『山崎正和の遺言』(東洋経済新報社)。山崎さんにはたびたびお目にかかったが、おたがいに適当に距離を置いていたので、あまり立ち入った話をしたことはない。亡くなられた直後に想い出を書くようサントリー文化財団からお誘いを受けたが、当方の心がまだ定まらず、そのままになって今日に至った。本書はきわめてよく整理され、時代順に構成されており、それぞれの時代のことについての本人の発言、適当な挿話を挟み、「遺言」でもあり、「評伝」といってもいいと思う。最初の部分では、山崎正和の自分の世代の位置づけが語られ、御厨貴との対話の中で自分を「戦後民主主義の子」だったと規定し、その意味は「国家を敬うのでも恐れるのでもなく、いじらしく、愛すべき存在だと見る感覚を持つこと」だと言っている。山崎は昭和9年生まれ、私は12年生まれなので、3歳違いでほぼ同世代と言っていいと思うが、同世代としてはおそらくここが違う点である。私は国家を「いじらしく、愛すべき存在」と思ったことなど、まったくない。むしろその種のことを考えることを避けてきたことに最近気が付いた。いわば戦中戦後全体を私は封印してきたので、その封印が解けたことは次の新書(『ヒトの壁』新潮新書)に記す。満州国崩壊を中学生で直接に体験して生き伸びてきた山崎正和と、国内でとくになんという事件もなく生きてきた私が、国という存在を違う風に見ていたのは当然であろう。もう一つ、関西と関東という違いがあるのかもしれないし、山崎正和が関西に住んだということがそもそも東京的な生き方を避けたということかもしれない。山崎がとくに左翼、右翼ということなしに、政治に裏から関与したことは、なんとなく気づいていたが、本書で確認できた。国の大きさに対する見方が京都・大阪と、東京ではずいぶん違うことは、折に触れて感じてきたことだったが、山崎さん自身と話してその話題に触れたことはない。

 この年齢になると、多くの友人・知人に先立たれてしまう。いつもあれを聞けばよかった、これを聞いておくべきだったと思うが、まさに後の祭り。とくに山崎さんの場合には、面倒がらずにもっと近づいて話を聞いておくべきだったという思いが強く残る。対話というのは、質問するかしないかだけではなく、相手に言わせるか言わせないかという面がある。最近は「聴く力」が流行っているが、これは「言わせる力」と対になっていると思う。自分が相手の言うことを封じているのは、しばしば経験することではないかと思うが、自分ではそのことになかなか気が付きにくい。下ネタを考えればよくわかる。そういう話題が言いだせる雰囲気と、言いだせない雰囲気があって、これはかなり厳密に決まっていると言ってもいい。これは「常識」や「あたりまえ」や「空気」のように、山本七平が得意とした日本社会の暗黙のルールを示す好例であろう。

 自主規制という言葉があるが、個人の内部での自主規制は、フロイト式の抑圧にも通じる。私自身もいくつもの抑圧をかけていたなあと、この年齢になると気が付く。なんとなく「触れたくない」のだが、そこには意識されていない核心があって、わかってみれば、それが抑圧の対象なのである。

 最晩年に山崎さんは「リズムの哲学」に関心を持たれていた。このことについて、サントリー文化財団の会合の折に、少し話しかけた記憶があるが、ややこしい話だから、本当は腰を据えてゆっくり対話すべき主題だった。私がこの主題に関心を持ったのは、解剖学の先輩の三木成夫からである。三木さんも晩年にリズムに深い関心を持ち、空間的にはそれがラセンだということで、DNAの分子構造だけではなく、神社のしめ縄や恐竜のウンコの写真を学生に示しておられた。日本という世界で哲学を追求していくと、ラセンに行きつくという必然性がありそうな気がしたので、そこを山崎さんと議論してみたかったのである。三木さんは身体を解剖学という科学から、山崎さんは演劇という文化面から、考えてきたわけで、お2人がラセンに思い到る経緯のありうるかもしれない必然性を知りたかったのである。

 リズムの話はここでお終い。というのは、私自身の考察がまだリズムまでたどり着いていないからである。古い本棚の整理はまだついてない。最後は同じく山本七平の『日本はなぜ敗れるのか-敗因21カ条』(角川oneテーマ21)である。これが本棚の隅から出て来たときに思わず読みふけってしまった。まず感じたのは尋常ではない筆力である。まさに「力」だと感じた。情熱と言ってもいい。私は長いこと、山本七平賞の選考委員を務めているが、この種の力の入った候補作をあまり見た覚えがない。この作品は山本七平のオリジナルではなく、小松真一の『虜人日記』に対するいわば注釈である。それがこれだけの「力」を感じさせるというのは、小松の体験と山本の体験がフィリピンにおける俘虜生活という意味で、良く重なるからと言うだけではないと思う。山本七平の「本当にそうなんだよなあ」という思いの「本当に」がじつに強いのである。ここまで共感すれば、感情という点では、両者はほとんど同一人に近くなっている。

 第2章「バシー海峡」は、戦後80年近くなった今、この「名」を聞いても、普通の日本人はなんのことやら、という思いを持つと思われる。しかしこれは小松の書く日本の敗因二十一か条の中の一つなのである。「それは、われわれが、いかに、危機に対処できずに滅びるかを示す象徴的な『名』である。」山本七平はそう書く。この句読点の打ち方にも、山本の「力」が感じられる。「コロナの危機に対処する」という政治家の一人でも、この「名」を記憶に留めているであろうか。

 戦時中から戦後へと、世間の状況はまさに隔世の感があるといえるほどに、変化したことはだれでも気づいていると思う。しかし、今も変化し続けている。棚を満たす古書は、さまざまな私の記憶を呼び起こす。見ようによっては、宝の山である。