墓石の掃除を終えて白いリンドウの花を供えた。風に背を向けながら線香に火をつけると、一度煙が空にのぼり東の方へと流れていった。
逢沢鈴音は墓前にB6サイズのノートを三冊置き、手を合わせた。
「佳恵先生、お久しぶりです」
九月の半ばを過ぎても暑さは相変わらずで、セミたちもまだまだ盛りとばかりに、けたたましいほどの勢いでミンミンミンミン鳴いている。
「鈴ちゃん?」
背中からの声にびくりと肩をすくめた。振り返ると、ベージュ色のワンピースを着た高齢の女性が立っている。
「佐恵さん!」
「ごめんなさい、驚かせちゃったわね」
佐恵さんは日傘を傾げた。
「いえ、あ、びっくりはしましたけど、声が」と鈴音が言うと、佐恵さんは目じりにしわを寄せた。
「顔は似ていないけど声はそっくりって昔からよく言われるの。やっぱり姉妹ってことかしらね」
そう言って、もういいの? と佐恵さんは鈴音に訊ねた。
「あ、はい、どうぞ」と、鈴音がうしろに下がると佐恵さんは軽く頭を下げて墓の前へ行き、『豆庵』と書かれた紙袋の中から包みを取り出した。たたんだ半紙の上に豆大福と栗饅頭をのせて墓前に供え、手を合わせた。
鈴音は邪魔をしないようにともう少し下がったところで佐恵さんのうしろ姿を見つめながら、似ているのは声だけじゃないですよ、と心の中でつぶやいた。
子どもの頃、何度もおぶってもらった佳恵先生の背中と、佐恵さんの背中はよく似ている。肉付きのいいやわらかで温かい背中にぴたりと頬をつけていると、安心して眠れた。
よっこらしょ、と佐恵さんは膝に手を当てて立ち上がると「一緒に食べない?」と、墓前に供えた菓子をさげて差し出した。
お供え物は持ち帰るようにと言われている。置いて帰るとカラスや小さな動物たちに荒らされてしまうからだ。とはいえ、たったいまお供えしたものを食べてしまうのは、なんとなしに申し訳ない気がする。
鈴音が躊躇していると、どこからかカラスの鳴き声が聞こえた。
「昔はお供え物はカラスに食べてもらうのが当たり前だったのよね」
「そうなんですか?」
「お供えしたものを、カラスがあの世に運んでくれるって考えられていたんじゃないかしらね。だから、追い払うんじゃなくて、どうぞ早く食べてくださいって」
なるほど、と鈴音は頷いた。
「いまは持ち帰るのがマナーでしょ。でもなんだか味気ないじゃない。だからわたしはいつもここで食べていくようにしているの。それにほら、持って帰ったって、うちには売るほどあるし」
そうですね、と鈴音は笑った。
佐恵さんは夫婦で『豆庵』という和菓子屋を営んでいる。鈴音にとって『豆庵』の菓子は子どもの頃の思い出の味でもある。
「はい、お好きなほうを」
それじゃあ、と鈴音は豆大福をつまんだ。
いただきます、と一口頬張る。
「おいしい」
思わず笑みがこぼれると、佐恵さんは満足そうに頷いて「何年ぶりかしら」と、鈴音の目の奥を覗いた。
「ずいぶんご無沙汰してしまって。お店にお邪魔したのが最後でしたっけ」
「たしかそうね。姉さんの一周忌のあとに、夜間保育園を開くって報告しに来てくれて」
「ってことは、十年前?」
「そんなに経つ!?」
佐恵と鈴音は顔を見合わせて同時に笑った。『すずめ夜間保育園』を開いてから、鈴音が長い時間、園を空けることはほどんどない。日曜は休園日ではあるが、それは職員の休日を確保するために設けているというだけの話で、保護者から保育を頼まれれば休日であろうと関係なく鈴音は引き受けている。
「十年も会ってなかったとは思えないわね。さっきここで鈴ちゃんを見つけた時だって、うしろ姿ですぐにわかったし」
「お菓子でつながってますから」
「そうよね! 毎度ご贔屓いただいています」といたずらっぽく言って、佐恵さんは栗饅頭を口にした。
