孤独死現場や家族問題を取材し続けるノンフィクション作家の菅野久美子さんによるエッセイ『生きづらさ時代』が刊行された。本作は取材を通して出会った人々から自身の生きづらさを考察し、それと付き合うためのヒントを探っている。本作のテーマや、他人事ではない「孤独死」問題について語ってもらった。

 

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──本作に登場する公園を無償で掃除しつづける元ひきこもりのおじさん「サノさん」の存在は印象的でした。自分の特性を考慮して社会と繋がり続ける姿から学ぶものがあります。ほかに菅野さんが考える心地良い社会との繋がり方はどんなものがあるでしょうか。実際に見聞きしたものでも、考えていることでも教えてください。

 

菅野久美子(以下=菅野):これだけ社会が分断した中では、本当の意味で、人との繋がりを模索するのは、かなり難しいなと取材を通じてもひしひしと感じています。そんな中、唯一の希望は「自分の身体の再発見」ですよね。

 私事ですが、最近、近所のジムに通い始めて気づいたことがあって。そのジムではヨガやストレッチ、格闘技と色々なクラスがあって、しばらく通うと、毎週顔を合わせる人ができました。何となくコーチと会話をしたり、あるいは体調の相談をしたり、緩やかなコミュニティになっているんですね。この空間では、「生身の身体」が全て。普段の自分を脱ぎ捨てて、ひたすら身体を動かして汗を流す。属性は問われないですが、流動的ながら毎週来ているあの人、という関係性が作られている。ある意味、サノさんの公園のような第三空間に近く、それがすごく面白いな、と。

 単に黙々と機械的に体を動かすのは合わないと気付いて、最近、ブラジリアン柔術という格闘技のクラスに参加し始めました。ブラジル人のコーチがめちゃくちゃ明るくて、熱烈なラブコールに半ば引っ張られるように(笑)。運動神経ゼロで体育会系に苦手意識が強いのですが、それが引っくり返る感覚がありました。こんな自分もありかなと思えた瞬間でした。

 

──「身体の再発見」が社会との繋がり方のヒントになっていると、経験とともに感じられたのですね。

 

菅野:孤独死という社会問題を追ってきた私にとって、心身とどう向き合うかは、ずっとテーマでした。自分自身を取り戻していくことに他ならないからです。孤独死の7割を占めるセルフネグレクトは、緩やかな自死と言われています。要するに、自分の心身を大切にできていないんです。私自身、母親との複雑な関係もあって、まさにセルフネグレクト気質で、孤独死予備軍の当事者でもある。

 シンプルに身体だけに集中できるジムのような空間には、案外何か可能性があるというか、ヒントが隠れている気がしています。運動音痴な私が自分の身体をポジティブに受け入れることができたからです。そこから、人と人とが繋がれる可能性はないものか、まだ始めたばかりですが、少しずつ模索している感じです。

 

──いま注目していたり、今後取材をしてみたいと思っているジャンルや対象があれば教えてください。

 

菅野:広い意味で「推し活」には、興味があります。現代社会を見ていると「一億総推し時代」に突入しているように感じます。これは、本当に新しい時代の潮流だなと。

「推し」という言葉が、これほどまでに性別年齢問わず、どの世代にもじわじわとカジュアルに浸透した背景は何だろう、と考えています。アイドルからYoutuber、お笑い芸人、ありとあらゆる人たちが「推し」化している。また商業的にも、それを後押しする動きがある。カラオケボックスの推し会プランや、ホテルだって、推しと泊まるプランを仕掛けるなど水面下でじわじわと加速している。「推し活」には、令和という時代をとらえる上で重要な何かが示されている気がします。きっとそれは、生きづらさの問題ともリンクしているのだと思います。そんな「推し活」から見える現代社会の手触りを描きたいです。

 あとは、スポーツ選手のセカンドキャリアですね。セカンドキャリアというと少しお堅いですけど、要は、人生がうまくいかなかったときに、人はどんな選択をするのかということへの興味です。

 本書には、元ヤクルトスワローズの捕手が登場しますが、私の中で、先行して実験的に書いてみたつもりです。イチローさんのような特別な人でない限り、プロの選手でも勝ち続ける人生にもいつか終わりがやってきます。その先にある人生とどう向き合ったのか、そこに非常に興味があります。生きづらさを抱えたノンフィクションライターとして、彼らの人生を深掘りすることで、読者や一般の人にも共有できるような本が書けたらいいなと思っています。よく考えてみたら、「推し活」も「スポーツの選手のセカンドキャリア」も、やっぱり問題意識の出発点は、「生きづらさ」なんでしょうね。

 

──この本をどのような人におすすめしたいですか? 読みどころとあわせて教えて下さい。

 

菅野:男女問わず、生きづらさや、社会に対するちょっとした違和感を抱えている人には読んで欲しいですね。私のノンフィクションライターという職業柄、一般の人よりは色々な種類の人に出会っているつもりです。そのため本書はエッセイですが、取材を通じて知り合った多種多様な方々の知恵が生きていて、宝石のように鏤められています。

 自分の内面と向き合うことも大切ですが、やっぱり人との出会いが、私の生きづらさの回復にも、そして人生にも大きな影響を与えているんですよね。そんな「私的」な視点を通じて、生きづらさと向き合う方法をともに模索していけたら、嬉しいです。

 

【内容紹介】
数々の孤独死現場を取材してきた著者が直面した現場には、家族やパートナー、社会との関係に苦しんだ「生きづらさ」の痕跡があった──
他の人のように上手く生きられない。現代人が抱えるどうしようもない辛さを様々な角度と視点から探る、著者初のエッセイ。

第1章 私が生きづらいのはなぜか
母親と生きづらさ/事故物件に刻まれた「生」の証/私を縛る容姿のコンプレックス
第2章 私たちを縛りつける「性」
女性用風俗の現場から/婚活戦線で傷つく女性たち/弱さを見せられない男性/ロスジェネとその傷
第3章 いまの時代の生きづらさ
Z世代の繋がり/年収400万円時代の生きづらさ
第4章 生きづらさを越えて
喪失感が生む生きづらさ/SNS依存から抜け出す/溢れるモノを「捨て活」/ごみ屋敷が告げたSOS/生きづらさとの付き合いかた

 

菅野久美子(かんの・くみこ)プロフィール
1982年生まれ。ノンフィクション作家、エッセイストとして孤独死や家族問題を追う。著書は『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』、『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』、『ルポ女性用風俗』などがある。最新刊『生きづらさ時代』は著者初のエッセイ。