第1回『足軽仁義』

 

三河一向一揆終結後、奉公先の殿様の推挙により、茂兵衛は家康の直臣になることに。弟の丑松、朋輩の辰蔵を供に岡崎城まで向かう途中で出会ったのは、なんと、松平家康その人であった……。

 

 若武者は茂兵衛らに気づくと声をかけてきた。
「おまんら、どこの者だら?」
 ──言葉は三河弁丸出しだ。そこまで高貴な身分でもないらしい。
「へい、夏目家の足軽にございます」
「なに。夏目党だと!?」
 一瞬、若武者の目つきが殺気を帯びた。
「三人で野場城を奪還する相談でもしてたか?」
「とんでもございません。国守様にお仕えするよう主から言われ、岡崎まで参るところにございます」
「岡崎に? 俺ァなにも聞いとらんぞ。おまんら……怪しいのう!」
 と、槍を持ち直し、茂兵衛を睨みつけた。怖い目だ。
(なんじゃ、このわけの分からん御仁は? ただ、もの凄い迫力だら。このお侍、乙部や横山軍兵衛とはモノが違うぞ)
「こら、平八!」
 背後から、甲高い声が若武者を制した。
 見れば、十騎ほどの騎馬武者を引き連れた、これまた若い武士だ。
 痩せて神経質そうな男だが、目には光があり、口元は引き締まっている。
 やはり兜は被っておらず、美しい色々縅の当世具足に、白い錦の陣羽織をはおっていた。次郎左衛門や松平又八郎の軍装よりはるかに豪華だ。この草深い三河の地で、国人領主より格上の武将がいるとすれば──松平家康しかおるまい。
 茂兵衛は槍を置き、片膝を突いて首を垂れた。辰蔵と丑松もそれに倣った。
「平八郎、戦はもう終わったのじゃ。我が領内でそうそう喧嘩腰になるな。お前の悪い癖じゃ」
 松平家康と思しき武将から早口でたしなめられ、平八郎と呼ばれた若武者は黙って一礼した。平八郎──本多平八郎忠勝のことか? 籠城中、雑兵同士の噂話に幾度か登場した若い豪傑の名だ。
「足軽」
「へい」
「気を悪く致すな。この漢は始末に悪い喧嘩犬でな、口も悪いが手も早い。お前、今後ワシに仕える気なら、こやつの面をよく見覚えておけ。城内で見かけたら、早々に身を隠した方がよいぞ、分かったな?」
 背後の騎馬武者衆が一斉に笑った。
「へい」
 武将はそのまま馬を進め、野場城内へと消えていった。
「こら、足軽」
 顔を上げると、平八郎だけはまだ居残っていた。
「おまんのせいで、殿からお叱りを受けたら」
「へい、申しわけございません」
「おまん、まこと岡崎に来る気か?」
「へい、そう言いつかっております」
「ほうか、ふ~ん」
 と、馬上で思案顔になった。空疎な沈黙が流れる。どうやら、あまり頭の回転が速い方ではないらしい。
「ま、ええわ。それからのう……岡崎城内で俺を見かけても、いちいち隠れんでええぞ。ただでさえ喧嘩犬やら馬鹿八と呼ばれ閉口しとるのだ。無闇矢鱈と足軽を殴ったりせんわ。外聞が悪うていかん」
 そう言い残すと、平八郎は鐙を蹴り、主人一行の後を追って野場城内へと姿を消した。
「ふう、えらかったのう」
 平伏していた三人の口から同時に溜息が漏れた。
「おい茂兵衛、白の陣羽織……。あれ、松平様かね?」
「どうも、そうらしい」
「随分とお若いな」
「ああ、確かまだ二十三、四のはずだら」
「あのさ」
 丑松が笑顔で話に割って入ってきた。
「槍のお侍は馬鹿八と呼ばれとるらしいが、俺もさ、植田村では馬鹿松と呼ばれとったから、馬鹿と馬鹿とで馬が合いそうだら」
「たァけ、喜んどる場合じゃないがね」
 呆れ顔の兄が弟をたしなめた。叱られて頭を掻く丑松の向こう側で、急に辰蔵が吹き出した。
 連られて茂兵衛と丑松も吹き出し、三人の若者は顔をくしゃくしゃにして笑った。