「いつも美味しくいただいています。風汰先生のアパートがご近所だってわかったら我慢できなくなって、ついおつかいを頼んじゃうんです。たまにはわたしが行きたいんですけど」
「いいのよ、姉さんもそうだったしね。鈴ちゃんが忙しくしていることはわかっているから。それに」と、佐恵さんは笑った。
「斗羽風汰君ってなんか面白いじゃない。最初は、若い男の子で和菓子好きなんてめずらしいなって思っていたの。和菓子って地味でしょ? そうしたら、園長先生におつかいを頼まれてるって聞いて。まさかその園長先生が鈴ちゃんだなんて驚いちゃった」
「うちの若い保育士もみんな和菓子好きですよ。甘いものは苦手っていう保育士がいるんですけど、『豆庵』の葛餅は別って言って大喜びで食べてます。風汰先生なんて自分のをとられないように警戒してるくらいで」
あら、と佐恵は笑顔で、残り半分の栗饅頭を口に入れて、お墓に目をやった。
「リンドウ、姉さん好きだったね。ありがとう」
鈴音は「いえ」と、口についた片栗粉を指で拭った。
「いろいろ報告したいことがあったので……。わたしが、佳恵先生に話を聞いてもらいたくて来ているんです」
線香の煙が二人の方へ流れてくる。佐恵さんは笑みを浮かべると、『すずめ保育日誌』と書いてある三冊のノートに目をやった。
「姉さん、鈴ちゃんが保育士になったときもはしゃいでたからね。鈴ちゃんがいま頑張ってること、喜んでいると思うわ」
そうだといいんですけれど、と鈴音はことばにはせず笑みで返した。
木桶と柄杓を返して霊園を出ると、バス停まで佐恵さんを送った。
「鈴ちゃんもこのバスでいいの?」
自転車で来たと言うと佐恵さんは驚いて、「ちょっと待ってて」と酒屋の横にある自販機でミネラルウォーターを買ってきた。
「まだ暑いからしっかり水分とって」
そう言ってミネラルウォーターを鈴音に手渡したタイミングで、停留所にバスが止まった。
「お水、ありがとうございます」
いいのよ、と佐恵さんは日傘を閉じてバスのステップに足をかけて振り返った。
「からだに気をつけてね。時間があるときにお店に寄ってちょうだい、待ってるから」
じゃあね、と佐恵さんはバスに乗り込んでいった。
「また」と、鈴音は顔の位置で軽く手を振って佐恵さんを見送り、手渡されたミネラルウォーターに目を落とした。
佐恵さんにとっては、わたしはいまも小さな子どもの鈴ちゃんなのだな、と少しこそばゆいような気持ちになった。
わたし、もう四十五ですよ。
ペットボトルのキャップをひねり口をつけると、適度に冷えた水が心地よく喉を流れていった。
自転車に乗ったまま信号待ちをしていると、斜め掛けしているポーチの中でスマホが震えた。自転車を少し端に寄せて取り出すと、液晶画面に知らない番号が表示されている。一瞬迷ったものの通話マークに指を当てると聞き覚えのある声がした。
『あ、よかった! 園長先生ですか?』
「中込さん?」
パート職員の中込弥生だ。
『はい。あ、家にスマホを忘れてしまって娘のスマホからかけているんですけど』
それで番号が未登録だったのかと合点がいった。中込はこれまで数度、園にスマホを忘れて帰ったことがある。探しているのではないかと、保育士が自宅に電話をするも、「あら」と、たったいま気づいたという様子で「明日でいいんで、置いておいてください」と電話を切るのだった。若い保育士たちは一様に「明日までスマホなしでどうするんだろう」と首をひねっていた。鈴音自身、若い子のように使いこなしてはいないけれど、それでもスマホなしで一晩を過ごすには不安がある。
『もしもし、先生聞こえてます?』
「ごめんなさい、はい、聞こえています。どうかしました?」
『先生、いまどちらに? わたし、園の前にいるんですけど、空君とお父さんが来ているんです』
