戻ってきたお中元
家族に孤独死が起こってしまったら、遺族にはどのような現実が待ち受けているのだろうか。
「母は、四つん這いのような状態で、テーブルの上に倒れこんでいたんです。体に蛆も湧いていたから、見つかるまできっと痒かったでしょうね。ずっと独りぼっちで放置されていたかと思うと、やり切れません。警察によると、死後1か月が経っていたとのことでした。他の人には、こんな思いをしてほしくないと思っています」
孤独死で母を亡くした戸田和彦さん(仮名)は、当時の様子をこのように振り返った。和彦さんは、都内のゲームアプリ制作会社に勤務する42歳の会社員。職業はプログラマーで、妻と3歳の息子とともに都内のマンションで生活している。穏やかな雰囲気が印象的な男性だ。
普段はあまり連絡のない叔父から、和彦さんの携帯に電話があったのは、夏も真っ只中の8月2日の夕方のことだった。
「妹に送ったお中元が返ってきてるので心配だから見に行ってほしい」
叔父は電話口で慌てたようにそうまくし立てた。
なんか、変だな。
和彦さんの母・京子さん(仮名)は一人暮らし。和彦さんは、最後に実家に帰ったときのことを思い出したという。ちょうど約1か月前。そういえば、その後、母に一度メールしたが、返信がなかったんだっけ。
すぐに自宅から電車を乗り継いで実家である千葉県にある団地に向かうことにした。
「ピンポーン」
いつもならチャイムを鳴らすとすぐに出てくる母だったが、その日に限ってなんの返答もない。おかしいな。和彦さんは何度かチャイムを鳴らしたりドアをノックしたりしたが、ドアの向こうは無言だった。ドアにはU字ロックが掛かっているようで、びくともしない。
ただ、一つだけ気になることがあった。
生ゴミを何日も放置したような生臭い臭いが、ドアの辺りにプーンと漂っていたのである。
「それでもそのとき、もしかしたら母が中で死んでいるかもなんて、思いもしませんでした。頭の片隅で一瞬でも、母の死について考えることもなかったです。ゴミ収集前日とかにドアの近くに生ゴミを置いたりすると、臭いがするじゃないですか。それかなぁとか。旅行に行く前にゴミを捨てるの忘れたのかなぁとか、呑気に思ってました」
開かない実家のドアに、どうしたものかと困り果てた和彦さんは、最寄りの交番に相談に行くことにした。交番の若い警察官は休憩中らしく、牛丼を食べていた。しかし、和彦さんから事情を聴くと、急に慌てた様子を見せた。
「そういうことなら、今すぐ見に行ったほうがいいです。何か事件に巻き込まれているかもしれないですから」
警察官のただならぬ雰囲気に、和彦さんは大げさだなと思った。
「このときも、母は部屋の中にいて『勝手に早合点して警察なんか呼んで、もう和彦ったらっ』なんて、小言でももらうんだろうと思っていたんです」
和彦さんは、警察官の協力を得て部屋に入ることができた。
部屋の中は夜中にもかかわらず電気は点いておらず、真っ暗だった。やけに静まり返っている。おかしいなと思い電気を点けると、食事用のミニテーブルに頭を突っ伏した状態で、倒れている人影が見えた。
それは、あまりに変わり果てた母の姿だった。食べかけのお皿やコップがそのままになっていることから、食事の真っ最中に突発的な異変でテーブルに倒れ、そのまま亡くなってしまったのは明らかだった。
「とにかくびっくりしました。蝿がブンブンと飛び回っているのが見えたんです。そして、居間の真ん中のテーブルに、母がうつ伏せで倒れていました。手をくの字に折り曲げて、丸くなった背中があった。まるでひざまずいているような恰好で崩れ落ちていました」
和彦さんは思わず駆け寄って、京子さんに声をかけた。でも、なんと声をかけたのかは今でも思い出せない。部屋に入った瞬間の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっているのだ。
