第4回『砦番仁義』

 

武田の補給路寸断のため、襲撃隊を率いて野営していた茂兵衛は、家康の正室・築山殿の密使を捕らえる。掛川城に帰城した茂兵衛は家康の御前に召し出されるが……

 

 天正三年(一五七五)十一月の下旬、茂兵衛とその手勢は掛川に帰城した。
「よう戻った」
 翌朝、家康に呼び出された。太刀持ちと酒井忠次の他に、幾人かの馬廻衆が同席しており、居室は狭苦しく感じた。
 裃姿の茂兵衛は、家康の前に座り平伏した。
「荷駄隊を三回襲い、相良砦の普請場を焼き払ったと……武田の護衛は、ほぼ討ち取ったと申すのだな?」
 声が低いし、生気もない。本日の家康は、あまり機嫌がよろしくないようだ。
「はッ」
「人足は?」
「解き放ちましてございます」
 ここで家康は、側近たちの方をチラと窺った。
「奪った荷はどうした?」
「運べるだけは運び、後は燃やしましてございます」
「燃やした? 勿体ないのう」
「殿、吝いことを申されますな」
 見かねた忠次が、家康の吝嗇ぶりを諌めた。
「荷駄隊から奪った高天神城宛ての文の束、確かに受け取ったぞ。それから、旅の商人から奪ったと申すあれも仔細に目を通したが、さほどに有益な話はなかったな」
「も、申しわけございません」
 ──そんなはずはない。
 築山殿の書状は、炙り出しで書かれ、商人に変装した側近が運んでいた。しかも茂兵衛に追われると、二人は命を投げ出してまで書状を隠そうとしたのだ。尋常ではない。それを有益でないとは? どうにも納得がいかない。
「味方の損害は幾人じゃ?」
「お陰をもちまして、全員無事に戻りましてございます」
 馬廻衆が互いに目配せしあっている。嘘だと思われているのかも知れない。
「一人も損ねなんだと申すか?」
「幸いにも、お陰をもちまして」
 三十八人の配下と二人の奉公人、さらに案内役の万次郎も無事だ。一人の犠牲者も出さずに済んだことが何よりの誇りだった。
「全員無事? そのような戦があるものか。お前、手柄を誇らんがために出鱈目を申してはおらぬか?」
 家康から厳しく睨まれ、慌てて面を伏せた。茂兵衛は、困惑していた。牧之原での詳細は、昨日のうちに酒井忠次へ報告済みだ。その折、忠次から咎め立てられるようなこともなかった。今日の風向きはどうもおかしい。
(ま、全員無事であることは、調べればすぐに分かる。慌てるこたァねェや)
「誓って、出鱈目などは申しておりませぬ」
「ふん。ま、ええわい。左衛門尉、後日、確と調べ報告せよ」
「御意ッ」
 命ぜられた酒井忠次が平伏した。
「植田、御苦労であった。下がってゆるりと休むがよい」
「ははッ」
 と、再度平伏して主人の前を辞した。
(ま、参ったなァ)
 庭に面した外廊下をトボトボと歩きながら、ふと溜息が漏れた。
 本当は、もう少し褒められるかと期待していたのだが、家康も不機嫌そうだったし、側近衆の嘲笑するような目つきも不快だった。酒井忠次も、決して茂兵衛と目を合わせようとはしなかった。総じて、評価も称賛もされていないことは間違いない。
(結局、相良の砦は完成しちまったし、高天神城への補給路は完全には潰せなかった。叱責するほどの不手際はねェが、褒めるほどのこともねェ……ま、そんなとこかなァ)
「植田様」
 と、背後から呼び止められた。足を止め、振り返ると、家康の小姓が追ってきていた。廊下に片膝を突き、会釈してくる。
「殿より申しつかって参りました」
「はい?」
「次に御兜を新調される折には『金色に塗った植田家の定紋の前立を付けよ』とのお言葉にございまする」
「金色の前立を?」
「はい」
「しょ、承知仕った。かならず左様に致しまする」
 兜には、鍬形や日月、鹿角などの前立や脇立を付ける者も多い。確とした規定があるわけではないが、あまり身分不相応な飾り物を付けると、揶揄や嘲笑の対象ともなりかねない。ただ、主君から「そうせい」と命じられたのだから、これは堂々と付ければよいはずだ。
(あ、これは褒美だら……そうだ御褒美に相違ねェ)
 褒美は領地や銭、刀や茶器ばかりではない。ときに名誉が褒美となる場合もある。家の定紋の、それも金色の前立を兜に付けることが許されたのだ。これは明らかに褒賞であろう。
(有難てェ。結局、殿様は牧之原での俺の働きを、それなりに評価してくれているってことだ)
 家中には出頭人の茂兵衛を「百姓上がり」と蔑む者が少なからずいる。家康は彼らに配慮して、茂兵衛を大っぴらに評価するのを躊躇った──そう受け取れなくもないではないか。
(亡くなった深溝松平の伊忠様もそうだった。俺ァてっきり、嫌われとるとばかり思っとったが、実は俺のことを考えて、わざと辛く当たっていなさったんだものなァ)
 家康が茂兵衛の働きを称賛せず、素っ気ない態度をとれば、茂兵衛のことを快く思わない連中の溜飲が下がり、結果、茂兵衛への風当たりは弱まる。家康の深慮遠謀だと確信した。
「それから」
 小姓が続けた。
「炙り出しで書かれた書状の件は、御他言なきようにとのお言葉にございまする。寄騎御家来衆を含め、くれぐれも内密にするようにとの由。以上、確とお伝えいたしました」
「委細承知仕った」
(殿様ァ、なんぞ肚積りがおありなのだろうさ。ま、奥方絡みだからなァ。色々あんだろうよ。敵と戦うならいざ知らず、主人夫婦のイザコザに首を突っ込めるほどの知恵はねェや。知らぬ顔をしとこう。ナンマンダブ、ナンマンダブ)
 と、念仏を唱えながら、廊下を遠ざかる小姓の背中を眺めていた。