高比良空君。今年の二月に入園してきた三歳児だ。広告代理店に勤務しているお父さんとの二人家族で、空君は日曜を除く週六日、午前十一時から深夜一時までの十四時間を『すずめ夜間保育園』で過ごしている。
「空君が?」
『今日預かってもらえないかって。お父さん、時間がないそうで』
どうしましょうか、と中込は声をひそめた。
日曜でも子どもを預かるのは珍しいことではないが、大抵の場合は前日までに相談がある。当日になって、しかも押しかけるような形で頼まれるのは初めてだ。
「ちょっとお父さんに代わってもらえますか」
お父さん、園長先生が、という中込の声が聞こえて、『もしもし』と低い声がした。
「逢沢です。お父さん、どうされました?」
『これからどうしても岡山まで行かなければならなくて、非常識なことはわかっていますが、今日、空を預かって頂けないでしょうか』
あまり感情を表に出すことのないお父さんだけれど、スマホ越しに聞こえる声はあきらかに切羽詰まっている。
「わかりました」と応えると、間髪を容れず「ありがとうございます」と返ってきた。
「ただ、園に着くまであと二十分はかかると思います」
『二十分……。実は、いま出てもぎりぎりで』
というお父さんの声の直後、電話口に中込が出た。
『先生が戻るまで、空君はうちで預かります』
「よかった。それじゃあ、わたしはこのまま中込さんの家に向かいます」
鈴音はスマホをポーチに戻して自転車を走らせた。
中込が『すずめ』を手伝ってくれるようになって、もう五年になる。保育士資格は持っていないけれど、児童館でボランティアをしている中込を見て、鈴音が声をかけたのだ。「あのとき、どうしてわたしに声をかけてくれたんですか?」と、パートを始めて間もない頃、中込に尋ねられたことがある。
「子どもたちが、中込さんといると安心した顔をしていたから」と鈴音が答えると、そんなことで? と拍子抜けした顔をしていたけれど、子どもと過ごす様子を見るのが一番わかりやすい。職員を採用するときも決め手になるのはそこだ。
保育士としての素養やスキルは日々の積み重ねでいくらでも成長できる。けれど、センスというか資質や素質というものはなかなか変えられるものではない。
二年前に採用した斗羽風汰もその点を買って採用した。面接で保育士になった動機を聞いたとき、「好きな女の子と同じ学校に願書を出したら保育の学校で」と、斗羽はへらっと笑った。さすがにあのときは引いた。それでも、実際に子どもたちと接している姿を見て、斗羽の採用を決めた。
あのときの判断は正しかったといまも思っている。
マンションの前で電話を入れると、すぐにエントランスから空君と手をつないで中込が出てきた。
「園長先生、お茶でも飲んでいってくれればいいのに」
ありがとうございます、と鈴音はにこりとした。
「でも今日はちょっと予定があって。お茶はまた今度」
そう言って空君に「行こう」と声をかけると、空君は「ばいばい」と中込に小さな手を振った。
園の玄関を開けると、部屋の中はむんとしていた。
手早く保育室や廊下の窓を開け、厨房に行ってチューペットを二つ取り出した。
「お庭でこれ食べようか」とチューペットを見せると、空君は手にしていたブロックを置いて駆けてきた。
「ちゅーちゅーあいす!」
「みんなには内緒ね」と鼻の前に指を立てると、わかった! と空君は目を輝かせて園庭へ飛び出し、ベンチに座った。
「はいどうぞ」と一本渡す。ガリガリチューチューしていると汗が引いた。
「食べ終わったら、園長先生のお手伝いをしてくれるかな」
「おてつだい?」とチューチューしながら空君が顔をあげた。
「そう。お手伝い」
カラになったチューブを受け取って、鈴音は園庭の端にある物置から長靴二足とトングとバケツを持ってきた。
