令和5年の正月は、漱石の『吾輩は猫である』(岩波文庫)から始まった。小学生のころに同級生が読んで、あれこれ言っていた記憶があるから、その頃には自分ももう読んでいたのであろう。猫が雑煮の残りの餅に食いついたところ、歯にくっついて離れないので、立ち上がって踊るというあたりから始まる。正月の暇な時間に読むのに時節がぴったりだった。どうしてこんな古いものを読むのかというと、長らく見ていないので、読んだつもりでいる自分の記憶を確認しようという意図があった。確かに自分の記憶にはかなり間違いがあった。思っていたより猫の視線に忠実に書かれていることに、まず気が付いた。近所の金田邸まで猫がちゃんと出かけている。私の記憶の中では、猫は消えてしまって、苦沙弥先生と迷亭のやり取りが中心になっていた。この2人はじつは1人であっても差し支えない。ただしそれでは書きにくくなってしまう。迷亭は苦沙弥の欧風の部分を戯画化しており、そのさらに先に寒月君がいる。今回は猫の歯にくっついた餅と、漱石の自我の分裂を対比させて読んでしまうことになった。欧風なものすべてを餅としてすんなり飲み込んでしまえば、この作品はできない。でも歯にくっついて、どうしても飲み込めないところがあるから、餅を取ろうとして後足で立ち上がって踊ることになる。その踊りが「猫」という作品そのものなのである。

 下西風澄は(『生成と消滅の精神史』文藝春秋)、漱石には自然を中心とする桃源郷が一方にあったと指摘する。ただしそこにはもはや行けない。したがって、後年の作品ではそれが消えてしまう。私流にいうなら、その桃源郷がいわゆる環境問題として現代に戻ってきているのであろう。なぜ環境が壊れてはいけないのか。すべてをメタバースで代替してしまえば、物理的な環境はほぼ不用になる。現代人はその途中で宙に浮いているしかないようである。桃源郷と実世界の乖離は、いまだそのままである。

 その副作用として、最近興味深いと思うことは、いわゆる西欧近代的自我の暗黙の揺れである。心が自分だけの中に閉じているという牢固たる信念は、どこからきているのか。アバターに慣れようとする人たちは、それも自分だと考えるしかないであろう。いわゆる自分の中に自分を閉じこめてはいられない時代なのである。そのいわばさきがけは、以前に紹介した津田一郎の『心はすべて数学である』(文藝春秋)であろう。これは個人を超えた数学の普遍性を説いたものだが、最近文庫化された。心が個人の内部に閉じ込められているのであれば、数学の普遍性は壊れてしまう。

 いわゆる心が個人のものだという印象には、抜きがたいものがあろう。身体的に考えるなら、身体と外界との境界はじつはかなり曖昧であることは、少し考えたらわかることである。1分間に十数回出入りする空気は自分のものか。肺の中に入っていれば「自分だ」と頑張れるであろうが、吐き出せばそれまでである。食事は言うまでもない。田畑と私の身体はまさに地続きであって、田んぼで収穫された米と私の身体は否応なしに直結している。魚を食べれば海や河川と直結し、しかも日々入れ替わる。それを物質代謝という。そういうことがわかっているのに、なぜ心は私だけのものだと頑張るのか。SNSやメタバースの発達は、心の独立性をすでに侵食してきている。だから若い世代は大きな矛盾を抱えてしまっているというべきであろう。一方では個性を心を含めて称揚するからである。

 民主主義に対する若い世代の疑い(成田悠輔『22世紀の民主主義』SB新書)などを見ていると、その根本に各個人をどう考えるかという問題があるという気がしてならない。一人一人が独立した個々の存在だという前提は、そろそろ廃棄してもいいのではないかと老人(私)は思う。空気とか雰囲気というのは、その時だけのものだが、それに支配される私がいるのではなく、その全体を含めて「私」なのである。実生活上のアバターだと言ってもいい。

「この国では空気が支配する」とは日本社会を批判的に言う時の表現だが、その空気を背負っているのはまさにその場に関わる人々すべてであって、個人の集まりが空気に支配されているのではない。会議の空気に支配されるのではなく、そこいる「私」は会議の一部なのである。つまりその決定に私は本心では参加していないというのは、その会議に居合わせた「自分」が会議から外れれば、いわば「元に戻る」ことを暗黙の前提にしている。そんな固定した「私」をいつまで保存しておくつもりか。「私」はいま、ここにしかない。それは周囲の状況を含んで成立している。「空気の支配」は日本社会に近代的自我が侵入したことによって生じた、典型的な問題の一つであろう。