「あのとき、母になんて声をかけたのかなぁー。すごく怒ったような気もするし、ありがとうって言ったかもしれないし、ごめんって言ったかもしれない。あまりの衝撃で、時間の感覚も全くなくなっているんです。不思議ですよね。部屋に入ったときからどのくらい時間が経ったか、自分が母に何を言ったのかもよく覚えていないんですよ」
もとからふくよかな人ではあったが、いつもの母とは違って、その体格がいくぶんか膨らみを増しているような気がしたという。もちろん体は硬直して冷え切っていた。
我に返ったのは、一緒に同行していた警察官が無線で応援を呼ぶ声がしたからだった。動転していた和彦さんに、警察官は「事件性があるかもしれないから、どこにも触らないで!」と叫んだ。
目の前にいるのは、和彦さんにとって自分を生み育ててくれた実の母である。和彦さんは、どうしても母に触れたいと思った。人生の最期を一人で迎えた母の背中を、せめてさすってあげたい。
警察官が目を離した隙に、和彦さんは冷たくなった母の背中にそっと手を伸ばした。そして、パジャマのような部屋着に包まれた背中を優しくさすってあげた。
「母の姿を見たのは、それが最後でした。本当に、それっきり。でも、一瞬でも最後にさすってあげられて良かったなぁと思っています。最後は息子に触れてもらって、少しは良かったと思ってもらえたらいいなと思うんです」
今でもそのときのことを思い出すとこみ上げるものがあるのか、和彦さんは目を伏せた。
しばらくすると、応援で駆け付けた警察官が10人ほど部屋にドカドカと入ってきて、現場検証が行われた。規制テープこそなかったが、それはまるでいつか見た刑事ドラマの犯罪現場さながらだと、和彦さんは動転する頭の片隅でぼんやりと感じた。自分が生まれ育った実家に大量の警察官がいて、写真を撮ったり現場検証をしている――。なんだかちくはぐで、異様な光景だった。
警察の応援部隊が到着すると、「ちょっとこっちへ」と、警察のワゴン車の中に呼ばれた。
母の死を悲しむ時間もないまま、すぐに警察官の事情聴取が始まったのだ。疑いの目はまず、息子である和彦さんに向けられた。和彦さんが第一発見者だったからだ。
「僕が一番怪しいということなんでしょうね。普段の家族関係から、最後に会った日のことなど、警察には色々と聞かれました。ただ、団地の孤独死自体は珍しいことではないらしく、警察のほうでは早い段階で事件性はないと判断したみたいです」
あまりに時間が経ちすぎているため、京子さんの死亡時期や死因は、検死を行っても不明のままだった。そのため、命日さえも確定することができなかった。ただ、遺体の状態から死後約1か月は経過していたということがわかった。
和彦さんが一番辛かったのは、母の遺体の写真を確認させられたことだ。和彦さんはまだ耐えられたが、気の弱い弟があまりにも変貌した母の姿に精神的なショックを受け、何日も寝込んでしまったのである。
「警察署で写真を見せられて、本人に間違いないか確認してくれと言われました。見せられたのは、どこか体の一部の写真でした。服が剥がされていて、体のほくろの位置で確認してくれと言われたんですよ。でも、正直、母の体のほくろの位置なんかわからないですよね……。最終的には、着ていた服や眼鏡で確認したんです。血と体液にまみれていて、洋服も本当にひどい状態でした。あんな写真を家族が見せられたら、絶対にショックを受けると思いますよ」
検死が終わるとようやく葬儀社に遺体が引き渡された。せめて最後に、お母さんに死に化粧をして、綺麗な姿で見送ってあげたい――。そう考えていた和彦さんだったが、葬儀の担当者に相談すると、とてもではないが顔にお化粧ができるような状態ではないと告げられた。京子さんの顔は、もはや原形をとどめていなかったのだ。
通常の葬儀をすることすらできない状態なのか――。そんな事実に、和彦さんは驚きを隠せなかった。
「遺体の損傷が激しいので、一目見ることすらやめたほうがいいですと葬儀社さんに止められたんです。棺全体から臭いが出ていたら、最悪の場合近付くことすらできないかもしれませんって。私が最後に見たのは母の後ろ姿だけだったので、そんなに母の遺体の状態が酷かったんだって、愕然としました」