「これに履き替えてね」
「あめじゃないよ」と、空君が長靴を指さした。
「そうね。でもこれから行くところは長靴を履いていた方がいいの」
鈴音が長靴に足を入れると、空君は晴れ渡っている空を見上げながら恨めしそうに長靴を履いた。
「じゃあ出発!」
鈴音はトングを入れたバケツを自転車の前かごに入れ、チャイルドシートに空君を座らせるとペダルを踏んだ。
神田川を渡り、新目白通りを越えて坂道を上がっていくと、木々の生い茂った大きな屋敷がある。
「ここよ」と、鈴音は自転車を止めて空君を自転車から降ろすと、呼び鈴に指を当てた。
「こんにちは」
「どうぞ」とインターフォン越しに声が返ってきた。
空君をうながして門をくぐると、空君は鈴音のうしろに隠れるようにしてついてきた。
「いらっしゃい」と、屋敷から高齢の夫婦が出てきた。女性は車いすに乗っている。
「今年も声をかけていただいてありがとうございます」
鈴音が会釈をすると、女性は空君に笑顔を向けた。
「今年はかわいい男の子と一緒なのね」
「空君っていいます。空君、こちらは東郷さんご夫婦。園長先生のお友だちなの」
おともだち、と空君は口をぽかんとあけて鈴音のうしろに隠れるようにして二人を見た。
「空君か。たくさんもって帰ってね。今年は豊作だよ」
「甘露煮も作ってあるから帰りに声をかけてちょうだいね」
「ありがとうございます。実はちょっと期待していたんです」
鈴音が舌をのぞかせると二人は声を立てて笑い、屋敷の中へ戻っていった。
空君の手を握って庭の方へ歩きながら、鈴音は正面にある木を指さした。
「あれ、なんの木かわかる?」
空君は首をかしげる。
じゃあもうちょっと近くまで、と足を進めた。
「なにが落ちてる?」
「くりだ!」と空君が足元を指さした。
「あたり。これは栗の木。東郷さんがね、栗を拾っていいですよって園長先生に言ってくれたの」
「そらもひろう!」と、落ちているいが栗に手を伸ばして「いたっ」と手をひっこめた。
鈴音は空君の手を確認して、大丈夫、とげは刺さってないね、と手の甲をぽんとした。
「栗は、このトゲトゲのなかにあるの」
えぇーと残念そうな顔をする空君に、「見てて」といが栗の端を長靴で踏むと、中に茶色い実が三つ見えた。
わー、と空君はしゃがみこんで見つめている。
「これをトングでつまんで取り出すの」
鈴音がやってみせると、空君は目を丸くして興奮したような顔で鈴音を見上げた。
「空君もやってみて」
うん! 空君は両手でトングをつかんで、いが栗にいどんでいる。けれど三歳児の手にトングは大きすぎてなかなかうまくつまみ出すことができない。数分経ってもまだひとつも取り出せていないけれど、空君はあきらめることも、鈴音に助けを求めることもなく、おでこに汗を浮かべて険しい顔つきでトングをにぎっている。ちょっと怒っているように見えるけれど、真剣なとき、子どもはよくこんな表情になる。
がんばれ、がんばれ。鈴音もとなりで力が入る。と、ひょいと栗がいがから外れた。
やった! と空君を見ると、驚いたようなきょとんとした顔をしてトングの先にある栗を見つめている。その直後、弾けるような笑顔で鈴音を見上げた。
「そらがとった!」
「すごい! 空君やったね!」
すごいすごいと鈴音は何度も繰り返しながら手を叩き、バケツを空君に向けた。こつん、と小気味よい音が小さく響いた。
小一時間でバケツに半分ほど収穫して、園に戻った。
「たくさんだねー」
バケツの中を覗き込んでいる空君に、「本当ね。空君もたくさん拾ってくれたもんね」と言うと、空君は得意そうに鼻の穴を広げた。
「そら、くりすき。おとーがね、ふくろにはいってるの、かってきてくれる」
「甘栗ね。先生も好きだな。あとは栗ごはんもおいしいね」