 その種のことを考えながら『珈琲と煙草』(フェルディナント・フォン・シーラッハ著酒寄進一訳、東京創元社)を読んだ。犯罪ものではなく、エセー集である。著者は弁護士だけあって、事例の説明が簡にして要を得ている。しかも情緒的でない。そこに抑制が見られて、情に溺れる所なく、感じがいい。この作品は短編集だが、各挿話が、そこで取り上げられた人物の生涯を鋭く明確に切り取る。こうして「個人が存在する」に至るのか、としみじみ思う。途中、良寛の句「裏を見せ表を見せて散るもみじ」が引用される。この引用は2度目ではないかと思う。以前の作品でも見た記憶があるからである。シーラッハの世界では、一生が個人の中で完結する。むろんそれでは処理しきれないものがあって、そこまでいわば目が届いているのも、シーラッハの良さであろう。金持ちの老婦人の遺産の処理手続きが済んだ後、弁護士が老婦人の思い出話を聞く。若いころの恋人はボクサーだったが、ハチに刺されてアナフィラキシーで死んだ、許せない、と老婦人は語る。係累がないから、遺産はすべて慈善団体に寄付される。この辺りにも、独立した個人と個人の人生が切り結ぶ、西欧風の個の在り方が見事に描かれていると感じる。

 桃源郷について述べたが、それがどこか遠いよそにあるというのが、一般の認識かもしれない。しかし、神仙の世界は要するに自然の世界で、それは中国の絵画にみるとおりである。その世界に入るには、自分の意識を変えればいい。自然と一体化すればいいのである。

 大川公一『花のように、自然の中に』(未知谷)では、C.W.ニコルや中西悟堂の例をあげて、鳥が怖がらずに頭や手に留まる境地を紹介している。古くは明恵上人、アッシジの聖フランシスコは言うまでもない。現代の若者で私の家に来る小林真大君は、虫が好きで、毎日灯火に来る蛾を見ているが、森に入った時に身体のどこかに力が入っていると、虫が見えない、という。完全に力が抜けた境地に入ると、虫が見えるだけではなく、むしろ虫が寄ってくるというのである。

 自己が外界と合一するのは、しばしば宗教体験、神秘体験として語られる。しかし、そうした大げさな事態ではなく、現代人は個を立てようとするより、もう少し周囲と真に融合することを目指したほうが幸せではないかと感じる。私の家は鎌倉の山すそにあり、夜は真っ暗で、道の傍らには、土地で矢倉と呼ばれる浅い洞窟がある。妻の友人、知人は夜道が怖くないのと、たえず尋ねるそうである。妻は全く怖くない、という。むろん私もそう思う。それは私も妻も環境と融合しているからであろう。絶対に異変が生じないとは言えないが、それは自分自身の身体についても同様である。体内のどこかで手遅れのガンが生じていても意識は気づかない。だから医者が見つけなければならないのである。

「心を開く」と表現される自我の在り方は、現在の都市生活ではむしろ必須ではないかと思う。心が開くことによって、自我は拡大する。引きこもりや孤独な老人の存在はそれぞれに事情があっていいが、自分に閉じこもりがちな硬い近代的自我なんてほぐすのが当然という空気が一般化すれば、ずいぶん救いになるはずである。私自身は80歳の半ばをすでに超えて、死を目前にしている。そうした状況では庭から見える山や草木、鳥などの小動物、それらすべてが自分の延長だと思うと、安心して死ねるような気がする。死に関する書物は最近多いが、自我を拡散させてしまえば、ピンポイントで死を考えるような「無理」はしないで済みそうである。

 こんな風に考えていると、なぜ小さな自我に固執するのか、よくわからなくなる。若者であれば、社会的承認を必要とするので、わからないではないが、老人になったら、自我は拡散して消えてゆくものではなかろうかと思う。薬師寺の会に行くと、高田好胤の「偏らない心、こだわらない心、とらわれない心」と三唱させられるが、まさにそういうことであろう。なんだか今回は仏教講座風になってきたが、歳をとったから仕方があるまい。今日の午前中に南直哉氏と対談をした影響が残ったのかもしれない。