第6回『伊賀越仁義』
すっかり腹黒くなった家康に戸惑いを覚える茂兵衛だが、ある日、浜松城の中庭で寛ぐ主君に遭遇。いつものようにいじり倒されるが、最後は思わぬほっこり展開に……。
(それにしてもよォ)
浜松城本丸御殿の中庭を望む長い廊下を歩きながら、植田茂兵衛は考えた。
信長の死から一年が経つ。天正十一年(一五八三)五月──今年は梅雨が早くきた。激しい雨が連日降り続いている。梅雨がなければ稲は育たないが、程度問題である。
(我が殿様は、つくづく苦労人だら……そりゃ、人相も悪くなるがね)
今川義元の頚木が外れた後は、武田信玄の圧力に怯えた。信玄亡き後は、同盟者信長の猜疑心の強さに悩んだ。家臣団分裂の危機に際しては妻子までを犠牲にせざるを得なかった。武田が滅び、信長が死に、これでようやく「重しが外れた」と背伸びをした刹那、羽柴秀吉とかいう新たな重しが急に湧いて出たのである。
(次から次へと、ようもまあ……内憂外患で気の休まる暇もなかろうよ。殿様になんぞ、なるものじゃねェなァ。足軽大将ぐらいが丁度ええわ、ハハハ)
呑気に笑いつつ、茂兵衛は外廊下を直角に曲がった──その場でピタリと足が止まった。
家康だ。その家康がいる。
小姓二人を従えて廊下に胡座し、雨の中庭をぼんやりと眺めている。背を丸め、顎を突き出した姿は、まるで八十過ぎの翁のようだ。ちなみに、天正十一年(一五八三)の正月で家康は四十一になった。茂兵衛より四歳年長だ。家康は右手でなにかを口に運び、モグモグと食っている。
(まずいな。殿様と直で喋ると大概、面倒なお役目を仰せつかるからなァ)
随分と距離もあるし、まだ気づかれてはいまい。咄嗟に踵を返し、柱の陰へと隠れたその刹那──
「こらァ、植田! なぜ逃げるか?」
「う……」
柱の陰で硬直した。
(糞ッ、見咎められたからには仕方がねェな)
と、心中では愚痴りつつも、神妙な面持ちで柱の陰から歩み出た。両手を太腿の付け根に置き、能楽師のような所作で廊下を小走りに進み、主人の二間(約三・六メートル)手前で平伏した。
「おまん、ワシを見て逃げたろう」
「め、滅相もございません。お考えごとの邪魔をしてはならぬと、御遠慮申し上げた次第にございまする」
「ふん、ものは言いようじゃな」
「畏れ入りましてございまする」
とりあえず慇懃に平伏しておいた。ゆっくりと顔を上げて見れば、家康が手にしているのはよく熟れた枇杷の実のようだ。
「食うか?」
と、茂兵衛の視線に気づいた家康が、枇杷を盛った高坏を差し出したので「いえ」と三度平伏して遠慮した。
「ほうか…… 美味いのに」
五ヶ国の太守が残念そうに呟いた。
しばらく沈黙が流れたが、やがて家康が口を開いた。
「伊賀から戻り、甲州に攻め入った。あれからもう一年が経つのか……天正十年は、忙しい一年であったのう」
「御意ッ」
「武田征伐から始まって浅間山の噴火、本能寺、伊賀越えと続いた。駿河が、甲斐、信濃のを我が領地となし、最後はお督を北条の嫁に出すのか、アハハ」
家康の次女督姫は、この八月に北条家当主の氏直に嫁ぐ。
「お忙しい一年にございましたなァ」
ここでは口にできないが、茂兵衛はその上に、見性院救出、左馬之助との対決、長女綾乃の誕生、そして、綾女と初めて──おそらくは最後になるのだろうが──結ばれたのだ。確かに大変な、忘れじの天正十年であった。もし茂兵衛がまだまだ続くであろう戦乱の世を生き永らえ、平穏な余生を送るとしたら、昨年のことを感慨深く思い出すに違いない。
「おまんの鉄砲隊にも随分と苦労を掛けたが、皆、息災か?」
「お陰をもちまして、無事は無事にございまする。が、今年の冬は風邪を拗らせる者が多かったやに、筆頭寄騎から報告を受けております」
「甲斐まで二往復もさせたからのう。一年を通じての疲れが、冬にまとまって出たのであろうよ」