「たべていい?」
「もちろん。でもこのままじゃ食べられないの」
えーっと唇を突き出す空君の頭に鈴音は手をのせてくすりと笑う。「じゃあ特別ね」と、おみやげにもらった栗の甘露煮を一つ口に入れてあげると、空君はぶるっとからだを震わせて「おいちー」と叫んだ。
「じゃあ、こっちの栗は食べられるように準備しよう。まずは栗を洗って、それから水につけておくの」
鈴音は園の調理室ではなく、二階の自宅のキッチンに空君を案内した。
普段、園児を二階に入れることはないけれど、日曜日は特別だ。
「えんちょうせんせいのおうち?」
「そうよ。保育園の二階が先生のおうち」
部屋の中を興味深そうに眺めている。
「こっち」と声をかけると、空君は足音を立ててキッチンに来た。
「まずは栗を洗います」
鈴音はイスを流しの前に置いて「ここにどうぞ」と、空君をあがらせると、バケツに入った栗をボウルに移し替えて水を入れた。
「こうやって、栗と栗をこすり合わせるようにしてよく洗います」と、やってみせる。
空君も真似をして一つひとつ丁寧に栗をこすり合わせている。「あら上手、上手」と鈴音が言うと、だんだん勢いがよくなって、水がとんだ。
「あっ」、空君が悲しげな顔をして栗を持ったまま濡れた胸元を見ている。
「大丈夫。これくらいならすぐに乾いちゃうから。でも気持ちが悪かったらお着替えしてきてもいいよ」
ううん、と空君は首を横に振って、ふたたび、今度は慎重に栗をこすり合わせた。
「でーきた! あとは一晩水につけておけば、栗ごはんでも焼き栗でも作れるからね」
「あしたたべるの?」
「そうね、明日の給食で食べようか」
わかった、と空君はイスから飛び降りた。
時計を見ると十四時を過ぎている。
「空君、お昼ごはん食べた?」
「たべてない」
「おなかすいたでしょ、ちょっと待ってね」と、炊飯器を開けて「おにぎりでいいか」と、棚から鰹節を出した。
おかかと鮭フレークのおにぎり、朝の残りのお味噌汁、甘い卵焼きをテーブルに並べた。
「ここでたべるの?」
「そうよ、保育園じゃないみたいでしょ」
「おばあちゃんちみたい」と元気に応える空君に、たしかに、若くに子どもを生んでいたらそろそろ孫がいてもおかしくない年齢なんだな、と苦笑した。
「おいちー!」
空君はおにぎりにかぶりついている。
「遅くなってごめんね」と言うと、空君は、なに? というように首をかしげた。
「ううん。たくさん食べてね」と鈴音もおにぎりに手を伸ばした。
食事の片づけを終えて振り返ると、空君は絵本を開いたままソファーの上で眠っていた。いつもよりお昼寝遅くなっちゃったもんね、と布団を敷いて空君を寝かせた。
中込のマンションに迎えに行ったとき、空君はどこか不安そうな顔をしていた。お父さんの用事というのは突発的なもので、おそらく空君は状況を理解できないまま、『すずめ』まで連れてこられたのだろう。しかも園長は留守で……。お父さんもかなり焦っていたはずだ。
もし、中込が通りかからなかったら? もし、中込が声をかけていなかったらどうしていたのだろう。まさか空君一人をここに置いていくようなことはしない、とは思うけれど……。
空君の寝顔を見つめていると、ふいに佳恵先生と自分とが重なった。久しぶりに墓参りに行ったせいかもしれない。
佳恵先生は鈴音が子どものときに通っていた保育園の園長だ。お昼寝のとき、先生はよく子どもたちの寝顔を見ていた。鈴音が薄目をあけて、こっちを向いてくれないかな、と思っているとふっと目が合い、優しく微笑んでくれた。その瞬間、おへその奥がくすぐったくなるような、幸せな気持ちになった。
もう四十年以上前のことになるけれど、いまでもあのときのほっこりとした気持ちを思い出す。
(つづく)