(こら殿様……二往復じゃねェわ。三往復だがや)
と、内心で不平を呟きながらも、表面上は四度平伏した。
ここで家康が話題を変えた。
「羽柴秀吉が、柴田勝家を討ったそうな」
「伺っておりまする」
天正十一年(一五八三)四月二十四日。越前の国北ノ庄にて、羽柴秀吉は柴田勝家を滅ぼした。また、同二十九日には信長の三男信孝を、尾張国知多の安養院で切腹に追い込んだ。これをもって、織田家の中で、秀吉に反抗する者はなくなった。
全国を見渡せば── 小田原の北条以下、奥州の伊達、中国の毛利、四国の長宗我部、九州には島津が勢力を張っている。しかし、どこも都から遠く、それぞれに孤立した地方勢力にすぎない。畿内を押さえ、東は下野(栃木)から西は備中(岡山)までの二十八ヶ国と、二十万近い兵力を継承──乃至は簒奪した秀吉の、真の脅威とはなり得なかった。
もし秀吉が、本気で警戒する武将がいるとすれば、それは徳川家康のみだろう。五ヶ国の太守となり、三万からの強兵と、大国北条氏との同盟を誇っている。なにせ北条の五代目当主は、家康の娘婿なのだから。
更に──軍事的、政治的な実力以外にも、家康は二つの優位性を誇っていた。
まず人気だ。
三方ヶ原の戦いで、あの信玄の大軍に自ら突っ込んだ勇猛さは誰もが認めるところだろう。二十年に亘り気難しい織田信長の同盟者として誠実に務め上げ、信長の死後は、殉死をも口にした律義さはどうだ。征服した遠江、駿河、甲斐、信濃の降将に対する寛容さも素晴らしい。そのどれもが、家康という本来は田舎染みて風采の上がらない殿様に、颯爽として煌びやかな色彩を与えていた。
次に正当性だ。
家康は信長の家臣ではない。形の上では同等な同盟者だ。覇道の協力者であり、言わば同志であった。対する秀吉は、信長の使用人である。信長の倅の一人を死に追いやり、生き残った子供たちを差し置いてその覇業を引き継ぐというのでは、不忠の誹りを免れまい。信長の後継者としての正当性は、むしろ家康に軍配が上がる。
今後秀吉は、唯一残った競争相手たる家康への圧力を強めてくるだろう。軍事的に潰しにくるのか、あるいは恭順を求めてくるのかは不明だが、いずれにせよ、なんらかの影響力を及ぼしてくるはずだ。
「羽柴殿は足軽あがりの出頭人じゃ。おまんとは相通じるものがあろう。どうじゃ、おまん一度、羽柴と会ってみるか?」
「はあ?」
藪から棒の話だ。
「なに、出自が百姓同士だ。話が合うのではないか?」
「あの……」
困惑して、もじもじと主人の顔色を窺った。
「羽柴様と会い、作付けの話でもして帰ってくるだけなら相務まりましょうが、それ以上の働きは、それがしにはとても……」
昨年、家康から「必要ならば、梅雪を刺し殺せ」と怖い顔で命じられた記憶が生々しく蘇る。次には「秀吉を刺し殺せ」と命じられる可能性がなくもないと警戒した。
「できぬと申すか?」
「それがし、武辺一筋の槍武者にござれば、知恵をもって出世された羽柴様とはおそらく話が合いませぬ」
家康の顔が不快げにゆがんだ。厳密には「苦く笑った」のであろうか。
「おまん、ワシから『秀吉を刺し殺せ』と命じられるのを恐れて、逃げを打っておるのか?」
「め、滅相もございません」
完全に本心を読まれ、止むを得ず五度額を廊下に擦りつけた。
「たァけ……梅雪で懲りたわ。刺客におまんのような厳つい大男は向かん。誰でも警戒するでな。もし秀吉に刺客を送るなら、小柄な優男を選ぶわ。変に気を回すな、このたァけが!」
主従の間に気まずい沈黙が流れた。
「ま、ええから、枇杷を喰えや」
と、また高坏を突き出された。
(断り続けるのも角が立つわなァ)
茂兵衛は上目遣いに家康を見た。瞬間、家康がニヤリと笑い、つられて茂兵衛も苦笑した。有り難く枇杷を受け取り、そして、六度目の平伏をした。